乳母日傘のセイヴュアー3
多分ここから本編っぽくなる、かも……、です。
前途多難~よりも長くなるのは確実ですね。
よろしければお付き合いください。
「………う……っあ!」
深夜、誰もが寝静まった寮の中で、一人だけ魘されている者がいた。
部屋に無造作に置かれた様々なトロフィーが、朧月の光に照らされて鈍く輝く。その一つの側面には、アルファ・ソルジークと彫られていた。
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植物の少ない荒れ地に乾いた風が吹く。果てのない曇天に一つの声が響いた。
「母さん! 道に犬っころ落ちてた!」
とある小さな村落で、幼い男の子が母親の元へと駆けていく。彼の腕には瀕死の子犬が抱えられており、少年の胸元を赤く染めていた。
「あら、大変だわ!」
縫い物をしていた母親は、作業を止めて慌てて少年から子犬を抱き上げる。
「……まだ息があるわね。すぐに手当てしましょう。アルファ、救急箱持ってきてくれる?」
「分かった!」
アルファと呼ばれた少年が部屋の奥へと消えていく。アルファの母はそれを見届けると、その視線を子犬へと戻した。
「こんな僻地に子犬がだなんて……お前、捨てられたのかい?」
語りかけるも、子犬は今にも消え入りそうな呼吸を繰り返すだけである。子犬の頭をそっと撫で、母親は優しく言った。
「安心おし。今日から私があんたの親になってあげるわ」
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「アルファ、起きて」
控え室の机に突っ伏すアルファの肩を数度か叩くと、「んー……」と気だるそうな唸り声とともに彼が顔を上げた。
「最近疲れてるでしょ」
「……あーうん」
生返事を返したアルファは深い溜息をつきながら目をこすった。どうやら寝起きは悪いみたいだ。パシッと自分の頬を叩き、アルファは勢いよく立ち上がった。
「んじゃ、行きますか」
「辛いなら休んでいいんだよ?」
「馬鹿言うなジョージ。勇者に休みはないの!」
そう言い残してアルファは扉をくぐっていく。……無理をしてないといいんだけどなぁ。
アルファとすれ違うようにして再び開いた扉から現れたのはマティだった。
「約束通り来たよジョージ」
「ありがとう、マティ」
ヤギのような角を持つ鷲を肩に乗せながら、歪ませた空間を渡ってマティが控え室に入る。彼女が本格的に働き始めるのは明日からなので、今日は午後からお店に来てもらって仕事の説明をしようと思っていたのだ。
「……やっぱりお友達は連れてくるんだね」
「だって来たいって言うんだもん。魔物が客として来れるなら、従業員の友達として入ってもいいでしょ?」
「まぁ、そうだけど……」
流石に控え室にまで魔物がやってくるとは思っていないかった。マティには申し訳なけど、誰の助けも得られないこの密室で魔物と対峙するのは精神的に来るものがある。
そう思っていると、マティの肩に乗る鷲とバッチリ目があった。ーー狩られる! 本能が鳴らす警鐘に僕は身を震わせた。
「ちょっとォ、あからさまに狩られる! って顔してんじゃないわよォ!」
「へ?」
見かねたのか、鷲が怒りと呆れの混じった声で言った。……今までも魔物と会話してきたけど、どうしても彼らが喋り始める瞬間というのは未だに慣れない。
マティが横目で鷲を見ながら「ほら、変に怯えるからリージェ怒ったじゃん」と僕を咎める。
「……女性、なんだ」
「失礼ねェ!」
「うわ、失礼なやつ」
僕の言葉にリージェはバサッバサッと僕の顔の近くで羽ばたく。「いーぞー、やっちゃえー」とマティが囃し立てる。
「ご、ごめんよう!」
「アタイをそこら辺の低俗動物と一緒にするんじゃないわよォ!」
「リージェは決まったご飯しか食べないんだからね」
「わ、分かった! 分かったから許してください!」
