資格と素質
「どう? 少しは楽になったかな?」
ディアさんが住んでいる家のリビングにて。
溜めていたものをすべて吐き出したことで漸く落ち着きを取り戻した僕に、ディアさんが温かいハーブティーを淹れてくれた。
「……はい」
ゆっくりとそれを口にし、喉を潤わす。
あぁ、なんだかホッとする。
昔、僕らと一緒に暮らしていた彼女に出会ったためなのか、はたまた全てを打ち明けたおかげなのか……おそらくその両方だろうけど、随分と楽になった気がする。
「でもまだ目が真っ赤だね」
「み、見ないでください。恥ずかしい……」
ふいと視線を逸らすと、ディアさんはふふっと笑った。
「今更何を言っているんだか。集会場なんていう大勢の人が集まる場所で号泣したくせに」
「……ディアさんの意地悪」
昔からディアさんはそうだ。僕を弄って楽しむ癖がある。
「そう拗ねないの。懐かしいやり取りじゃない。もっと楽しもうよー」
「楽しいのはそっちだけじゃないですか」
「ま、まさかユウトくんがMからSに!?」
「ちょっと待ってください、僕はそもそもMなんかじゃないです!」
と、必死に否定するとディアさんは、にやり。
「あー、もう、またやられたぁ!」
「あははっ、これだからユウト君はからかい甲斐があるんだよねー」
「こ、こほん。ところでディアさん」
「ん? 何かな?」
「師匠に渡された封筒には何が入っていたんですか?」
突然だけど、本題に入らせてもらう。
こうして昔のやり取りをいつまでも楽しんでいたいという気持ちはあるけど、僕は前に進みたいんだ。
強くなる。
師匠を凌駕する強さを手に入れる。
もう逢うことができないであろう師匠を超えるために、いや、あの憎きファントム・ファングに報いをくれてやるために、僕はディアさんに逢いに来たのだ。
ディアさんが真面目な顔つきに変わった。
「中身を教える、ううん、おそらくは君にこの封筒に入っていた中身を託すことになるんだけど……その前に」
ピシッと人差し指を立てた。
「一つ、確認させてもらおうかな」
「確認って?」
「今の君が、ギリアがどう足掻いても呼び出すことすらかなわなかった、封印されし古代石に挑戦する資格があるかどうかを」
「――ッ!?」
聞いたことがある。
封印されし古代石。
その古代石にはディービアという種族の生き物が封印されている。
ディービアというのは数千年前に絶滅したとされた種族のこと。
余りにも強大な力を持ちすぎたがゆえに人間の手によって存在を抹消された種族である。
(――いや、それよりも)
どうして師匠はこの古代石を持っていたのだろうか。
ふと、一つの疑問が頭に浮かび上がった。
そもそもこの古代石は誰も持ち出すことができないように、とある都市で厳重に保管されているのだ。
僕が知っている限り、師匠はその都市へ赴いたことなんて一度もない。
(なのに師匠はそれをずっと持ち歩いていた……?)
ディアさんが得意げな顔をした。
「気になる? 気になるよねえ。どうしてギリアがこんなものを持っていたのか。所持していることがばれたら即座に回収されるこの古代石――ううん、それは昔の話かな」
「え? 昔?」
「君は知らないだろうけど、五年前にこの古代石は意図的にばら撒かれたんだよ。全部が全部ってわけじゃないんだけど。半数くらいはそれぞれの街や村に送られただろうね」
「送ったって……このご時世にどうやって送るんですか。少なくとも僕の住んでいた村によそ者なんて誰一人来ていないですよ」
「そりゃそうだよ。安全を保障されている人たちがファントムに襲われる危険を冒してまで辺境の地へ送り届けるわけないよ」
「辺境の地って……」
「まぁそれはさておき。答えは簡単だよー。思念玩具。名前くらいは聞いたことあるよね」
「は、はい」
想像することで無から玩具を生み出し、その玩具に命令を与えることで目的を果たすまで、あるいは破壊されるまで玩具を働かせ続ける能力。
思念玩具。
ディービアにのみ与えられた特別な能力の一つだ。
どうやら僕が知らないうちにその玩具が封印されし古代石を運んできたらしい。
「でもどうしてそれが五年前に……?」
「人間が封印したってことはさ、封印を解くことだってできるってことでしょう? つまりはそういうこと。今まで不可能だと思われていたことを成し遂げた人物が現れたんだよ。それでほら、今はこんなご時世でしょ? いくら外壁に守られているからといっても、いつファントムが変貌して壁を突き破ってくるかもわからない。そもそもそんな安全な場所は一部の都市だけだからね」
「だからばら撒いたってことですか……」
「あれ? 今の説明だけで理解できたの? 大事な部分を端折っちゃったから説明しなきゃって思っていたところなんだけど」
大事な部分というのは、封印を解かれたディービアについてだ。
そもそもなぜディービアは封印されたのか。
理由は簡単。ディービアが人間にとって害悪な存在だったからだ。そうでなければ封印を施す意味がない。
で、だ。
だったらどうして封印されし古代石をばら撒いたりしたのか。
生憎僕は封印を解いた人じゃないから、どうしてその人が封印の解除を試みたのかまではわからない。けど、ともかくその人は封印を解く以外に重要なことを成し遂げた。
それは――。
「ディービアを僕に……」
「ざーんねん。僕じゃなくて契約者だよ」
「え?」
「契約者。その封印を解いた人はね、自分とディービアの命を合わせて一つにするなんていうとんでもない契約の儀式を交わすことに成功しちゃったの」
「つまり、それは――」
「いい方によっちゃ君が言った僕でもおかしくはないんだろうけど。あくまでも契約者は契約者だよ」
契約者は契約者?
