兄妹と家族の事情
「私、女勇者になる!」
妹の茜が突然そんなことを言い出した。この現代社会で女勇者とは、ゲームや漫画に影響を受けているのは目に見えて明らかだ。そんな小さい子供みたいな言い出す茜は間違いなく俺と同じ血を引いているのだろう。
俺は世間一般から見ればオタクと呼ばれるような人間なわけで、茜も俺が持っている様々な漫画、ゲーム、アニメ、小説などに感化されてしまったのであろう。オタクといっても別に引きこもりなわけでもないし、友達がいなくていつもゲームをしているわけででもない。
ただ一般の男よりゲームや漫画が少し好きなだけだ。そもそも、オタクの定義がいまいち分からないのでなんともいえないが、フィギュアが好きだとか、なにかアイドルのようなものを追っかけているわけでもない。プラモデルは持っているが、車の模型が一つだけなのでこれは除外してもいいだろう。
話がそれた。茜の話をしよう。茜は年が二つはなれた中学三年の女子中学生。俺から見ても元気で明るいやつだ。友達もよくつれてくるので付き合いもよいのだろう。成績も可もなく不可もなく、悪いというわけではないようだ。そんなまっとうの女子中学生である茜がオタクのような道に足を踏み入れてしまっているのは少し悲しいわけだが、同時に少し嬉しくもある。しかし、どっぷりはまりすぎると破滅の将来が茜を迎えに来るのは目に見えているので、兄としては茜を真人間、最低でも、少しゲームや漫画が好きです。あたりでとどめなければいけない。
「この現代社会において勇者ねぇ。つーかお前、恥ずかしくないの?」
普通に考えれば、「女勇者になる!」なんて発言、一般の人間が聞いたら、かなり頭の弱い子だと思われてしまうだろう。ややオタクの俺でもこの発言には、どうよって感じ。妹じゃなかったら、俺はひいているだろう。確実に。だが、現実に言ってしまっている本人が目の前にいるし、その言っている原因が俺にあるのだから、人事で済ますわけにも行かない。
「恥ずかしくなんかないよ。私は、魔王を倒してこの世界を平和にするんだから」
手を振りかざしてポーズを取る茜はとても楽しそうにしているが、俺からすれば穏やかではない。こいつは、このままにして置くといつか――
「勇者のコスプレしてみたんだけど、どう?」
とか言い出してきそうで怖い。そこまで行くとさすがに俺にも手の施しようがない。キモいオタクを彼氏にしないでくれることを願うだけだ。
「あのなぁ、残念ながらこの世界はそれなりに平和だし、俺たちが関与するような戦争もないし、世界を我が物にしようとしている魔王もいないし、人間を襲うモンスターも存在しない」
まあ、我が家には最強最悪の魔王である母がいるのだが、さすがに茜でも母に手を出すのは無理だろう。母は、成績が悪かったりすればそれはもう恐ろしい。笑顔なのだが、鬼のような迫力で怒り始める。普段はおっとりしていて優しい母だが、怒り出すとまるで阿修羅像のようにコロコロと心の顔が変わる。笑顔で怒られるのが、あれほど怖いとは思いもしなかった。
そんな母のストッパーとしているのが父だ。父は真面目で模範が人間の皮をかぶっているような人なのだが、とりたて厳しくはない。しかし、俺達兄妹はその父のおかげで母の怒りを何度納めてもらったか、足の指を足しても数が足りない。
また話がそれ始めたので、話を戻そう。俺は現実を茜に教えてやったのではあるが、その程度で止まるような妹でないのは俺自身よく分かっていた。
「なに言ってるのお兄ちゃん。この世界には世界を裏から牛耳るなぞの組織があって、私はその組織をつぶすのよ!」
想像力だけはいっちょまえにあるようだ。もはや、妄想の粋で聞いているこっちが恥ずかしい。茜は何かを言うたびにポーズを変えている。さっきは手を斜め上に振りかざして、漫画の船長がよくやっている。「大砲発射!」見たいなポーズだったのだが、今度は腰に手を当てて、勝ち誇ったようなポーズだ。おそらく、モンスターを倒したときの決めポーズか、なにかなのだろう。こんなことを考えている時点で、やはり俺もオタクなのだと再度自覚する。
「組織の総帥なら、倒すのは勇者じゃないだろ?」
「うっ、それは、そうかも」
茜もそのことに気づいたようで、頭を抱えて考え始めた。組織を壊すのは政府とか、ハリウッド映画で見る、特殊部隊の秘密警察のような人間、というイメージが強い。勇者はファンタジーの産物なので、この現実社会には似ても似つかない存在だ。この世界にドラゴンでもいれば別だが、あいにく火を吐くトカゲは存在しない。それ以前に茜は昆虫や爬虫類といった類のものがダメなので、ヤモリも相手にできないだろう。
「じゃ、じゃあ、宇宙人! そう、宇宙人よ。きっと日本政府の重鎮に変なチップを埋め込んで、裏から日本経済を操ってるんだわ。だから消費税が上がるのよ」
「宇宙人退治も、勇者様の仕事じゃない。地球防衛軍の仕事だな。それに、日本経済を操ったぐらいじゃ、世界経済なんか操れないっつーの。それと消費税は今も昔も、アホなやつの無駄遣いによるツケが俺たちに回ってきてるだけ」
