その名は要縛空間
日付は変わって、早朝。
「それではやってみましょうか」
早起きした僕はユイナの能力がどのようなものか試そうと思い、彼女と共に庭へ出た。
結局、昨晩はユイナのペースに持っていかれたせいで彼女の力を試すことができないまま力尽きてしまった。
というか、あの恰好は反則だろう。
いくらディービアの感性がズレているとはいえ、ユイナの容姿は人間そのもの。おまけに性別が雌ときたものだ。人間じゃないとわかっていても自分を押さえこむのに必死だったんだぞ。
「ユート、聞いているのですか?」
幸い、彼女が僕の元に現れた時間帯が深夜に近かったから助かったけど……。
(もし、これが夕食前だったらどうなっていたことか)
僕を呼びに来たディアさんがどんな反応を示すのか、想像もつかない。
少なくとも絵柄的には見知らぬ少女を寝床に連れ込んだ狼なので心象はよくないと思う。
「ユート」
「あっ、ごめん」
「ぼーっとしないでください。これから大事なことをするのですから」
「ん、そうだったね」
大事なこと。
それは、彼女の能力を試すということ。
契約したことで扱えるようになった彼女の力。
それを僕はきちんと発揮することができるのか。
ボタンをきっちり留めた、というか見兼ねた僕がボタンを留めてあげた裸ワイシャツ姿のユイナが僕の手を握った。
「やりかたはわかりますか?」
「たぶん大丈夫」
「そうですか。では、ユート」
「うん」
僕は集中し、昨日考えた台詞を読み上げる。
「――汝、守護の力を求めし者よ、我が命に従い敵を蹂躙せよ!」
「違います」
「え、違うの!?」
思わず前のめりに転びそうになった。
「はい。そのような言葉の羅列は不要です」
「ええー、せっかく考えたのに」
どれだけ時間がかかったと思っているんだ。
隣で寝息を立てている危険な存在に理性を保ちながら、必死に何時間もかけて考えた儀式語だったのに。
「でも僕が読んだ書物には……能力を発揮する時は、契約者を呼び出す時とは別に我流の儀式語が必要だって書かれていたよ?」
「そうなのですか? どうやら中には変わった同志もいるようですね。少なくとも私には不要ですが、ユートがそうしたいのなら構いませんが……」
とはいうものの、あまり好ましくない表情を、もとい若干何かに脅えているような表情をするユイナ。
過去の出来事に何か関係あるのだろうか。
ふと気になった。
ユイナの過去。
彼女が封印されるまでの間、一体どんな人生を送ってきたのか。
僕は知らない。
知りたいという気持ちはもちろんある。が、それは僕が彼女の契約者としてではなく、契約する時に流れ込んできたあの何かが気になっているからにすぎない。
そんな興味本位で容易に踏み込んでいいものなのか。
そう迷った結果。
「そっか。不要なら別にいいかな」
ポンっと、僕は彼女の頭に手を置くことにした。
今はまだその時じゃないだろう。
契約して一日も経っていないんだ。彼女が契約者であるとはいえ、打ち解けていないのは事実だし、知らないことがたくさんあるのも事実だ。
そう簡単にズケズケと他人の領域に踏み込むわけにはいかないだろう。
「それじゃあ僕は、ユイナを呼び出した時のように強く願えばいいんだね?」
「……はい」
心なしか先ほどの表情に戻った。
どうやら僕の応えは間違っていなかったらしい。
普段は他人の機微を窺うようなマネはしないけど、彼女は契約者。
これから道を共に歩む大切な契約者だ。
彼女とうまくやっていくためにも、少しでも早く打ち解けるためにも、契約者を気遣うことは重要だと思うんだ。
僕は再びユイナと手を繋いだ。
そして願う。
強さを。
僕が焦がれてやまない力を――。
刹那、カッとユイナが輝いた。
同時に彼女が粒子状の光となり、僕の左手に嵌められたブレスレットに吸収されていく。
そして、
「お、おおっ」
左手に召喚されたのは、赤紫色の輝きを放つシンプルな短剣だった。
「これがユイナの力?」
『…………はい』
少しの間を置いてから僕の脳内へ答えたユイナ。
『ですが、どうやら力不足のようです』
「力不足?」
『本来とは形状が違うものになっています。ユートも一度、ユイナを握っているからわかると思うのですが――』
確かにあの時手にした感覚とはまるで違う。
もっと重くて大きな何かだったはず。