「つまり、人間を襲うようなマネはしないってこと」
「なるほど」
やっぱり僕の考えは当たっていたようだ。
「ちなみにどうやって契約したんですか?」
「さぁ? 残念ながらそれは私にもわかんないんだよね。というよりも本人自身口で説明できるものじゃないって言ってたらしいよー」
「えぇー……」
なんだそれは。無茶苦茶にも程がある。
「でもね、どうやら封印を解いた人には契約を施すことが可能らしいよ。今のところディービアの封印を解いたことによって発生した害は一つもないみたいだし。まぁともかく、ファントムという存在から自分たちの身を守るためには必要な力だと上が判断したみたい。多少の危険を伴う可能性があることは承知の上で」
「そうですか……」
一部納得できないところはあるけど、とりあえずはそういうことにしておこう。
「さてと、それじゃあさっきの続きに戻ろっか。君にこの古代石の封印を解く素質があるかどうか、見極めさせてもらうよ。さぁ、行くよ」
「行くって、一体どこに」
「ほら、はやくー」
「わわっ、ちょっと」
ディアさんに無理やり腕を引っ張られ、僕は外へ連れ出された。
そうしてディアさんに連れられてきた場所は半径三十メートルもある円形広場だった。
どうやら戦闘訓練に用いられる場所のようで、中央にはそこら辺傷だらけになった一体の案山子があるだけ。
足場は砂地。踏み固められているため、動きを取られてしまうことはなさそうだ。
(それにしても……)
どうしてあの案山子はあれだけボロボロなのに倒れていないのだろう。
異様な存在感だった。
まるでそこに立っていることが当然のごとく、まだ何もしていないのに、絶対にあの案山子を倒すことはできないと思わされてしまう。
(本当に全然そんなことすら考えていないのに――)
ポンっと肩に手を置かれた。
「試験内容は簡単。君があの案山子に一撃を与えることができたら及第点。つまり、封印されし古代石の封印を解除する権利を得るってこと。でも時間内に傷一つ負わすことができなかったら不合格だからね。制限時間は日が暮れるまで。それではよーい」
「ちょ、ちょっと待ってください! それはいくらなんでも簡単すぎやしませんか?」
だって相手はあの案山子だぞ。
人間が相手ならともかく、一歩たりとも動かない案山子だぞ?
そんな木偶の坊に一撃を与えるだけで合格だなんて、いくらなんでも――。
「余裕ぶっちゃっていいのかなぁ? 君も感じてるでしょ、あの案山子の存在感」
「それは……まぁ、そうですけど」
「だったら舐めてかからない方がいいと思うよー。ちなみに私は傷を負わすことはできたけど、倒すことはできなかった」
「ええ!?」
「さらにギリアも倒せなかった」
「嘘ですよね!?」
「本当だよ、本当。家を出る前にも言ったけど、この試験はね、君の素質をはかるものなんだよ」
「素質?」
「そ。この封印されし古代石の封印を解くことができるかどうかの」
「……てことは!」
「うん。もし君がこの案山子を倒すことができたら古代石の封印を解ける可能性が0よりも上ってこと。倒せないイコール0%だからね。一撃を与えるのとはまた別物だから注意してね」
「なるほど」
俄然やる気が出てきた。なんか今の説明だと、素質さえあればさらっと倒しちゃいそうな気がするけど……とにかく全力であの案山子を倒す!