これぐらいで、意気消沈してくれれば楽なのだが、残念ながら俺の妹は諦めが悪いようだ。いまだ頭を抱えて、次の「悪」を探し出している。そもそも、勇者になりたいなら、日本政府とか、世界経済から離れない限り不可能だ。これが「女神」になりたいとかだったらまだ、「いろんな人にやさしくすればいい」とか言えて楽だったのだが、残念ながら茜は「勇者」を所望している。突然、茜はなにかひらめいたようで、俺に指を突きつけて言った。
「そう、そうよ。お兄ちゃんに魔王が乗り移ってるのよ! さっきからヘリクツばっかり言って、そうよ。お兄ちゃんにはヘリクツ魔王が乗り移ってるのよ。てなわけで、かくごー」
覚悟と言ってる割に、まるで気合が入っていない口調ではあったが、茜が俺に襲い掛かってきた。茜は所詮、丸腰の少女なわけで、俺からすれば片手で払うことが可能なのだが、あまり邪険に払うと、泣いてしまうかもしれないので、甘んじて組み付かれた。打撃でなくチョークスリーパーを使ってくる茜は、一体どんな勇者になりたいのか疑問でならない。これはきっと、母が父に決めている場面を俺も見たことがあるので、その影響なのだろう。しかし、気を使っているのか茜は首を全然絞めてこない。ただ後ろから覆いかぶさって首に手を回しているだけだ。こういう優しいところは普通に評価してやるのだが、今は、「勇者様ごっこ」なわけで、その中で勇者にはなれないことを思い知らすため、少しだけ乗ってやることにした。
「ククッ、よく気づいたな勇者よ。私がこの男に取り付いていることを!」
声音を変えて、それっぽく言う。茜はハッとして、こちらも声音を変えていった。
「や、やっぱり、お兄ちゃんに乗り移っていたのね。この魔王! 私があなたを成敗します」
少し首の絞まりが強まったが、本当に少しだけだ。傍目からみると、兄妹がじゃれあっているようにしか見えないだろう。今は家の中なので、取っ組み合いをするわけにもいかない。しかし乗ってやった手前、なにかアクションを起こさないといけないと思うが、あんまりドタバタ騒ぐと本物の魔王がやってきてしまう。となれば静かに、攻撃できるのはやはり絞め技か、チョークスリーパーはかわいそうなので、思いついたのは、ベアハッグ、つまりさば折りだった。茜の腕を軽々と外し、振り返ると同時に腰に手を回してそのまま抱きしめた。華奢な茜の体は、少し力を入れただけで折れてしまいそうだったので、なんだか、恋人同士が抱き合うような抱擁になってしまった。目の前に茜の顔がある。まあ、妹なので恥ずかしさも何も俺にはないのだが、茜は少し顔を赤くして目が泳ぎまくっている。思春期の年頃だし、兄とはいえ異性に抱きつかれれば恥ずかしいのかもしれないな。
「勇者よ、顔を真っ赤にして、私に惚れたのか?」
含み笑いをし、なおもベアハッグもとい、抱きしめた状態のままいってやった。茜はさらに、顔をトマトみたいに真っ赤にさせて顔を伏せてしまった。いやいや、否定してくれよ、わが妹よ。しかし、残念ながら俺は、茜に対して家族愛こそあれ、異性としての愛はまったくないので、そんなムフフな展開にはならないのだが。とりあえず、この恥らっている乙女を少しだけからかってやることにした。
「……そうか、勇者よ。実は私もお前のことを愛しているのだ」
「えっ? それ、本当?」
「ああ、本当だとも、さあ、目を閉じて」
俺に言われるがまま、本当に目を瞑ってしまう茜。魔王の言うことをこんな簡単に聞き入れてしまうとは、勇者としては失格だな。というか妹としてどうなんだ。ベアハッグを解くと茜は胸元で手をガッチリ組んで少しあごを上げた。本当にわかりやすい妹だ。誰もキスするなんて一言も言っていないのに、さも当たり前のように構えたわが妹に、兄からのささやかなプレゼントだ。抱き心地抜群のぬいぐるみ、クマのフーさんを手に取り、ゆっくり茜の顔に近づけた。あと五センチの所までくると、茜の耳元でささやいてやることも忘れない。
「……茜」
「……お兄ちゃん」
こいつ、やけに熱っぽい声出すな。不覚にもドキリとしてしまった。しかし、そんなものでは俺の精神は陥落しないのだ。俺はフーさんを茜の口に優しく当てた。
「ん」
またまた色っぽい声を出してくれますよ、この妹は。目を開けられると、フーさんとキスしたことがばれてしまうので、すぐにフーさんをソファに投擲した。ワンバウンドして伸身二回宙返りで着地。茜のほうは、今、ようやく目をあけて自分の唇をさわさわしているので、どうやら気づかれていないみたいだ。相変わらず顔を赤くしたまま俺と視線が交差する。
「キス、しちゃったね」
「……そうだな」
い、いえない。俺には「実はフーさんでした」なんて、こんな嬉しそうな妹を前にそんなことは言えない。こ、これは一大事だ。簡単に種明かしして、それで終わりにしようと思っていたのに、このままでは、いろいろまずい。お、俺の良心に釘を刺されてるようだ。
「私、お母さんに言ってくるね」
「……ああ」
トタトタと部屋を出て行く茜。ん? あいつ今、すさまじいこと言わなかったか?
