第64話「因縁の対決」
その頃、カリスは帰路を急いでいた。
(あれが……)
彼はあの爪の前に立ち、三柱とザイオスの狂気の計画を聞き、そしてカリスは見た。
(あれが復活すれば、この世界は確実に終わる…!)
彼は歯を食いしばる。
(急がなければ…この情報を、ザラハート王国へ―)
そこでふと、足を止めた。
理解してしまった。
ザラハートにはミスリルがある、そして、先ほど見たガウレム復活には大量のミスリルが必要だと言っていた。
だとすると、侵略した後、そこにあるミスリルを奪うに違いない。
(あの復活を、早めるとは、そういうことか…?)
イシュカンダルがガウレムを復活させようとしている情報を伝える以上に、軍を足止めしなければならない。
ザラハートが援軍を準備し、迎撃が出来るための時間稼ぎと、グロイ軍の戦力を少しでも削がなければならない。
ザラハートは常に帝国の動向を注視している。帝国軍が向かっている事は把握しているが、三柱がいることは恐らく知らない。
帝国軍だけならまだ何とかなるかもしれないが、三柱のグロイも加えた戦力を迎撃する準備が間に合うはずがない。
だからこそ今まで、こうならない為にザラハートはイシュカンダルに譲歩し、上手く交渉してきた。
カリスは、覚悟を決めた。
たとえ自分の命に代えてでも、ここはグロイの足止めに専念すると。
日が昇る地平の先。そこには、グロイの魔族軍が駐屯していた。
カリスが来た時にすでに通ってきた道。奴らはすでに陣を張っており、容易に突破するのは困難だ。もうそろそろザラハートを襲う準備に入っているはずだ。
カリスは影に潜んだ。
影走り―彼にのみ許された影踏みは、影を介した潜行能力。
かつて帝国隠密部隊に所属していた彼は、特殊な術式によって影と一体化することができる。視認されぬまま、夜でも昼でも、影の中や影の合間を塗って高速で“滑る”ように移動できる。
これで、通常なら潜入が不可能なほど警備が厳重な場所にも潜入が可能。
血反吐が出る程特訓した結果身についた、彼だけの能力。
「グロイ…」
口の中でその名を呟いた瞬間、心の奥に焼けつくような怒りが蘇った。
かつてカリスが所属していた精鋭隊を、不要と称して処刑したグロイ。
「仲間を、虫けらのように殺した貴様を、俺は忘れてなどいない」
怒りに拳を握るが、その表情には激情はない。
むしろ、静かな殺意だけが、澄み渡った意識の底で燃えていた。
そして移動すること数時間。影の空間から、カリスは地上へと浮上した。
そこは、数十張に及ぶテントが密集した魔族軍の野営地。簡易な柵と見張りの魔物が配備されているが、まだ夜明けの緩んだ空気が漂っている。
鋭い感覚が、奥の大きな黒い天幕を指し示す。魔族軍の長であるグロイがいるはずの場所。音も足音もなく、カリスは影から影へと移動していく。兵士たちの間を縫うように、地面を滑りながら侵入する様はまるで亡霊のようだった。
そしてついにグロイのテントの入口に到達する。
そこには二体の魔族が見張りとして立っていたが、気づいた時にはもう遅かった。
スッ―
後ろから伸びた刃が、一体の喉を裂き、もう一体の心臓を貫いた。
音はなかった。二人の兵はそのまま力なく倒れ、血も静かに土に染み込んでいった。
カリスは息を殺したまま、そっとテントの幕をめくる。
その奥、鎧を半ば脱いだ姿で、腕組みをして眠っていた男グロイ。
あの時と変わらぬ禍々しき容貌。
傷だらけの巨体、鋭く湾曲した牙の生えた下顎、半開きのまま眠る姿すら、どこか狂気じみている。
カリスは迷わなかった。腰の刃を抜き、静かに跳躍。
(ここで終わらせる…ッ!)
だが―テントの空気が、突如、揺れた。
次の瞬間、グロイの両目がカッと開き、丸太のような腕が唸りを上げて襲いかかる。
「誰だぁ…影の中から這い出てきやがったのは…!」
バンッ!!空気が爆ぜた。圧縮された空気を即座に繰り出す魔法。カリスは即座に刃で受け止めたが、後ろ向きに押された。
迎撃された。
寝起きとは思えぬ反応速度。
だが、それもそのはずだ。相手は、帝国の最高戦力の一人。だが、構わない。これは潜入ではない、決闘だ。
「久しぶりだな、グロイ」
カリスが、フードをゆっくりと下ろした。
グロイの目が細まり、次第に口角が吊り上がる。
「おぉ?こりゃあ驚いた。裏切り者のカリスじゃねぇか。生きてたのかよ。てっきり、死んだかと思ってたぜ」
カリスは無言でグロイを見据える。
「お仲間の仇でも取りに来たか?魔族なのに情に厚いやつだな。てめぇもわざわざ殺されに来たんか?」
「黙れ」
カリスの声は低く、しかし鋭く刺さるような声音だった。
「お前がゴミのように殺した仲間たちは、俺の仲間だった。貴様は絶対に許さん!!」
グロイは下卑た笑いを漏らしながら肩をすくめる。
「ったく、いつまで人間ぶってんだ?てめぇの血も魔族だろ?だったらよ―この世界で弱い奴が死ぬのは、当たり前のことじゃねぇのか?」
それを聞いたカリスの中に、再びドス黒い感情が渦巻く。
「だったら、お前は今ここで殺して、その強さとやらを証明してやろう」
カリスの足元の影が渦巻くように揺れる。空気が震え、グロイの周囲の空間も、次第に緊張でひび割れ始める。
その時―外から、何本もの足音が近づいてくる音がした。騒ぎを聞きつけた魔族兵たちが、次々と起き出していた。
「グロイ様!?どうしました!?」
「何者かが…!」
「中に侵入者がいる!」
カリスは素早く体勢を切り替え、テントの奥へと後退する。
(まずい、兵が起きた…時間がない)
だがグロイは、獣のような笑みを浮かべたまま、ゆっくりと立ち上がる。
「逃がさねぇよ、カリス。せっかくこうして戻ってきたんだ。俺が手ぇ下して殺してやるよ。お前の骨ごと、全部砕いてなァ!!」
カリスもまた、静かに構えを取る。対するグロイは邪悪な笑みを浮かべ、周囲に拡声器のような声量で伝える。
「お前らぁ!こいつは俺の獲物だ、手出し無用!!」
この戦いですら、彼にとっては遊びの延長線であるに過ぎない。カリスは、拳を握りしめ、前に魔法陣を展開する。
「そのつもりで来た!始めよう、グロイ!!」




