前途多難なレコンシリエーション2
設備を変えておいたよーーアムダさんの言葉に僕は身構えていたが、その思いとは裏腹に店内は何も変わりなかった。
三人いわく形はそのままに、電気ではなくて魔法で動く魔法具に改造してあるらしい。……言われてみれば店の裏に、僕の世界で言う配電盤みたいなものだろう、卵型の魔力補給機が設置されていた。
「最近めっきり暑くなってきましたねぇ」
異世界に来てから二ヶ月くらいが経ったある日。お店も大分この世界に馴染めてきたようで、こうしてお客さんに話しかけられることも多くなってきていた。
「そうですね。そろそろ冷たいメニューでも追加しましょうか」
「それは楽しみですね。それはそうと、この時期はハーピーの活動が盛んですから、お気を付けてくださいね」
「はい。ご来店ありがとうございました」
会釈して出ていくお客さんに挨拶をし、僕は先程の言葉を思い返した。
「ハーピーかぁ……。この頃はあまり出会っていなかったから、すっかりモンスターの存在を忘れていたや」
ハーピィと言えば弟がやっていたRPGで何度か見たことがある。鳥人のモンスターで、鳥の羽に鋭い鉤爪を持っているはず。女性の姿でしか見たことないけど、男性のハーピィっているのかなぁ?
実はこの森は人間が住んでいる土地と魔物が住んでいる土地の中間地点に存在するらしく、その森のまたまた中央付近に位置するこのお店はぶっちゃけいうと人が生活をしている場所の中で一番危ないところだ。
それでも何故こうして呑気に飲食店を営んでいられるかと言うと、それはやはり国内屈指の勇者たちのおかげだろう。人から聞いた話だが、モンスターというのは本能で勇者の存在を察知できるのだそうだ。
「おーっす、ジョージ。新しい食材仕入れて来たぞー」
そんなことを考えていると、扉から大荷物を抱えたアルファが現れた。自身の身長よりも高く積まれた籠を抱えているのに、その足取りはしっかりとしている。
「ご苦労さま。疲れたでしょ、冷たいジュースあるよ」
「サンキュー」
厨房から帰ってきたアルファに冷蔵庫からフルーツジュースのボトルを取り出し、グラスに注いで差し出すと、「外あっちー」と制服のボタンを開けながらアルファがカウンター席に座った。
「ちょっとしか外出てないのに凄ぇ汗かいた」
「若い証拠だよ。良きかな良きかな」
「うわ、ジョージめっちゃジジ臭いんだけど」
「え、そうかなぁ?」
来たばかりは邪険にされたアルファだけど、最近はこうして世間話もする仲になっている。
「在庫確認終わりましたよ、ジョージさん」
「ありがとう、ミーシャ」
アルファと雑談をしていると、新しく奥から顔を出したのはミーシャだった。お昼時も過ぎてすっかり人が減った店内を一瞥して、彼女はアルファの隣のカウンター席に座る。
「最近は人が増えてきたので、在庫の減りが早いですね」
「うん。店への道が本格的に整備されてきたからね」
最初は魔物の森(このお店がある森のことを人はそう呼んでいる)にあると言うことで滅多に人が寄り付いてくれなかったけど、この頃はそうでもない。勇者が従業員をやっているということで、むしろ好奇心を持たれるようになってきていた。
「ズィータ、君もそろそろ休憩にしよう」
厨房に向かって呼びかけると、ひょっこりとコック姿のズィータが『了解です』という金色の文字を携えて現れた。そのままミーシャの横に座る。
「三人とも疲れ様。後片付けは僕がやっておくから、ジュースでも飲んでお休み」
