第4話「忘れ去られた伝説」
コロセウムは静寂に包まれていた。
ブリシンガーと名乗った銀髪の戦士は、ゆっくりと歩き出す。彼の背を追うように、バルダーも一歩を踏み出した。その動きに、観客席のあちこちから小さなざわめきが広がる。
「……本当に、ついて行くのか?」
「ヴァルハイト最強の戦士が……?」
誰もが信じられなかった。あの戦いの化身とも言える執行人が、まるで従者のように銀髪の男の後ろを歩く。その姿に、ただ呆然と見つめるしかなかった。
そんな中、観客席の隅に座っていた一人の老人が、長く蓄えた灰色の髭を撫でながら呟いた。
「ふむ……」
彼の声は低く、それでいてどこか重々しい響きを持っていた。その瞳には確信と、同時に信じがたい驚きが宿っていた。
周囲の者たちは、その老人の呟きに気づき、ちらほらと視線を向けた。
「爺さん、何か知っているのか?」
「まさか、あの男について……?」
老人はしばし目を閉じ、遠い昔の記憶を手繰るように語り始める。
「……遥か昔、太古の時代に、人々が『守護者』と呼んだ戦士がいたという話を聞いたことがある。大陸が混乱に満ち、絶望と恐怖に覆われていた時代……どんな強大な魔族も、どんな邪悪な存在も、その戦士の前では薙ぎ払われたという……」
「……守護者?」
誰かがぽつりと呟く。
老人は静かに頷く。
「太古の神々、かつてこの世界を創りし存在。その中でも『戦いの神ハルディヴァー』は、混沌より世界を創造しただけでなく、秩序を守るために神の戦士を生み出したと伝えられている」
「この世界には三柱の神々が存在すると言われている。力と秩序を司る『戦いの神ハルディヴァー』、知恵と理を紡ぐ『知恵の神シルヴァラ』、そして破壊と再生をもたらす『魔の神ヴォルガノス』」
「戦いの神ハルディヴァーは、混沌の中にある世界を整えるため、一人の戦士を創り出したという伝説が、僅かに記憶の片隅に残っている。彼の力はハルディヴァーそのものを体現し、純粋なる戦いの化身であった。その存在は神の意志そのものとされ、世界の均衡が揺らぐ時、現れると伝えられている……」
老人は続ける。
「神の戦士……それは人の身でありながら、人ならざる存在。神々の祝福を受け、邪悪を討ち、世界の均衡を守る者。長き時の中で、その名は伝説となり、やがて忘れ去られた……」
老人の言葉に耳を傾ける者たちの表情が、次第に驚きへと変わっていく。
「まさか……あのブリシンガーとやらが……?」
誰かが震える声で呟いた。老人は答えない。ただ、目を細め、ゆっくりと首を振る。
「確証はない……だが、あの威圧感、そして金色に揺らめく力……私が若かりし頃に見た古文書には、こう記されていた。
——天より授かりし力を纏い、銀の輝き、蒼穹の眼と神の剣を宿す者、混沌が世界を蝕む時、目覚めん——
まさかとは思うが……奴が本当に『神の戦士』であるならば……」
老人の言葉が途切れると、観客の間に再びざわめきが広がる。
老人の視線はなおも銀髪の戦士の背を追い続けていた。眉を寄せ、思案するかのように指で髭を撫でながら、低く言葉を紡ぐ。
その言葉を最後に、老人は口をつぐんだ。そして、コロセウムを去っていく銀髪の戦士の背中をじっと見つめ続けていた。
その時、誰もが胸の奥に微かな違和感を覚えた。
まるで、歴史に埋もれていた何かが、ゆっくりと目を覚まし始めたかのように




