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葡萄園と三匹の犬

作者: 一兎

人生でなにか申し出をされて、それに腹を立てたり興奮させられたりするのは、その申し出を受け入れたいって気持が動いていて、それを断るだけの自信がなくて、こころのなかではそれを受け入れたいという気持があるときだって。

―― トーマス・マン『ブッデンブローク家の人びと』


 怠惰な生活が身を滅ぼすというのはよく聞くが、気づかないうちに怠惰な生活をしている人がどれだけいるだろう。また、教科書を読んで実習をした場合、たとえテストは出来たとしても、不意に爆発などの事故を起すことがしばしばある。ようは知識と意識の違いで、私は知識に関しては問題ないのだと思うが、知識を意識へ移行する際の問題というか、不注意というか、どこかが抜けていて、そもそも大学に何しに来たの? 大学は何をするところ? そんな問題すら解決できずに、気づけば怠惰な生活を送っていた。

 今回のこともそう。卒業研究、いわゆる「卒研」をしなければならないのだが、なんのために? という疑問が先に立つ。なんのために、なんてどうでもいい、動機付けさえ出来れば、卒業のために必要だから、やれ、以上。今はそう思い込もうとしている。実際、知識に関して問題ないかどうかも怪しくて、確かに留年せずにこの年だが、実習はからっきし、実習ができるように育てられていないような気すらする。とにかく卒業研究は憂鬱。何について研究しようか。


 壁掛けのデジタル時計は「9:00」を表示している。私は寝返りをうつ。6畳半ほどの部屋の中央にあるガラステーブルの上には、表面が絨毯状で緑のゴム性のシートと散らばった麻雀牌、酒缶からあふれる吸殻、水滴を帯びたグラス。隅にある木製の机にはページがくしゃくしゃとめくれた教科書やノートが山積みにされ、その上に握りつぶされた酒缶と酒瓶が無造作に置かれている。そのうちいくつかは木製のフローリングに落ちたらしく、水溜りと黒いしみを作っている。ゴミ箱からは丸めたティッシュ、菓子の袋、雑誌、学校の配布プリントなどが溢れている。部屋のいたるところから異臭・悪臭。壁には苦悶の表情で歌うボーカリストのポスターが貼ってある。

 少し前まではそんな感じの生活をしていた。今はというと、山の中でのどかな生活。私は寮をやめさせられた。

 実家の私の部屋はいまだに雑然としていて、最低限の足の踏み場しかない。「音楽だけは」と思い、膝上まであるスピーカー、エレキギター、アンプなどオーディオ類は配線してあるが、隣の部屋が両親の寝室であり、帰宅時間が遅いので、音楽のために時間をとれない。ヘッドフォンを破損してしまったことがそれに輪をかけた。壁には苦悶の表情で歌うボーカリストのポスターが貼ってある。


 通学は早起きから始まる、起きなければ親にたたき起こされる。春眠暁を覚えずとはいうが、少しずつ慣れてきて目覚ましのなる前に起きる癖がついてきた。今年度に入ってから、学校には遅刻したことがないし、悪友も近くにいないから怠惰な生活を送ることはない。ただ、私の家は農家なので、なにかと手伝いをしなければならないのが辛い。新年度が始まる前だが、トラクター(無免)でジャガイモ畑を耕すのに半日を費やした。

 家の外は霧に覆われていて、広大な庭の疎らな雑草は一様に朝露を帯びている。私は自転車にまたがり、濃い土の匂いがする山の中を進む。視界が開けると、家で所有している田圃が広がり、まだシーズンではないから閉まっているが、家で経営している葡萄園の横を通り過ぎる。朝は車がほとんど走っていないので全速力、それでも駅までは15分ほどかかる。駅から電車で1時間半、降りた駅から自転車で15分ほど漕ぐとようやく学校に着く。

 私は駐輪場で自転車を降りた。スタンドを蹴ると、鼻声のような鈍いカンという音がスプリングを振動させ響く。鍵を外し財布にしまう。斜め上を見上げながら首を軽く2、3度振り、大きな肩息をつき、1時限目、第3講義室へと向かった。

 第3講義室は駐輪場から近い位置にあり、歩道橋を渡って右折したところにある棟の1階。この棟の2階に第2講義室があるが、第1講義室は別の棟にあって、今年の授業では使わない。第4講義室、第5講義室まであるのだが、どういった基準でその名前をつけたのかは定かではない。第2、第3講義室のある棟は他の棟に比べて古く、置いてある長机や椅子、掃除用具入れが老朽化している。これらの講義室のほかにもマルチメディア講義室A、BやSCS教室、階段教室という名前の部屋がある。

 私は第3講義室の前に佇んでいる人物の姿を認めた。どうやら部屋の鍵がまだ開いていないらしい、しかたがない、研究室に荷物を置きにいくかと踵を返し、第3研究棟へ向かうことにした。

 学生たちはまだ疎らで研究棟が林立する付近、朝の研究棟周辺は閑散としていた。自動ドアのウィーンという音が気になるほどである。第3研究棟は5階建てでレンガ造り風の外観、私の研究室は2階の隅にある。階段を上るとき、革靴を履いているわけでもないのにカタカタという足音が響き、静けさを妨害しているように感じられて、少し申し訳ない気持ちになった。それが理由というわけではないが、前のめり気味に俯き、足の動きを見ながら階段を上った。

 研究室の戸を開けると、人、研究室の先生。想定外のことに挨拶の声がのどをくぐもって外へ出ず、苦笑いを浮かべる。先生はこちらの存在を認めると、笑いながら、私にひょこひょこ駆け寄ってきた。私は愛想笑いをし、会釈。

「おも、っしろいものぁるんだけど、見に来る? くふふ」

脂肪で腫れた顔がはちきれそうな笑み、ブレスの位置が不自然な息苦しい声を出す先生に、はぁわかりましたと気の無い返事をし、後をついていった。階段を降り、研究棟を出て、隣接している施設の前で先生は「ちょ、と待ってて」といい、靴を脱ぎ捨て中に入っていった。つま先で地面を2、3度ノックしはじめた頃、先生はパタパタと戻ってきた。犬を抱きかかえて笑う先生。角の生えた犬。

「おもしろいだろ? やるよ」

 先生は手を伸ばし、そいつを私に差し出す。私は事態が飲み込めずうろたえた。

「どういう意味ですか?」

「もって返っていいよ」

「え」

「ほら」

「いや」

「いいから」

「ホントあの」

「あっそ、じゃあいいや」

「あっ」

「くふふふ」


 先生は笑うと、部屋の奥へ犬を連れて行った。まだ仔犬といった大きさだから部屋の中で飼っているのだろう。私は腕時計を見た。第3講義室へと足を早めた。

 第3講義室にはすでに多くの学生が陣取っていて、席はほとんど空いていなかった。私は仕方が無く1番前の席、教壇のすぐそばの席に座った。周りに座っている学生に見知った顔はなく、肩身が狭い。前のほうの席というと真面目な学生の色が強く、真面目を連想させる眼鏡の学生が多い。私は普段ならこの授業中寝ている。たいてい学校に着くのは早いほうだから、後ろの方の席に座ることができる。この授業は先ほど会った研究室の先生が担当しているので、最前に座っていることに恥ずかしさを感じた。半透明のプラスチック製の鞄からノートを出す。この教室の机には落書きが多いのだがこの席にはない。

