第6話「向かう場所」
ブリシンガーとバルダーは森の中を歩く。
無言の時間が流れる。
バルダーも伝説の戦士の横にいるということで、彼に対する質問をもう一つ投げた。
「ブリシンガー、お前は戦っていない時はどこにいる?何をしている?」
ブリシンガーはキョトンとした表情で彼を見る。
「時代によって場所を変えているが、最も多いのはグランヘイム王国の領土内にある、山奥にある小屋で暮らしている」
バルダーはそれを聞いて皮肉を感じずにはいられた。
歴史上幾度なくこの世界を守り続けた、いわば英雄にふさわしい男が人里離れた山小屋で暮らしているとは。
「グランヘイム王国がヴァルハイト王国に侵略されとようとしていたからこそ、止めに来たというわけか」
バルダーの問いに、ブリシンガーは首を縦に振る。
「それで、これからどこへ向かうんだ。いきなりイシュカンダル帝国を滅ぼしに行く訳ではないだろう」
「ああ。ここから何千キロも帝国は離れている。途中で物資等を各王国の村や街で補給しながら進むルートになる。まずはグランヘイム王国を目指す」
グランヘイム王国は資源が豊かで裕福な王国として知られている。エアリンデル大陸の西側の貿易拠点であり、多種多様な種族が暮らす民主的で平和な王国。
国王の名はレオニダス・ヴァルクリア。人望がある国王として定評があり、ここ数百年大きな戦争に巻き込まれたことはない。故に安定した政治で人口も非常に多い大国だ。なぜブリシンガーがここを安住の地として選んだのかも理解できる。だが、ヴァルハイトのような新興王国に資源目当てで狙われることもしばしばある。
王国の中心にある城下町から、大小様々な街や村が点在している。中でも最も離れているファルデン村という場所がある。ここは一部の物好きしか訪れないほど辺鄙な場所にある小さな村だ。
二人が今通っている森は人通りが限りなく少ない。何故ならば強力な魔物が出現することが多い危険地帯だからだ。先程ヴァルハイト王国であれほどの騒ぎを起こした、噂が広まらない訳がない。
歩くこと数十分、やはり目の前に魔物が出現した。
バジリスクだ。数十メートルにも及ぶ巨躯と、凍りつくような鋭い眼光。バジリスクは多くの旅人や戦士に恐れられる魔物である。鋼鉄のような皮膚、卓越したスピード、獲物を一瞬で捉える正確性と猛毒。討伐するには最低でも軍の中隊が必要とされている。
「バジリスクっ!」
バルダーが剣を抜き、一気に構える。だが、横にいたブリシンガーは表情一つ変えなかった。
彼は一瞬の内にその場所から消えた。だが、次の瞬間―
ドゴォ!
鈍いが、地を揺らす程の重い一撃が周辺に響き渡る。気づけばバジリスクの頭部が吹き飛ばされており、おびただしい量の血を吹き出しながら地面にズン!と倒れた。そのバジリスクの背後にブリシンガーがいたのだった。
「い、今なにをした?」
それを聞いたブリシンガーがきょとんとした顔をした。
「ただ突進して殴っただけだ。こいつは良い、今晩の食材になるぞ」
「し、食材……?」
高レベルの魔物を、まるで何でもないかのように屠るブリシンガーに驚く以前に、食材という単語に反応してしまった。
返り血を浴びているブリシンガーの顔が気のせいか、少し明るくなっていた。
「ちょうどいい、腹が減っていた所だった」
それを聞いたバルダーが少し後ずさりした。
「バジリスクって、食えるのか……?」
「ああ、美味いぞ」
「でも、バジリスクには猛毒が……」
「大丈夫だ、毒があるのは頭部だけだ」
「それに、俺にはあらゆる毒は効かない。お前の為に頭部を狙った」
魔物を食材にして食べるという発想が、いくら王国の戦士だったバルダーにも無かった。特に、伝説の戦士と呼ばれている彼が、まるでホームレスかのように手当たり次第の食材をかき集めて食べている というギャップに、今まで乾ききっていた感情に、笑いという感覚が徐々に戻ってくるのを感じた。
きっと彼はずっとこのようにして生活してきたのだろう。忘れ去られた伝説的な評判とは裏腹に、人知れずこうやって生活していたのだろう。
