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銀の伝承  作者: 銀の伝承
第五章「星砕の戦編」
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第90話「綻びの兆し」

場所は、イシュカンダル帝国王都。

暗く巨大な城の中枢部。


天井の高い謁見の間には、冷たい空気が満ちていた。


その手前、光なき床に跪く魔術師が、一通の報告書を捧げていた。


「…ザラハート王国、制圧失敗。アッシュナイトの敗北―」

掠れた声が途切れた。


そこに座るのは、長い髪に、冷徹な瞳を持つ魔女メレディナ。

彼女は無言で報告書を手に取り、ゆっくりと目を通した。


その指先は微かに震えている。だが、怒号を上げることはなかった。

静かに―それゆえに恐ろしいほどに、メレディナは立ち上がる。


「…アッシュナイトが敗れることは想定内だが、ここまで早いとは」

掠れるような低い声。しかし、その言葉の奥には、抑えがたい怒りが宿っていた。


ブリシンガー。

忌まわしき名前。幾度となく彼女たちの計画を狂わせる異物。


メレディナの周囲の空気が、かすかに震えた。

魔力の奔流。たった一人の怒りが、空間そのものを歪ませる。

その時―背後から、ゆっくりと歩み寄る気配があった。


「落ち着け、メレディナ」

鋭く、冷たい声。長身の男。三柱の一人、カイム。


鋼のような肉体に、仮面から覗く刃のような双眸。

彼は淡々と、だが僅かに笑みを滲ませながら言った。

「焦ることはない。我らの準備は、すでに最終段階に入っている」

「そして、壊滅状態のザラハート王国にいるブリシンガーもすぐには動けまい」


さらに、その隣にもう一つの巨大な影が現れる。

ザイオス。


彼は重々しく言葉を継ぐ。

「…ガウレムの復活は、間もなく成る。そして、アイゼンヘイムの肉体も、ほぼ完全な再生を遂げた」


その言葉に、メレディナの瞳がわずかに揺れた。

ガウレム―かつて世界を震撼させた破壊王。


そして、アイゼンヘイム―数千年前、英雄ブリシンガーによって滅ぼされた、地獄の騎士。


両者を融合させた時、この世界に抗える者など存在しない。メレディナは静かに目を閉じ、深く呼吸を整えた。


「…そうね。焦る必要はない。こちらの切り札は、今なお鋭く、強く、成長している」


カイムが薄く笑う。

「たとえ、今はあの男に邪魔されようとも。次に動く時―世界は、抗う間もなく膝を折るだろう」


ザイオスもまた、低くうなずく。

「…我らは、この世界の頂に立つ。その時、すべての種族は、我らに膝を屈するしかない」

その声には、誇り高きドラゴン族の哀しき執念が滲んでいた。


メレディナは静かに、だが確かな決意を瞳に宿した。

「ブリシンガー…お前がどれほど足掻こうと、運命の奔流は止められない」


月光も届かぬ暗黒の城に、彼らの低い笑い声だけが、静かに響き渡った。

そして、世界は、知らぬ間に、滅びの鼓動へと導かれつつあった。


イシュカンダル王都の片隅、軍政区の一角に、小さな宿舎があった。

帝国に仕える者たちの宿泊所。権力を持たぬ下級将校や、古株の兵士たちが静かに身を置く場所だ。


その一室、男は窓辺に座り、外の闇を静かに見つめていた。


ザルド。


かつて、カイムと共に戦場を駆けた男。

今の彼は、どこか重い影を背負った表情をしていた。


宿舎の廊下を、兵士たちが忙しなく行き交う。

ザルドはそのざわめきの中に、ふと奇妙な言葉を耳にした。


「…いよいよ、アイゼンヘイム様が…」

「禁忌の復活だってさ…俺たちに知らされてないけどな…」


兵士たちの小声。それは、明らかに「聞かれてはいけない話」だった。

思念体ガウレムが発した強大過ぎる魔力、そこから三柱と、ザイオスの計画が広まった。


中にはその計画に賛同する忠義のある者、人智を越えた力を扱おうとする恐怖で反対する者もいた。


ザルドは眉をひそめた。

アイゼンヘイム―

その名は、彼にとって忘れようにも忘れられないものだった。


かつて世界を震撼させた、地獄の騎士。

英雄ブリシンガーによって討たれたはずの、恐るべき存在。


(…復活するだと?)

胸の奥に、重く冷たいものが沈んだ。

ザルドは目を閉じ、深く息を吐いた。


イシュカンダル帝国。

その内側には、不気味な狂気が渦巻いている。


強さを求めすぎた結果、死者すら蘇らせ、世界を支配しようとする。

そんな道を歩み始めた帝国に、ザルドの心は、静かな拒絶を覚えていた。


だが―

(俺には、何もできない…)


帝国の監視の目は厳しかった。

密告一つで命が絶たれる世界。

迂闊な行動は許されない。自由な意思すら抑え込まれる場所。


ザルドは拳を握りしめた。

(…カイム…お前は、今どこで何をしている?)


心の中で、かつての友に問いかけた。

そして決意する。


グロイとアッシュナイトが討たれたことは、最早王国中に知れ渡っている。

それに対して、三柱の実力と指導力を問う声も少なくない。


今はまだ、動く時ではない。

まだ動けない

まだ確証がない

だが、必ず機会は訪れる。

アイゼンヘイムが復活するなど許されてはならない。


もしその時が来たなら―たとえ己が砕けようとも、ザルドは、己の正義を貫く覚悟だった。

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