『ごめんなさい。これはユートの力不足ではなく、ユイナの力不足なのです』
「どういうこと?」
『それは――』
押し黙るユイナ。
「ごめん、話したくないんだったら別にいいからさ。それよりもすごいなぁ。ユイナの力はこうして武器を召喚することなんだね?」
『残念ながらその答えは正解ではありません。あくまでもユートが握っているそれは私自身です』
「てことは、まだ他にも何かあるってこと?」
『はい、ユイナが持っている能力の正式名称は、要縛空間。一定範囲内に近づいた存在に対して効力を示し、対象にとって重要な何かを無力化する力です』
「…………」
『わかりにくい、ですか?』
「ごめん、さっぱり」
『では、ユートを例に補足説明しましょう。ユートはユイナと対峙した時、自身の身に何か起きませんでしたか?』
「ユイナと闘った時……?」
思い出してみる。
僕がユイナと初めて出会った場所、あの密閉空間で起きたことを。
「停電……」
『停電、ですか?』
「うん。急に明かりが消えたんだ。それで何も見えなくなって」
『そうですか。どうやらユートにとって重要な何かは視覚だったようですね』
「視覚……?」
『はい。一つ誤解しているようなので指摘しますが、あの場所は停電していません。明かりは点いたままでした』
「点いたまま!? 何言ってるんだ、確かに消えて――あっ」
そういうことか。
漸く理解した。
要縛空間。
先ほどユイナはこの能力のことを、一定範囲内に近づいた者にとって重要な何かを無力化する力だと説明した。
つまり、僕にとって重要な何かは視覚。
そう。あの時停電したのではなく、僕は要縛空間の力によって視覚を奪われていたのだ。
『どうやら理解したようですね』
「うん。やっとわかった……でも待って。じゃあどうして扉は開かなかったの? ディアさんが入ろうとしたけど、入れなかったって言ってたんだけど」
『その答えは簡単です。その部屋自体が思念玩具によって作られた玩具だからです。主の命に従い、任務を全うしていただけのこと』
「え? えええええええ!?」
あの部屋が思念玩具で作られた玩具!?
信じられなかった。
いや、信じたくなかった。
だって部屋一つ作っちゃったんだよ!?
思念玩具という能力一つで。
そりゃあ確かに建物にそぐわない異質な存在だとは感じたけど……そっかぁ。いいなあ、思念玩具。僕達にまともな部屋の一つでも作ってくれないかなぁ。
昨晩から新たな寝床となった防寒対策が施されていない倉庫を横目で見る。
『……残念、でしたか?』
「ん? 何が?」
『ユイナの能力についてです。ユートが落胆しているように見えましたので……』
「ちっ違う違う! そういうことで溜息をついていたわけじゃないからっ。ユイナの力は僕にとってもったいないくらいだよ!」
『そう、ですか? そう言っていただけるのはなんだか嬉しいですね』
と、ほんわかした空気が流れたところで。
「おーい、ユウト君」
外部から声がかかった。
僕のことをユウト君と呼ぶ人は一人しかいない。
「おはようございます、ディアさん」
「おはよー」
と、眠そうに挨拶をする女性は目を覚ましたばかりなのか、防寒対策に分厚い上着をパジャマの上に羽織ってきたディアさんだ。
まだ整髪していないらしく、くるんと髪が外向きにはねていた。
「どうしたの? こんな早くに起きて」
「ちょっとユイナの力を試そうと思いまして」
「ユイナ?」
「あ、すみません。えっと、ユイナ」
短剣に向かって話しかける。
『はい、何でしょうか?』
「この状態を解除して、さっきみたいに姿を現してほしいんだけど……僕はどうすればいいのかな?」
『別にユートがどうこうする必要はありません。不必要であると感じた場合、ユイナが勝手に戻るだけですから』
「そうなの? じゃあ、お願い」
『はい、わかりました』
「ねえ、君はさっきからなんで独り言を言っているのかな?」
という、心配そうなディアさんの声は置いておくとして。
「これでいいでしょうか、ユート」
「――ッ」
それは唐突であり、何が起きたのか僕でさえわからなかった。
ユイナの力を行使する時とは全く別。
一瞬にして手元から短剣が消失したかと思ったら、いつの間にか僕の背後にユイナが佇んでいたのだ。
案の定、彼女を見たディアさんは、
「え、うそ!? 裸ワイシャツ!?」
ってそっちかい!
