その断罪、ひとつずつ確認させていただきますわ
王立学院の卒業夜会。
白と金で飾られた大広間には、卒業を迎えた貴族子弟だけでなく、その家族や王国の重臣たちも招かれていた。
上座には国王ロデリックと王妃マルガレータ。少し離れたところには、第二王子トビアスがいる。
公爵家当主コンラッド・ハルデンと、その妻ザビーネもまた、娘の卒業を見届けるために出席していた。
楽団が一曲を終えた、その時だった。
大広間の扉が開く。
入ってきたのは王太子アーネスト。
その腕には、一人の令嬢が寄り添っていた。
ベルモント子爵令嬢ミレイア。
腕を絡め、肩が触れ合うほど身体を寄せている。
広間のあちこちで、ざわめきが起きた。
当然だった。
アーネストには、八年前から正式な婚約者がいる。
ハルデン公爵令嬢ロザリンデ。
当のロザリンデは、友人たちと話していた。
アーネストは真っ直ぐ彼女の前まで歩いてくる。
「ロザリンデ・ハルデン!」
よく通る声が響き、楽団が止まった。
「君との婚約を、本日をもって破棄する!」
ロザリンデは、まずアーネストを見た。
次に、その腕へ絡みつくミレイアを見る。
そして、もう一度アーネストへ視線を戻した。
「少々よろしいでしょうか」
「何だ」
「わたくしの罪とやらを正す前に、一つ確認させていただきたいのですが」
ロザリンデはミレイアへ視線を移した。
「婚約者であるわたくしの前へ、別の女性を侍らせていらっしゃるのは、どういう了見でしょうか?」
大広間が静まり返った。
「侍らせてなどいない! ミレイアは君から虐げられていた。私は彼女を守っているだけだ!」
「なるほど。保護には腕を絡ませ、身体を寄せ、婚約者を差し置いて卒業夜会へ同伴する必要があるのですね」
「そういう言い方をするな!」
「では、どのような言い方でしたら適切でしょう」
「だから君は駄目なんだ!」
アーネストが声を荒らげた。
「そういう堅いところが駄目なんだ! 何でも理屈、何でも正論! 私が何かすれば注意し、間違いを指摘し、息が詰まる!」
「なるほど」
ロザリンデは少し考えた。
「いつまでも甘やかされ、楽をして、好きに生きていきたいという理解でよろしいでしょうか?」
「なぜそうなる!」
「違うのですか?」
「ミレイアは違う!」
アーネストは隣の令嬢を引き寄せた。
「彼女は私を理解してくれる! 私を立ててくれる!」
「なるほど。意見を申し上げる女ではなく、気分よく支え、立たせる女がお好みになった、と」
「君は――!」
「それに」
ロザリンデはミレイアを一度見た。
「下の方も立たせてもらっているのでしょう?」
音が消えた。
誰かが息を呑む。
ミレイアは耳まで真っ赤になり、アーネストも顔を赤くした。
「なっ……淑女がそのようなことを口にするものではない!」
「婚約者の前で別の女性を侍らせる殿方が、淑女の作法を説かれるのですか?」
「だから侍らせてなど――!」
「では、関係はございませんの?」
「それは……」
「ございませんの?」
アーネストが黙った。
上座の近くで、それまで眺めていたトビアスが兄へ顔を向ける。
「兄貴」
「何だ!」
「やってんの?」
「トビアス!」
国王が低く咎めた。
マルガレータも顔をしかめる。
「そのような言い方をするものではありません」
「だって、そこ曖昧にしたら話進まないだろ」
トビアスは兄を見る。
「で?」
アーネストはしばらく黙っていたが、やがて胸を張った。
「……私たちは愛し合っている」
「答えになってない」
「互いに想いを確かめ、結ばれた!」
「はい、不貞確定」
「トビアス!」
「親父、違うの?」
ロデリックは眉間を揉んだ。
「……違わんな」
「ほら」
「私はミレイアを愛している!」
「愛してるかどうか聞いてねえって」
ロザリンデが小さく頷いた。
「では、話が早くなりましたわ」
「ロザリンデ!」
「続けましょう。わたくしの罪とは?」
アーネストは怒りを押し殺すように息を吐いた。
「君はミレイアを階段から突き落とした!」
「いつでしょう」
「三日前だ!」
「何時頃でしょう」
「昼休みだ!」
「その時間、わたくしは王宮で王妃教育を受けておりました。財務官、宮内官、王妃付き女官長が同席しております。確認なさいます?」
アーネストが止まった。
「……何?」
「聞こえませんでしたか?」
「だ、だが、ミレイアは君に突き落とされたと言っている!」
