第75話「刻まれた代償」
静けさが流れる療養室の扉が、再びノックされた。
「失礼する」
再びヤシーンが入ってきた。
だが、その背後には、包帯を巻いた一人の男がいた。
端正な顔立ち、だが鋭く研ぎ澄まされた眼差し。灰色の肌と頭から伸びる角。
その背に漂う気配は、異質だった。
魔族。
ブリシンガーの目が、即座に鋭く細まる。
一瞬でその気配を感知し、彼は反射的に腰の剣へと手を伸ばしかけた。
その空気が、室内を緊張で満たす。
だがブリシンガーは、次の瞬間には手を止めた。
その男の立ち姿に、敵意がなかったからだ。
むしろ、そこにあるのは、疲労と戦火をくぐり抜けた者特有の静けさだった。
彼は目だけで、ブリシンガーを見つめた。その瞳には、まっすぐなものが宿っていた。
ヤシーンが言う。
「誤解するのも無理はないです。彼はカリス。魔族でありながら、帝国に背を向け、この王国と手を取り共に戦った者です」
ブリシンガーはカリスに目を向けたまま、ゆっくりと口を開く。
「なるほど……その目、戦火を越えた者の目だ」
カリスも静かに頷いた。
「あなたがブリシンガーか……噂通り、いや、それ以上だな」
ヤシーンが頷き、カリスへ促す。
「彼に、今までのことを話してやってくれ」
カリスは小さく息を吐くと、ブリシンガーの前に一歩進み、語り始めた。
カリスの報告が終わると、療養室には静かな間が訪れた。
バルダーもシスティーンも、無言でその内容を噛み締めている。
そんな中、二人を見ていたブリシンガーはゆっくりとカリスの方を向いた。
しばし、まっすぐに彼の瞳を見つめ―
「……礼を言う」
その声は静かだったが、その響きは確かに真心に満ちていた。
「あの状況で、突破口を開いたお前がいなければ、システィーンも、バルダーも、こうして生きてはいなかったかもしれない」
その言葉に、カリスは少しだけ目を逸らした。
「別に、誰かのために戦ったわけじゃない。俺は俺のケリをつけた。それだけだ」
そう言いつつも、その声にはわずかな照れと、どこか嬉しげな響きが滲んでいた。
ブリシンガーは、わずかに頷くだけで多くを語らなかった。
だがその瞳には、確かに仲間を見つめる温かさが宿っていた。
二人の会話が一段落した瞬間だった。
「……あっ!」
ふと、システィーンがブリシンガーの腰に目を向けて、小さな声を上げた。
「その剣……!」
彼女の声に、隣のバルダーもつられて目をやる。
そして、二人の瞳が同時に見開かれた。
「ブリシンガー、それって……!」
「ついに……完成したの!? 例の、“剣”が……!」
ブリシンガーは二人の熱のこもった視線に、わずかに目を細め、無言のまま剣に手を添える。
そして―静かに抜き払われた刃が、まるで空気そのものを清めるように、神聖な金属音を響かせた。
部屋の空気が変わる。
光が剣身に反射し、壁に黄金と銀の光輪を描き出す。
「……これが、俺の剣だ」
バルダーは食い入るように見つめながら、「すげぇ……」と声を漏らし、システィーンは両手を胸の前に握りしめ、「なんて……なんて神々しいの……」と感嘆の息をこぼした。
部屋中が、その神剣の“威光”に静かに魅了される中、床に転がっていたドゥガルが、ようやくぴくりと指を動かした。
「……やっと……気づいてくれたか…俺の最高傑作にな……」
「気づかれるまで、どれだけ床で転がってたと思ってる……」
システィーンが「あっ」と声を上げ、慌てる。
「ご、ごめんなさいドゥガルさん!私たち、剣に夢中で……!」
ドゥガルは手を振りながら、呻くように笑った。
「いいさ……その反応が見られただけで、俺はもう満足だ……」
