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銀の伝承  作者: 銀の伝承
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第56話「裏切りの黒竜」

黒雲が渦巻く,イシュカンダル帝国最奥。

外界の光を拒むように築かれた、玉座の間にも似た巨大な広間。そこは本来、人ならざる存在が立ち入ることを想定されていないはずの場所だった。

だが今、その中央に一体の竜が立っていた。


四肢は異様なまでに鍛え上げられ、岩のように盛り上がった筋肉が鱗の下でうねっている。

ただ大きいのではない。無駄を削ぎ落とし、殺すためだけに凝縮された力が、全身に張り付いていた。

漆黒の鱗から、紫煙のような魔力が空間に滲み出す。

その筋骨隆々とした巨体が一歩動くごとに、床の石材は悲鳴を上げるように軋んだ。

かつて、竜族はこの地を忌み嫌っていた。

魔族などという、矮小な種族を徹底的に見下していた。

帝国の血と欲望が渦巻く場所に、誇り高き竜が降り立つことなど、決してなかった。


その異常を体現する存在。

裏切りの黒竜

ヴァル=ザイオス。

彼は重々しく口を開いた。

「……神の戦士が、ミスリルを手に入れた」


低く、深く、底知れぬ声。

それは咆哮でもなく、威嚇でもない。すべてを見下ろす者の、静かな断定だった。

柱の影から、一人の女が歩み出る。紅の衣を纏い、瞳に冷たい光を宿す魔道士メレディナ。

「察しが早いな」

彼女は鼻で笑うように言った。

続いて、沈黙の鎧カイムが、無言のままその場に現れた。

この場に、グロイの姿はない。

彼は既にカイムの命を受け、軍を率いてザハラード王国へと出発していた。

「……ただ感じ取っただけだ」

ヴァル=ザイオスはゆっくりと首を巡らせ、広間の奥の石壇を見下ろす。

「ミスリルが目覚めた時の震えは、いかに遠くとも、我が鱗を通じて伝わる。守護竜などと名乗る者は……その感覚すら、とうに失っているようだがな」


その言葉に、カイムの視線がわずかに動く。

「……言っていた、ゼルグのことか」

「他に誰がいる」

ザイオスの口元が、歪んだ笑みを形作った。

「未だに山に縋り、役目という名の鎖に繋がれている哀れな同胞よ。それに縛られた結果が、我々竜族を頂点から下ろす結果になるとは、滑稽なり」

石壇の中央。

そこには、黒紫の結晶に封じられた一本の爪が安置されていた。


禍々しい力が常に脈打ち、周囲の空間はわずかに歪む。

それは単なる遺物ではない。

世界の理そのものに爪を立てるような、圧倒的な異物。

「“彼”の爪……いや、魂が宿っている一部だ」

ヴァル=ザイオスは低く囁く。

「この中に残る残滓思念を、そろそろ呼び覚ます時ではないか?」

メレディナが即座に首を振る。

「復活にはまだ早い。ミスリルの魔力の蓄積が足りないし、”例の肉体”もまだ不完全だ」

「グランヘイム王国にミスリルをばら撒き、戦争を誘発する計画も、ブリシンガーを封印する計画も潰えた」

「ミスリルに頼らずとも、今は、自ら魔力を注ぎ込み、一時的に起動するしか方法はない」

「それをして、意味はあるのか」

カイムが低く言葉を継ぐ。

「意味はある。予行練習としても、十分にな。彼らに時間がないように、我等にも残された時間は少ない。いきなり本番で、すんなり成功すると思える程、甘い考えを持っていない」

ヴァル=ザイオスが、静かに笑った。その笑みには、かつて竜であった者の誇りはない。

「お前たち二人の力。そこに、我が竜の魔力を加えれば……“彼”の思念を呼び起こす程度なら、造作もない」

黒い翼が、ゆっくりと広がる。その瞬間、広間の空気が震え、結晶が低く鳴動した。


「さあ、呼び水を注げ。我等の究極体だった、貴様ら世界征服への答えの鱗片を見せてやる」

カイムが、ザイオスを見据える。

「なぜ、そこまで我等に肩入れする。貴様は、竜族の身だろう」


ザイオスは鼻を鳴らした。

「勘違いするな。我は貴様らに協力しているのではない。我等の主ー」


「”ガウレム復活”という目的が、一時的に重なっているだけだ」


空気が、震えた。そこに置かれていた爪が、淡く、だが確かに動いた。


まるで地の底から、誰かが息を吸い込むような。世界そのものが、目覚めの前兆を告げるかのような、微かな呼吸音。

ヴァル=ザイオスは、ゆっくりと翼を畳み、爪を見下ろした。

「さあ……目覚めろ。我等が膝を折った、破壊神よ」

その声は、祈りでも命令でもない。

ただ、滅びを待ち望む者の宣告だった。

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