ロザリンデはミレイアを見る。
「ミレイア様は、わたくしが押すところをご覧になったのですか?」
「後ろからでしたので……でも、あなたしか……」
「その場にわたくししかいなかったのですか?」
「それは……」
「わたくしをご覧になったのですか?」
「……いいえ」
「では、なぜわたくしだと?」
アーネストが割り込む。
「彼女がそう感じたからだ!」
「感じたことと事実は別ですわ」
「なら教科書はどうだ!」
「教科書?」
「ミレイアの教科書を破いただろう!」
「現物は?」
「捨てた!」
「なぜ証拠品を捨てたのですか?」
「ミレイアが見るたび悲しむからだ!」
「どなたか、わたくしが破っているところをご覧になりました?」
沈黙。
「では、なぜわたくしだと?」
「ミレイアが――」
「先ほどと同じですわね」
ロザリンデは淡々と言った。
「次をどうぞ」
「茶会から彼女を排除した!」
「招待しておりません」
「それを排除と言う!」
「招待していない相手を仲間外れとは申しません。殿下は、ご自身の私的な集まりへ希望者をすべて招待なさるのですか?」
「それとこれは違う!」
「どこがでしょう?」
「君はミレイアに、私へ近づくなとも言った!」
「はい」
「認めたな!」
「認めます」
ロザリンデはあっさり頷いた。
「婚約者のいる男性へ連日私的に接触し、二人きりになる機会を求めていた未婚女性へ、距離を置くよう申し上げました」
「それが虐めだ!」
「では、婚約者のある殿方と親密になろうとなさる女性へ、婚約者は何も申してはならないのですか?」
誰も答えなかった。
「そもそも、これらは学院内で起きたことですわね?」
「そうだ」
「学院側の調査記録は?」
「……」
「教師への報告は?」
「……」
「ミレイア様が被害を訴えた時点で、わたくしへの事情聴取は?」
「……」
ロザリンデは首を傾げた。
「なぜございませんの?」
「私が調べた!」
「どのように?」
「ミレイアから話を聞いた! 彼女が泣いているところを見た者もいる!」
「何があったかを見たのではなく、泣いているところを見たのですね?」
「……」
「殿下。一人の方から発した話を十人が聞いても、証言が十個に増えるわけではございません」
トビアスが小さく吹き出した。
「トビアス!」
「いや、ごめん」
兄を見て頭を掻く。
「俺、兄貴からずっと聞いてたんだよ。ロザリンデ嬢は冷たい、厳しい、自分を理解してくれない、何でも口を出すって」
「左様でございましたか」
「だから、どんな恐ろしい婚約者なんだと思ってた」
そして兄へ戻る。
「仕事しろって言われてただけじゃん」
「違う!」
「何が?」
「彼女は私へ王太子としての責務を――」
「王太子だからだろ」
トビアスが心底不思議そうに眉を寄せた。
「当たり前じゃない。王太子なんだから」
アーネストが止まる。
「ほんとに甘ったれのバカ兄貴だったんだなぁ」
「トビアス!」
今度はマルガレータが強く呼んだ。
「お兄様に向かって何という――」
「母上、今日のこれ見てまだ庇うの?」
マルガレータが口を閉ざす。
ロザリンデはアーネストへ向き直った。
「ほかに罪状はございますか?」
「君には反省がない!」
「まだ反省すべき罪が一つも確定しておりませんので」
「ミレイアは傷ついている!」
「ミレイア様が傷ついていることと、わたくしが加害者であることには、どのような因果関係がございます?」
「彼女は立場が弱いんだぞ!」
「でしたら、なおさら正式に調査なさるべきでしたわ」
ロザリンデはミレイアを見る。
「訴えが事実なら、彼女は被害者です。大勢の前へ連れ出して見世物にする必要はございません」
ミレイアが俯いた。
「事実でないなら、殿下は彼女を虚偽の告発をした者として、この場へ晒しておられることになります」
アーネストが固まる。
「どちらにせよ、殿下が彼女を守っておられるようには、わたくしには見えません」
しばらく誰も口を開かなかった。
やがてアーネストが叫ぶ。
「もういい! とにかく私は君を愛していない! 私はミレイアを愛している!」
「……でしたら」
ロザリンデは初めて、ほんの少し呆れた顔をした。
「最初からそうおっしゃればよろしかったのでは?」
「何?」
「わたくしは婚約解消そのものを拒んでおりません」
「ならば!」
「余計な罪状を付けず、王家とハルデン公爵家へ、そうお話しくださいませ」
ロザリンデは二人を見る。