アルファに出したものと同じグラスを二人の前に差し出す。厨房に戻る僕の後ろで、楽しそうな雑談の声がした。
「いやぁ、みんな成長したなぁ」
使用済みの食器を洗いながら、思わず僕は独りごちた。単純作業というものは、どうも人を回想に誘う効果を持っていると思う。
「……あの頃は酷かった」
思い出されるのは店が始まってすぐの頃。率直に言うと、彼らは接客業に全く向いていなかった。
+++
「ははは……はぁ」
ゴウゴウと音をたてて燃え盛る自分の店を前に、僕は乾いた笑い浮かべ、何度目か分からない溜め息を吐いていた。
「……すみません」
後ろの方で火事の原因であるミーシャが縮こまって謝った。その彼女の後方ではアルファとズィータが時間を巻き戻す魔法の魔方陣を黙々と張っている。最も難しいものの一つと言われるこの魔方陣にここ数週間ですっかり慣れ、その手捌きに迷いはなかった。
ちなみに、魔方陣とは大掛かりな魔法を発動させる際に制御をサポートする為のもので、魔力そのものや魔力を含んだインクで描くものらしい。彼らは自身の魔力で直接描いており、複雑な紋様が鮮やかな糸の形をした魔力(魔力は本人の意思によって形を変えられる)で編まれていた。
ミーシャは感情が極限まで高ぶると無意識に強力な魔法を放ってしまう癖があるらしく、加えて極度の虫嫌いも手伝って、三日に一度はこうして店を燃やしていた。
アルファはアルファで勇者ゆえの大味さが目立ち、店を燃やしはしないものの備品を壊した回数は数えきれない。また、喧嘩っ早い性格のせいで、お客さんとの衝突も少なくなかった。
こうして見るとズィータが一番まともな気がするのだが、彼はいかんせん言葉を話さないという、接客業にはあるまじき会話の方法をしている。始めは地声へのコンプレックスかと思っていたが、そうではない。彼の言葉は物理的な破壊力を伴うのだ。
一度だけうっかり彼が驚きの声を漏らしてしまった時があるのだが、その時はそれだけで彼がいた場所にクレーターができてしまった。……もちろん、店の中での出来事である。
とにかくそんなとんでもない地雷を抱えている以上、ズィータは厨房に籠ってもらうことは決定したのだが、あとの二人が順調に接客をこなせる日は遠そうだ。
「はぁ」
火災が鎮火し、魔方陣が発動される。満点の夜空に新たに淡い光を発し始めるそれを、僕は溜め息をつきながら見つめた。
+++
「そりゃあ世界が滅ぶわけだよ」
初日にアルファが言った言葉を思い出し、僕は笑いを漏らした。それでも最近は彼らも成長してきていて、アルファが週に壊す備品の数は平均して四十から二十になったし、ミーシャが感情に飲まれる頻度も三日から七日に一度程度になった。ズィータに関してはお客さんからの絡みを回避するスキルが初日に比べて遥かに高くなったように思える。
「……あれ?」
現状は何も変わっていないのではないかという疑念を、僕は頭を振って打ち消した。何事も小さな一歩が大切なのだ。うん。
「なぁ、ジョージ。何か仕事ない?」
「ん?」
入口から顔を出したのはアルファだった。その隣に二人の姿も見える。
「どうしたの? 休んでいていいんだよ?」
「いや、あのですね。じっとしているのは落ち着かないというか……」
『この店でお世話になる以前は、ほぼ毎日働き詰めでしたから』
「最近仕事にも慣れてきてちょっと暇なんだよ」
三人の言葉に僕は少なからず驚いた。年端もいかない子供がそんなことを言うなんて。この国の教育は一体どうなっていることだろう!