「バルダー、お前の剣を貸してくれ」
「あ、ああ」
バルダーが剣を腰から外し、彼に与える。剣を抜いた彼はせっせとバジリスクの胴体の皮を剥いでいく。
そういえば、先程聞いた伝説ではブリシンガーが剣を持っていると言われている。なのに彼は最初から何も持っていない。
「なぜ、剣を持っていない?伝説ではお前は剣を持っているはずだ」
それを聞いたブリシンガーがふと手を止める。
「4,000年前の戦いで失った。知りたければ話すが」
彼のことをより知りたいと思ったバルダーはその話を聞くことにした。これから長いこと旅をするであろう仲間だ、より多くの情報を知っておいた方が今後の為でもある。
「その昔、破壊王ガウレムという存在がいてな」
破壊王ガウレム。ブリシンガーの伝説でなくとも名前だけは聞いたことがある。
「聞いたことはあるが、昔過ぎて名前以外の記録が残っていない存在だな。お前の伝説ではより詳細に明記されているのだろう?」
バルダーが問う。
「人々は『伝説』等と祀り上げているが、あれは実際の歴史の記録書だ。時間が経ち過ぎて、盛られたり原文が紛失されたりして忘れる人が多くなり、そういう扱いになっただけだ。」
「じゃあ、そこに書かれていることは事実なんだな?」
ブリシンガーが概ねそうだ頷く。
「ドラゴン族が複数体合体して、一つの竜となった。それがガウレムだった。奴はこの世界を全て壊そうとしていた存在で、そいつと戦った時に剣を失った」
「新しい剣が必要そうだな」
バルダーが提案するが、ブリシンガーが首を横に静かに振る。
「今まで沢山の剣を使ってきたが、全て一振りで砕け散ってしまう。故に元々はミスリル製の剣を使っていた」
「ミ、ミスリルだと……!」
ミスリル。神々から与えられた幻の金属と言われており、アゼルグラム山脈という場所から、長い年月をかけてほんの数キロしか取れない。その希少性から金や銀、あらゆる宝石よりも高値で取引されている。
それで出来た剣であれば少なくとも数キロ以上はあるはず。強度はこの世に存在するどんな物質よりも遥かに上で、如何なる魔法や攻撃を与えても破壊は絶対に不可能とまで言われている。
彼の強大な力に耐えうる素材が、ミスリルしかなかったのだ。
それが砕け散るとは、戦いの規模の大きさは想像を絶していた。
「激戦だった。元々ガウレムの攻撃で剣にヒビが入り始めていた。お互い最後の攻撃を出した時に砕け散ってしまった」
「それほどの戦いで、無事なのが奇跡だな」
「無事ではなかった。何とか勝利したが、俺もその戦いで受けた傷で死にかけたことがある」
それを聞いたバルダーの目が見開く。何千年も生きている彼が死ぬことがあるのか という驚きだった。
「お前は不老不死ではないのか」
「寿命に限りがないというだけで、致命傷を負えば普通に死ぬ。神によって強く作られた人間なだけで、俺は無敵ではない。だから、俺は今まで人と共に冒険をしてきた」
今までバルダーの前で見せてきた力は彼のほんの一欠片だろう、だが、それだけでも彼に匹敵する力の者が過去に存在していたことも、これから出てくることも想像できない。それぐらい、彼は圧倒的な雰囲気を纏っているのだ。
「バルダー、これからの冒険で沢山の手強い敵と対峙するだろう。お前は確かに強いが、まだまだ足りない部分もある。これから俺とお前、朝に1~2時間程度の特訓をする。剣と魔法の両方だ。いいな?」
(1~2時間?生ぬるすぎる)
彼がヴァルハイト王国の執行人でいた時は1日中剣を振るっていたことも珍しくない。幼少期に特訓の手を緩めれば監視によりムチで激しく叩かれたこともあった。彼からすれば数時間の特訓など、朝飯前だ。
「朝飯前だ って顔をしているな」
バレてた。
「特訓は長くすればいいものではない。重要なのは密度だ」
「どれだけ長く特訓しようとも、基礎の技術が足りていなければ意味がない。特に俺達の場合は旅をしながらだ、あまり悠長にしていられない」