「要するに、婚約中に別の女性と関係を持ち、新しい女性へ移りたい。しかし、ご自身が不貞を働いた側になるのは都合が悪い。ですから、わたくしを悪人にして、ご自身の行為を正当化しようとなさった」
一拍置く。
「ということでよろしいですね?」
アーネストは答えなかった。
トビアスが口を開く。
「まあ、そういうことだよな」
「違う!」
「じゃあ何が違うか説明してよ」
「私は……」
続かなかった。
ロデリックが長く息を吐いた。
「……しっかりした者を付ければ、少しはマシになるかと思ったが。やはり無理だったか」
「親父?」
ロザリンデの視線が、ゆっくり王へ向いた。
「陛下」
「……何だ」
「なぜ、わたくしが殿下を育てる前提だったのでしょう?」
王が黙った。
「わたくしは王太子殿下の婚約者として教育を受けました。教育係として、公爵家から差し出された覚えはございません」
「……その通りだ」
「親父、それは親父も悪いわ」
「分かっている」
「今分かった顔してるけど」
「お前は少し黙れ」
「はいはい」
その時、それまで娘へ任せて口を挟まなかったコンラッドが静かに言った。
「陛下」
「……ハルデン公爵」
「娘との話が済んだ後、王家と我が家との話は別にさせていただきます」
声を荒らげてはいない。
だが、大広間にいた貴族たちの空気が変わった。
「八年です。王家との婚姻を前提に、我が家も八年を費やしております」
「承知している」
「いえ」
コンラッドは首を振った。
「どうやら、十分には承知されていなかったようです」
ロデリックは返さなかった。
ザビーネは夫の隣で、ただ娘を見ていた。
ロザリンデは少し考えてから、王へ尋ねる。
「陛下。ご兄弟で、教育に差を付けられたのですか?」
「いや」
「では、資質ですの?」
トビアスが吹き出した。
「ロザリンデ嬢、それ本人の前で聞く?」
「原因を確認しております」
「好きだわ、その確認の仕方」
アーネストが弟を睨む。
ロデリックは疲れたように答えた。
「むしろアーネストの方へ多くの教師を付けた。王太子として早くから教育を始め、補佐も多く置いた」
「多く付けた、と」
ロザリンデが首を傾げる。
「それは手厚い教育ではなく、過保護だったのではございません?」
「……過保護?」
「失敗する前に教師が止める。遅れれば補佐が整える。間違えれば誰かが直す。殿下ご自身が困る前に、周囲が困らないようにしていたのでは?」
「それは……」
その時、マルガレータが小さく口を開いた。
「ですが、アーネストは幼い頃から繊細な子でしたから」
全員が王妃を見る。
「王太子になる子ですもの。あまり強く叱って、自信を失わせてはいけないと思って……教師たちにも、厳しくしすぎないようお願いしておりました」
ロザリンデの目が少し細くなる。
「王妃陛下。殿下が課題を終えられなかった場合は?」
「体調を崩してはいけませんから、期限を延ばすことも……」
「教師と揉めた場合は?」
「教師の教え方にも問題がなかったか、確認を」
トビアスが口を挟む。
「教師、辞めさせられたことあるよな」
マルガレータが黙る。
「兄貴が『あの教師は嫌だ』って言った次の月にはいなくなってた」
「……あの方はアーネストに厳しすぎました」
「兄貴が他家の子息と揉めた時は?」
「相手の家へ事情を確認しました」
「王妃が?」
「ええ」
トビアスが頭を抱えた。
「母上、それ相手からしたら確認じゃなくて圧だよ」
「そのようなつもりでは――」
「王妃に『うちの王太子に何したの?』って聞かれて、普通に答えられる家がいくつあるんだよ」
マルガレータが言葉を失う。
ロザリンデは王を見る。
「陛下は、足りぬものを増やした」
次に王妃を見る。
「王妃陛下は、躓くものを取り除いた」
そしてアーネストへ。
「結果、殿下は努力をしてもしなくても、最後には周囲が道を平らにしてくださると学ばれたのではございません?」
トビアスが「ああ」と声を漏らした。
「俺、逆だったわ」
「何がだ」
「兄貴優先だったから、俺は結構『それくらい自分でやりなさい』だった」
マルガレータが言う。
「あなたは昔から丈夫でしたから」
トビアスは母を見る。
「ほら。それだよ、母上。兄貴は繊細だから助ける。俺は大丈夫そうだから自分でやらせる。そりゃ俺、自分でやるようになるわ」
ロザリンデが頷いた。
「ご兄弟の資質だけではなさそうですわね」