ていうか、
「なんでまたボタン外してるんだよ!?」
「問題ありますか、ユート」
「大アリだよ!」
昨日指摘したばかりじゃないか。
いくら感性がずれているとはいえ、もうちょっとこう……自分がやっていることの危うさを理解してほしいものだ。
僕に指摘されたユイナは小首を傾げながら右手で前見頃を掴み、
「これでいいですか?」
「よ、よくないよ! 全然よくない!」
むしろそのポーズはまずい。
僕の精神衛生上、非常によろしくない。
「ちゃんとボタンを留めて!」
「ボタン……ボタンを、ですか」
と、ぽつぽつと呟きながら必死にボタンを留めようとするユイナだが、
「むぅ。ユート、留めてください」
「それくらい自分でやってよ!」
「……ユートの意地悪」
しょんぼりしたユイナは、なぜかディアさんの方を向いた。
そして、
「今朝、ユートはユイナを無理やり押し倒してボタンを留めてくれました」
「ちょ!?」
と、僕が驚愕している間に、案の定ディアさんが、
「無理やり!? ねえどういうこと!? それどういうこと!?」
「か、勘違いしないでください! 結果的にそうなっただけで、決して如何わしいことはしていませんからね!?」
「でも無理やりって言ったよね!?」
「いや、だからそれは――」
「はい。ですからその時ユイナは、二の腕を見られるかと思ってドキドキしてしまいました」
「頼むからこれ以上へんなこと言わないでえええええ!?」
とまぁ、そんなこんなで。
結局ユイナのボタンを僕が留めて、一段落がついたところで。
「それで? この子は一体どこから……ううん、それよりもこの子は一体何者なのかな?」
改めて、ディアさんが僕に質問をした。
「ユイナは僕の契約者です」
「やっぱり。それじゃあこの子はディービアってことだよね?」
「はい」
「へー、知らなかった! ディービアが人間の姿をしていただなんて。情報収集家を勤めて五年以上経つけど、これは目から鱗だよっ」
すごく大喜びをしていた。
それほどディービアの情報は貴重なのだろう。
これでまた一気にお金を稼ぐことが――なんてあまり聞きたくない台詞は聞こえなかったことにして。
「あ、そうだディアさん。今から時間ありますか?」
「ん? 別にあるけど?」
「それは良かった! これからやりたいことがあるので、それの実験台になってくれませんか?」
「実験台? あまりいい聞こえはしないけど、何をする気なのかな?」
「ユイナの力を試したいんです。実際に能力を発揮することができるかどうか、相手をしてくれる人がいないとわかりませんので」
「あ、そっか。その子にも能力はあるはずだもんね。それで? どういった力なの?」
「それは……体感してからのお楽しみってのはどうですか?」
「なんだか怖いなあ。でも君がそういうからには、負傷する恐れはないってことでいいんだよね?」
「はい、もちろんです」
「ならいいよ。それに体感できる方が――」
ふふふと、不気味な笑みを浮かべるディアさん。
どうやら利害が一致したようだ。
「やるならさっさと済ませよっか」
「お願いします。それじゃあ――」
と、ユイナに頼もうとしたところで。
きゅっと袖をつかまれた。
「どうかしたの?」
「ユート。その人とはどういう関係なのでしょうか」
「あ、ごめん。紹介するのが遅れたね。彼女はディアさん。僕のセカンド師匠だよ」
「セカンド師匠……?」
というユイナの理解していない表情を無視して、
「はーい、よろしくねっ」
喜々としながらユイナの手を取るディアさん。
それに対してユイナは、ささっ。
僕の後ろに身を隠して服の裾を掴んできた。
「ユート。この方は危険な存在です」
「え、ええ!? なんで!?」
「ユイナからユートを奪おうとするからです」
むー、と敵意むき出しでディアさんを見つめるユイナ。
どういう意味だろう。
全く理解できなかった僕が困惑していると、ディアさんが苦笑いした。
「あはは……これは急接近しすぎちゃったかな? でも安心してよ。えっと……ユイナちゃん、でいいのかな? 私は君からユウト君を奪うなんてことはしないから」
とはいうものの、
「むぅ……」
警戒心を解かないユイナ。
服の袖を掴む力が強まっているのは気のせいだろうか。
なんだか気まずくなったので、僕はこほんと咳払いをして、
「とりあえずユイナ。また力を貸してもらってもいいかな」
「はい、わかりました」