 先生が入ってきた、教授と呼んだほうが正しいのかもしれない。ただ、私はどうしてか教授という言葉に気恥ずかしさを感じてしまう。高校の生徒、大学の学生、高校の先生、大学の教授。私は彼のことを呼び止めるとき「先生」というのだから、彼は「先生」である。

 先生は黒板に文字をやる気なくチョークでなでるようにして書く。筆圧が弱く、かすれた文字。私はノートを出したが、板書をする気はない、ノートを出すという形式的な、授業を受けているという雰囲気が大事だと思う。

 隣席の眼鏡が挙手。

「先生、その文字、その腺? いや、血管でした、の、その、それです、なんて書いてあるんですか?」

「van Gieson染色? ああ染色、染めるに色ね」

先生は黒板消しで文字を消すと、濃い文字で「染色」と書いた。

「すいませんね、でも、雰囲気で分かるでしょ、くふふ、ねぇ、質問はしてくれてもいいんで、対応しますんで」

 授業が終わると先生はそそくさと教室を後にした。私は体を起し、次の授業まで1コマ分の時間があるので休憩することにした。研究室にソファーがある、この授業で眠れなかった分の仮眠をとろう、鈍い頭の回転からか私は自分に確認するようにして歩き出した。

 数歩して、目覚めたように立ち止まる。研究室でまた先生と会ったら気まずいような気がした。ただ、頭の回転が鈍く、他の考えを捻出することに失敗したため、よろけながら、あまり気乗りしないまま、私は結局、研究室に向かうことにした。

 研究室の戸を開けると、中には誰もいなかった。私はソファーにすばやく駆け寄り、ダイブ。お気に入りの羽枕を体のほうに引き寄せ、頭の下に敷く。静かに目を閉じた。


 不快な振動が体を揺する。私は目を開け、また閉じた。それでもまだ体を揺すられたため、払いのけるようにして起きあがった。

「昼飯くいにいかね?」

 行かない、私は寝返りをうった。

 頬を不快な濡れた物が這う。私は頬を拭いながら、気が触れたように起き上がる。犬。

「おはよう、昼飯くいにいかね?」

 両手に抱えられた犬が舌を出して笑っている。はっ、はっと興奮したような吐息。私は呆れたように笑った。

「こいつさ、なんで角生えてんの」

 柴犬の仔犬、頭に異物があるが、癒し効果抜群。研究室の友人は犬を撫でた。

「さぁ? 先生からもらったよ」

「お前、飼うの?」

「いや、なんか誰か研究で使わない? だってさ」

「犬かぁ、俺ヒツジやりたいんだよね」

「いいじゃん、調達すんのめんどくさいし。やっちゃえ」

「わかんね、てか実際、こいつ研究すんのもありだよね」

「ありだね、変種っしょ」

「そうなのかな、なんにしろ、卒研のテーマまだなの俺だけだしね」

「俺もびみょだけどね」


 授業が終わり、自転車にまたがる。学校周辺の坂道が多い地形上、帰り道は心地よい下り坂が続く。駅まで、行きは15分かかるが、帰りはその半分で着くこともある。というよりも、こんなに駅から離れた立地の悪い場所に学校を作るならスクールバスを出して欲しい。国立は財政が厳しいのだろうか。正面のセブンイレブンを横切り、車の少ない裏道の長い坂を下る。坂の中ほどで視界が開け、電飾の派手な看板、木々の残る街並み、道幅の比較的広い車道、浮浪者のいそうな公園、あらゆるものが見える。老人が自転車を手で押しながら上っている横を通過し、野良猫を横目に見ながら、私はTSUTAYAに寄るため進路を換えた。夕暮れ時、車の灯火は疎ら。歩道橋を越え、駐輪場に自転車を停める。

 レジでバイトをしている友人に手で挨拶し、数枚のCDを見る。ジャケットを眺めたり、試聴したり、手に取りながら、このシャウトがいいとかギターが、ベースが云々などとCDを見ていると時間が過ぎていくのが早い。間に合わせの安いヘッドフォンを買い、店を出た。縦列に並ぶ車のライトが規則的にスライド、横を通過していく、藍色の空。自転車を無灯火で飛ばす。


 久々に音楽を聴くと体から抜け出るような感覚、いわゆる浮遊感に襲われた。ヘッドフォンから漏れるシンバルの音が部屋を満たす。寄りかかったベッドが揺れる。私は小刻みに頭を振っていた。久々にギターを手に取り、弦を撫でた。

 朝露、地に這う蜘蛛の糸をまたいだ。私はうろ覚えの英詩を鼻歌混じりに口ずさみながら、自転車を漕ぐ。上機嫌かというとそうではない。視界の悪い、眠さの気体が体内を満たしている。口を大きく開け、その気体を外に逃がしてやると細い目から涙、空間が滲んだ。

 通勤、通学で朝の電車は異常に混む。私はこの空間では「物体」、荷物である。圧縮された旅行鞄の中にいるようだ。ただ、旅行鞄と違うのは期待・希望に満たされていないこと。車内の人々は頭を垂れ、腕を組み、絶望しているように見える。私は仕事に出かける会社員を見ると少なからず憂鬱になる。私は今年、学校を卒業、社会の一員となる。進路を考えるが、私は自分が何になりたいのか、何になるのか、何になれるのか分からない。ギターを触るたび、音楽、バンドで生きていけたらと考えるが、私の情熱はどこか冷めている。冷静、というか絶望というかどこか寂しさを孕んだ見解しかできない。曖昧な「感性」にすがりながら、才能だとか音楽性だとか語ってはみても、多くの才能が既に世に出ている。大衆に埋没してしまうのが嫌だとか働きたくないだとか、私はもはやその境地・見地を越えた。幸せは正常の中にある。埋没とは正常であれば、調和でもあり、調和は素晴らしい音楽でもある。だから私は思う、会社員の人々はそんなに悲しい目をしないで欲しい、私の考えが間違っていないのだと示すように。


 私は駅前の本屋をよく利用する。たいていは買うものを決めずに立ち寄り、帰りの電車で読む本を買う。寮にいた頃は漫画ばかり読んでいたが、最近では研究のための資料や求人誌を眺めることが多い。本はストレスのはけ口であったが、ストレスを溜める原因でもある。

 普段は見ることのない趣味の棚の本を手に取り、軽く曲げ、親指で送るようにページを弾く。この動作で本の中身が確認できるとは思えないが、数度繰り返し、内容を大して吟味せずにレジに運ぶ。

 犬の世話をするための本を1冊買った。研究室の友人たちは皆、犬を飼ったことがないらしい。私はその本を買った瞬間、犬の研究をする決心がついた、写真の多い大版の本は文庫本4冊分と値が張った。