「いいかい、君たち。若いうちは暇をするのも立派な仕事なんだよ。そうしてじっくりと自分の価値観を深めていくんだ」
僕の言葉に三人はがっかりしたような、バツの悪そうな顔になる。どうも普通の子供として扱われることに、三人はまだ慣れていないようだった。まぁ、こればかりはどうしようもないか。
「……じゃあ最近店の周りの下草が茂ってきたから、それを刈ってきて欲しいんだけど」
その言葉に三人は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「分かりました」
「任せとけ」
『やっておきます』
バタバタと出ていく彼らの後ろ姿を、僕は何とも言えない気持ちで見送るのだった。
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その日の正午は、いつにも増して人が多かった。メニューを頼む人の傍らに狩猟銃が置かれていたのも特徴的だ。
ちなみに、この世界には魔法具が存在するが、それらを実際に持っている人は少ない。僕みたいに店の全ての設備が魔法具であるのは本当に稀で、大抵は各家庭に一個二個ぐらいしかなく、自然人々の生活ではなんとも旧時代的な方法が採用されている。
「今日は何かイベントがあるんですか?」
会計を済ませた男性客にそう尋ねると「今日は狩りの大会があってね!」と朗らかな声が返ってきた。
「夏は鳥類のモンスターが沢山いるから、それを仕留めて大きさとランクで総合点を出して競い合うのさ。今日の夕方に結果が出るから、これからもうひと頑張りってところ!」
「えぇ、危なくないんですか?」
「馬っ鹿、そのスリル込みで楽しいんじゃないか。それにちゃんと監査会が勇者を雇っているから、本当にヤバくなった時は彼らの出番さ」
そんじゃな! と足早にかけていく男性を見送りながら、僕は彼にいつぞやの御者の面影を重ねていた。どうもこの世界の人々は勇者を絶対視している節があるように思う。彼らだって同じ人間だというのに。
店内は同じように大会に参加する人で賑わっている。大会の内容が内容だからか、柄の悪そうな人たちもいて僕は少し不安になった。アルファあたりがお客さんと争いを起こさなければいいんだけど……。
「てめぇ、ふざけてんじゃねーぞ!」
二階から上がった声に、僕は慌てて階段を上った。激昂したアルファが筋骨隆々な男の胸ぐらを掴み上げている傍らで、ミーシャが顔面蒼白になって床に座り込んでいる。
「何があったんです!?」
人溜まりを掻き分けて円の中心へと向かう。僕の顔を見たミーシャが「ジョージさん……」と安堵の声を漏らした。アルファが怒りの混じった声で説明する。
「こいつ、ミーシャの尻を撫でてやがった!」
「偶然当たっただけですよ……、人聞きが悪いなぁ、勇者サマ」
「うるせぇ! 見てたんだよ、てめぇのキモイ行動全部な!」
「アルファ、もう……」
「ミーシャ! お前も腹立たしくねぇのかよ!」
ミーシャが宥めようとするもアルファは完全に頭に血が上っていて、聞こうとしない。
「アルファ、お客様を離すんだ」
「! ジョージまでそんなことを言うのかよ!」
「いいから、離して。君はミーシャを連れて一階に戻るんだ」
「っ! ああ、そうかよ!」
言うや否やアルファはパッと胸ぐらを掴んでいた手を離す。「ぐえっ」と蛙のような声を上げて男が床に尻餅をついた。そのままアルファは強引にミーシャの手を引いて階段を下りていく。その足音は義憤に溢れていた。
「お客さん、困りますよ」
二人がいなくなってから僕は男性に注意を促す。男性は「へへへ、すまんね」と反省の色なく謝った。
「でも、店長も勇者たちをちゃんと躾けておいてくれよな。あんなんじゃおちおち飯も食えやしねぇ」
「……はい?」
男の言葉に僕は耳を疑った。更に驚きなのは、周りにいた人もそれに頷いていたことだ。
「ここのお店、料理は美味しいのに勇者たちが威圧的すぎて注文を頼みづらいのよね」
「折角国内でナンバーワンの勇者たちが働いているから来てみたのに、アルファは怒りっぽいし、ミーシャは素っ気ないし、ズィータに至っては喋らないどころか人前にも滅多に出ない」
「もっと愛想良くするように頼んでおいてくれない?」
わいわいと寄せられるクレームに僕は眉尻を下げた。そんな、ここの人たちがここまでだったなんて……。その喧騒を終わらせるように、最後の一言がどこからともなく発せられた。
「あんた、勇者に命令できるんだろ?」
「っ!」
そうだそうだ、命令しろ、心無い言葉に僕は感情が冷え切っていくのを感じる。違う、襟元で輝くバッチはそんなためのものじゃない。駄目だ、この人たちは。こんなのを彼らが守る価値なんて――。
「大変だッ! 魔物たちが襲ってきた!」
下からの声に、僕は我に返った。僕は今何を……。後悔するよりも早くミーシャがやってくる。
「転移の魔法を発動させます! みんな一階に集まってください!」
突然の時間の跳躍に驚いた方もいらっしゃると思いますが、空白の二ヶ月間は番外編で載せていけたらと考えています。
今はストーリー重視と言うことで。