第48話「眠れる残滓」
数日の休息は、あっという間に過ぎ去った。
湯に浸かり、食事に癒され、精霊の風が流れるこの地で、傷は癒え、心にも余裕が戻っていた。
そして朝。
星と月の光がまだ空に残る中、一行は王都の門へと集まっていた。
王と、リゼルフェインを含めた、見送りに訪れたエルフたちの姿が並ぶ。
「ミスリルを入手したら、ここへ戻ってきてください。ここには過去にミスリルを扱っていた場所、貴方の武器の誕生に相応しい、優れた鍛冶場が沢山あります。必ず、無事に戻ってきてください」
ブリシンガーが答える。
「任せろ」
その言葉に、バルダーが剣を肩に担いで笑う。
「よーし、いよいよって感じだな。ドラゴン退治……いや、まずは鉱脈探索か」
「退治とか言わないでよ…できれば対話で済ませたいの」
システィーンが渋い顔をする。
「まぁ、どっちにしても命がけだろうがな……」
ドゥガルが空を見上げ、息を吐いた。
陽光が、山の端から差し込み始める。
ブリシンガーたちの背中を押すように、エルフの角笛がひとつ、静かに空に響いた。
旅立ちの合図。
神の戦士とその仲間たちの次なる道は、霊峰アゼルグラム─かつて破壊王ガウレムが生まれし地へと続いていた。
北へ延びる一本道を、四人は歩いていた。
まだ朝も早く、陽光は淡く、風には山の匂いが混じっていた。
背後には白銀の都エルセリオン。
そして、遥か彼方、地平線の向こうにうっすらと見える巨大な影。
アゼルグラム山脈。
その稜線はまるで空に爪を立てる獣のように、黒々と世界の端に佇んでいた。
「……あれが、目的地か」
バルダーが目を細める。
「山の匂い……でも、ただの山じゃない。空気が、魔力を拒絶してるように感じる」
システィーンが呟いた。
「はぁ……今から胃が痛い。ドラゴン、頼むから話せる相手であってくれよ……」
ドゥガルがぼやきつつ、斧を担ぐ。
その先を歩くブリシンガーは、剣に手を添えながら言った。
「ドラゴン属は、どの種族よりも知能が高い。もし戦わずに済むのであれば、それに越したことはない」
「……今更だけどよ」
ドゥガルが、少し歩調を緩めて口を開いた。
「お前さん、素手でも十分すぎるほど強ぇだろ。ゴーレムなんて一撃だし、魔族二人を追い払ったのも、ほとんど一瞬だった。それでも、わざわざ剣を作り直す必要があるのか?」
一瞬、空気が静まる。
ブリシンガーは歩みを止めず、前を見たまま答えた。
「見えているものだけが、敵とは限らない」
その声は低く、淡々としていた。
「俺はかつて、ガウレムやアイゼンヘイムと戦った。あの時も……自分が最強だと思っていたわけじゃない。だが、“ここまでだろう”とは考えていた」
ほんのわずか、苦い息が混じる。
「その慢心で、世界は滅びかけた」
システィーンが、そっと視線を向ける。
「帝国は、間違いなく俺の存在を認知している。ならば必ず、俺を想定した策を用意する。力で押し切れる相手だけとは、限らない」
ブリシンガーは、空を見上げる。
「だからだ。ただ勝つためじゃない。想定の上を斬るために、剣がいる」
ドゥガルはしばし黙り込み、やがて小さく息を吐いた。
「……なるほどな。慢心してるわけじゃねぇってことか」
「むしろ、その逆だ」
ブリシンガーは短く言い切る。
「俺は、自分が"足りている"と思い込むほど愚かではない」
イシュカンダル帝国。
玉座の間に、重く鋭い沈黙が満ちていた。
ゼルオルとヴィルザは、漆黒の大理石の上に跪いている。その視線の先に座すのは、帝国最強の三柱。メレディナ、グロイとカイム。
報告が終わった直後、静寂を破るように、