 授業中、鞄から本を取り出す。犬が笑っている。私は犬も悪くないな、と思う。私は羊が好き。犬は羊を追いかける、羊は逃げる。いつか羊飼いになりたいと思ったことがある。羊の群れの上で眠る羊飼いのイメージが好きで、眠るときに羊を数えるというのも可愛らしい映像が浮かぶ。

 灰色の高山に囲まれた僻遠の農場で、麦藁帽子を被り、白いポンチョ、胸元に穴の開いた青い鉱石をぶら下げ、木の枝を片手に。私は羊の上に乗り、枝で指しながら、羊を数える。羊たちは1つの泡のかたまりのようで数えにくい。私は諦め、帽子のつばを下げ眠る。犬が吠える。羊は急速に移動を始め、その振動で私は起きる。

「終わりましたよ」

 肩を揺すられ、授業が終わる。今日はぐっすりと眠ってしまった。疲れがたまっているのかもしれない。軽く伸びをし、講義室を出た。


 研究室の戸を開けるときは緊張感がある。研究室の戸を開けた。友人たちはトランプで盛り上がっていて、誰一人こちらを見ない。私は机に荷物を置き、パソコンの電源を入れた。友人の1人が「やるか?」と声をかけてきたが、やらないと答え、席に着いた。

 私は「犬」と検索し、舌を出した犬の画像を壁紙に設定した。机の上にある散らかった資料を端に寄せ集め、中から1枚のプリントを取り出す。「研究テーマ」と書かれたその紙を片手に先生に研究テーマについて報告に行くことにした。スクリーンロックをかけ、立ち上がる。

 受付に「先生いますか?」と聞くと、「ちょっと待っててね」と言われ、2、3分の後、先生が大儀そうにのたのた姿を現した。

「こんにちは、先生、研究決めました」

 私は快活な調子で言った。犬について研究するという旨を伝えると、先生は言う。

「犬、研究するの、何やる?」

 私は拍子抜けした。先生が預けてくれた犬についてと言うと、

「あれなんだけどさ、ちょ、とね、あれ検査しなくちゃいけないから、それからね」

 と回答。私は顔を赤くし、「そうですか」とぶっきら棒に言うと研究室に戻った。

 鞄から本を取り出し、机の上に投げ出す。パソコンの電源を切る。私は友人たちに声をかけた。友人たちのトランプに混ざり、無為に時間を過ごす。笑い声が薄くなった頃、数人の帰宅による幕切れ。空は既に藍色。


 私は帰る前に、研究室の近くにある掲示板に張られた求人票を確認し、いくつかメモを取るとポケットにしまい、研究室で数社、詳細を調べることにした。ホームページの丁寧に小難しく書かれた会社沿革と概要、社長挨拶を見て、ため息をついた。会社というのは私が考えるより難しいところなのだろう、×印をクリックしブラウザを消す。パソコンの青い画面。電源を切り、荷物を持って退室。

 自転車を漕ぎながら、将来の展望。就職活動に忙しい友人は数多くいる。私は出遅れている。そんなに急ぐことでもあるまい。拙速は後悔につながるだろう。ただ私は慎重に検討しているわけではなく、「不安だ、不安だ」といってただ立ち往生しているだけなのかも知れない。解釈は仕方次第。人は歩く速度が早いほど、生き急いでいると聞いたことがある。ならば少しゆっくり自転車を漕いでみよう。早く家に着きたいと思う気持ちを抑え、私は自分を信じるために、肯定するために、少しゆとりのある気持ちで駅に向かう。下り坂にブレーキの音が響く。


 ヒノキの匂いのする入浴剤は私のお気に入りである。今日は長風呂をしよう。私は長風呂が好きで、疲れている日は風呂に浸かったまま眠ってしまうこともある。風呂の時間を長く取れるのは幸せなことであり、普段ならば、睡眠時間をとるためやむなくシャワーのみで済ましてしまうことが多い。

 体を早々に洗うと、湯船に半身を沈め、足を伸ばし、縁を枕に首まで一本の直線となる姿勢を取った。目線は天井、湯煙の上がる風呂。

 湯煙とボーっとする頭がシンクロして、幻想を生む。幻想、風呂で考え事をすれば閃くが、風呂を出ると途端に忘れてしまう。風呂には裸、裸は狂気に満ちている。裸は自然体ではない。服を着ていて正常、風呂は正常を失う空間なのかもしれない。

 匂いと曖昧な意識と湯煙。体内に充満する不安。風呂はいつの間にか湯煙で充満し、中をのぞくことが出来ない個室に。私はおぼろげな幻想に操られ、風呂の中で、性欲のない自慰をした。不安を吐き出すように。白濁。

 のぼせて赤い顔と鼻血。火照る体。射精の後の脱力感。吐き気を越える眠気で、私は布団をかけずに就眠。


 私は目が覚めると自分の部屋にいた。記憶が曖昧で、空気の摩擦を肌に感じた。階段を降り、リビングルームに顔を出すと父がいた。

「おはよう」

 私はソファーに腰をかけ、父が眺めている画面を見ると、「王様のブランチ」がやっていた。

「朝ご飯は昼と一緒でいい? 昼はどっか食いに行くから」

 私はうなずいた。


 父の車に乗り込み、ラーメン屋に向かうことになった。父は視線を前にやったまま、私に話しかけてくる。「最近、腰が痛い」、「早く車の免許取れ」といったなんでもないような話、普段は静かな印象のある父だから積極的に話題を振ってくるのは珍しい。チェンジレバー、発信音、チェンジレバー、鍵を抜く、ラーメン屋に着いた。

 飯を食う。

「お前重くなったよな。風呂ん中で寝ると危ないから、気ぃつけろよ」

 私はうなずき、麺を啜った。湯気で視界が悪い。

「お前、進路どうすんの?」

 私は「考え中」と3秒かけて言った。父はラーメンを食べ終え、煙草に火をつける。私は麺を啜る。父は煙を吐いた。

 帰りの車が家に着く寸前、父は突然、口を開いた。

「お前、家業継ぐ気あるか?」

 私は何も言わなかった。父は舌で前歯を舐めている。チェンジレバー、発信音、チェンジレバー、鍵を抜く、家に着いた。


 階段を駆け上り、部屋に逃げ込んだ、というとあたかも悪いことをしているようだが私は悪いことなどしていない。無神経なことを問う父が悪いのだ。

 私はなんとなく部屋から出たくなかった。かといって、部屋は長く滞在できるようになっていない、部屋の片付けをしよう。部屋を見回すと眩暈がした。


 片付けといっても収納スペースに欠ける私の部屋では散らばっているもの例えば本を、山積みにするなどどちらかと言えば「端に寄せる」に近い。不要なものは捨てれば良いのだが、何が不要なのかの判断は難しい。捨てられない人というのはいるもので、川上弘美の「センセイの鞄」を思い出してもらえばいいかもしれない。使用済み電池も分別に詳しくない私にとって捨てられないもので、多くが部屋に残存している。ゴミのようなものでもアンティーク性を考え、飾ったらきれいかなと閃いては捨てられず、結局、なんで捨てていないのかが分からないものが多い。収納棚が欲しい。