マルガレータはアーネストを見る。
「ですが……わたくしは、この子のためを思って……」
「存じております」
ロザリンデは穏やかに答えた。
「そして、わたくしにも何度もおっしゃいましたわね。ロザリンデさんはしっかりしているから、アーネストを支えてあげて、と」
王妃が顔を上げる。
「……ええ」
「わたくしがしっかりしていることは、殿下の分まで責任を負えるという意味ではございません」
「そんなつもりでは……」
ロザリンデはほんの少し目を伏せた。
「本日、何度目でしょうね。そのお言葉を伺うのは」
マルガレータが息を呑む。
「優しく、柔らかく接するだけであれば、わたくしには造作もないことでしたわ」
「でしたら、なぜ――」
マルガレータが思わず尋ねる。
「ですが」
ロザリンデは王妃からアーネストへ視線を移した。
「わたくしたちの下には、支えてくださっている民がおります。殿下のお気持ちを害さぬよう、間違いを間違いと言わず、できていなくともお褒めし、嫌がる仕事を代わりに片づける。それくらい、わたくしにもできます」
静かな声だった。
「そうすれば、殿下はきっと、わたくしを優しい婚約者だと思ってくださったのでしょう」
アーネストは何も言えない。
ロザリンデは一拍置いた。
「ですが、その優しさの代金を払うのは誰ですの?」
広間が静まる。
「殿下ではございません。わたくしでもございません。判断が遅れれば、その下で暮らす民が困ります。誤った決定を通せば、生活を失う民が出ます」
そして、王妃を見る。
「王太子が学ばぬまま王となれば、その未熟さの代金を国中の民が支払うことになります」
マルガレータの表情が強張った。
「王妃陛下は、殿下がお傷つきにならぬよう守ってこられたのでしょう」
「……ええ」
「ですが、そのために殿下が負うべき痛みを、ほかの誰かへ回してはいらっしゃいませんでしたか?」
マルガレータは俯いた。
「わたくしが、この子を……」
「王妃陛下だけの責任ではございません」
ロザリンデは即座に言った。
「殿下ご自身が、選び続けた結果でもございます」
アーネストを見る。
「ですが、殿下がご自身で立つ機会を最も多く取り除いた方がどなたかと問われれば――」
再び王妃を見る。
「王妃陛下なのではないかと存じます」
マルガレータは、しばらく何も言わなかった。
やがて、小さく頷いた。
「……そう、なのでしょうね」
トビアスが兄を見る。
「兄貴さ」
「何だ」
「ロザリンデ嬢が兄貴に優しくなかったんじゃなくて、兄貴だけに優しくするわけにいかなかったんだろ」
アーネストは黙った。
「だいたい」
ロザリンデが続ける。
「貴族など、自ら何かを生み出して食べている存在ではございません」
何人かの貴族が息を呑む。
「畑を耕しているわけでも、布を織っているわけでも、鉄を打っているわけでもございません。民の生産に支えられ、その一部を税として預かり、再分配と統治を任されているだけですわ」
王が静かに彼女を見る。
「税を受け取ることが特権なのではございません。民がそれぞれではできないことを任され、そのための費用を預かっているだけです」
ロザリンデは指を折るように続けた。
「治安を整える。道を造る。災害に備える。争いを裁く。飢えた土地へ、余裕のある土地から回す」
そしてアーネストを見る。
「その判断をするために、わたくしたちは民から支えられております」
わずかに声を落とした。
「それを、自分が偉いから自由に使える金、自分が偉いから好きにしてよい立場だと思えば――ただの盗人と変わりませんわ」
トビアスが頷く。
「要するに俺ら、でかい財布の管理人なんだよな」
「概ね、その理解でよろしいかと」
「勝手に使ったら横領。仕事しなかったら職務放棄」
「そうなりますわね」
「兄貴、偉いどころか管理人だったわ」
「トビアス!」
「違わないだろ?」
ロデリックが口元を押さえた。
「……言い方はともかくな」
トビアスがロザリンデを見る。
「ほんと、王家には勿体ない令嬢を無駄遣いしただけじゃん」
王は目を閉じた。
「……返す言葉もない」
「王家だけのお話でもございませんわ」
ロザリンデが言う。
その視線が両親へ向く。
コンラッドとザビーネ。
「お父様。お母様」
「何だ、ロザリンデ」
「わたくしは、王太子妃となるために育てられたのでしょうか」
コンラッドは少しだけ考えた。
「違う」
ザビーネも頷く。
