契約者は変態さん!?
「疲れた……」
結局、今日一日は雑用みたいな扱いをさせられた。
仕事場に連行された僕がやった仕事はたった一つ。
書類整理。
なんでも人手不足でやる暇がなかったらしく、おまけに片付けという力仕事が億劫だったから残していたらしい。
なんだよ、せっかく人が契約者という新たな力を手に入れたっていうのに、それを試させてくれたっていいじゃないか。
そう。なんとディアさんは僕に新たな力を使わせてくれなかったのだ。
家に帰るまではお預けって命令された。ペットじゃないのに。
でも、仕事をしなければ支障をきたしてしまうことは僕もわかっていた。
だってディアさんは僕のために仕事を放置して面倒を見てくれていたのだから。自分勝手な我が儘を口になんてできやしない。
(でも、その我慢もこれで終わり!)
今、僕はディアさんが急遽用意してくれた寝床にいる。
つまり、契約者という力を試してもいいってことだ。
ちなみに用意してくれた部屋は庭にある倉庫というとても人が住むような場所じゃないけど……寝床があるだけマシだろう。むしろこうして用意してくれたことに感謝しないと。
「さてと」
僕は床に敷いた布団の上で胡坐をかき、左手首に嵌められたブレッスレットを眺めた。
それにしても綺麗な色だ。大した装飾も施されていないのに妙に惹きつけられる。
(そういえば、どういう力があるんだろう)
ふと気になった。
ディービアには何かしらの特別な能力がある。
すなわち、僕が契約したディービアにも何かの異能が備わっているはずなのだ。
時間を見つけてはディービアについてまとめられた本をぱらぱらと捲ったりして、ある程度の情報を得てはいるけど……。
(ものは試しだ)
僕はブレスレットに右手を添えた。
緊張する。
初めて呼び出す契約者。
情報が少ないため、どうやって呼び出せばいいのかはわからない。
でも何となく僕にはわかった。
願えばいい。
そう。自分の想いを強く願えばいい。
そして、僕は深呼吸をしてから目を瞑り、ブレスレットを右手で覆い隠し――。
「何をしているのですか?」
「ッ!?」
突然、背後から掛けられた声に跳び上がった。
ディアさんではない、聞いたことがない声だ。
「だ、誰っ!?」
即座に振り返り、声の主を確認すると、
「誰とは失礼ですね。ユイナはユイナでしかありません、マスター」
不服そうな顔をした少女がぺたんと床に座っていた。
「マスター……?」
「はい、あなたのことです、マスター」
こくりと頷く少女。
あ、あれ? おかしいな。こんな幼い子いたっけ?
というか知り合いでも何でもないよね!? それに僕のことをマスターだなんて……。
突如出現した少女に目を白黒させていると、彼女は四つん這いになって、
「どうしたのですか、マスター」
瞬間、僕は彼女の肢体に釘づけになってしまった。
褐色肌に似合うセミロングの黒髪。優しさを内に秘めた赤紫色の瞳に、どことなく儚さを感じさせるしなやかな肢体。しかも彼女の服装は、
「てェッ!?」
そこまで見て、僕は両手で目を覆い隠した。
「な、なんて格好をしているんだっ!」
「……おかしいですか?」
「そ、そりゃあだって」
裸ワイシャツ。
そう。裸ワイシャツだったのだ。
彼女が身に着けていたのは白い長袖のワイシャツ一枚だけ。しかも全てのボタンをはずしているせいで、大事なところが何一つ隠せていない。
「脱げと申すのですか?」
「は?」
「マスターは、ユイナの服装が変だから今すぐ脱げと申すのですね」
「ち、違うッ。決してそういうつもりで言ったわけじゃ」
「マスターのえっち。ユイナの二の腕をみたいだなんて、変態さんです」
「変態はそっちだよ!」
誰が二の腕を見たいだなんて言った、誰が!
そんな特殊な性癖なんて……。
と、そこで彼女のしなやかな肢体が脳裏を過ったので、ぶんぶんと頭を横に振る。
「そ、それよりも。なんで僕のことをマスターって呼んでいるんだ!? いやそもそも君は一体何者なんだ!? だいたいどうしてこんな場所にいるんだ!?」
「いっぺんに質問されても困ります、マスター」
本当に困り顔になった少女がその場にぺたんと座り込んだ。
どうしてだろう。なぜかもの凄く申し訳ない気持ちになった。
彼女にそんな顔をさせていることが、まるで罪を犯しているかのように――。
こほんと咳払いをした僕は、彼女の身体から目を遠ざけて。
「えっと、その……だいたい君は何者なんだ?」
「先ほども答えましたが、ユイナはユイナでしかありません」
「そういう答えを求めているんじゃなくて……」
「うん?」
首を傾ける少女、ユイナ。
くそう、いちいち可愛い奴だなぁ!
思わずその仕草にドキッとしてしまったが、
「じゃあ質問を変えるよ。君は一体どこから来たのかな?」
「そこからです」
と、僕の左手を指差した。
僕の左手から……?