 本を1冊、手に取った。このパターンはまずい。過去にも片付けを目ろんだことがあるのだが、手に取った1冊の本に時間を奪われ、中途半端な段階で挫折したことがある。私は過ちを繰り返すのか。そうはいっても止められないのだから情けない。

 本を読み終えてしまい、時間は過ぎている。今回の片付けの目的として「部屋に長く滞在できない状態の解消」というのがあったが、ある意味では達成している。こういうのがいけない。目標とは違った形でなんとかなってしまうから、目標を達成できなくてもへらへらしていられるのだ。それ即ち、堕落。そこはかとなくゴミ箱から漂う男臭さ、うっすらと積もった埃。一見分かりづらくても私は確実に堕落に侵食されている。

 私は衝動的に心を決めた。「今日は捨てる」。「捨てられない」ということは未練なのであって、答えの出きった問題に対する自信のなさ、未練で私は進路を決められず、自分自身を磨く時間を圧迫されているのかもしれない。だから、私はいつまで経っても垢抜けず、実験で爆発を起す程(起したことはないが)、無知なのである。

 ゴミと思しきものを袋に詰め、ポスターを破り捨てた。私は真っ当に生きるのだ。才能が無い、センスがない、なら努力しろ。初めからわかっていたのにどうして行動に移さないのか。ギターを蹴り飛ばした。たやすく首が折れ、私は気が振れたみたいに何度も踏みつけた。足を切り出血、息切れし、目が濡れた。残骸は土に埋めてやろう、こいつは死んだ。こいつは今までの私の死骸だ。血塗れのギター。

 部屋から出た私は、物置からスコップを出し、庭に穴を掘った。穴を掘ったことはない。スコップの縁を踏むたび、足が痛い。土は湿っていて柔らかい。草の根がちぎれ、はじける様な音がする。

 庭にギターを埋めた。ポスターやCDとともに。土から生えた首が十字架、私は土に汚れた手で額を覆い、泣いた。涙は拭わない、「なんでうまくいかないんだろうな」と引き攣りながら呟いた。


 夜、汗が服を透き通すほどに噴出している。私は部屋の空気を吸っていた。心は空に近く嫌悪感はない。目の焦点は定まらない。薄ぼんやりした視界は現実の一切を否定しようとするが、不思議とやる気に満ちていた。私は部屋が世界から切り離された錯覚に陥り、空間が徐々に腫れていくのに気づいた。ここは私の部屋であり、病源である。私は傷をなじる病魔。

 病気は発見さえ早ければ解決する、早期発見、でも手遅れ。病魔となった私はなぜか黒い猫の着ぐるみを身にまとっていた。粘着質な汗が蜜のような褐色に変わり、赤くただれた部屋を満たしていく。着ぐるみはずぶずぶになり、生まれたてのえな塗れの猫を思い出す。猫、が生まれた。猫は繁殖する。私の数百の分身が現れ、口々に没個性を叫ぶから、私自身こんな格好で個性的だな、目立ってるなとは思っていなかったものの自尊心を著しく損傷した。「みんな死んじゃえばいいのに」の大合唱、参加したかったな、主体性がないとか言ってる場合じゃない。

「去勢ってゆーと よーするに金玉を取り出せばいーわけだね」

「先生金玉とれたけど死にましたよ」

 私は去勢され死んだ。萎縮していく、枯れていく。もうね、いいや、簡単に言うとギターがなくなってチンコがなくなった気がしたんですよ。私は大したことないことで騒いでるやつを見たのと同じ気分になった。


 煙草を吸った。煙を吐いた。私は飯を食いに階下へ。

 父は何事もなかったように空豆を食べていた。私も食べることにした。

「明日、葡萄やっから手伝って」

 私はうなずいた。手で股間を押さえながら。

 部屋のクローゼットを開けるとギターケースを見つけた。もう私には不要なものだ。そう思いつつもケースを開けると1枚のルーズリーフ。

「2003年 5月24日 wave1にて」

 今から3年前の日付。

 水の中にいる。なぜか呼吸は出来る。魚の無機質な目が私の前で2、3度角度変え、覗き込む。通り過ぎていく。「真空」という言葉が頭をよぎる。蜂蜜が脳から滾々と溢れ、水と同化できずにはらはらと底へ落ちていった。


 澄んだ空、農園の午後はうららかで、空気は薄い湿気を帯び私には笑っているように感じられた。葡萄の白い花が告げるようにしっとりとした雨の季節が訪れようとしている。私は葡萄園の手伝いをする。

 進路は道ではない。路である。進むべきのない道。袋に詰められた菓子をみて驚愕するような年齢にもどりたい。汗を拭う。

 今にも崩れそうな天気は早めにきりあげろの合図。

 雨、ジベレリン水溶液。濡れたのは汗なのか雨なのか。

 することがなくなり、テレビが眠さを引き立てた。


 白い花から湧き出る羽に同化する葡萄園。花の歌と孔雀先生の来訪。雲は重くなって天を水滴が満たすから、斑な空。無数の縫い針の先から液を垂らす。


「なりたいものがありすぎるから、雄として輪廻することはないだろう。雄である栄華を満喫するよ」

 華やかです、先生。

「お前はもっと派手にやるべきだ、保守は老人になってからでも出来る」

 私は赤黒い粘性の痰を吐く。

「孔雀先生、雨に濡れますよ」

 私は媚びた声を出した。思わず土下座しながら、乾いた土を鼻に吸い込んでむせる。孔雀先生の羽は雨を弾き、水玉が滑る。

「雨は冷静で欠如的な連続性で以ってうろつく雑音に似ている」

 オリーブと白い鳩がマーブリングで描かれた絵が眼前に現れ、国家と切腹、白い壁の家から、白い毛の塊が吐出された。

「お前は羊飼いになりたいのではないだろ? 羊になりたいのだ」

 蝋燭の火はすっかり消え、循環する無に帰りながら、

「お前にとって動物はすべて雌なんだろう?」

 知ってますよ、先生。コンクリートを水で固めて。

 起床と頭を刺す幻覚。


 風船が膨らんだような寝覚め。

 枕元に奇抜な色の羽がふわり。


 梅雨の時期は駅まで父親に車で送ってもらうことになった。父親は口を縫いつけたようにしゃべらない。沈黙は朝の眠気にやさしい。緩やかな空気が曇り空と混ざって水気のある調和的な雰囲気を作り出す。さらさらの雨、汗、雨上がりの臭いはひどい。

 電車で傘をもった人が多い。傘がぶつかる度、服は濡れてしまう。ため息と舌打ちと。

 バスの中で押し殺した念仏のような独り言をつぶやく老人がいる。腐臭が漂っていて、女子学生が今にも嘔吐しそうな青ざめた顔で鼻と口を手で覆い俯いている。私は学校よりも手前でバスを降り、雨の中を歩いた。黒いアスファルト、踵から表面張力で上がってくる水に冷たさを感じながら。