彼の言葉の裏には経験に裏打ちされた説得力で溢れていた。王国では最強を誇っていたバルダーでも井の中の蛙で、上には上がいると知った瞬間だった。
引き続きバジリスクをさばくブリシンガーだった。大きなヘビの肉塊を血だらけになりながら取り出し、焼けた彼の纏っていたローブの布切れを袋にしてその中に入れた。
(本当にホームレスだな)
太陽が段々と傾いてきた。空が夕焼けで真っ赤に染まる。そこでブリシンガーが足を止める。
「今日はここまでだ、ここで今晩を過ごそう」
「夜に魔物や敵に襲われる可能性はないのか?」
「大丈夫だ、この周辺に魔法壁を張っておいた。万が一突破されてもすぐに気づく」
「……空から来たら?」
「壁は円状だ。上空も覆っている」
「では……地中からは?」
「当然、地中も含めて円状に」
「……なるほど」
やや煮え切らない態度のバルダー。
「心配性だな」
「……念のためだ」
「次は―『壁の中に突然転移してきたら?』とか言うつもりか?」
「……言おうと思っていた」
「魔法障壁を通り抜ける転移魔法は存在しない。でなければそれは“壁”ではない。お前……寝れるのか?」
「……ヴァルハイト王国からの癖でな」
そのような会話を交わしながら二人は荷物を起き、ブリシンガーが周辺から枝をかき集めて手際よく炎魔法で着火した。
日はすっかり落ちて周辺は真っ暗、唯一の音は焚き火のパチパチ弾ける音と、遠くで聞こえるフクロウの鳴き声だった。
「野宿は不慣れか?」
ブリシンガーが穏やかな口調で彼に聞く。
「何度もしている」
バルダーが返す。
「…………」
しばらく静寂が二人の間を流れる。口数が決して多いとは言えない二人だが、言葉よりも強い何かが二人の間に何かあった。
ブリシンガーがゆっくりとローブで作った袋に入れたバジリスクの肉を取り出し始める。肉を尖らせた枝で串刺しにし、焚き火の上で焼き始める。
「……焼き加減の好みはあるか?」
ブリシンガーがバルダーに問う。
「…なんでもいい」
今まで軍で支給されてきた蛋白な食事しか食べたことがないバルダーからすれば、焼き加減なんて聞いたこともない言葉だった。
肉が焼け始める。ジューという音と共に焼き上がっていく。バジリスクの肉というのを食べたことがないバルダーだが、肉の焼けるいい匂いが充満し始めた。
「よし、出来たぞ」
ブリシンガーが手際よく肉を焚き火から下ろし、枝に刺さったままバルダーに渡す。
「さぁ、食え」
バルダーが肉を手に取る。大きな肉塊だ。肉を眺める横目でブリシンガーが肉に齧り付いている。美味しそうに食べている。バルダーも肉に思いっきり齧りつき、犬歯を使って大きな肉を千切って頬張った―
美味い。
今まで食べた肉とは違う味がしたが、これはこれでアリだった。ブリシンガーがバジリスクを見てすぐに討伐したのも納得だった。すぐに一つの大きな肉塊は腹の中へと消え去った。そんなバルダーをブリシンガーがすぐに気づいた。
「もう少しバジリスクの肉を取ればよかったな」
「いや、大丈夫だ。気遣いに感謝する」
バルダーがすぐに遠慮した。仮にもっと肉があったとしても、流石に貴重な食料を今日出会ったばかりの人から奪うのは流石に気が引ける。
「フッ……」
ブリシンガーの口角が僅かに上がった。初めて彼が笑ったのを見た瞬間だった。その蒼き瞳の奥には確かな温かみが宿っている。それはまるで『遠慮はしなくてもいい』と言っているようなものだった。
「ブリシンガー、お前は不老不死だと言うが、食事が必要なのだな」
バルダーが質問をする。
「食事の必要は実はない。ただ腹は減る感覚はある。それが永遠と残るのが嫌だから食事を摂っている。あと、人間らしい生活を少しでも歩めるようにもこうしている」
ブリシンガーが答える。彼は人でありながら、人ならざる存在。
生きるために最低限必要である食事すら摂らなくなった瞬間、それはいよいよ人間と化け物の境界線を超えてしまう気がしたのだ。
夜がふける、二人は焚き火の残り僅かな光を横目に眠りについた。




