Obbligato.1 伝書鶴
世界にはたくさんの神様がいるけれど、一番身近な神様というのならば、やっぱり猫神様だ。
猫神様。猫の守り神。名前はニャーニャ。猫神ニャーニャ様。
猫神様は、猫に恵みをもたらしてくれる神様。
そして、人間に魔法を使わせてくださる神様。
世界にはたくさんの神様がいる。火の神様、水の神様、実りの神様……。人間はその時々に応じて違う神様に祈り、その力を借り受けてきた。
でも、やっぱり特別な願い事は、いつも猫神様に祈るんだ。
僕も。
*
その日はよく晴れた日だった。
「…いー天気」
僕は部屋の窓から空を見上げた。夏らしく鮮やかな水色だ。外の風を感じたくなって窓を開ける。吹き込んだ温度の高い風が頬を撫でる。
夏休みだから、ここ最近は思いっきり寝坊している。自分の好きなだけ寝ていられるって、すっごく嬉しい。毎朝気分のいい目覚めだ。母さんには怒られるけどね。
時間的には早めのブランチってとこ。一階のリビングに降りようとして、ふと窓から見える、赤い屋根の大きな家に目を留めた。
「……」
少し考えて、僕は自分の机に向かった。右端に山積みになっている、15センチ四方の真っ白な紙を一枚取る。椅子には座らないで、僕はその紙に短い文を書き付けた。
「よし」
そのまま紙を決められた手順通りに折りたたんでいく。慣れた作業だ。すぐに僕の手の中で、紙が立体感のある形に変形した。
折り鶴だ。
軽く細部を確認する。うん、カンペキ。僕は出来上がった鶴を左手の上に乗せると、右手をかざしてそこに力を込めた。
「ーーー猫神様、お力を」
もちろん猫神様に祈るのを忘れずに、ね。
変化はすぐに表れた。折り鶴が白い光に包まれたかと思うと、ふるるっと体を震わせたのだ。鶴はまるで生きているかのように羽根や頭を動かし始めた。
僕は窓際に移動して、そこから鶴を乗せた左手を出す。
鶴はしばらく僕の手のひらにとどまっていたけれど、やがて風にあおられるようにしてころりと落ち、羽根を羽ばたかせて飛んでいった。
目指すは隣の、赤い屋根の大きな家。そこに住む幼馴染み。
僕は窓を閉めて、部屋を出ると階段をリズミカルに下りた。自分でも気分が弾んでいるのが分かる。あの紙の鳥の行方を考えると、楽しくてしょうがなくなってくる。
今日は、ていうか今日も、僕は幼馴染みのニックと遊ぶ約束をしていた。今日は家の近くの海に行こうって昨日言ってたんだ。夏休みってほんとに大好き! だって毎日遊び放題だもん。
リビングに行くと、母さんがテレビを見ていた。
「あら、おはようジェス。今日はいつもより早いわね」
「おはよう。ねぇご飯は?」
「今から作るわよ。誰かさんが遅いから、私たちはもう食べちゃった」
母さんが笑いながら台所に行く。
「今日は海に行くんだったかしら」
「うん。母さん来るの?」
「どうしようかしらね。お邪魔じゃなければ行くわ。海なんて滅多に行かないもんね」
母さんがクスクスと笑う。
海は僕たちの家から近いけど、行くには家の裏の山を越えなきゃいけない。あんまり高くはないけど、緑がいっぱいで道が険しい山だ。歩いて海に向かうなんて本当に久しぶりだった。
母さんが出してくれたトーストと目玉焼きとスクランブルエッグを食べながら、僕は自然と笑みがこぼれるのを抑えきれなかった。
さっきニックに送った手紙を思い出す。
“時間よりちょっと早く僕の家に来て”
ニックに見せたいものがある。完成するのにだいぶ時間がかかったけど。ニックの反応を想像するとわくわくしてくる。驚いてくれるかな。すごいって言ってくれるかな。いや、ニックのことだから、すごいより先に質問攻めが始まるかもしれない。
なんでもいい。なんでもいいけど、とにかくすごい楽しみ!
僕はトーストにかぶりつく。今日もいい日だね。