第41話「エルセリオン王国」
そこは別世界だった。
空は深く澄み、陽光が木々の隙間から金の筋となって降り注いでいた。
森の中には天然のアーチを描く巨木が並び、その枝先にはまるで星屑のような光が舞っている。
葉の一枚一枚が光を反射し、空間全体が静かな魔法に包まれていた。
遠くには、水晶のような透明な塔が幾本も立ち、白銀の橋が滝を渡る。木々と共に築かれた建造物は自然の造形と融合し、人の手を感じさせないほど美しかった。
これがエルセリオン王国。
エルフたちの聖域。
「……すごい……まるで夢の中にいるみたい……」
システィーンが、思わず息をのむ。
バルダーも珍しく無言だった。
ドゥガルは、目を丸くして呆然と口を開けたままだった。
だが、その幻想のような空間に、ひとつだけ鋭い気配が混じる。
「止まれ」
風に乗った声が届いた次の瞬間、木の影から幾人もの影が姿を現した。
弓を構えたエルフの衛兵たちが、音もなく周囲を囲んでいた。その動きは一糸乱れぬもの。迷いも、敵意も感じない。ただ、完璧な警戒と警告。
その中心に、白銀の鎧を纏った一人のエルフが進み出る。長身で、鋭く整った顔立ち。深緑の瞳には、永い時を見てきた者の冷静さが宿っていた。
「……その顔、その気配……まさか」
彼は、真っ直ぐにブリシンガーを見据えていた。
「ブリシンガー・ヴァルディア。まさか、貴方がまたここに来るとは」
一瞬、空気が緊張で張り詰める。
バルダーとシスティーンが、息を呑む。ブリシンガーは視線を外さず、静かに口を開いた。
「……久しいな、リゼルフェイン」
その名を呼ばれたエルフの指が、かすかに震えた。ほんのわずか、感情を押し殺すように目を細める。
「……あなたの帰還が、吉兆であることを祈りたいですが、それを判断するのは、我が王アリュセール陛下の御前にて」
「構わない」
ブリシンガーの声に、迷いはなかった。
だが、エルフたちの間には明らかに微かなざわめきがあった。
それは畏怖、そして過去を知る者たちのわずかな恐れ。
「……なぁ、ブリシンガー」
バルダーが小声で訊く。
「お前……この国と、何があった?助けたんじゃないのか?」
「昔、人間とエルフの戦争で割って入ったことがある。エルフ族がそれを快く思わない」
言葉の意味を問い返す前に、リゼルフェインが言った。
「王の御前へ─通せ」
弓兵たちが静かに道を開く。そして一行は、木漏れ日の中、ゆっくりと神秘の都へ足を踏み入れていった。
エルフたちのまなざしは、美しくも冷ややかだった。
ブリシンガーと、彼の連れた仲間たちを慎重に見つめるように。
エルセリオン王国・王宮
導かれた森の道の先に、巨木を幾重にも絡ませたような荘厳な建築物が現れた。
それは建物というより神殿に近い。光が織りなす曲線と柱の美しさ、音もなく流れる小川、そして建物全体が、まるで森の精霊そのものに護られているかのようだった。
王宮内は静寂と光に満ちていた。
床は樹皮を磨いたような天然の模様、壁には魔法で編まれた樹の文様が浮かび、香のような木の匂いが漂う。
案内を務めたリゼルフェインの後を歩きながら、ドゥガルがぼそりと呟いた。
「……こんな場所、斧で一歩でも踏み込んだら怒られそうだな」
「冗談抜きで、空気が綺麗すぎてくしゃみもできない……」
バルダーが小声で返す。
一方、システィーンは真剣なまなざしで周囲を見渡していた。
一歩ごとに、風の音が変わるのを感じていた。この国全体が魔法で生きている。
やがて─
「開門」
双扉がゆっくりと開かれる。
その先、光差し込む玉座の間に、王アリュセール陛下が静かに佇んでいた。
白銀の長髪が背に流れ、深緑の衣をまとったその姿は、まるで古の神像のようだった。
威厳という言葉では足りない。
彼は、時間そのものを纏っているかのようだった。
「……我が目が、再びお主を見る日が来ようとはな」
その声は低く、静かに響いた。
「ブリシンガー・ヴァルディアよ」
玉座の両側に立つ侍従たち、衛兵たちも、その名が呼ばれた瞬間、わずかに息を呑む。
ブリシンガーは一歩進み、跪いた。
「陛下。長き時を経て、再び御前に立てること、深く感謝申し上げます」
「感謝は不要だ。……ただ、知っておろう、我々は人間を快く思っておらぬ」
静かな声に、空気がわずかに震えた。
「かつて、知っている通り我等はミスリルを巡り、今から約200年前に人間と争った。その戦いの仲裁をしたのを覚えておるぞ」
「……はい」
ブリシンガーはゆっくりと顔を上げた。王の瞳が、細く、鋭くなった。
「お主がここに来た理由、それはミスリルの為だろう。それ以外に来ることはあるまい」
その言葉に、王宮内がざわめいた。王はしばし沈黙し、やがて静かに口を開いた。
「ミスリルは神から贈られたと言われる幻の金属。その力を求める者が、善なる心を持つとは限らぬ。お主でなければ絶対にアゼルグラム山脈に立ち入ることを許さぬ。絶対に、だが─お主ならば、我が民は信じるだろう。いや、“信じたい”と、今も願っている」
視線が、ブリシンガーの後ろの三人─バルダー、システィーン、ドゥガルに向けられる。
「そなたらは、この者と共に歩む者か?」
バルダーが一歩進み、まっすぐに王を見た。
「……はい。俺たちは、彼と共に、戦います」
システィーンも、静かに一礼し、ドゥガルは胸を張って「俺の槌が、あんたらの誓いの証に火花を加えてやる」と笑った。
王アリュセールは、目を細め、ほんのわずかに口元を綻ばせた。
「ブリシンガー一行の仲間なのであれば、特例として歓迎しよう。人間をここに入れるのは、数百年ぶりだな」




