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乳母日傘のセイヴュアー4

 物心がついた時には、そこはもう一面の緑だった。

 産みの親の顔も知らない。自分の名前もない。

 気付いた頃には自分とは顔の形も体つきも違う生き物たちと生活を共にしていた。


「どうして、僕には手と足が二本しかないの?」


 どこからかみんなが持ってきてくれた紙と鉛筆。知識の精霊であるアンテロが「難しい質問だな」と苦笑した。


「手足の数が多いと扱いに困ってこんがらがってしまうだろ?」

「多ければ多いほど、みんなと繋ぐことができるのに」


 僕の言葉にアンテロが悲しそうな顔をする。


「……ごめんな。淋しい思いをさせて」

「? 淋しくないよ。みんながいるもん」

「そーかそーか」


 今度は嬉しそうな顔をした。


「伝えたいことは山ほどあるのに。こんな体が恨めしいよ」


 そう言ってアンテロは僕の体を通りすぎた。アンテロの体は小さい半透明の粒が集まっているだけで、触ることができない。


「マティ。マティ・モスターン。心を閉ざすなよ」

「? 何のこと?」

「はは。お前にはまだ早かったか?」

「ねぇ、何のことってばぁ!」


 つまんなくて気から垂れる(つた)を揺らすと、上からポップスクイレルのアンドルが落ちてきた。「勉強終わった?」と言いたげにアンドルは小首を傾げる。


「ここにゃあ生憎人はいねぇが、人ならざるものならごまんといる」


 アンテロが誇らしそうに、歌うように言う。


「人がお前を嫌っても、俺らはお前が愛おしいよ」

「……うん」


 産みの親の顔も知らない。自分の名前もない。

 でも、育ての親と彼らが与えてくれた名前があるから。

 別に淋しくなんてない。


 +++


「ご来店ありがとうございました」


 チリリン、とドアベルが鳴るのをお辞儀して僕は見送る。顔を上げると、外から珍しいお客様が入ってくるところだった。


「やっほー、ジョージ。久しぶりー」

「トーラ! 久しぶりだね」


 元気よく入ってきたのはヒロニクル国の宰相トーラだった。癖のない茶髪から見える尖りぎみの耳をピクピクと動かしてこちらにやってくる。


「お店すっごく賑やかだね」

「はは、トーラも驚いた?」

「ううん! 素敵だと思うよ!」


 人間と魔物が入り乱れる店内を見渡して、トーラは嬉しそうに瞳をしばたたせる。一通り見渡したあと、トーラがこっちを向いた。


「今日はね、お知らせが二つあって来たんだよ」

「二つ?」

「うん」


 僕は首を傾げた。てっきりマティを雇うにあたって必要な書類を持ってきたのだとばかり思っていたけど、他にも何か用事があるんだろうか。


「ミーシャとズィータの二人でね、ある依頼をしてもらわないといけなくなったんだ」

「え? 二人に?」

「うん。ミーシャとズィータじゃないと出来ないお仕事だから、しばらくは二人を借りたいなって思って」

「それは……うーん」


 彼女の言葉に僕は唸った。言い分も分かるし、そもそも僕には二人をどうこうする権利なんてないけれど、それでも二人がお店を抜けるのは痛いなぁ。それを悟ってか「大丈夫!」とトーラが言った。