涙ぐみながら許しを請うと「次はないわよォ!」と離れてくれた。うぅ……、猛禽類コワイ……。
「そんな泣かなくったっていいじゃん」
「ごめんね……」
どうにも涙腺の緩さだけは如何ともしがたい。備え付けのティッシュで鼻をかむ僕をマティは呆れを通り越して不憫そうな目で見た。次に嗜めるようにリージェに話しかける。
「ジョージが一番悪いけど、リージェもちょっとやりすぎだよ」
「はんっ! 軟弱めェ!」
リージェはそう言うと、角の間から電気を纏ってビリビリと音を立てる球を出現させ、放出して扉を壊し飛び去っていく。室内に木片が飛び散った。
「あーあ、リージェってば意固地になっちゃった」
「……何も扉を壊さなくってもいいじゃない」
「自業自得だね、ジョージ」
ニシシ、と笑う彼女は年相応の女の子だ。ふと僕はマティに問いかけた。
「どうしてマティは人間が嫌いなの?」
まだ少ししか接していないけど、やっぱりマティは悪い子じゃなさそうだ。強気な態度と悪戯好きが過ぎて人を困らせることはあっても、人を嫌いになるくらいに酷いことをされたりはしないだろう。
しかし、その考えは甘かったということを僕は悟る。
「僕のことを森に捨てたから」
答えるマティの顔は無表情だった。その視線の先には数人で談笑する一般客の姿。
「今となっちゃ寧ろ感謝してるけどね」
そう言ってマティは扉に背を向ける。その表情に影はなかった。
「ほら、ジョージ。今日は仕事教えてくれるんでしょ」
「う、うん……」
明るい声音に僕は戸惑いながらも頷いた。『僕は勇者じゃない』――彼女が零した言葉の意味を考えながら。
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「マティには使用済みの食器を洗ってもらう仕事と、お客様の足通りが少なくなった時間を見計らってフロアを清掃する仕事をやってもらいたいんだ」
彼女の人嫌いを考えると、あまり表に立たせないほうがいいだろう。そう思って仕事内容を伝えると、僕の気遣いとは裏腹に「え~、つまんない!」とマティはふくれっ面をした。
「もっと面白いやつがいいよ!」
「面白いって言われてもなぁ……」
そもそもお店の仕事は遊びではないんだけど……。言えば彼女のご機嫌を損ねることは確実なので口にこそはしないが、僕は閉口した。
「注文聞いて回るやつ、僕あれやってみたい!」
「えぇ~?」
妙案を思いついたように顔を明るくするマティに対して、僕は顔を曇らせた。よりによって一番人前に出る仕事である。正直のところ不安しかない。
「シュパパッてすぐに出来たら格好良くない? うん、これに決めた! ほらジョージ、早くやり方教えてよ!」
「強引だなぁ……」
乗り気になっているマティに僕は溜息をついた。でもまぁ、やる気を出してくれるのはいいことか……。
「じゃあ今からメニューの取り方教えるから、覚えたら一度僕で練習してみようね」
「よしきた!」
キラキラした瞳でマティが注文を取るための紙を見つめる。この調子ならひょっとしたら大丈夫かもしれない。そんな期待を胸に僕は説明を始めた。
――が。
「……マティ。僕、夏野菜のスパゲッティとミルクジェラートしか頼んでないんだけど」
数十分後、僕は苦笑いを浮かべる羽目になっていた。取り敢えず初回は簡単に、そう思い注文したのだが、復唱で述べられたものは想像を絶していた。――了解でーす。夏野菜のスパゲッティとミルクジェラート
「いや、それ頼むんならこれも頼んでくれるかなって」
「明らかに一人が食べれる分超えてたけどね!?」
――とお化けとかぼちゃのスープと怪鳥の丸焼きとペンネのミートソース炒めと雪うさぎのホワイトソースドリアと生苺のパフェとミミック雌鶏のプリンとついでに生ビールでよろしいですか?……ついでて。
「駄目だよ!? お客様の注文を勝手に変えちゃ!」