「おかーさーん、あのねーお兄ちゃんにキスされちゃった」
ジーザス! 魔王が、魔王がやってくる。ギシ、ギシと一段ずつゆっくりと足音が俺に迫っている。その音はまるで断頭台に上る俺の足音のようだ。俺は殺されるのか? 妹にキスをしたということは死罪確定か? いや、正確にはキスをしたわけじゃないし、それを説明すれば……なおさら殺されるな。それどころか父にも見放されるだろう。妹を理不尽に泣かせた場合は死罪。これは、茜と始めて喧嘩した時に決まった我が家の法律。そんなことを考えているうちにも、足音は迫っている。ノックの音が聞こえる、しかし俺が返事をする前に、扉が開かれた。そこに立っていたのは、魔王こと我が母、今は無表情だが、これが魔王になるのか女神になるのか、予想は何一つできない。母の後ろに茜もいる。顔を赤くして、目を伏せているが、俺からしたらその可愛さが憎かった。無表情の母は一歩一歩俺に迫る。全身がすくみあがって、指一本動かすことができない。母の手が俺の肩に置かれた。母の顔が俺に迫る。わからない。怒っているのか怒っていないのか、まったく判断がつかない。まじまじと俺の顔を見た母はため息を吐きながら一歩下がった。
「やっぱり血なのかしらねぇ」
「は?」
母はどうやら魔王にも女神にもならなかった。母のままである。それにしても今よくわからないことを言った気がする。
「血って、なに?」
「いままで、話していなかったけど、私とお父さんは姉弟だったのよ。もちろん血のつながった」
「……まじ?」
そんな事実知りもしない。確かに祖父と祖母が一人しかいないのは、少し気になってはいたが、ただ先に亡くなってしまっただけだと思っていたのに。
「マジもマジ、大マジよ。元々は私がお父さんを襲ったら、あんたを身ごもっちゃって、それで結婚したの。周りは大反対だったけどね。婚姻届は通ってないから、実際は結婚してないけど、そこは愛でカバーよ」
襲ったって、どこまでアグレッシブな姉だったのだろう。ある意味納得できた。父がまれに母に受けているプロレス技は喧嘩ではなく、昔からのじゃれあいだったのだろう。
「そ、それで俺はどうすれば?」
「別に、どうもしなくていいけど、責任は取りなさい。振ろうが振らないが、あなたの判断に私とお父さんは任せるわ。だけど、わかってるわね。茜を理不尽に泣かした場合」
「……死罪」
「そういうこと、あぁ、今日はお赤飯ね」
それだけを言うと母は部屋を出て行った。茜をこの部屋に残して。俺は、もう逃げられないところまで来てしまったようだ。明日から俺はどうすればいいのだろうか、父に相談してみよう。茜は顔を真っ赤にして座っている。そんなに意識されると、こちらも恥ずかしい。
「あ、茜。そんなに緊張するなよ。いつも通りに行こうぜ」
「う、うん。不束者ですが、よろしくお願いします」
正座して慎ましく礼をする茜。全然、いつも通りじゃないし。
あぁ、俺の明日はどっちだぁ!
昔、書いた物が出てきたので少し手直しして投稿します。
何でこんなものを書いたのか、ぜんぜん思い出せません。
とりあえず読んでくださった方ありがとうございます。