「でも、次はベッドに寝かせてくれな。背中が床と一体化しかけてる……」
神剣の余韻がまだ室内に残っている中、ブリシンガーの視線が、ふとバルダーへ戻った。
その目が、わずかに細まる。
「……バルダー」
「ん?」
「起きれるか」
「え?ああ、まあ……今はちょっと無理だけど―」
「違う。上の服を脱げ」
室内の空気が、一瞬止まった。
「……え?」
システィーンが目を瞬かせる。
「な、なんで……?」
ブリシンガーは淡々と言った。
「さっきから、違和感がある。見せてくれ」
声の温度が低い。
それは、戦場で傷を見抜く者の声だった。
バルダーは少し戸惑ったが、ゆっくりと上半身の布を外した。
全員の呼吸が止まる。
首元から胸、腹にかけて、斜めに走る、巨大な傷跡。
グロイに付けられた傷以上に、彼の中の魔力が暴発した時の跡。
皮膚は繋がっている。
だが、それは「治った」ものではない。
止められただけの傷だった。
焼けるような痕跡。魔力で無理やり繋ぎ止めた形跡。
システィーンが小さく息を呑む。
「……それ、私が……」
「防いだんだろう」
ブリシンガーが静かに言った。彼の指が、傷の上で止まる。
触れはしない。
だが、その深さを理解していた。
「……あと数瞬、遅れていれば、間違いなく死んでいたな」
沈黙。
バルダーは苦笑する。
「……まあ、そんな気はしてた。でも、もうすぐ治るだろ、こんなの」
ブリシンガーの声が、わずかに強くなる。
「これはすぐに治らない、そしてまだ”治っていない”。システィーンの魔法が、身体が裂ける前で止めただけだ」
システィーンの手が震える。
「……ごめんなさい、完全に……」
「違う。防いだから、バルダーは生きている」
その言葉に、彼女の目が揺れる。
ブリシンガーは続けた。
「だが―これは、しばらく全力では戦えない」
空気が落ちる。バルダーが目を閉じる。
「……だろうな」
「この状態で、全力を出せば……二度と戦えない身体になるか、最悪、死ぬ」
ブリシンガーの断定。
沈黙。
その静けさの中で、バルダーは、ゆっくりと息を吐いた。
「……了解」
弱気でも、悔しさでもない。
戦士の返事だった。
そこでカリスが目を伏せる。
「すまない……俺が、魔力を分け与えたばかりに」
すぐさまバルダーが割って入る。
「いや、気にするな。お前は正しいことをした」
「あのままでは、ジリ貧になって確実に負けていた。お前のあの行動があったからこそ、俺達は生きている」
ブリシンガーはわずかに頷く。
「だからこそ、生きろ。次の戦いは、“治ってから”だ」
その視線がシスティーンへ移る。
「お前の魔法が、こいつを生かした」
システィーンの瞳が震える。
「……はい」
その一言で、彼女の肩の力が抜けた。
ブリシンガーが神剣を鞘に収め、室内が静かな余韻に包まれていたその時、ヤシーンが咳払いをして話し始める。
「ブリシンガー殿。陛下が、あなたとお会いしたいとのことです」
「そしてカリス、お前も呼ばれている」
システィーンとバルダーが顔を上げた。
「私たちも……?」
ヤシーンはゆっくりと首を横に振った。
「いや。陛下は、今は療養中の二人にはご無理をさせたくないとのお気遣いだ」
システィーンは小さく頷き、やや残念そうに微笑んだ。
「はい…わかりました」
バルダーも横になったまま拳を軽く上げた。
「よろしく伝えてくれ。俺たち、まだ寝てるけど、次はちゃんと立って会うって」
ブリシンガーは二人を見回し、わずかに頷いた。
「安心しろ。すぐに戻る」
その背に、カリスも静かに立ち上がる。
包帯越しにまだ痛みの残る身体を引きずりながらも、彼の足取りには迷いがなかった。




