第43話「英雄の封印」
翌日。
神殿のような静寂に満ちた広間に、木漏れ日が柔らかく差し込んでいた。
四人は、王の前に立つ。
白き柱の間に集うエルフたちの視線を受け、アリュセールは玉座から静かに立ち上がる。
「バルダー・ガインルフ。システィーン・メイルフィ。そしてドゥガル・グリムフォルドよ」
名を呼ばれ、三人は自然と背筋を正した。
「汝ら三名に、試練を課す」
重々しい声が、広間に低く響く。
王の左右には、静かに佇むリゼルフェインと、白衣を纏った神官長が立っていた。
「精霊の泉へ向かい、そこに滲む穢れの源を探れ。泉は幻影の森の外れにある聖域、選ばれし者のみが踏み入ることを許された地だ」
「聖域、か……」
バルダーが小さく息を吐く。
「その力を乱す存在は、我らエルフにとって“外敵”と同義。ゆえに、この試練を果たした時、初めて汝らを我らと同盟の誓いを交わすに足る者と認めよう」
「……これが昨日言っていた、信頼を得るための試練 ってわけだな」
バルダーの低い声に、王は否定も肯定もしなかった。
ブリシンガーに試練が課されていないのは、エルフから彼への信頼の現れだった。
「選ばれし者だけ、ねぇ……」
ドゥガルが腕を組み、苦笑する。
「ドワーフには、なかなか重たい話だ」
「試練、ということは……」
システィーンが一歩前に出る。
「ただの調査ではないのですね。何かが、起きている……?」
その問いに、王はわずかに頷いた。
「近頃、泉に“穢れ”が滲んでいる。精霊たちは苦しみ、森の魔力は乱れ始めた」
広間の空気が、わずかに張り詰める。
「……おそらく、何者かがこの地に“触れた”。それが意図せぬものか、悪意あるものかは不明だが─放置はできぬ」
その言葉を聞き、沈黙していたブリシンガーが、ゆっくりと口を開いた。
「王よ」
視線が集まる中、彼は静かに続ける。
「もし、その穢れが人為によるものであるならば……魔族の関与も疑われるかと存じます」
一瞬、広間がざわめいた。
「つきましては、僭越ながら私も彼らと共に精霊の泉へ向かうことを、お許しいただけないでしょうか」
「ありえぬ、穢れた魔族が幻影の森を抜けて来るなど絶対にありえん。それに、これは彼ら三名に課された試練だ」
神官長が低く言う。
ブリシンガーは首を振った。
「承知しております。しかしながら、相手が”万が一”でも魔族であった場合、試練そのものが命を落としかねぬものとなりましょう。私は彼らの成長を妨げるつもりはございません。ただ万一の際に備え、同行を願いたいのです」
王はしばし、ブリシンガーを見つめていた。
その瞳は深く、試すようでもあり、同時に全てを見通すようでもあった。
やがて、静かに口を開く。
「よかろう」
周囲が息を呑む。
「ブリシンガー・ヴァルディア。汝は試練の当事者ではない。彼らが力及ばぬ時のみ関与せよ。それ以外は見守る者として同行せよ」
ブリシンガーは静かに頷く。
王の声は厳しく、しかしどこか温かさを帯びていた。
「バルダー、システィーン、ドゥガル。この試練は、汝ら自身が我らの信を勝ち取るためのものだ」
三人は互いに視線を交わし、深く頷く。
「行け」
王は静かに告げた。
「精霊の泉へ。そして再び我らの信を得る、その時まで」
精霊の泉への道中、森が沈黙していた。
鳥の声も、風のささやきもない。自然そのものが息を止めているかのようだった。
「空気が……重い」
システィーンが肩を抱くように呟く。
「魔力の密度じゃねえ。これは……“拒絶”されてるような感覚だ」
ドゥガルが額に浮かぶ汗を拭う。
「精霊たちの声が……遠い。何かが、ここに“異物”を持ち込んでいる」
バルダーが周囲に目を光らせながら、静かに剣に手を伸ばす。
ブリシンガーは無言のまま先頭に立っていた。
彼だけが、まるでこの異常を知っていたかのように、目を細めていた。