いや、正確には僕の左手首に嵌められたブレスレットか。
「もしかして、僕の契約者?」
「はい」
「…………」
この返答は予想外だった。
そりゃあこの展開で出てくるとしたら僕の契約者しかいないとは思っていたけど……戦った時は武器の姿をしていたんだよ!? しかも後から読んだ書物にはその情報がきちんと乗っていたんだ。
だからまさかディービアが僕たち人間と同じ姿をしていたなんて――。
ユイナが右手を差し出した。
「こうして対話をするのは初めてですね。どうぞユイナのことはユイナと呼んでください。『君』や『あなた』だと何かと不便だと思いますので」
「う、うん」
とりあえず握手を交わす。
なんだろう。もの凄く独特な雰囲気を持った子だ。
でもそのおかげで徐々に落ち着きを取り戻してきたぞ。
「ところで、マスターのことはマスターとお呼びすればよろしいですか?」
「別にそんな必要はないけど……」
「では何とお呼びすれば?」
「んー」
ちょっと考えてみる。
そもそも彼女は契約者であって従者ではない。
わざわざ僕のことを敬う呼び方などする必要がないのだ。
「じゃあ、僕のことは名前で」
と、言いかけたところで。
「とりあえずユイナが知っている限りの名称でマスターのことを呼んでみることにします」
「へ?」
「では初めに、おにいちゃん」
「――っ」
破壊力、抜群だった。
「どうやらこれは反応ありですね。では続けてみましょう。おにいさま、にいさま」
くぅっ、うぉっ!?
「にぃにぃ、あにぃ」
ぐっ、かはっ!
「にいや、おとん」
つぅ! んん!?
「ちょっと待った!」
「はい?」
「おとんは違う全然違う! 兄に対する呼び方じゃなくて父親に対する呼び方だ!」
「そうなのですか? わかりました。認識を改めるとします。では続けて」
「続けるの!?」
という僕の驚愕は無視され、ユイナの猛攻が再開された。
「マスター、ごしゅじんさま、しゅくん、あるじ、とのさま……んー、どうやらこちらの反応は、二つ目以外はいまいちのようですね」
どうしてわかった!?
必死に指を抓って平然を装っていたのに!
「ではこの二つに絞るとしましょう。マスターはどちらがよろしいですか? ごしゅじんさま? それとも――」
ごくりと固唾を呑む。
「おとん?」
「なんでだよ!?」
その流れでおとんはないだろ、おとんは!
「不服なのですか? むー……では、マスターはどういうふうに呼んでほしいのですか?」
「えっと、それは」
頭に浮かんだのは、最初の方に呼ばれたあの名称と後半に呼ばれたあの名称。
にいさま。
ごしゅじんさま。
(って、ダメダメ。そんなふうに呼ばせるのはおかしいだろ!)
相手は契約者だ。
僕の妹でもなければ、従者でも何でもない。
頭に浮かんだ二つの単語を無理やり隅へ追いやり、
「ユウトでいいよ。僕が君のことを名前で呼ぶんだ。同等でいいだろ?」
「わかりました。では、ユート、と」
「…………」
ちょっと違うけど、まぁいっか。
「ところでユート」
「なに?」
「なぜユートはユイナの身体をまじまじと眺めているのですか?」
「へ!? あっ!?」
即座に視線を逸らした。
しまった、ついつい視線が!
頬を叩かれるのではないかと思い、目を瞑っていると、
「どうしてそんなにもおびえているのですか?」
「え? だって僕は、君の身体を」
「君ではなく、ユイナ、ですよ」
「ご、ごめん。ユイナ」
「はい」
名を呼ばれたことが嬉しかったのか、顔を綻ばせるユイナ。
なんだかすごく調子を狂わされる。
ジッと彼女を見つめても当の本人は首をかしげるだけ。前見頃を掴んで隠そうとするそぶりすら見せない。
ユイナには恥じらいというものがないのだろうか。
「ところでユート。本題に入ってもよろしいでしょうか?」
「本題?」
「はい。どうしてユートはユイナの身体をジッと見つめているのですか?」
「そ、それはッ」
やっぱり恥じらいはあるのか!?
若干ジト目で僕のことを見つめてくるユイナ。彼女の頬は少し赤みを帯びていた。
どう答えるべきだろうか。
素直に質問するべきか。それとも上手にお茶を濁すべきか――。
相手がディービアとはいえ、人間の容姿をしていることは事実。
それに僕だって男だ。目の前にこんな可憐な少女がイタイケナ恰好をしていたら自然に目がいってしまうのは当然のこと。
しかも隠そうとすらしないのだから尚更である。
結局、後者を選択しようとしたが、ああでもないこうでもないと考えていると、
「二の腕を見たいから、ですか?」
「――は?」
予想の斜め上をいく質問に僕は唖然となった。
「ユートはユイナの二の腕を見たいからそんなイヤラシイ目つきをしているのですね?」
「…………」
「無言、ということは肯定ですか。やはりユートは変態さんです」
「変態はそっちだよ!」
「……うん?」
小首を傾けるユイナ。
何なのだろうか、このディービアという生き物は。
とりあえず彼女の恥じらう点が、人間のそれとは全く異なっていることは確かだった。