初めての契約
場所は変わって、数時間前に僕が号泣してしまった集会場。
その建物の一角に一際変わった部屋が用意されていた。
木製の建物の中に存在する鉄製の部屋。壁はもちろんのこと、床まで鉄製。おまけに窓がなく、扉は一つだけ。
外からの光を一切受け付けないような、いわば隔離施設。
そんな場所に僕は案内された。
すでにこの部屋を利用する予約を取っていたのか、はたまた利用者がいないだけなのか、受付でその旨を伝えると、すぐに部屋へ入ることができた。
案の定真っ暗だったので、ディアさんが明かりをつけると――。
「ん?」
目に入ったのは中央に置かれた石盤だった。
それほど大きなものではなく、石板の中心には何かを嵌めこむための穴がある。
その周りには、おそらく古代語であろう文字列が複数刻み込まれていた。
「さてと、ここからはユウト君だけの領域だね」
「僕だけの領域?」
「そ。資格ある者だけがいてもいい場所。あんまり部外者が長居していると怒られちゃうからさー」
「怒られちゃう?」
一体どういうことだ。
先ほど、この部屋の使用許可が下りたばかりなのに――。
「ま、時間がないし、そのことは置いておくね。それじゃあ今から封印されし古代石を君に渡すから、それをあの石盤に嵌めこんで」
「そのあとはどうすれば……?」
「さぁ? ここからは私にもわかんない。もし封印を解くことができたら何かが起こると思うけど」
「封印解除の儀式みたいなものとかないですよね?」
「ないと思うけど……どうなんだろうね?」
「どうなんだろって」
僕に訊かれても困るんだけど。
おそらくディアさんがそう答えるということは、彼女も把握しきっていないのだろう。
ま、それも無理はないと思う。
だってディアさんにはディービアという契約者がいないのだから。
いや、それ以前に契約者に関する情報がほとんど出回っていないんだ。僕なんてついさっき知ったばかりだぞ。
情報があまり回ってこない辺境の地に住んでいたってこともあるんだろうけど――。
(ま、いっか)
ごちゃごちゃ考えずに切り替える。
せっかく与えられたチャンスだ。
未知の体験に恐れてこの機会をふいにするなんてバカなことはしたくない。
ディアさんから封筒を受け取る。
師匠が肌身離さず持っていた封筒。
この中に入っているのは封印されし古代石。
どうして師匠は自分が封印を解くことができないとわかっていたのに、この古代石を持ち続けてきたのか。なぜ他人に託すことをしなかったのか。
理由はわからない。
でも、少なくとも僕は師匠の気持ちに応えたい。
師匠が成し遂げることができなかった封印の解除、ディービアとの契約を成功させたい。
「それじゃあ私は外で待ってるね」
「はい」
封印されし古代石を封筒に入れたまま、僕はディアさんが退出するのを見届ける。
そして、ガシャリと重いドアが閉まり――。
さあ、ここからだ。
目を瞑り、心を落ち着かせてから封を切った。
……小さな石だ。
封印されし古代石は僕の人差し指と中指を足したくらいの大きさだった。
石盤に掘られている穴にちょうど一致する。
文字列もある。
石盤のものよりもさらに細かいけど、視認できないほどじゃない。もちろん僕は読めないけど、一字一句がどのような形をしているのかは理解できる。
(これをあそこに嵌めこめば何かが起こる……)
必ず封印を解くことができるわけじゃないことは承知の上だ。
あくまでも確率。あの案山子を倒すことができたら素質があるってだけで、絶対に封印を解けるわけじゃない。
(でも――)
やっぱり期待してしまう。
ディービアとの契約。
おそらくそれはものすごく珍しいことなのだろう。
思念人形の力を実体験した僕だからこそ解る。
異能の強さ。恐ろしさ。
この力を手に入れてしまったら僕は一体どうなってしまうのか。
強さだけでいえば、間違いなく師匠を超えるだろう。
イコール、目標の達成。
(ううん、浮かれてちゃダメだ)
決定事項ではないのに、そんな考えが浮かんでしまう自分が嫌になった。
今は封印を解くことに集中しよう。
完全に一人きりになった閉鎖空間で、僕はゆっくりと石盤へ近づいていった。
ここまでは何も起きない。
当然といえば、当然。
だってディアさんはこの古代石をあの穴に嵌めこめと言ったのだ。
何かが起こるとしたら嵌めこんだ後。
緊張しながらも右手で持った封印されし古代石を本来あるべき場所へ移そう近づける。
すると、
「え?」
共鳴!?
