“おろし山芋”の話
「良いですかリーネさん、これがスライム属半溶解種の魔物です」
「はい……」
王都から少し外れた平原の入り。
麗らかな日差しにも劣らない朗らかな表情で語るエトに対し、獣人族の娘リーネの面持ちは曇り曇っていた。
そんなリーネの心情も仕方ないと言えばそれまでの話なのだが、これまでの経緯を語れば、その解釈まで非常に複雑難解な曲折を通ることになる。
その点こんな現状に於いても崩れないエトの泰然自若振りには感服の一念を評するべきなのだろうけれど、こいつはこいつで何ともこの紆余曲折をそう解釈していない節があるので、ややもすれば私は寡黙の一途を貫こうと思う。
「スライム属の魔物の中でも特に粘性が強く、一定の形を保たない流動的な体質を持っています」
「はい……」
「表面はマターの半透膜で覆われているので、上手に触れれば意外にも滑らかな手触りをしています。しかしその半透膜は泡のような柔さなので、爪の先でも擦ろうものなら即破れるでしょう」
「はい……」
「憑依具体物によってその特質は様々ですが、往々にして彼らは内包物から異臭を放ちます。その異臭はひどく嗅覚に障り、さらには猛烈な痒みや発熱等の誘発的苦痛を味わうことになるでしょう」
「はい……」
リーネは一辺倒な返事でエトの解説に応じ、眼前で不規則に動くその魔物を見つめていた。
嫌悪感丸出しのその表情は、既に当該魔物の攻撃にでも被弾したかのような、絶望的なまでに希望の見えないそれだった。
彼女の頭の上に生える普段綺麗な三角形の耳も項垂れ、面持ち以上に彼女の感情を良く呈している。
「あの、エト先生……」
「なんでしょう?」
「この魔物がスライム属半溶解種であり、地味に地味な苦痛を味わう攻撃をしてくることは良くわかりました。魔物が私達を襲ってくることは彼らの習性上仕方のないことですし、それに応じる展開においてこの解説を受けることも理解出来ます」
「はい」
「ですが、何故なのですか……」
「はい?」
「解せません、何故この魔物の名前が……、“おろし山芋”なんですか……」
リーネは魔物照会帳簿という、いわゆる魔物図鑑の原本となるものをずいとエトへ差し出し、その魔物の名を指差してわなわな震えている。
リーネの嫌悪と困惑の表情は一層深まり、しかしエトは相変わらず抑揚のない笑顔で応じていた。
この魔物照会帳簿を著した本人であるエトに物申せるリーネも剛気なものだが、いやしかし私も同様の疑問は兼ねてから在った。
さすがにエトもひとことふたこと発するかと思いきや、小首を傾げる勢いで「それが何か?」と言わんばかりの雰囲気を醸し、標準搭載された朗らかな笑顔を変化なく貼り付けている。
「これの、ど、こ、がっ、おろし山芋なんですか!」
「ええと、痒みが出るところとか?」
「むしろそこだけじゃないですか、特筆すべき類似点は!」
「うーん、でも名付けたのはファオスですし、存外悪くないネーミングだと私は思っておりましたけれど」
「お会いしたことがないので不躾になりますけれど、勇者様のネーミングセンスは末期です! お言葉ですが、その拗れ具合に共感しているエト先生も相当なものですからね!」
「そういう意味で言えば、私はもっとこの魔物の特性を重視して命名したかったものです。確かにファオスのネーミングは、センスこそあるもののおざなりなものでした」
「センスの欠片もありませんよ!?」
「私なら、そうですね、この粘質な雰囲気を熟慮してこう名付けるでしょう。“ドロべトス”と」
「熟慮した結果、さらに拗れた!?」
なるほど納得、エトが魔物照会帳簿に“おろし山芋”を躊躇なく採用した言われは理解できた。
こいつも勇者ファオスと同様に、それなりにそれなりなネーミングセンスの持ち主なのだ。
王都聖騎士団長直々の依頼で、魔物哨戒班と銘打った、魔物改名作業チームを発足させた団長様の心境に同情する。
「ではリーネさんなら、この魔物に新たな名を与えるとしたら如何なさいますか?」
「憑依具体物によって特性が左右するものの、スライム属半溶解種であることを考慮し、この流動的な容姿から“ジェルスライム”と命名致します」
「良いですね」
エトは笑みを崩さないまま淡白に応じた、実に不満げである。
それにしてもリーネはネーミングセンスもさることながら、この性格柄が素晴らしい。
王都最強の大魔法師にして、勇者ファオスが率いていた魔王討伐隊の元専属魔法使い、エトオール・アステルに物申せるこの器量。
普段から朗らかな表情であるエトだが、彼の経歴を知れば一般人なら腰が引けて呂律すら回らないだろう。
そして何より、このチーム、魔物哨戒班のメンバーとして私が頭数に在ること。
これが何より得難い僥倖なのであり、依頼主である聖騎士団長の、ひとつの賭けが成功した形であると言える。
「では多数決を取ります、この魔物の名を“ドロベトス”として採用希望者は挙手」
すっ、というオノマトペが至極お似合いなエトの挙手は、しかし多数決少数派としての範疇に在ることをこの時点で決定付けていた。
魔物哨戒班が構成員は3人。
王都最強の大魔法師にして、勇者ファオスが率いていた魔王討伐隊は専属魔法使い、エトオール・アステル。
猫系獣人族の末裔にして、エトの弟子、リーネ・コットン。
そして私、エトの頭に寝そべる漆黒の毛並み、天才にして天災と言われた猫魔族の頭脳、コーレイン・ワンダーキャット。
「続いて、この魔物の名を“ジェルスライム”として採用希望者は挙手」
中空へと舞い上がるふたつの票。
多数決、つまり数の暴力とはこのことである。
どれだけ化け物染みた戦闘力を誇る生命体であろうとも、この民主的かつ独裁的な方法論の前では一様に無力なのである。
圧倒的大多数の支持により、この魔物は“おろし山芋”から“ジェルスライム”としての改名が決定された。
「ふう、仕方ありませんね」
「どれだけ不満なんだよ」
「今回の哨戒活動でリーネさんとコルの意見が、一度も違えないのは微笑ましいことだと思いますよ」
「……、早く改稿してこい」
「では魔物照会帳簿を改稿します、少々お待ち下さい」
微妙に拗ねているなあ、こいつ。
エトはリーネから魔物照会帳簿を受け取ると、指で書面をなぞりながら改稿を始める。
この帳簿にエトが記述することで、全世界にある書面上の当該情報は更新されていくのである。
世界規模の情報を瞬く間に変更出来る、これも大魔法師が成せる術だろう。
「ふう。エト先生の作業が終わったら、次はどの区域に行きましょう」
「この辺りは粗方済んだことだし、もう少し奥地に出向いても良いだろう。いやしかし、何か忘れているような……」
「物忘れだなんて、コル師匠もお年ですか?」
「ああそうだ、思い出した」
「何ですか?」
「リーネ、ちょっとその場で跳んでみろ」
「は、はあ……、こうですか?」
「良い感じだ。では私が合図をしたら、高く跳んでみてくれ」
「はい」
「いち、にの、……さん」
「それっ!」
刹那、繰り出した体当たりによってリーネの背で弾けたそれは、そこはかとない異臭を辺り一帯へと放ったのだった。