第62話「目覚めの兆し」
カリスは闇夜を縫うようにして進んだ。
今は地図にも記されていない、かつて城壁の裏手にあった古い排水用の抜け道。だが、その終点には見慣れない結界が張られていた。
「…通れない、か」
触れると、青白い魔力の障壁が淡く輝き、波紋のように揺らめいた。突破しようとすれば警報が鳴る―そんな仕組みだった。
カリスは眉をひそめ、壁の影に身を潜めた。
城壁の向こう、塔の上の警備兵が交代のように移動するのが見える。
(このバリア、夜間の警戒中だけ張られている。朝の見回りが終わる頃、魔力の負担軽減のためか、いったん解除される)
つまり、夜明けまでここに留まる必要があるということだった。
カリスは地面にしゃがみ、石壁に背を預ける。夜の冷気がローブの隙間から肌に触れた。
東の空がわずかに朱に染まり始めた頃、バリアは音もなく解除された。
カリスは慎重に体を起こし、障壁の消えた通路を抜ける。
彼が目指しているのは、場内でも三柱の一人、メレディナの研究場。
そこであれば、先ずは機密や計画等の情報が掴めるだろう。
監視の目を掻い潜りながら、彼は長らく使用されていない、古びたドアの横に到着した。
カリスは呼吸を整えると、身をひそめながら扉の隙間から中を覗いた。
広大な円形の空間。かつて魔導研究に使われていた大広間は、今やまるで戦場のようだった。
円陣を描いて立つ百人以上の魔族の魔術師たち。その中央には、謎の黒いオーラを放つ物体と赤黒い模様が刻まれた紋章。天井には浮遊する結晶体が幾つも漂い、まるで星々のように魔力を吸い上げている。
そして―
「な、何を……」
カリスは思わず目を見張った。
円陣の奥、祭壇のような高台に立つ三つの影。
一人は、冷たい氷のような美貌を持つ魔導師の女、メレディナ。漆黒のローブに包まれ、まるで感情を感じさせない声で魔術師たちを指揮していた。
もう一人は、漆黒の鎧を纏った男―カイム。
仮面から見える目はまるで野獣のように鋭く、言葉少なに全体を統括している。
そして、その背後に翼をたたみ、巨大な体躯の竜の影が一つ。
鋭い瞳だけが、暗闇の中で爛々と光っていた。その気配は、かつてカリスが対峙したどの魔族とも比べものにならない。威厳と、邪悪と絶望が混ざり合った存在。
(誇り高きドラゴンが……なぜ……)
その時、空中の結晶が一斉に明滅し、中央の紋章が赤黒く脈動を始めた。
メレディナの冷たい声が響く。
「魔力転送、開始」
カリスの心臓が高鳴る。
祭壇の中央―黒く染まった爪が、不気味に脈動した。
それは心臓の鼓動に似ていた。
だが、それは生物のそれではない。
ズォォォォォン……ッ!!!
空間が沈んだ。
重力でも空気でもない、存在そのものが地に圧し掛かるような衝撃。
魔術師たちはもはや声も出せず、次々に白目を剥いて倒れ込む。その場にいる全員が、己の魔力や精神を圧し潰されるような感覚に打ちのめされていた。
「くっ…!!」
カリスは息を呑んだ。脚が震え、視界が滲む。気を抜けば、自分もすぐに意識を手放してしまいそうだった。
それでも、実体はない―思念体でしかないはずなのに。
それが、恐ろしすぎた。その時、世界中に“音”が響いた。まるで大気の粒子一つ一つが震えるような、声。
「誰だ…我を…眠りから呼び起こす者は」
深淵の底から響くような、存在の起源に触れる声。その瞬間、エアリンデル大陸全土に異変が起きた。
◆グランヘイム王国・王城
玉座の間。
レオニダスは突然、胸を押さえて膝をついた。
「…ぐっ…!?」
室内の壁が軋み、絨毯の上に細かな砂粒が舞い上がる。魔導官たちは突如として天空から押しつぶされるような膨大な力に耐えきれずに気絶した。
「これは……!」
◆エルセリオン王国
古代の神々の言葉を研究するリゼルフェインは、床に崩れ落ちる。今まで感じたことのない、底知れない憎悪と悪意、そして計り知れない程の魔力。
まるで巨大な何かが肩に伸し掛かるような、圧倒的な力で押しつぶされるような感覚。
隣にいたアリュセールは杖を床に突き立ててようやく耐えていた。
そして、遠くザラハート王国へ向かうシスティーンとバルダー。
朝焼けの中。小さな丘の上で休んでいた二人。
「…っ!」
システィーンの顔が瞬時に苦痛に歪む。震える膝を地につけた。澄んだ空が一変し、灰色に濁る錯覚すら覚える。
「バルダー……これは……!」
バルダーは拳を握り、歯を食いしばる。
「これは、嫌な予感がする!なんだこの馬鹿デカい力は!」
周囲の草木も激しく揺れ、地面がゴゴゴと轟音を立てながら軋む。
「これって、もしかして……!」
システィーンが歯を食いしばりながら上に伸し掛かる重圧に耐える。
「ああ…これって多分だが…ゼルグさんが言っていた、帝国の対ブリシンガー用の兵器じゃねえのか!」
システィーンは眉間にしわを寄せる。
「これ、まだまだ本体じゃない……」
魔力は生物の根幹を成す、言わば生命エネルギーと同等。生きている生物しか発せられない力だ。
だが、今回感じている魔力はあくまで残留であり、それが発せられる本体の気配がなかったのだ。
「それってつまり―」
バルダーが目を見開く。それにシスティーンが深刻な表情で俯く。
「ええ、帝国はブリシンガー…彼に対抗出来るだけの”存在”を起動させようとしている!少なくとも、その準備をしているわ……!!」
ブリシンガー以外で、これだけの力を持つ者が過去にいるとしたらー彼らの中で答えが形成されつつあった。
「こりゃ、先を急がねぇとな…!行くぞシスティーン!」
「はい!」