「二人が抜けた分、私が働くよ!」

「えぇっ?」


 突然の申し出に思わず僕は驚いた。ぽややんとしているがトーラは立派な宰相である。そんな重職に就いている人がちっぽけな飲食店で働くというのは何とも現実味のない話だ。


「そんな、無理しなくていいよ。お城の方に仕事があるんじゃない?」

「ないよ?」

「え、ないの?」


 それもそれでどうかと思うが。唖然とする僕を見て自分の言葉の足りなさに気付いたのか、トーラが「お休みを取ったの」と付け加えた。


「休みって宰相でも取れるものなんだ……」

「うん。欲しいって言えば貰えるよ」

「へぇ」


 屈託なく頷くトーラに僕はそういうものなんだと納得した。雲の上のことは庶民にはよく分からないものである。なら本人の言葉を信じるのが一番。


「じゃあ、お願いできるかな?」

「うん!」


 僕の言葉にトーラは元気良く頷いた。


 +++


「え、依頼ですか?」

『俺たち二人で?』


 閉店後、全員を集めて話をすると、意外にもミーシャとズィータは難色を示した。


「今二人が抜けたらヤバイだろジョージ」


 二人の気持ちを代弁するようにアルファが言う。僕は首を傾げた。


「? トーラが代わりに入ってくれるし、マティとその友達がいるから人手は大丈夫だよ?」

「だからそれだよ」


 アルファは溜息をついた。二人も頷いて彼に同意を表す。


「魔物共が客だけじゃなくて従業員として蔓延(はびこ)ってる店で勇者二人も減らしてどうすんだよ」

「アルファがいるとは言え、不安です……」

『正直、今ここを離れたくはないですね』

「みんな……」


 三人の言葉に僕は何とも言えない気持ちになった。勇者と魔物の間にはまだ深い溝がありそうだ。「そんなことないし!」とマティが怒気も露わに言った。


「僕の友達を馬鹿にすんのやめてくんない?」


 琥珀色の瞳が細められ、マティの小さな体から巨漢をも威圧させるような鋭い重圧が発せられる。頭一つ下から放たれるプレッシャーをものともせず、アルファは鼻で笑う。


「友達っつってもよぉ。……魔物だろ?」


 彼の吊り目がちな赤い眼が好戦的な光を帯びる。所詮は本能に抗えない動物であるとその瞳は言外に訴えていた。ーーそして、それはミーシャとズィータも同様の意見だろう。


「みんな、喧嘩は駄目だよ。駄目です!」


 アルファとマティの間にトーラが割って入った。途中で敬語に言い直したのは宰相としての威厳を出すためだろうか? めっ! と人差し指を立ててトーラは口を開く。


「ミーシャとズィータには依頼に行ってもらいます。これは国王の命令です」

「……分かりました」

『……了解した』

「あとアルファとマティもこのお店で争いは厳禁です」

「でもよぉ」

「だって」

「言い訳禁止」

「「………」」


 場を収めた彼女はコホンと咳払いを一つした。


「どうしても心配なら、このお店に害のある魔物を跳ね退ける結界を張っていくといいと思うよ?」

「……まぁ、それも手ですね」

『一時凌ぎくらいにはなるか……』


 その言葉に二人は頷いた。アルファとマティも渋々ながらも納得する素振りを見せる。


「仕事早く終わったらその分早く帰って来ていいからね」


 曇りなく笑うトーラに僕たちは言葉を失った。……一見抜けていそうな彼女だけど、実はやり手なのかもしれない。


   +++


「すっかり元気になったなぁ! ルナ!」


 駆け寄ってくる子犬を抱き締め、アルファが笑った。血で塗れていた銀色の毛並みは本来の輝きを取り戻し、ルナと名付けられた子犬は尻尾を振って喜びを表現する。


「最初はもう駄目かと思ったけど、無事回復して良かったわ」


 洗濯物を干し終わった母親が籠を置いて微笑む。ルナが返事をするようにバウ、と鳴いた。


「よしよし。お腹が空いたろう、ご飯だよ」


 皿にミルクを入れて差し出すと、ルナが駆けてそれを舐める。その様子を見て、アルファがしみじみとした口調で言った。


「にしてもミルクしか飲まないな、ルナは」

「本当。これくらいに育ったなら、もっと色んなものを食べてもおかしくないのに」


 アルファの言葉に母親も頷いた。ルナだけがバウ? と疑問顔だ。間抜けなルナの顔に、アルファは「不細工な顔」と笑いを漏らす。


「変な奴」


 ルナの頭を撫でながらアルファが笑みを浮かべて言う。ルナは目を細めてただ頭を撫でられていた。


 +++


「それじゃあ行ってきますね」

『なるべく早く戻ります』


 翌朝、ミーシャとズィータは任務に出かける前に店に顔を出していた。

 ミーシャは白地を基調として緑の紋様が描かれているヴェールを身に付け、加えてギリシャの女の人が着るペプロスのような、ゆったりとした服を着ている。これから戦いに行くには軽装備ではないかと心配になる。

 ズィータはというと、品のある丈の長い紫のローブを着ていて、加えてフードを被っているので普段から見えにくい表情がいつにも増して伺いにくい。……それにしてもこの気温にその服装は暑くないのかな?