刻まれた文字列が薄らと光った!?
驚きのあまり手が止まってしまったが、ゆっくり、ゆっくりと近づけていき――。
カチャリ。
嵌まった。
ぴったり嵌まった。
(よし、これで!)
「…………」
しかし、数秒待っても何も起きる気配がない。
先ほど間違いなく古代石が光っていたのに……嵌めこんだ直後にその輝きを失ってからは、何の変化もないまま。
その状態がもう三十秒だ。
「もしかして、失敗したの、かな?」
不安になる。
こういう時はいきなり石盤が光り出したりするのが定番なのに。
(いや、でもでも)
もう数十秒だけ待つ。
さっきこの二つは共鳴し合っていたんだ。
絶対に何か起こるはず!
と、結果的に五分以上待ってみたのだが。
「おかしい。おかしいなあ」
どうして何も反応してくれないのか。
やっぱり何らかの儀式が必要だったりするのかな?
落胆し、その場で項垂れる。
「はぁ……」
師匠を超える強さを手に入れることができるかもしれない。
浮かれていた自分が馬鹿だった。
そう簡単に強さなんて手に入るはずがない。
地道に努力しなければ強くなることなんてできやしないのに。
(仕方ない。これを取り出して帰ろう)
まだ胸の内がモヤモヤするけど、封印解除を諦めた僕は深いため息をつきながら両手を石盤につけた。
その時だ。
「へ?」
急に停電した。
何が一体どうなって――。
「――ッ!?」
通常なら慌てふためきながら出口を探しに向かうのだが、停電と同時に出現した気配に僕は息を呑まされた。
異様な空気。
呼び出してはいけないものを誤って呼び出してしまったような不穏な空気。
その異質な存在に気づいた僕が悪寒に従って横へ跳び退ると、
「あぶなッ!?」
刹那、破砕音が響き渡った。
暗闇で何も見えない。
が、自分以外に動く気配はたった一つ。
明らかに僕を狙っているものだ。
(すぐにディアさんを呼ばないと――)
と、行動しようとしたが。
(ダメだ。出口がどこかわからない)
光が完全に遮断されているせいで自分が今どこにいるのか把握しきれない。
おまけにここは密閉空間。相当分厚い扉だったからいくら大声を上げたところで外に届くことはない。
「てぇッ!?」
考えている余裕などくれなかった。
突進するかのように急接近してきた気配の塊。
それを紙一重で躱した僕は冷たい床をゴロゴロと転がった。
……盲目訓練を受けていてよかった。
こうして奴の気配を感じ取れていなかったら、間違いなく一刀両断されていたぞ。
即座に抜刀し、戦闘態勢を取る。
感じ取れるのは一つの気配。
先ほどの案山子相手とは全くの別もの。
(――案山子?)
と、そこで案山子という言葉が脳裏を過った。
思念玩具によって作り出されたあの案山子。
盲目状態でないと傷を負わすことが絶対にかなわない存在。
(そうか。さっきの挑戦権云々についてはこういう理由があったのか!)