僕の想いに応えたユイナは、カッ。
再び短剣に変化した。
「それじゃあディアさん。今から力を使いますのでそこから動かないでもらえますか?」
「ん。了解だよー」
僕を信じ切っているディアさんがこくりと頷いてくれた。
それじゃあ、試させてもらおうかな。
僕は深呼吸し、集中力を高める。
そして。
要縛空間、解放。
強くなりたいという想いをユイナにぶつけると、
「え、あれ!?」
ディアさんがきょろきょろと辺りを見渡し始めたじゃないか。
「なんで!? どっかに飛ばされた!? おーい、ユウト君。おーい」
「僕はここにいますよ」
「――ッ」
身体をビクンと跳ねさせ、こちらを向くディアさん。
「ここって、どこにいるの!?」
「だから、ここですよ、ここ。目の前です」
「目の前!?」
驚愕しながら手を伸ばしてくるディアさん。
まるで僕のことが見えていないようで、恐る恐る助けを求めるようにして手を伸ばしてくる。
なるほど、視覚を奪ったのか。
ディアさんの行動を目の当たりにして確信した。
要縛空間は無事に発動したようだ。
「ちょっとそのまま動かないでいてくださいね」
「ええ!?」
僕はあたふたしているディアさんを置いて彼女から距離を取る。
一メートル、二メートル、三メートル……と、徐々に距離を取っていくと。
「あ、戻った」
ディアさんが、ぱちぱちと目を瞬いた。
距離にして七メートルといったところか。
「見えましたか?」
「うん、視界は戻ったけど……今のは?」
「要縛空間。その力の一部始終です」
「要縛、空間?」
ディアさんはなぜか訝しげな表情をした。
「どうしたんですか? もしかして知っていたんですか?」
「うん、聞いたことはあるんだけど、その力って確か――」
「聞いてはいけません、ユート!」
突如姿を現したユイナが僕の耳を塞いだ。
「ちょっとユイナ!?」
「ダメです。絶対に耳を傾けてはなりません」
と、必死にユイナが耳を塞いでくるので。
ディアさんが何か言っているが全然聞こえない。
くそう、ディアさんは一体何を――。
気になってしょうがないので無理やり手を解こうとすると、
「ダメです」
と、ユイナがより力を強めてきて――って、痛い痛い痛い!
想像以上の力強さに顔をしかめると、ユイナはパッと手を放した。
「ごめんなさい……」
しょんぼりしながら謝ってくるユイナ。
どうしてそこまで必死になるのか。
一体、ディアさんは僕に何を話そうとしていたのか。
すごく気になる。
ものすごく気になる。
でも僕の契約者はそれを拒んでいる。
踏み込みたいけれど、踏み込めない。
そんな悩ましい気持ちにさせられたところで。
「ま、いいけどね。でも、いずれは明るみに出ることだよ。ユウト君の性格上きっと、ね。君が拒むのなら私からは何も言わないけど、きちんと自分の口から話しなさい。ユウト君は君の契約者なのだから」
ディアさんは真面目な表情で契約者という言葉を強調しながらユイナにそう言った。
怒っているわけではなく、忠告しているかのようだった。
「さてと、そろそろ時間だねー。ユウト君、君に今日の仕事内容を伝えるね」
「え!? もう仕事始めるんですか!? まだ朝ごはんすら食べていないんじゃ」
「それについては大丈夫。あとでお金渡すから適当に食べてきなよ」
「適当に食べてくるって……ディアさんはどうするんですか?」
「私はいらないよー。朝は食べない派なんだ」
「身体に悪いですよ」
「知ってる。でももう慣れちゃっててさ、あんまりお腹空かないんだよねー。だからお昼と夜だけで十分。そういうユウト君はきっちり三食取ってるのかな?」
「もちろんです。師匠の教えですからっ」
「そっか」
にっこりと微笑んだディアさんはぐっと伸びをしてから、
「それじゃあ今日の仕事内容を伝えるね。えっとね、今日のお仕事は簡単。君の契約者と思いっきり街で遊んでくること」
「――へ?」
「聞き逃したかな? もう一回だけ言ってあげる。君の契約者と街で遊んでくること。いい?」
「いいって、何を言ってるんですか。それは全然仕事と関係ないじゃないですか」
「違うんだなあー。これも仕事なんだよ。契約者と仲を深めるといえばわかるかな?」
「あっ」
「ふふっ、気づいたみたいだね。今日は存分に羽を伸ばしてくるといいよ。それじゃあ私は支度を済ませたら仕事場へ行くからね」
ディアさんは僕にウインクをして、その場を立ち去ってしまった。