「あなたが何を選んでも、その選択に耐えられるだけのものを持たせようとはしたわ。王太子妃になるためだけではない」
ロザリンデは僅かに笑った。
「ありがとうございます」
ザビーネも笑う。
「だから、もうあなたが決めなさい」
それ以上は言わなかった。
トビアスが二人を見てから、ぼそりと言う。
「……親って、そういうのでいいんだな」
ロデリックとマルガレータが同時に息子を見る。
「いや、こっち見なくていいから」
「トビアス」
「刺さったなら各自反省して」
そしてトビアスはロザリンデへ向き直った。
「だからさ」
「はい」
「まだこの国を見捨てる気がないなら、自分のところに来ない?」
広間がまたざわめいた。
アーネストが顔を上げる。
「トビアス!」
「兄貴には聞いてない」
ロザリンデは少し考えた。
「国から下りたお話でしたら、承知いたしました」
「うん。仕事の話」
「でしたら」
トビアスは少し笑う。
「あと、ついでに俺も見ていってよ」
「殿下を?」
「俺はあなたのこと、気に入ったからさ」
ロザリンデはしばらく彼を見た。
「第二王子殿下」
「うん?」
「公爵家を、あまりにも皆様軽く見ておられませんか?」
トビアスの笑みが消えた。
「わたくしは、王太子殿下をまともにするために公爵家から差し出された人材ではございません。王太子殿下で駄目だったから、次は第二王子殿下へ、というものでもございません」
「あ」
トビアスが小さく声を漏らす。
「俺も同じことやるところだった」
「お誘いそのものを不快に思っているのではございません」
「うん」
「ですが、わたくしは王家の持ち物ではございません」
トビアスはすぐに頭を下げた。
「悪かった」
そして顔を上げる。
「じゃあ、言い直す」
「はい」
「あなたがこの国で何かしたいと思った時に、俺にも一緒にやらせてもらえる?」
ロザリンデの表情が僅かに和らぐ。
「それでしたら、考えておきますわ」
「よし」
「返事はまだしておりません」
「分かってる」
アーネストが声を上げた。
「勝手に話を進めるな! ロザリンデは私の――」
「兄貴」
トビアスが振り返る。
「今、自分で婚約破棄したじゃん」
「それは……」
「今日一番面白いこと言ったぞ」
国王が額を押さえた。
「で、親父」
「何だ」
「どうすんだ、この兄貴?」
「言い方を――」
「今日のこれ見て、まだ王太子続けさせんの?」
王は長男を見た。
しばらくして。
「……無理だろうな」
「だよな」
「王太子位からは外す」
「父上!」
「当然だ」
ロデリックの声は重かった。
「不貞を働き、その正当化のために公爵令嬢へ虚偽の罪を被せ、公衆の面前で断罪しようとした者へ、国を任せることはできん」
トビアスが頷く。
「で、金は?」
「金?」
「慰謝料とか。今までの分とか」
「今までの分とは何だ!」
「飼育料」
「飼育料と言うな!」
「八年だろ?」
ロザリンデが淡々と訂正した。
「無料で世話をしていたわけではございません。将来、王太子妃となる婚約契約の一環として務めておりました」
「ああ、そっか」
トビアスが兄を見る。
「じゃあ兄貴、八年分の契約ぶっ壊した上に、不貞と虚偽断罪まで足したのか」
「……」
「高くつくぞ」
国王が言った。
「まずアーネストの個人資産から、すべて支払わせる」
「父上!」
「お前がしたことだ」
「足りなければ?」
トビアスが尋ねる。
「私が出す」
「国庫から?」
「私個人の資産からだ」
ロデリックはロザリンデを見る。
「息子をこのように育て、なお、お前を付けておけばどうにかなると考えたのは私だ。そこについては、私にも責任がある」
ロザリンデは頷く。
「それでしたら承知いたしました」
マルガレータもゆっくり口を開いた。
「わたくしの私財からも出します」
ロザリンデが見る。
「この子が自分で負うべきものを、わたくしが肩代わりするという意味ではありません」
王妃は苦く笑った。
「そこを間違え続けてきたことくらいは、もう分かりました。わたくし自身が、あなたへ負うべき分として、です」
ロザリンデは僅かに頭を下げた。
「承りました」
トビアスが兄を見る。
「よかったな兄貴。親父と母上が、育て方間違えました代は自腹で出してくれるって」
「言い方!」
「じゃあ兄貴、自分の分は全部自分で払えよ」
「……」
「なんで自分の不貞の始末まで、国の財布でできると思ってんだ」