一歩前へ踏み出し、戦闘フィールドへ。
そして、剣を抜いたところで。
「あ、でも注意してね。その案山子動くから」
「――へ?」
ディアさんの方を振り返ろうとしたらいきなり身体が宙を舞った。
視界が反転し、僕の瞳に映ったのは雲ひとつない快晴の空。
青天。
戦闘に於いて弱者に投げかけられる言葉。
何もできずに自分が地に伏せているという最悪な状況に早速陥ってしまったのだ。
「あー、ごめんね。教えるの遅くて。でも大丈夫。その案山子は立っている者で尚且つ標的を捉えた上で挑戦しようとする者しか襲ってこないから。そうして青空を眺めている限りは安全だよ」
僕はすぐさま跳び起きた。
「ふふっ、そういう負けず嫌いなところはギリアにそっくりだね」
「見ていてください。絶対にあの案山子を倒しますから!」
腰を低くし、戦闘態勢に入る。
あの案山子がどうやって動いたのかはわからない。
でも、今度はあんな恥ずかしい状況になんて陥らないぞ。
いつの間に戻ったのやら、僕を投げ倒したはずの案山子は元いた場所へ。
……相当な速度なのかもしれない。
僕が案山子に投げ倒されてから立ち上がるまでの間はほんの数秒。
速度に自信がある僕でも下手したら対処できないかもしれない。
(ううん、そんな弱気じゃダメだ)
集中し直す。
最初から弱気じゃダメだ。
そんなんじゃ案山子を倒すどころか、触れることさえかなわないぞ。
「うんうん、いい感じに集中してる。頑張れ、君ならできるぞー」
ディアさんの声援を背景音楽に僕は一気に地を駆け、微動だにしない案山子へ肉薄する。
そして横一閃。
案山子を剣で薙ぎ払おうとしたが、
「あ、れ?」
手応えがない!?
確かにそこにいたはずなのに、一体どうやって――。
「ふべ!?」
予期しない背後からの一撃により、青天。
「くそぅ……」
またしても防御すらかなわなかった。
あぁ、なんて綺麗な青空なんだ……。
悔しい思いをしながらも、僕は頭をフル回転させる。
(考えろ、考えるんだ。どうして今の行動がダメだったのかを――)
敵の行動は一瞬だった。
自分の肉眼で捉える事が出来なかったということは、速度に於いては絶対に勝てないのだろう。
(いや、勝つことができない設定なのかもしれない)
そもそもなぜこの案山子は動くことができるのか。
ましてやまるで命を宿しているかのごとく、刃向かおうとする人間に対してのみ行動を起こすのか。
(そう。そこだ!)
ふとディアさんの言葉を思い出した。
思念玩具。
間違いない。これは思念玩具によって作り出された玩具だ。
確信を得た僕はゆっくりと立ち上がった。
そして再び彼女が言った台詞を思い出し、目を瞑る。
「おー、さすがギリアの弟子を努めていただけはあるね。まさか二回目でこれに気づくなんて。まぁ、私がヒントを出しすぎたってこともあるけど。でもここからが本番だよ」
わかっている。
わかっているさ、そんなことは。百も承知だ。
目を瞑るということは、視界を奪われるということ。
つまりそれは、自分の意思で標的に攻撃を当てることが困難になるということだ。
視界を奪われても対処できる訓練を施しているとはいえ――相手は案山子。
そこらにいる動物でも何でもない木偶の坊だ。
いくら思念玩具で命を宿されているとしても、この案山子は主の命令に従っているだけ。
そう。あちらが動かない限り気配なんて何もない。
それをどうやって斬り伏せるのか――。
「…………」
深呼吸をし、集中力を高める。
そして、盲目訓練を実施していた時に投げかけられた師匠の言葉を思い浮かべ、
(……風。風を感じ取るんだ)
視覚を失わせることで他の感覚機能を向上させることができる。
本来ならば敵が動く気配、息使いなどを感じて行動するものだが、生憎相手はあの案山子だ。
条件を満たせずに動けないのであれば、障害物として扱えばいいだけ。
だからこそ、周囲を流れる風の動きを感じ取り、それを利用して――。
「なっ!?」
突然、不規則になった風の動きに僕は目を開けたしまった。
刹那、青天。
「あーもう、一体何が起きたんだ!?」
清々しい気持ちにさせられるほど綺麗な青空を見ながら再び思考する。
先ほど急に風の動きが変わった。
それも不規則なまでに――。
でも、案山子が動いている気配は全然なかったんだ。動いているんだったら、たとえ案山子であろうと気配を感じ取ることができるはず。
だって主の命に従って動いているんだから。
「ディアさん、この案山子って増えたりします?」
「さぁ、それはどうかなぁ?」
「これも試験ってことですか」
苦笑いする。
思いの外、あの案山子に触れることすら叶わない。
だが、案山子が動く条件は徐々に明らかになってきたぞ。
一、自分が標的を視認し、倒そうと試みた場合。
これは問答無用で地に伏せられる。防御すら叶わない、本当に一瞬の間に。
一、 自分の視界を奪い、標的を倒そうと試みた場合。
これはまだ案山子がどのような行動をするのかは把握しきれていない。
しかし、先ほどの感覚から察するに障害物が増えたことは間違いないだろう。
(んー、どうしよっかなぁ)
さっきは不覚にも目を開けてしまい、標的を視認してしまった。
それじゃあ、もう一度同じことをやってみようかな?