漸く理解した。
なぜあの案山子にはいろいろな条件が付けられていたのか。
理由は簡単。使用者がこうなることを事前に知っていたからだ。
一つの疑問が解消された。
――が、あくまでもそれはそれ。
(今はこっちに集中しなきゃ)
感じ取られるたった一つの気配に集中し、僕はそいつの攻撃を受け止める。
すごく重い一撃だ。
視認できない以上、そいつがどんな姿なのかはわからない。
でも、ぎちぎちと金属の擦れ合う音から察するに相手が武器を持っていることは確かだ。
「どうして僕を襲うの!?」
「…………」
問いかけるが返答はない。
口がきけないのだろうか。
それとも僕の言葉が理解できないのだろうか。
ただ、それに対する応えは――キンッ。
鋭い金属音と凄まじい衝撃だった。
「くぅっ」
連続で放たれる重い一撃に僕は壁際まで押し寄せられる。
ひたりと背中に感じた冷たい感触。
まずい。逃げ場がない。
今までは受け流しながら何とか凌いできたけど、この位置だと真正面から受け止めなければならない。
力は相手が上。少しでも衝撃を和らげるのなら向こうの動作と同時に――。
と、考えていたら。
「へ?」
思わず気の抜けた声を上げてしまった。
急に気配が遠ざかった。
そう。僕に怪我を負わせる絶好のチャンスなのに、自分からそのチャンスを不意にしたのだ。
僕には到底理解できない行動。
このまま猛攻を続け、僕の得物を弾き飛ばせば勝利確定だったのに――。
「あっ」
と、そこで気がついた。
左手の感触。
掘られた跡のある壁。
そうか。僕は壁際へ押し寄せられたわけじゃなかったんだ。
この感触は……石盤だ!
自分の身を守る術を手に入れたことで心にゆとりが出てきた。
相手はおそらく封印を解かれたディービア。
すなわち、この石盤と深い関わりがある存在。
破壊できない理由はわからないけど、そっちがそういう行動に出るんだったら。
「これを壊されたくなかったら僕の話を聞いてくれ!」
僕は得物を気配がする方ではなく石盤へ向けた。
人質だ。
本当は臆病者がするようなマネなんてしたくないけど、今の僕じゃこれが最善。
後で罵られようが何しようが、生き延びることが先決だ。
そしてもう一度、気配がする方へ向かって、
「お願いだから話し合いという平和的解決の場を――ッ!?」
と会話を試みた結果、おぞましいほどに膨れ上がった殺気に息を呑まされた。
怒っている。
相手は間違いなく怒っている。
身の危険を感じた僕は石盤を盾にして。
(どうしよう、どうしよう!?)
バカなことをしてしまったと後悔する。
これじゃあ話し合いで解決なんてできそうにないぞ。
徐々に近づいてくるおぞましい殺気。
床が鉄製であるにもかかわらず、歩み寄る音は一つもない。
(……宙に浮いている?)
ふと、そのことに気がついた。
どうやら相手は地に足をつけているわけじゃないようだ。
それに感じ取れる空気の流れから察するに――。
「うそ!? 本体が武器!?」
刹那、僕は横へ跳び退り、石盤の横すれすれに放たれた刺突であろう攻撃を躱した。
武器が本体。
ディービアが武器だったなんてそんな話聞いてないぞ!?
一体どうすれば僕はそいつに勝つことができるのか――。
(ううん、勝つ必要はないのかも)
契約。
ふと脳裏に浮かんだのは、あの時予想もしなかった契約という言葉だった。
そう。契約すればいいんだ。
(でもどうやって?)
わからない。
どうやって契約すればいいのかはわからない。
なにせ与えられたヒントは、本人の口では説明できないという情報だけなのだから。
(……感じ取るしかないのかな)
僕はそいつの猛攻をなんとか受けとめながら思案する。
そいつは何を想って僕を狙っているのか。
一体、僕に何を求めているのか。
「くぅっ」
激しい攻めのせいで防御に専念することしかできない。
力が籠った一撃、一撃。
憎しみをぶつけるものとはまた違う。
まるで僕を拒絶するかのような――。
(拒絶? そうか!)