それからトビアスはミレイアを見る。
「で、そこの子爵令嬢ちゃん」
ミレイアが肩を震わせた。
「は、はい」
「面倒見る気あるか? この兄貴」
「……え?」
「好きなんだろ?」
「もちろんです!」
「じゃあよかった」
トビアスはアーネストを指した。
「それ、もう好きにしていいわ」
「それとは何だ!」
「兄貴」
「人を物のように言うな!」
「ああ、そこは悪かった。兄貴でも人だった」
「トビアス!」
「でもさ」
トビアスはミレイアへ戻る。
「今までロザリンデ嬢がやってたこと、この人はもうやらないぞ」
ロザリンデが即答する。
「当然です」
「仕事さぼったら声かけて、予定忘れたら整えて、貴族同士で揉めたら調整して、失言したら後から頭下げて。そういうの全部込みで兄貴だから」
ミレイアの顔から、少しずつ色が消えていく。
「……」
「別に、立つもん立ってりゃそれでいいっていうなら、持って帰ってもいいけど」
「殿下!」
「親父に言えば飼育料くらい出してくれると思うぞ」
王が即座に言った。
「出さん」
「だってさ」
ミレイアはアーネストを見る。
先ほどまでとは、少し違う目だった。
「……私、そのような……」
トビアスの目が細くなる。
「することしといて、今さら『要りません』はないよな?」
「……っ」
「俺、バカ兄貴だけ悪いなんて言ってねーから」
「ですが、殿下が私を愛していると……王太子殿下のお言葉でしたし……」
「それでも自分で望んだんだろ?」
ミレイアが黙る。
「本当に断れなかったなら、それは別の話だ」
トビアスの声から軽さが消えた。
「兄貴が身分や権力使って迫ったなら、ちゃんと調べる。兄貴の責任はもっと重くなる」
「……」
「でも、自分でも望んで関係持ったなら」
ミレイアを見る。
「誘われたからとか、王太子の言うことだからとかじゃなくて、それでも股開いたお前の責任だからな?」
大広間が凍った。
マルガレータが目を閉じる。
「トビアス……」
「言い方だけは悪かった。でも中身は撤回しない」
アーネストが前へ出る。
「彼女を責めるな! 私が彼女を――」
「格好つけんなよ兄貴」
「何だと!」
「兄貴が悪いからって、この子が自分で何も決められない人形になるわけじゃない」
トビアスは広間を見回した。
「ベルモント子爵」
壁際にいた男が青ざめた顔で進み出る。
「……はい」
「この女の父?」
「左様でございます」
「どーすんだ、これ」
グレゴリー・ベルモント子爵は娘を見る。
アーネストを見る。
そしてロザリンデへ深く頭を下げた。
「娘を連れ帰ります。事情を改めて確認し、娘本人からハルデン公爵令嬢へ正式な謝罪を」
「お父様!」
「黙りなさい」
子爵の声は低かった。
「王太子殿下に求められたから。愛していると言われたから。それで婚約者のいる男性と関係を持ってよいと、私はお前を育てた覚えはない」
ミレイアが俯く。
「娘本人の資産から、負うべき賠償は負わせます。不足については、父として私が負います」
トビアスが王を見る。
「親父と同じだな」
「余計なことを言うな」
「こっちの親父は話早いけど」
「本当に余計だ」
話が処分へ進みかけたところで、トビアスが眉を寄せた。
「……いや、待て」
「何だ」
「親父も子爵も、金の話先にしてるけどさ」
ロザリンデを見る。
「その前じゃない?」
「何がだ」
「兄貴」
トビアスはアーネストを見る。
「王族とか王太子とか、不貞とか賠償とか、その前に」
ロザリンデを示す。
「人として、この人に謝ってからじゃない?」
アーネストが固まる。
「……謝れば、許してもらえるのか」
トビアスの顔が本気で呆れた。
「許すわけないじゃん?」
「……」
「やっぱバカなんだな、兄貴」
「では何のために謝る!」
「そうじゃねえよ」
トビアスの声が低くなる。
「まず、相手の前に立てって言ってんの」
アーネストが黙る。
「婚約者いるのに別の女と寝ました。それを正当化したくて、この人を悪者にしようとしました。大勢の前で、確かめてもいない罪を並べて辱めようとしました」
トビアスは兄から視線を外さない。
「それを自分の口で認めろよ」
「……」
「許してもらうためじゃない。金払って終わりにするためでもない」
そしてミレイアにも目を向ける。
「そっちもな」
「……はい」
「許すかどうかはロザリンデ嬢が決める。お前らは、許されなくても相手の前に立って頭下げる側だろ」