 服を着替えたい。研究室に誰か服を忘れていっていないだろうか。

 戸を開ける。研究室に羽根が散らばっている。いくらかの羽根はまだ宙に。なにかメランコリックでメロウ。鼻息を聞くまでは。

 鼻息、舌を出して、犬。久しく見る一角の犬。私は犬を抱き上げた。体中に埃がついている。羽? 羽がなぜこんなところを舞うのか。瞳孔が窄まる、答えを見つけた、破けた袋、枕。

 夢と現実の境界は何なのか? 最近、曖昧になっていた。意識は現実へ、景色は夢へ。思考の整理によってあの不可解な映像を目の当たりにするということは潜在的にもっているものなのだから、あながち馬鹿にすることはできない。正夢とは言うが、夢が示唆しているもの全てが虚構であると断定してしまうのはあまりにもったいない。

 私は失意とともに床に足をついた。虚脱感というか目が痙攣し涙がうっすらと膜をつくりだす。「枕がぁぁ」。

 中身を溢した袋の口にかき集めた羽を詰めていく。甲子園球児のように。私は負けたのか。黒い種が落ちている。私はポケットの中に種を入れた。

 失意の末、私は授業をサボり怠惰にインターネットを見ながらへらへらすることにした。「nude」や「porn」で検索、するとフィルターがかかっており検索に失敗した。なんとなく分かっていたが、胸には寂しさが募るばかり。フィルターはどこまでカバーしているのか。私は頭に思い浮かぶ限りの言葉を検索した。


「近親相姦」「ストッキング」「SM」「幼児」「水着」「pussy」「masturbating」「fuck」「獣姦」……


 部屋に先生が入ってきた。私はブラウザーを慌てて閉じる。「こんにちは」も言わずに先生はいきなり、

「君、犬やりたいって言ったよね?」

 と、私が「はい」と答えることを想定した口調で訊いた。私はうなずいた。不意をつかれ緊張と言うか声が出ない。

「そいつのさ、串抜いてやってよ」

 串? 私は理解せずに無意味にうなずく。

「あとでレントゲン渡すから」

 私は事態を飲み込めなかった。先生はいそいそと部屋を後にする。


 インターネットを見ていると首が痛くなるのは私だけなのだろうか? 私はたいてい耐えられない痛みに襲われる。もしくは頭に情報が入って来なくなり意識が朦朧としてくる。こんなときは休憩、私はソファーに飛び込んだ。

 ソファー、羽枕はもうない。寂しい。


 先生が言うにはこの犬の、一見、角に見えるものはレントゲンの結果「串」であるが判明したらしい。確かに角の生えた犬などいるはずがない。以前に「矢ガモ」という事件があったが、それと同じようなものなのか。だとすれば犯人がいるということになるが。

「こいつは大丈夫なんですか?」

 私は誰もが訊きそうなことを形式的に訊いた。

「出血はないけど、成長したら死ぬよ、今ですらいつ死ぬか」

 死。私は暗い気持ちになった。

「ぶつけないようにしろよ、死ぬから。死んだら単位なしだからな」

 先生はそういって嬉しそうに顔を緩めた。私はそれに合わせて心にもない笑みを浮かべる。


「串犬か」

 私は名前を考えるうちに眠ってしまった。


 大きな麒麟がへらへら笑いながら草を食べている。首が長いのをいかにも自慢げに、わざわざ高い木ばかりを選んで草を食べているから、高い木の上のほうの葉ばかりが寂しくなっていく。

「食べだしたらもうキリンがない」

 私は勃起した。

「ムカシさぁ、ホント昔なんだけど、麒麟の角あるじゃん? あれレバーだと思ってて。乗ったら操縦できるんじゃないかと思ってたんだよ」

 私は股間に手を当てる。

 鼻の高い女性が細長い指でシュガーキューブを摘み、珈琲にポチャンと落とした。私は普段、珈琲はブラックで飲む。

「あなたは甘いものが好きなんですか?」

 私の問に対して彼女は鼻で笑った。

「好きとはどういう意味?」

 私は「好き」とは何だろう? と急に黙り込んでしまった。

「私は物欲が嫌い」

「では、何が好きなのですか?」

「好きということが嫌い」

 私は彼女の意見をストイックだと思った。自己表現ばかりする人間が馬鹿らしく思える。

「君は麒麟をみたことがあるかい? 僕はある。そしてあの不潔で高飛車な生き物を食べてみたいと思ったね。もちろん、欲望ってやつだよ。僕は欲望だらけさ。欲望が正義になりうるのは市民までか、それでいいと思うよ。高尚な人たちは何をいっているかイマイチ判然としないしね。そう、なぜ? ってのはなぜ? なんだよ。なぜ? なんて思わなければ人間はもっと幸せなのにね。こう見えて、無政府主義者も大変なんだけどね」

 極めて優雅な物腰で、自らを無政府主義者だという人物は当たり構わず人を撲殺した。それもいい。暴力はときどき間違っていない気がするから不思議だ。

 鼻の高い女性が言う。

「麒麟が生まれながらに麒麟なのと、あなたが麒麟と名付けるのでは、先天的と後天的の違い、もしくは言語空間において並列の地平にあるものの区別としてある種の符号を割り振ることに対するデータベース上の反故ということになります。従って、それはアナーキスティックであるのと同様です」

 また、麒麟は言う。

「リテラチャーにおいて同一の人称の人間を写実的に描いた場合、一般に混乱を招くのはわかっているかい? この視覚効果の少ない世界で口語で人物を識別している人種を想像してみろ。彼らの言語能力でどこまでが真実でどこからが虚構か理解されるはずがあるまい。逆の例として、人称の変化は混乱を招くだろう。しかし、一般的に物真似とは言わないが複数の人称を使う場合はままあるだろう。さぁあとはあなた自身が決断しなさい。やるべきことは干渉とどういう風に結ぶべきなのか、興味深いところではあります」

 犬が笑う顔を思い浮かべる頭からは血が出ている。

「犬の名前」

「鏡を覗き込んでみろ、いくらでも名称は見つかる。それが国語及び言語学の原点だ」


 私は欠伸、伸びをした。時計は壊れて止まっているが空は暗い色をしている。

 私はペタンコになった髪をセットしなおすべくトイレに向かった。

 鏡に映った自分の顔。

「ガァ」

 犬の名前が決まった。


 研究室から見た夜空はもう何回目だろうか。この夜空をもう何回見れば卒業なのだろうか。私は求人票を眺めた「牛乳屋にでもなるか」。

 ため息と悟り。

「自分に何が出来る?」


 いつものように帰路の坂道を下っている途中、黒い塊が道を塞いでいた。坂の加速をブレーキで押さえつけると自転車から甲高い音が鳴る。

 黒い塊は異臭を放っており、それが人間であることを認識するのにそう時間はかからなかった。思わず顔をくしゃくしゃにしたくなるような不快感と、疑問。

「なぜこんなところに?」

 坂道の途中に寝ていてはいずれは轢かれてしまうだろう、若しくはもう轢かれているのかもしれない。夜の暗さをはじめて怖いと思った。夏のほの暗く輪郭の曖昧な空が世界の終わりのように感じられた。私は青ざめていた。

 こういうときは警察に連絡したほうがいいのか、それとも?