僕は一つの感情を読み取った。
相手が求めているのは僕が求めてやまないものと同じだった。
そう。強さだ。
だから僕が石盤を盾にした時、怒ったのか。
弱者が取る行動。
それを許せなかったから怒っているのか。
戦闘を続けていくうちに伝わってくる想い。
確かにこれは口で説明できるものじゃないのかもしれない。
「だったら僕と一緒に強くなろう」
そいつに向けて言葉を投げかける。
「もう僕は君の目の前であんな弱虫が取る行動なんて絶対にしない」
ぶつけてくる気持ちをしっかりと受け止め、言葉にして応え続ける。
するとどうだ。そいつの反応は――。
(力が弱くなった!?)
チャンスだ。
「過去に何があったのかは知らない。君がどんな想いをしてきたのかもわからない。でも、同じなのかな、強さが欲しいって気持ちだけは」
カチカチと金属が摺れ合う。
「どんな強さが欲しいの? 僕は守る強さが欲しい。他人に守られてばかりは嫌なんだ。自分の身は自分で守れる、仲間の足を引っ張らない、さっきみたいな汚い手を使わない強さが欲しい」
殺気が徐々に弱くなっていく。
「こんな僕でよければ力になってくれないか? もし受け入れてくれるのなら――」
突然、僕へ向けられていた圧力がなくなった。
(……もしかして認めてくれたのかな?)
先ほどまで向けられていた殺気は何も感じられない。
僕の目の前にいるのは、一つの気配。
穏やかな気配。
「もしかして、試していたの?」
「…………」
返答はない。
いや、その無言こそが肯定なのかもしれない。
ゆっくりとその穏やかな気配の元へ近づいて行く。
どうやらこれ以上襲ってくる気はないようだ。
手を伸ばすと、そいつは少しだけこちらへ寄り、自身の柄を握らせてくれた。
「――――」
直後、僕の中へと流れ込んでくる何か。
その何かはまだわからない。
でも、こいつが辛い思いをしてきたということだけは感じ取れる。
だってこいつは僕と同じ――。
「ユウト君!」
停電が復旧すると同時に扉が開いた。
振り向くと、そちらには顔を真っ青にしたディアさんが――。
「何が起きたの!? 急にすごい音が中から聞こえてきたから開けようと思ったんだけど、開かなくて……って」
僕の左手を見て目を丸くするディアさん。
釣られて左手を見ると、そこには存在しなかったはずのものが……。
「もしかして、契約に成功したの、かな?」
「そうみたい」
これが契約の証なのだろうか。
先ほど握りしめていた何かは存在しない。
しかし、その代わりに僕の左手首には、なかったはずの赤紫色のブレスレットが確かに存在している。
「うそ、でしょ?」
呆気にとられてその場で座り込むディアさん。
そんなに信じられないかなぁ。
だって封印を解く素質があるってさっき証明されたんだよ? 僕がディービアと契約できたっておかしくないじゃないか。
ディアさんが気の抜けた笑い声を上げた。
「あははは、ごめんごめん。どうしても昔のユウト君が頭に残っちゃってるからさー」
「昔の僕?」
「うん。弱虫で泣き虫で頼りないユウト君」
「酷い謂われよう……」
「でも事実なんだよ? だからなのかな、どうしても放っておけなくて。でも、そっかぁ」
ディアさんは意味深な表情をしてからゆっくりと立ち上がった。
そして、にっこりとほほ笑みながら僕へ向けて右手を差し出し、
「おめでとう。今日から君は私の下僕だ」
「――へ?」
今、なんて言った?
満面の笑みを浮かべながら下僕って言わなかったか?
「何を驚いてるのかな? だってユウト君言ったよね? 弟子にしてくださいって」
「それは、そうですけど」
「じゃあ今日から私の命令には従うこと。しっかり私のもとで働いてもらうからね!」
「え、ええええええ!?」
「大丈夫。ちゃんと君が求めるものは与えてあげるから。それじゃあ、早速仕事場へレッツゴー!」
「ちょ、ちょっとディアさん!? ディアさああああん!?」
腕を引っ張られ、僕は彼女の仕事場へ無理やり連行されたのであった。