長い沈黙のあと。
アーネストがロザリンデの前へ立った。
ミレイアも、その隣へ並ぶ。
「……私は、君との婚約中にミレイアと関係を持った。そして、それを正当化するために、君が悪いと思い込もうとした。確かめもしない話を信じ、人前で君を断罪しようとした」
頭を下げる。
「……すまなかった」
ミレイアも頭を下げた。
「私も……婚約者のいらっしゃる方だと知りながら、殿下と関係を持ちました。あなたが邪魔だと思ったこともあります。申し訳ありませんでした」
ロザリンデは二人をしばらく見た。
「謝罪は拝受いたします」
それだけだった。
許すとは言わなかった。
誰も、それを求めなかった。
しばらくして、王が口を開いた。
「アーネスト」
「……はい」
「王太子位は剥奪する」
「はい」
「だが、何もかも奪って放り出せば、お前はまた誰かに寄りかかるだけだろう」
王はしばらく考えた。
「自立、か……」
「父上?」
「王家直轄領の街を一つ、お前に預ける」
広間がざわめいた。
「街を?」
「ミレイア嬢と二人で治めてみろ」
ベルモント子爵も驚いて顔を上げる。
「優秀な代官を置く。監察官も付ける」
王は念を押した。
「お前の更生のために民を犠牲にする気はない」
ロザリンデが頷く。
「それでしたら」
「代官にすべて投げて、毎日好きに暮らしてもよい」
アーネストが目を瞬く。
「……よいのですか」
「ああ。あるいは、代官の仕事を見て学んでもよい。帳簿を読み、会議に出て、自分で判断するようになってもよい」
王はミレイアを見る。
「お前もだ。王子の隣で暮らすだけでもよい。何か自分の仕事を見つけてもよい」
そして、静かに息を吐いた。
「私はもう決めん。誰かしっかりした人間を付け、お前たちを正しい方へ引っ張らせることもしない」
ロザリンデを見る。
「それをして、失敗したからな」
トビアスが口を挟む。
「失敗っていうか、ロザリンデ嬢を無駄遣いしただけだけど」
王は苦笑すらしなかった。
「……そうだな」
「ただし」
王はアーネストを見る。
「勘違いするな」
「……何をでしょう」
「他人の財布も、他人の能力も、お前のものではない。代官に任せて街が栄えたなら、それは代官の功績だ。ミレイア嬢が働いて結果を出したなら、それは彼女の功績だ」
さらに続ける。
「街の運営費は公金であって、お前の金ではない。暮らしに必要な俸給は出す。それ以上を望むなら、自分で考えろ」
トビアスが頷いた。
「要するにさ、兄貴。楽して生きるのは別にいいんだよ」
「……」
「ただ、人の金で楽して、人の仕事で偉そうにするのはもう無しな」
トビアスの顔が少し真面目になる。
「あと、これ、相当甘いからな?」
「王太子を外されるのにか?」
「街で、国で暮らしてる民は、そんな機会すらないんだからな」
アーネストが黙る。
「商売失敗したら店なくすやつもいる。仕事なくしたら飯に困るやつもいる。家族抱えてても、優秀な代官なんか付けてもらえない」
トビアスは兄を見る。
「兄貴らには住むところがある。飯食える俸給がある。失敗しても街を壊さないよう監察まで付く。その上で、学ぶか遊ぶか、自分で決めていいって言われてんだ」
肩をすくめる。
「十分すぎるだろ」
ロザリンデが静かに口を開いた。
「権力に比して、役割も責任もございます。しかし、それは王族だけが責任を背負っているという意味ではございません」
全員の視線が彼女へ戻る。
「街で暮らす民にも、それぞれ役割と責任がございます。畑を耕す者が果たせなければ、食べるものがなくなる。職人が仕事を誤れば、それを使う者が傷つく。親が子を養えなければ、子が飢えることもございましょう」
ロザリンデはアーネストを見る。
「民は、責任を果たせなければ死ぬことすらあります」
誰も口を挟まなかった。
「王族だけが特別に重い責任を背負っているのではございません。違うのは、持っている権限の大きさです」
一人の民が誤れば、一人や一家が困ることがある。
領主が誤れば、街が困る。
「王が誤れば」
ロザリンデは国王を見る。
「多数の民が死ぬことすらございます」
ロデリックは静かに頷いた。
「ですから、権限が大きい者ほど偉いのではございません」
ロザリンデは言葉を切った。
「失敗した時に、より多くの他人を巻き込む立場にいるだけです」
トビアスが兄を見る。
「結局そこなんだよなぁ」
「……何だ」