 久しぶりに勇者の衣装を着ている二人を見た気がするな。いつもは従業員の制服姿で見ているから、新鮮な気分だ。


「怪我に気をつけてね」


 改めて彼らが勇者として死地へ向かうのだということを僕は実感した。しんみりとした口調で言うと、二人ともくすぐったそうな顔をした。


「ジョージさん、これを」

「?」


 ミーシャが一つの手鏡を手渡した。円状のそれは淵に黄金の装飾が施されており、裏返すと中央に角度によってその色を変える宝石が嵌め込まれていた。


「一時的なものですけれど、それで魔物からの攻撃を防げます。あと擬態した魔物の姿もその鏡で映せば見破れますから、なるべく携帯してください」

「……ミーシャは凄いなぁ」

「そ、そんな。凄くないですよ! 普通です!」


 僕の言葉に真っ赤になってミーシャが否定する。ズィータが『嘘をつくな』と呆れ顔でミーシャの頭を小突いた。


『そんな高等技術が普通なわけないだろう。下手に謙遜すると顰蹙ひんしゅくを買うぞ』

「うぅ……。すいません」


 耳まで赤くして、ミーシャは俯いた。僕は「いいよ」と苦笑いを返す。『……アルファのことなんですが』とズィータが真剣な顔で文字を浮かべた。


『俺たちが居なくなって、暴走するかもしれません。気にかけてやってください』

「……どういうこと?」


 不穏な空気に僕は眉をひそめた。ミーシャが言いづらそうに口を開く。


「魔物がお客さんとしてやってくるようになってから、あんまり眠れてないみたいで。ストレスも結構溜まっていると思います」

『アルファはどの勇者よりも魔物が嫌いだから』


 二人の言葉に僕は腑に落ちるものを感じた。最近妙に疲れているなと思ったのはそういうことがあったのか。


「何があったの?」

「それは……私たちも知りません」

『本人もあまり言いたくないようです』

「そっか……」


 僕はもやもやとした感情を抑えて、笑顔を作った。


「分かった。僕の方でも気をつけるよ。二人とも、今は依頼を無事に完了させてね」

「はい」

『分かりました』


 頷いて二人は去っていく。その後ろ姿を見送りながら、僕はアルファとマティのことについて考えていた。


 誰よりも魔物が嫌いなアルファ、魔物を友達と呼び愛着を持つマティ。……マティの方は森に捨てられてそのまま魔物たちに育てられた過去を持っていることから、なんとなくだがその心情は察することができる。――ではアルファは?

 部外者には強い警戒心を抱いても、仲間内には優しく気遣いができる子である。彼がそこまで強い敵愾心てきがいしんを抱く理由はなんだろう。


「嫌な予感がする……」


 サァァ、と夏の木々を風が揺らした。何も起こらなければ良いのだけれど。


 心は曇っていても、空は嫌味なくらいに青い。

 その無慈悲なまでの晴れやかさに気を取られーー僕は大樹の裏でこちらを伺う炯炯(けいけい)と輝く双眸に気付かなかった。


 +++


「ったく、依頼なら俺を使えばいいのに」


 溜まったゴミを外に出しながら、俺はぼやいた。ミーシャとズィータが任務に出たことを聞いてからずっと思っていたことだった。


 詳しくは依頼者保護の原則に基づいて伏せられているが、あの二人を必要とする依頼の内容は何となく察しがつく。きっと大規模な魔物退治だ。

 一遍に何体もの魔物を倒すことができる極大魔法を扱える魔法使いは少ない。まぁ、ズィータの言霊は魔法じゃなくて、ズィータの一族に伝承する、血を代償とした太古の業なんだが、素人目には変わりなく映るだろう。


「あーあ。俺も極大魔法覚えようかな」


 その手の魔法は必要な魔力もさることながら、発動させるのに魔法構築技術も高く要求される。

 魔法の威力は術者の魔力と構築技術を掛け合わせたものとなるのだが、そもそも技術が足らないとその魔法は発動できない。俺にとって魔力の量は問題では無いが、技術がそこまで達していないのだ。


「面倒なんだよなぁ、理論覚えんの」


 結局、魔法の技術というのはかい摘まんで話せばどこまで力を借りる精霊の気持ちと同調できるか、だ。

 そう聞くと感情論に思えるかもしれないが、精霊というのはつまりこの世界のあらゆる規則の番人であり、その意味ではこの世の何よりも法則性がある。

 それを理解し、その法則に乗っ取って魔法を構築することが高難易度の魔法を成功させるコツとなるのだ。


「……面倒臭ぇな。やっぱ剣があればそれでいっか」


 つらつら考えては見たが、やはり自分に合わないことを無理にやる必要はないだろう。それに別に俺は魔法を使えない訳ではない。

 属性のある物理攻撃を可能にする付加魔法や最低限の移動、回復魔法。後は滅多に使わないが単体攻撃の魔法くらいなら全属性で使える。


「過ぎたことを考えても仕方ねぇか」


 そういう結論に達し、俺は思考を停止した。こんな言い訳じみたこと考えてどうするってんだ。


「っ!?」


 ゴミを処分した俺は、妙な視線を感じて振り返った。……気のせいか? 今、ねっとりとした気持ち悪い感じがしたのに。


「……チッ」


 回りに魔力による探知をかけても何も引っ掛からない。客や従業員としている魔物の存在もあるし、あまり店を空けるわけにもいかないだろう。俺は諦めて帰路を後にした。

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