でも――。
(ううん、やーめた。ぐだぐだ考えても前には進めないんだ)
ふと、師匠の教えが脳裏を過った。
お前は考えすぎる癖がある。わからない時は一つずつ地道にやっていけ。
そうだよ。今は不確定要素が多すぎる。一つずつ地道にやっていくしかないんだ。
それに時間はまだまだあるし……。
僕はゆっくりと起き上り、目を瞑った。
そして一度深呼吸をしてから、標的へ向けて剣を構える。
(今度は何があっても目を開けないぞ)
そう心に誓い、一歩踏み出したところで。
「――ッ!」
やっぱり増えた。
一定だった風の動きが明らかに乱れた。
……目を開けて確認したい。
今現在自分がどのように陥っているのか把握したい!
そう思うけど、
(我慢、我慢)
僕は必死に風の動きだけを感じ取り続けた。
現状把握。
師匠から最重要だと教えられてきたこと。
視認することが一番早いであろうことは誰でもわかりきっているはずだ。
でも、生憎今はそれが不可能な状況。
だったら何をするべきか――。
(今は盲目状態。視覚を捨てているんだ)
盲目訓練のことを思い出し、音と肌を撫でていく風だけに集中する。
障害物は、一、二、三……計八つか。
最初に感じていた風の動きから察するに、本体は――。
「ここ!」
跳び上がり、目標へ向けて一気に剣を振り下ろす。
ガツン、というよい手応え。
「よし」
思いの外、簡単に攻撃を当てることができたことにうっかり目を開けそうになった。
が、
(いや、まだだ!)
視認したいという欲望を押し止める。
手応えはあったが、これで試験に合格したというわけじゃない。
だってまだディアさんから声が掛っていないんだ。
もし試験に合格したのなら、声を掛けられてもおかしくはないはず。
「ディアさん、まだ、ですよね?」
「…………」
返事はない。
彼女が無言を貫くということ。
すなわちそれは、ここからが重要であるということ。
目を開けちゃいけない。
ここで欲求を満たしてしまえば、間違いなくふりだしに戻ってしまう。
青天し、またあの綺麗な青空を眺める羽目になるのはもう懲り懲りだ。
「ふぅ……」
小さく息を吐き、頭を働かせる。
ここでどう行動するべきか。
思念玩具の能力から判断するに、不用意に動くことだけは絶対に避けた方がいいことは間違いない。
とりあえずは師匠の教え通りに――。
(ん?)
と、そこまで考えてふと違和感を覚えた。
風が一定すぎる。
先ほどまで障害物として扱っていた存在が……消滅している?
てことはもしかして。
「きゃー!」
不意にディアさんの黄色い声援が響き渡った。
「すごい、すごいよユウト君!」
「へ?」
「だって君、あの案山子を倒しちゃったんだよ!? 封印されし古代石の封印を解く素質があるってことなんだよ!?」
「え? あれ? いやでもだって」
「目を開けて確認してみなよ!」
恐る恐る、僕は目を開ける。
刹那、青天――。
なんてことにはならなかった。
視界に映ったのは、真二つに斬り倒された案山子。
僕を三度も青天させた案山子が無残な姿を晒しているのだ。
ディアさんがこちらへ駆けつけ、僕の手を取った。
「まさか本当に案山子を倒しちゃうなんて思ってもいなかったよ! そこまで到達しても、誰一人として斬り倒せなかったあの案山子を君なんかが一刀両断しちゃうなんて」
「ちょっとディアさん、それどういうことですか! まるで最初から僕には期待していなかったみたいな言い方じゃないですか!」
「うん」
「即答!?」
「そりゃそうだよ。挑戦する人はいっぱいいるんだけど、誰も倒せないからさぁ……って、うそうそ、冗談だよ、冗談。そんなに落ち込まないでよー」
ぱんぱんと僕の背中を叩くディアさん。
「……ディアさんの意地悪」
むっと口をへの字にする。
素だ。間違いなく素でそう思っているに違いない。少しくらい期待してくれてもいいのに。
「もう、そんなに拗ねないのー。ほら、試験に合格したんだからここからが本番だよ。封印されし古代石の封印解除。もちろん、試してみるよね?」
「当然!」
ちょっとぶっきら棒になりながらもはっきりと答える。
本来ならその素質があることにもっと喜んでもいいだろうに、なぜか喜びきれなかった。