「偉いから好きにしていいと思ってたのが、バカ兄貴たる所以」
「……」
「逆だろ」
トビアスは肩をすくめる。
「偉いから、好きにできないんだよ。持ってる権限がでかいほど、勝手した時に巻き込む人数が増えるんだから」
誰も笑わなかった。
ロザリンデは大広間を見渡す。
王。
王妃。
アーネスト。
ミレイア。
トビアス。
ベルモント子爵。
両親。
そして。
壁際に並び、ここまでの断罪劇を見物していた貴族たち。
「……ただ」
ロザリンデは静かに言った。
「今さら、身分差がどうこうという話をしたいのではございません」
王族だから。
公爵家だから。
子爵令嬢だから。
民だから。
「そのような話ではなく」
ロザリンデは一度、言葉を切る。
「人を、何だと思っているのか」
大広間から音が消えた。
「わたくしを王太子殿下の世話役だと思った方。恋の邪魔をする障害だと思った方。使える人材だと思った方」
トビアスが僅かに目を伏せる。
「かわいい息子を支えてくれる、しっかりした娘だと思った方」
マルガレータの肩が僅かに揺れた。
「そして」
ロザリンデは壁際の貴族たちを見る。
「一人の人間が、大勢の前で人生を壊されようとしているところを、面白い見世物だと思って眺めておられた方」
いくつもの視線が下がった。
「わたくしに罪があったかどうかと、皆様がこれを見物していたことは、別の話でございます」
ロザリンデはゆっくりと広間を見渡す。
「誰かが辱められている時、それがご自身ではないというだけで眺めていられるのでしたら――」
静かに。
「次に中央へ立つのがご自身でも、同じように皆様は眺めてくださるのでしょうね」
そして最後に。
ロザリンデは、ほんの僅かに視線を上げた。
斜め上へ。
そこには誰もいない。
すぐに視線を戻した。
「人を、何だと思っているのか」
もう一度。
「その問いを、この場の皆様に残したく存じます」
静寂。
長い沈黙のあと。
トビアスが息を吐いた。
「……重いなぁ」
ロザリンデが彼を見る。
「第二王子殿下も含まれておりますので」
「分かってるよ」
トビアスは苦笑した。
「だからさ」
「はい」
「とりあえず、一段落したら飯食お。ロザリンデ嬢」
「……はい?」
「今日はもう十分だろ」
指を折る。
「兄貴に刺して、子爵令嬢ちゃんに刺して、親父に刺して、母上に刺して、貴族全員に刺して、ついでに俺にも刺した」
「刺したつもりはございませんが」
「刺さってるから」
その時、ザビーネが娘へ声を掛けた。
「ロザリンデ」
「はい、お母様」
「あなた、夕食をまだほとんど召し上がっていないでしょう」
ロザリンデが瞬きをする。
「……そういえば」
「まず食べなさい」
「はい」
トビアスがぱっとザビーネを見る。
「ほら」
「何がですの?」
「母親も飯って言ってる」
ザビーネが笑った。
「第二王子殿下も、何も召し上がっていらっしゃらないのでしょう?」
「腹減ってます」
「でしたらご一緒にどうぞ」
「ありがとうございます」
トビアスはロザリンデを見る。
「何食う?」
「何を召し上がりますの?」
二人の声が重なった。
トビアスが笑う。
「肉」
「即答ですのね」
「腹減ってるし」
少し考えて。
ロザリンデも言った。
「わたくしもです」
「じゃ、決まり」
トビアスは歩き出しかけて、ふと振り返った。
「あ、兄貴」
「……何だ」
「やるのも大事かもしれんけど、飯は食えな」
「…………」
「そこの子爵令嬢ちゃんも」
ミレイアが顔を上げる。
「色恋だけじゃ腹膨れんから」
ロザリンデが小さく息を吐いた。
「ようやく、まともなお話になりましたわね」
「だろ?」
「最後だけですけれど」
「手厳しいなぁ」
「では、参りましょうか」
「ああ」
二人は並んで歩き出した。
国の話も。
王家の話も。
これから互いをどう見るのかも。
今は、まだしない。
まずは食べる。
誰かの婚約者でもなく。
誰かを育てる役でもなく。
王家にとって便利な人材でもなく。
ただ一人の人間として。
そこから始めればいい。
今回は、
「断罪ものを読んでいて疑問に思うことを、その場で全部聞いたらどうなるんだろう」
から始まりました。
ひとつずつ確認していたら、王太子だけでは済まず、父も母も相手の令嬢も見物人も、ついでに第二王子まで刺さりました。
まあでも。
色々考えるのも大事ですが、飯は食わないといけません。
お読みいただき、ありがとうございました。