 まごまごとしていると、黒い塊は私の足をおもむろに掴んだ。そして、呪詛の如く、嗄れた声で何かを口にした。私は死を覚悟した。死とは唐突なものだ。自然界なら捕食が日常的に行われ、幾数もの動物たちの命が失われていく。私は被捕食の側の気持ちを考えずに今まで生きてきた。現代、おおよその人間が人間以外の脅威にさらされずに生きている。

「ザリガニ」

 黒い塊の発する判然としない言葉の中から、私はひとつの単語をひろった。よく聞いていくと、

「イヌネコタヌキイタチミミズザリガニタンパクシツタマゴニワトリウシ……」

 と繰り返している。私は気が触れたように足を振り払い、自転車のスタンドを蹴り飛ばし、即座に跨ると全力でペダルを漕いだ。冷たい汗。


 家に帰り、ベッドに入るのだが、一向に眠れない。薄気味の悪い敏感さが肌をサメのようにしている。あの浮浪者は何をいいたかったのか。そして、なぜ足を掴んだのか。私はあの道をもう通らないようにしようと思った。明日は学校を休もう、何をしようか。


 夜は油分を含んでいるように、空気と調和しないように見えた。


 日本人は休日の使い方が下手だと言うが、私もその一人で、休みの日はどのように過ごせば有意義だろうと考えても、結局寝て過ごしてしまう。睡眠はどれだけとっても体にたまらないものだから巧くリズムを作ることが大事で、惰眠を貪ると脳が活性化している時間が不規則になり、肝心なときに集中力を欠いてしまう。では、どうすればいいのか。

 私は最近、瞑想を覚えた。ヨガブームが少し前にあったが、そのせいもあってか東洋式呼吸法、太極拳などにも目が向けられ容易に資料が手に入るようになった。この前、友人からもらった本の中に瞑想についての記述があり、冗談半分で実践してみたのだが、これは素晴らしい。楽な姿勢(私の場合は胡坐)で、目を閉じ、大きく息を吸って、将来なりたい自分を頭に浮かべる。

「筋肉、筋肉を」

 などと格闘家は思うに違いない。私は、

「ポジティブ、ポジティブを」

 と考えた。むしろ、祈った。

「讒言によって貶められた悲しみに」

 それは祈りに似た叫びだった。中也のまねにしては完成度が低すぎだ。自己嫌悪。

「嫌悪というのはね、なんだか嫌悪、嫌悪と連呼してみるとだよ、まるでだね、いい言葉と言うか、そう、可愛らしい感じがしないか?」

「つまり、エージェント指向ってことか?」

「いや、なんていうか、俺はお前を嫌いだよ、っていう、似たところではツンデレの原理さ」

「嫌い? なの?」

「嫌いって言うのは難しいんだよ。普通は嫌いなんて宣言せずに生きたほうがいいのはわかるね? そこが逆転の発想なんだよ、背理法って、ありふれた命題では無理だろ?」

「どういうこと?」

「俺はお前が好きだ。お前が俺を嫌いだとすると、俺はお前が好きだから片思いということになる。つまり?」

「俺は悲しい」

「では、先行で嫌いと宣言してみよう。そして、内心では好きだ」

「ギャップとかのことなの?」

「それも関係はする。北斗の拳を読んだことがあるか?」

「ああ、軽く知ってる」

「北斗の拳はいわゆる「抜き場」がないんだ。常に張り詰めている。それが逆に間抜けで滑稽に見える」

「わかったよ。連続することで緊張感と言うか、その本来の意味とはかけ離れていくんだね」

「そうそう。嫌いを突き詰めていくと、いい部分が見えてくる」

「じゃあ、これをネガティブに応用すれば?」

「そうか、落ちるところまで落ちればいいのか!」

「そう、落ちるところまで、自分が許せる範囲の中で」

「じゃあ」

「ネガティブはポジティブになる儀式だ」

 瞑想は自分と雑念との対話だ ―― 一秒前の自分は他人。対話によって分かりかけていることがまとまる。哲人たちがそうしたように思想は対話によって初めて体系化する。


 瞑想の後は活力が湧いてくる。起き上がった私はパソコンの画面の前に張り付いていた。

 就職試験、面接のみ。緊張と不安と。私はやれる。


 自己暗示は成功に不可欠である。成功のためにはそこに欲があることを認識することから始まる。

 面接、私はファミレスの面接での苦い思い出を想起した。

「採用なら電話しますから」

 鳴らない電話が苦痛だったわけではない。誠意のない面接が苦痛だった。私の何を見て判断しているのか、性別の時点で私は採用されないのではないかと思った。

私が女ではないから、店長の脂ぎった男は私を落としたに違いない。死んだ目をして「男は応募してくるなよ」とさもいいたげな口ぶりで、何を言っても無反応か愛想笑いをするばかりだった。

 私は唇を噛んだ。自分の何がいけないのか分からなかった。変えようのない先天的なものを否定されることは死を羨望するように仕向けられているのと同等である。私は自分を否定するものは否定してきたし、肯定するものは肯定及び擁護してきたつもりだ。無意識のうちに、悪意は悪意を以って制せられるべきではないと思いながら「目には目を」を推していた。

 春頃に書店で面接対策の本が平積みにされていた。面接に対策というのは私の感覚で言えばおかしい。面接はテストではないから曖昧な部分があるし、自分を表現することを人に頼ってはいけない気がした。

「あなたは何を好んで食べますか?」

「私は食に疎いので、味よりも栄養価で食品を評価しています。ですので、ネイチャーメイドと野菜ジュースです」

「なるほど。では、もしあなたが一日女性になったら何をしますか?」

「普段は入りづらいファンシーなお店を満喫したあと、女湯に入ります」

「ではもし、あなたが暴力的ないじめにあったとしたらどうしますか?」

「いじめには必ず原因があります。しかし、すでにいじめにあっているということはその理由を特定するのは難しいし、そのため、第三者の介入は何の解決ももたらさないということになります。暴力的ということなので法に訴えることは出来ますが、それは年齢にも依りますし。厳しい決断ではありますが、ストレス解消法を見つけて、いじめは我慢するといった感じでしょうか」

 今ならどんな質問にでも的確に答えられる気がした。

 「ネクタイを締めると息苦しい」と友人がいつか言っていた。私は逆にネクタイをしていないと息苦しいと感じるときがある。公式の場では皆ネクタイを締めて堅いのだが、ネクタイを外した途端に砕ける。敬語で話していたところからいきなり日常語になる。これが非常に苦手だ。そもそも私は友人を名前で呼ぶときにためらう癖がある。周囲の人が下の名前で呼んでいる人を「~さん」「~くん」と呼ぶと遠い感じがするし、逆に呼び捨てにすると近すぎるもしくは高圧的か敵意と取られてしまいそうな気がする。ニックネームなどなければいいのにと常々思う。もし、敬語だけの世界が存在するなら私はそのほうがうまくやっていけるような気さえした。