「この役立たずがぁぁぁッ!!!」
グロイの叫びが、雷鳴のように響き渡った。彼の拳が玉座のひじ掛けを砕き、石片が空間ごと吹き飛ぶ。
「封印を任された貴様らが、何もかも“逃した”だと!?神の戦士も!精霊の泉も!!」
ゼルオルが冷静に頭を垂れた。
「……判断ミスは認めます。しかし、彼らの成長は予想を―」
「貴様に弁明など求めておらん!!」
グロイの怒声と同時に、拳を握った瞬間、地面に黒い亀裂が走る。
ドォン!!!!!!という爆音と共に、ゼルオルとヴィルザの身体が一瞬で黒炎に包まれ、消えた。
叫びもなく、悲鳴もなく。ただ、そこにあった魔力の気配が、無音で消滅した。
その場には、黒く焼け焦げた床と、二人の影すら残っていなかった。
メレディナが、そんなグロイに眉をひそめた。
「またかグロイ、彼らは軍の中でも優秀な人材だった。これ以上の虐殺は帝国の損失」
「用済みだ」
グロイが低く唸るように言った。
カイムは微動だにせず、静かに呟いた。
「だから言っただろう。刺客程度では無理だと。いよいよ、我々が動くときが来たのかもな」
カイムがグロイに命じる。
「グロイ、まずはお前がザハラート王国方面へ、軍を連れて向かえ。こうなればブリシンガーがミスリルの剣を入手するのは致し方ない。その上で対策するまでだ」
「来たな、ザラハートのミスリルを奪うって訳か」
グロイがニヤリと微笑む。
戦闘狂の彼は帝国の領土を拡張するのと同時に、戦いの要求を満たしたい為に他国に戦争を仕掛けることが多い。
「……だが」
カイムが仮面越しに目を細めて言葉を続けた。
「問題は、神の戦士だけではない。彼の仲間たちの成長速度が、想定以上だ」
メレディナも、口元に笑みを浮かべて頷いた。
「そうね。特に、あの少女……システィーンだったかしら。あの年齢で、補助と防御結界すら重ねて詠唱。エルフだとしても、かなり上澄みのクラスよ」
「バルダーもよ。ブリシンガーの戦いを模倣して、ちゃんとダメージを与えた」
グロイがわずかに目を光らせた。
「ドワーフの斧使いも侮れん。あの瞬間の連携、迷いがなかった。たった数日の修行で、これだけの成果。あの三人はまだ伸びる」
「ええ。神の戦士の仲間という肩書きだけではなく、彼ら自身が脅威として台頭する可能性があるわ」
メレディナが冷酷な微笑みを浮かべる。
「だからこそ、面白いじゃない。神の力に連なる存在が、血も、神の祝福も持たぬ人間として、どこまで抗えるのか」
「フン。俺にとっちゃ全部、まとめて潰す対象だ」
グロイが不機嫌そうに吐き捨てる。
だが、カイムは一歩、歩み出ながら呟いた。
「我々が対処すべきは、ブリシンガーだけではない。未来の脅威に成りうる存在だ」
三柱がゆっくりとその場を離れる。
ゼルオルとヴィルザの存在は、なかったことのように、誰からも語られなかった。
玉座の間には、再び重く静かな闇だけが残った。
誰も知らない。
帝国の最奥に、それある。
その場所に、光は差し込まない。地上のどこかとも、天上のどこかとも違う場所にそれは封印されていた。
音も、気配も、魔力すら通わぬ空間。
世界から切り離された、死んだ領域。
だが―そこに、ひとつだけ。禍々しい紫色のオーラをまとった、巨大な“爪”が存在していた。
鋭く、黒曜石のように輝き、なおかつそれは、圧倒的な生の気配を放っていた。
動いていないはずなのに。存在するだけで、周囲の空間がじわじわと侵蝕されていく。
地鳴りにも似たうなりが、誰の耳にも届かない闇の中に響く。
誰も知らぬまま。それは、確かに存在している。




