Thema.3 実家へ
使い魔の申請をした日から、割とすぐに親離れの時が訪れた。まぁ、あの時既に生後2、3週間だったもんなーと考えてみたり。
おれはとりあえず、自分の実家に行こうと決める。といっても、行き方が分からない。だってここどこだか知らないし。おれは考えた末、市役所を目指すことにした。前回行った時は寝床としていた場所から半日かかったが、今のところ家までの道を知っている施設は市役所しかないので、まずはそこに向かうのが最善策だと思う。
つたない記憶を辿り、歩く。と、見知った姿を見つけた。
『エリザ!』
呼ぶと、日陰で転がっていたブチ模様が顔をあげる。
『…ニック。あれ、申請したノね』
『うん。こないだはありがと』
『…ちゃンとお礼言えるコは嫌いじゃないワ』
エリザがゆったりと笑う。
『今日はどうしたノよ』
『市役所行くんだ』
『あラ。お呼び出し?』
『いや。自分の家行こうとしたんだけど、道わかんなくて』
おれがそう言うと、エリザの雰囲気が固くなった。
『……エリザ?』
『…なんでもないワ。……でも…知らないままなのも……なら……』
『?』
考え込むように何かを呟くエリザ。いったいどうしたんだろう。おれが顔を覗き込むとはっとし、次の瞬間には何事もなかったかのように笑った。
『送る? アンタの家まで』
『へ? え、いいよ…。フィーレさん心配するだろ?』
エリザの家のフィーレさんはかなりの心配性だ。魔物関連の事件を調べる検魔官である彼は、ずっと昔に事件を追う中で使い魔を亡くしてしまったらしい。エリザはフィーレさんの奥さんの使い魔だけど、フィーレさんに溺愛されている。前に一度エリザが失踪した時、フィーレさんはそこまで近くもないおれの家までエリザを探しに来た。ちなみにエリザは隣のジェスの家で保護されてたから、フィーレさんの徒労も無駄ではなかったみたいだけど。
『また心配させるの悪いし』
『いいのよ。どうせ今、仕事で数日家にも帰ってないワ』
フン、と鼻を鳴らすエリザ。
『道わかんないンでしょ。おとなしくついてきなさい』
エリザが立ち上がって伸びをする。その体勢で弓なりにカーブした尻尾は真っ黒で、おれは自分のそれを思い出す。ぱたり、とおれは自分の尻尾を振った。人間の時には知らなかった感覚なのに、違和感を感じないことにぞっとした。
*
エリザに連れられて、おれは歩き出した。エリザは最初、大通りとかビルの隙間の裏道とかの人間様も使う道を通っていたけど、そのうちに緑生い繁る森じみた場所に入った。
『ちょ…ちょっと、エリザ!』
おれは視界も体も遮る草をかき分けながらエリザを呼んだ。はっきり言って動きにくい。彼女の姿を見失わないようにするだけで精一杯だ。こんな場所があるなんて知らなかった。ていうかなんだってわざわざこんな道を通るんだよ。
『なによ』
『ここどこ。てかこれ、本当におれの家に向かってる? 迷ってない?』
『失礼ね。ちゃんと向かってるワよ』
エリザが立ち止まる。
『えぇ……? …それにしたってもっとマシな道なかったの?』
『アタシから申し出たとはいえ、案内されてる身でよく言うワね…。一番の近道よ。建物とか地形に気を遣って道路作ってる人間とは違うの』
草をかき分けかき分け、ようやっと横に並んだおれが釈然としない顔をしているのを見て、エリザはため息をついた。
『上。見なさイよ』
『上? ……』
言われて見上げた先には、雲だらけの青空、そして。
『……あ』
乱立する建物たちが、遠くでこちらに背を向けていた。その中の一つ、クリーム色をしたビルに見覚えがある。
『マルナカ商店のビル! …ってことは……』
慌ててあたりを見回すと、カラフルな横棒と、その両端から伸びる縦棒がなんとかちらりと見えた。おそらくあれはブランコで、そうするとここは。
『地球儀公園の裏の空き地!?』
『当たり。アタシと会うの、いっつもこの辺とかじゃなかったかしら?』
『そうだけど……でも…』
地球儀公園には何度も行った。この辺りだと一番遊具が揃っていて、そしてその分広い。エリザと会うのもここが多かった。当然その裏の空き地にも足を踏み入れたことがある。だが、そのとき草はおれの膝にも届かなかった。いや、十分長いとは思ってたけど、ここまで鬱陶しくはなかったはずだ。
『草、伸びた?』
思わず首を傾げると、エリザがおかしそうに笑った。
『猫にとっちゃこんなものよ』
はっとした。そうだ、今おれは猫なんだ。人間がものともしないような草むらに背丈を隠されてしまうくらいの、小さな仔猫……。
鬱陶しく感じて当たり前だ。だっておれは今……。
立ち尽くすおれを一瞥して、エリザが先に歩き出す。おれは慌ててそのあとを追った。
『ねぇエリザ』
『なに?』
『あとどのくらいで着く?』
『明日には着くワよ。アンタがへばんなきゃね』
『こっちは仔猫なんだから、考慮しろよ』
『努力はするワ』
エリザは振り返らなかったけど、優しく笑う気配がした。