 私はワイシャツのボタンをしめる。この作業を何度も繰り返すたび、倦怠感が募る。指先は摩擦で熱を帯びている。


 いつも見慣れた駅の風景にスーツを着ているため溶け込めていない自分がいる。周囲にいる人たちは普段から見慣れている人が多いのだが、その人たちから私はどう見えているのだろうか? やはり不自然なのかあるいは気にしていないのか。

「あの人は何をしている人なのだろう? 今日はスーツなんか着て何をするつもりなのかな? きっとなにかがあるんだな。そうか私も若いときはあんなふうに着慣れない感じでスーツを着て出勤していたなぁ」

 朝から疲れきった顔をしているサラリーマンがこちらを見ている気がしてふとそんな言葉が頭に浮かんだ。髪の毛を切った次の日のように視線がくすぐったい。自意識過剰であることは分かっているが、分かっていてもこれはどうしようもないことだ。ただ、悪い気はしなかった。

 電車の音が普段よりも大きく聞こえる。最近気づいたことなのだが、休日よりも平日の方が車輪とレールの衝突音が大きい。おそらく乗っている人数の違いだと思うが、焦って早く目的地に着こうとしているように聞こえる。どうか事故が起きないようにという言葉が心の片隅に生まれてくる私は弱い。弱さには二種類ある。人に見せてもいい弱さと見せてはいけない弱さ。人に見せてもいい弱さは作り物の弱さで意識することが出来る。見せてはいけない弱さは本質的な弱さで意識することが出来ない。作り物の弱さはよく「俺は昔、鬱病だったんだぜ」と武勇伝のように語る人がいるが、今とのギャップで自分を際立たせる効果がある。よく「自虐ネタ」といって笑いのネタにする人がいるが、大概その本質的な部分をデフォルメし作り物にしている。もちろん、本当に鬱病の人は「自分が鬱だ」と公言しないし、「お前鬱?」と言われた場合、首を振りごまかそうと作り笑いをするだろう。もしくは、ひどく落ち込むかもしれない。そう、本質的な弱さを見せてしまうと落ち込む。私の本質的な弱さは「常に怯えていること」であると思う。ただ、「怯える」には対象が必要なわけで、それがどんなものかは説明出来ず、言葉にすら出来ない。得体の知れない何か欲望のようなものが急に私に耳打ちする「お前は死をどう思い、痛みをどう思う? 忌むべきかそれとも?」。

 停車するたび、扉が開くときのプシューという音が私を不安にさせる。この音は得体が知れない。私は胸に痛みを感じることすらある。

 幾度となくその不快な音が鳴り、私は目的の駅で降りた。広いホームは臭かった。清潔に見える無機質な空間はペンキの匂いで満たされている。

 高いビル、私の心臓は高鳴った。

「もしかしたら、私はここで働くかもしれない」

 気を引き締め、ビルに入る。入り口付近の警備員にいつもより大きな声で「おはようございます」と言い、用件を言った。

「わかりました。どうぞ」

 私は細かく、爪先に荷重がかかるような足取りで歩く。ビルの中は白い。


 紺色のベストを着た女性が立っている。首からはネームプレートを下げ、こちらを見て微笑んでいる。

 私は会釈をした。

「こちらへ」

 女性は手で私に指図した。私はそれに従った。

「では、どうぞ」

 私は扉をノックした。

「May I come in?」

「O.K.」

「失礼します」

 私は扉を開けた。白髪の老人と初老の男と筋肉質でサングラスをかけた男が順に座っている。

 私は自分の身分と名前を言う。

「ようこそいらっしゃいました。どうぞ、椅子にお掛けください」

 初老の男は極めて笑顔で言った。薄気味が悪いと思った。サングラスの男はいったい何なのだ?

「ではこれからあなたにいくつかの質問をしますが、あなたは私が指示をするまで何もしてはいけません。ただし、呼吸や姿勢に関してはその対象ではありませんのでご自由にどうぞ。では、はじめます」

 どうやら、初老の男が話を進めるらしい。

「よろしくお願いします」

 私は頭を下げた。

「あなたは今、私の指示なしに声を発しましたね。返事はしなくていいので気を付けてください。これは警告です」

 私は何かが違ったような不快な気持ちになった。とても冷静ではいられない。心臓の音がうるさい。私は間違いなく動揺している。

「私の小さい頃の話なのですが、私は川で遊ぶのが好きでね。川で遊ぶといってもいろいろな遊びがあるんだよな。たとえば魚を手づかみにするのは私の中で特にお気に入りだったね。正直マストだと思う。現代人はなかなか川へなんか行かないでしょう? まぁ、これは質問ではないからね。で、そうだなぁ、川は私が住んでいた実家が福島のほうなんだけどあそこは水がきれいでね。酒もうまいんだな。いわゆる雪解け水ってやつだよ。冬は川も凍ると思うだろ? それが意外にも凍らないんだよ。雪が降るような寒い日は川から湯気が出ていてね、幻想的なんだよ。山々の閑散とした枯れ木の具合、ああたまらん、懐かしい。川は文化の発展した場所でもあるからな。文化的な気持ちのもなる。川の音を聞いて、メソポタミアのことを思わないほうが異常だね。あなたは、どう思う? どうぞ」

「メソポタミアですか? 私はメソポタミアは……」

「いや、川だよ」

「川は溺れたことがあるので、苦手な印象があります」

「それでね、川で物を運搬するという話は聞いたことがあるかもしれないけど、私は川下ってどんなところなのかなぁ? という疑問から自分を川に流したね。海まではたどり着かないんだよ、これが。で?」

「川は奥が深いと思います。それは……」

「なにか質問はありますか?」

「特にないです」

「はい、ではお疲れ様でした。結果は郵送にて通知いたしますので」


 私はただ呆然とビルを遠景から眺めた。電車の音は静かだった。


 就職活動はストレスが溜まる。これに卒研のストレスと授業のストレスが上乗せされるとなると目がしばしばする。しかし、私は恵まれている方だ。なぜなら……。

 私はガァを抱き寄せた。

 ガァが首を振るたびに私は視力を失いそうになる。角に見える串。

「そうだ」

 私は閃いた。


 私は帰宅するとすぐに自分の部屋へと駆けて行き、机からスーパーボールを取り出した。スーパーボールを眺めながら、それが自分にとっていかに大切なものだったかを想った。

 友人たちがスーパーボールで遊んでいるのを見て衝撃を受けた私は「いいな」と千回言った。すると、所有者である友人はそっとスーパーボールを私の手に置いてくれた。「やるよ」の一言も言わず、ただ笑顔で。私は彼がどのような気持ちで私にそれをくれたのか一晩中考えた。明確な答えは出なかった。

(私なら絶対に自慢してしまった)

 そう思い、自分の未熟さを泣いた。

 私はそれを大切にしようと机の引き出しにしまい込む。友人たちはスーパーボールを忘れたように新しい遊びを始める。私はこのボールを弾ませることはなく、ときどき手にとってはただ眺めていた。その都度、胸が熱くなる。