(この空気……これはただの“穢れ”じゃない。何かが、精霊の力を……食っている)
やがて、一行の前に霧が晴れ、泉が現れる。
それは、まるで別世界だった。
陽光も届かぬほど深い森の奥。
巨大な樹々に囲まれた空間の中央に、精霊の泉は静かに佇んでいた。
水面は鏡のように凍りついた静謐を保ち、宙には光の粒子が漂っていた。
しかし、その中心に浮かぶ“黒いひび割れ”がすべてを異質なものへと変えていた。
「……これは……」
システィーンが息を呑む。
「魔族の瘴気。しかも、相当深く仕組まれている」
ブリシンガーがしゃがみ込み、水面を観察する。
「何かいるぞ……感じる」
バルダーが周囲に目を走らせる。
と、その時ゴゥゥゥン……と、大地の奥底から響くような、鈍く重い振動音が鳴った。
「……ッ!?」
足元の地面が、わずかに脈打つ。精霊の泉の水面が、さざ波ではない歪みを描いた。
まるで、水そのものが何かを拒むように、逆流している。
宙を漂っていたはずの光の粒子が、ひとつ、またひとつと消えていく。
代わりに、水面の中心に黒い染みが滲んだ。
「……精霊が……怯えてる……」
システィーンの声が、かすかに震える。
次の瞬間。水面が弾けるように盛り上がり、黒いしぶきが、意思を持ったかのように宙へと持ち上がった。
それは影だった。だが、ただの影ではない。
粘つく闇が絡まり合い、骨格のような輪郭を形作り、やがて人の形を取っていく。
二つ。泉の中央から、二体の存在が、ゆっくりと立ち上がった。
そしてそこに現れたのは、漆黒の法衣を纏った、異様に背の高い男二人組。
顔は仮面に覆われ、目だけが鈍く青白く輝いている。その手には分厚い書物が抱えられ、空間そのものが彼らを中心に歪んでいた。
泉の水が、彼らの足元だけ避けるように凍りつく。
「……我が名は、ゼルオル・ナハト」
冷たく、乾いた声が、静寂を切り裂いた。
「そして、我はヴィルザ・レグナス。鏡の如く返し、すべてを呑み込む者。どうぞ、お見知りおきを」
もう一人の男が、愉快そうに肩を竦める。
白銀の肌に、黒い刺青のような魔紋が脈打ち、笑みを浮かべた瞳の奥には、隠しきれない殺意が渦巻いていた。
二人は人間に近い姿をしていた。だが、頭部から伸びる大きな角が、決定的な違いを示している。
「やっぱり、魔族だったか……!」
バルダーが剣を構え、ドゥガルが即座に横へ並ぶ。
「泉の穢れの正体はお前たちだったか」
ブリシンガーの声は低く、鋭い。だが、その視線はすでに敵を測る者のものだった。
「あなたたちは……精霊の泉に、これ以上ないほど場違いな存在……!」
システィーンの周囲に、魔力が展開される。
だが、ゼルオルは淡々と、無感情に告げた。
「神の戦士、ブリシンガー。貴様の存在は、我らが主の未来における最大の脅威。よって、此処にて世界から切り離す」
「封印結界─発動」
「ッ!?」
ブリシンガーが踏み込もうとした瞬間、ゼルオルの掌から“空間”が裂けた。
黒と白の魔方陣が複層的に展開され、泉の気流が逆巻く。
「っ……!」
ブリシンガーが動こうとした一瞬、彼の足元に空間の壁が生成され、縛鎖のように身体を拘束した。
彼の身体が、次元の裂け目に引きずられていく。
「空間転移魔法か・・・!」
「ブリシンガーッ!!」
システィーンが手を伸ばす。だがその手は、漆黒の魔法の壁によって遮られる。
「─心配するな」
ブリシンガーが振り返る。彼の瞳は冷静だった。
「俺は、必ず戻る。それまで耐えてくれ……お前たちなら、できる!」
その言葉と共に、彼は光の中へと消えた。
封印完了。
泉の空気がひときわ重く沈み、周囲の霊気が濁る。
ゼルオルがほくそ笑む。
「これはブリシンガーを封印する為だけに創られた封印結界。戻ることなど、永遠に出来ぬ」
「さて、“加護”を失った人間たちよ」
ヴィルザが片手を広げ、魔障の紋章を展開した。
「試してみよう。絶望の味ってやつを」