「え~。商売は押せ押せだよ、ジョージ!」
「押しすぎだよ!」
一息であれだけの量を言い切る肺活量と、少しの時間でメニューを覚える暗記力の良さには感心するが、これは良くない。なまじマティは勇者であるので(本人は否定しているが)、一般人魔物問わず訂正に勇気がいるだろう。
「注文受付は駄目! 分かった!?」
「ちぇー。ま、もう飽きたからいいけど」
「早いね!?」
「ほら、次は何教えてくれんの?」
早く早く! と急かすマティに、僕は呆れながらも新しい仕事を探すのだった。
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「……マティのお友達、凄いね」
今目の前で起こっていることをありのままに表現すると、こうだ。赤や青、黄色など鮮やかな毛並みをしたリスたちがポーテムトールのように垂直に並び、一番上にいるリスがジョッキにビールを注いでいる。泡を立てながらジョッキ半分に注ぎ、間を置いて泡を圧縮。濃くなった頃を見て優しくジョッキの上まで注ぎ足す――完璧だ。
「でしょー?」
「ちょっとは自分の出来と比べて反省してよ」
照れる彼女に僕は堪らず愚痴を漏らす。気分次第で泡の比率が変わってしまうマティは、完璧なタイミングを知っていつつやろうとしない困った子だ。
「だーって、決まった時間に決まったことやるなんてつまんないもん」
「もうそれ世の中全ての仕事駄目じゃない……」
「まぁ、そんなお嬢を責めないでくださいよぅ、旦那」
机の上に登ってきた紫色のリスが苦笑も混じりに言った。ジョッキを運んできた液体状の何か(俗に言うスライムだろうか……)も「んだんだ」と訛った同意を上げる。
「お嬢の仕事はあっしらが代わりにやらせて頂くんで」
「んだー」
「ほら、アンドルとボニーも私の味方だよ」
「ううむ……」
彼らの言葉に僕は唸った。目の前に置かれるのは完璧な生ビール。このアンドルを始めとしたカラフルなリスたちは手先(?)が器用なようで、他にもパフェやサラダなど盛り付けに時間がかかるメニューが他にも机に並んでいる。ボニーも明確な体のラインを持たないためいくつもの触手を生やすことができ、一度に複数の注文を受け付けることができる。ついでにマティみたいに注文を誤魔化したりしない。なんかマティを雇うよりこっちの方が――
「ねぇ今失礼なこと考えたでしょ」
「滅相もございません」
マティの言葉に僕は即座に首を振った。そもそも彼らはマティの友達だからなぁ! 彼らの功績にマティ関わりあるもんなぁ!
「でも友達に全部仕事任せるの?」
「……う」
咎めるように言うと、マティは気まずい声を出した。
「あっしらは構いませんぜ」
「んだー」
「……アンドル、ボニー」
二匹の声にマティは意を決したように宣言した。
「決めた! 試食係になる!」
「……え?」
あまりの内容に僕は耳を疑った。「「おおーっ」」と二匹は感嘆の声なんかを上げている。
「ジョージが新しく作ったメニューを食べて、批評する。ほら、完璧!」
「そうだね……完璧」
「でしょう?」
僕の言葉にマティはにっこり笑う。僕も、にっこり笑った。
「完っ璧に自分本位じゃないかぁーーっ!」
「うわっ、怒った!」
我慢の限界を迎えて立ち上がる僕に、マティは驚いたように距離を取る。皿を洗わせれば綺麗になった食器に落書きを加え、料理を運ばせればつまみ食いをし、レジ打ちをさせれば客を無意識に挑発してトラブルを起こす。加えて反省ゼロときた。これで怒らない人がいるだろうか、いいや、いない。
「怒るよ! 少しは真面目に働いてよ!」
「たいさーんっ!」
「待てーっ!」
冷や汗を浮かべてバタバタと走るマティを追いかける。後ろで止める声が聞こえたがこの際無視である。
「接客とはなんたるかをその身に刻んでやるーっ!」
「助けてーっ!」
その日、店内でマティの姿を見た者はいなかったという。