 私はスーパーボールを注意深くガァの角に取り付けた。こうすれば、ケガをすることはないだろう。私はわずかながら尖端恐怖症である。

 ガァは首を振った。その頭に刺さっているものは、巨大な待ち針にも見えるし、宇宙人の触覚風でもある。私はエスパー犬という言葉が頭に浮かんだ。


 私はなぜスーパーボールで積極的に遊ぼうと言い出さなかったのか。それは今考えれば、「失くしたくない」もしくは「このボールを地面に叩きつけることなんて到底出来ない」という思考からではないか思う。私は、幼い頃の私がそのボールで遊ぶ皆の楽しそうな顔から「いいな」と思った自分の気持ちを正確に理解することが出来なかったと思う。ボールを入手することが目的ではなかったはずだ。収集癖なんてのは結局そういう部分から生じるのだろう。実際に使うのではなく、集めることによって、そのもの本来の効果から得られるのではない満足感によって充実する。

 私はソファーに座った。私はズボンのポケットに手を入れる。ポケットにはいつの間にか穴が開いていた。私は穏やかではない気持ちで目を閉じた。


 空を極彩色の熱帯魚が飛んでいる。色とりどりのスーパーボールが地平を跳ね回り、その残像が交錯すると虹が出来る。花は節操なく咲き、即座に枯れ、綿毛になる。綿毛は空を浮遊し魚の餌になる。私は三半規管を破壊され、宇宙で不快そうに呟いた。

「お前ら安易」

 目のない羊が跳ねる。魚が白目をむいて腹で天を仰ぐと、綿毛は地平に着地し始める。綿毛は羊になり、狂ったように跳ねる。次第に勢いが減退した羊は震えだし嘔吐、液体は地に着くと赤紫の花に変わっていく。この連鎖が数世代続いたあと犬が生まれた。

「やあ、僕は羊なんかじゃない。犬だ。そして、君はそれを理解しているようだね。犬」

 私はややあってから頷いた。そして、孔雀先生の言葉を思い出した。

「お前は羊飼いになりたいのではないだろ? 羊になりたいのだ」

「お前にとって動物はすべて雌なんだろう?」

 私は首を傾げ、目を閉じた。

「私は犬になりたいわけではないんだ。羊の方がいい」

 犬は鼻で笑った。

「犬は犬。花は花。羽は羽。でも、もしこのレトリックに不完全な部分があって、私は私が成り立たない存在が証明できるとしたら?」

「言語は意味を成さない?」

「そんなことはない。お前の言う羊と、僕の思っている羊はまるで意味が違う」

「認識論か。記号論上では成立している事柄は実は矛盾だらけだとでも?」

「メッセージは簡潔に。言語は最小構成でいい。基底言語が日本語であったとして、難しい漢字を使ってそれが眠気を誘う以外の成果を挙げないことはままあるだろう?」

「眠くしたいなら難しい漢字を使ったらいいじゃないか」

「それなんだよ。書いてある内容以外の感情を自在にコントロールすることができればいい」

「絵を見て感情を持つのと同じだな。これいいな、そう思えるようなレトリックを今まで何個も目にしてきた。そして音として秀逸な詩をいくつも聞いてきた」

「粘膜同士が接触するのもそれと何も変わらない」

「音と文字。コミュニケーションにはどっちが優れていると思う?」

「話せりゃええやん電話やし」

「そういうことなんだよ、実際。誰かが今ほど文章を書く時代はないとメールについて評したらしいが、それはただの劣化した会話でしかない」

「では、絵文字、顔文字の表象についてどう説明するつもりだ?」

「私は漫画世代ではない、キャラクター小説も理解できない」

「絵文字が文学とは別分野の存在であると認識しているようなら文学はもう辛いかもしれないな」

「それは文字が音の劣化だと認めるのと同義だからな」

「お前は極論しか出来ないのか?」

「絵を見て感じる効果と同様の効果が文字にある以上、パーフェクトなコミュニケーションツールとはとても言えない」

「完璧ね、組み合わせればいいと思うんだけど」


 犬が飛んでいる。この言葉からは理解されないほどその光景は私に認識の無意味さを語った。

 犬が咲いている。私は泣いた。私は抛り投げられた。

「もしも、海外に行ったら私は白痴同然」

 私の脳は限界に近い。脳の容量が有限である限り、私たちは完全に通じ合えない。

「悲観することはない。すでに死んだ人間たちもいる。すでに死んだ人間たちが不幸であるとは思わない。完全に通じ合う必要はない」

「ただ、必要とされたかっただけ」

 私は犬の羽根を一枚手にとって鼻を撫でた。犬の花びらを一枚手にとって日に透かした。

「神様は誰が作ったの?」

「脳の分解能、脳の切片」

 斑点状に画面が荒れていく。世界は劣化していく。

 私は自分の腕にツメで深く深く「劣化」と掘り込んだ。


 私は目を覚ますとひどい鼻のぐずつきに見舞われた。ティッシュはどこにあるのだろう? いつの間にか眠ってしまった代償に私は風邪をひいたらしい。ストレスとは恐ろしいもので、身体を望んでいないも眠りへと誘うのだ。


 ティッシュを探そうと立ち上がった私の目に、気になるものが映る。私の瞳孔は窄む。犬が倒れている。私は息を漏らした。脳が振動し、視界はコマ送りのように不自然で、しかし鮮烈だった。スローモーションの中で息ができないかのようなながいゆっくりとした苦痛が腹部を襲う。


 串犬がタバコを食べて嘔吐。

 私はその絶望的な光景を深く深く脳に刻んだ。


 そのときの私にはここが終点なのか、と「死」を悟るような気持ちがあふれ出していた。



 串犬の死は私に一つの決断をもたらした。「致命的に見えている問題を解決することができたとしても問題が解決したわけではない」、もううんざりだ。

 何か一つを達成してほっとしたり、嬉しくなったりした後の余韻を楽しむのは自分だけであって、それが何かしらの価値を生み出していることなどほとんどない。凡庸な論文などどこにでも溢れている。論述的な思索をしているかぎり、どこにいようとまた新しい苦悩が私を覆い、さして貢献的な価値などないのだ。

 私は失意の末、大学をやめた。周囲の人間は私を非難したが、一切気にならなかった。大学で私が学んだことは忍耐ぐらいのものだろう。これから働くのに役立つ知識など何もない。ただダラダラとテレビを眺め、世の中のことをわかったふうに感じていた方が実生活ではまだマシだ。生産者として社会に少しでも貢献してやろう。葡萄の白い花が頭をかすめる。


 有識者?

 私は農民Aにすぎない。お前らの言う知識とはなんだい?

 農民をなめるなよ。

 ファック。

 花犬はドライフラワーになった。あとは火にくべてしまえば良い。

 羽がもげた犬は舌を出しながら、命乞いをした。私は鼻を蹴り飛ばす。鼻がもげた。

 もうほっておいてくれ。

 私の行動や言葉は何も意味を成さない。「何も」だ。


 耳元で海老が呟いた。

「呼び水だよ。私は運命論者ではないが」

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