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銀の伝承  作者: 銀の伝承
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第3話「ブリシンガー・ヴァルディア」

会場がザワザワしていた。

こういったトーナメント形式の処刑は過去に何度かあったが、通常は一戦目の、一撃で決着がついていた。だが今回起きたことは何時もとは逆の、相手の武器を破壊した後の凄まじい一撃。

例外中の例外だ。

数分の時間が流れた。観客は国王と同じ考えで、生半可な相手を用意してもあれではすぐにまた負けるということが分かっていた。なので、すぐに最強の戦士を登場させるということにしていたのだろう。

轟く歓声の中、フードの男はただ静かに立っていた。砂塵が舞うコロセウムの中央。先ほどまで圧倒的な強さで大男を葬った彼の姿は、観客たちに強烈な印象を与えていた。

「さあ、ヴァルハイト最強の戦士の登場だ!」

観客席から興奮した叫び声が飛び交う。

鉄格子の扉がゆっくりと開き、静寂が訪れる。その暗闇から、漆黒のローブを纏った長身の少年がゆっくりと姿を現した。黒髪に赤い瞳、冷たい表情。

彼の名はない。ただ「執行人」や「漆黒の戦士」と呼ばれていた。

「……」

彼は剣を抜かないまま、フードの男と対峙する。その目には感情の欠片もない。ただ命令に従い、戦いに挑むだけの戦士だった。二人が対峙し、しばらく静寂が流れる。最初に口を開いたのはフードの男だった。


彼は、執行人の少年の奥底にある何かを感じ取った。

「お前は……何のために戦う?」

フードの男が低く問いかける。しかし、相手は何も答えず、ただ剣をゆっくりと抜いた。その刃は無駄な装飾のない実戦向きのロングソード。構えは隙がなく、洗練されていた。

「……答える必要はない。俺の役目はただ、戦うことだ」

そう呟くと同時に、少年は一瞬で距離を詰める。速い。まるで影が流れるような動きだった。フードの男の眼前に到達するや否や、鋭い突きを放つ。

「ッ!」

フードの男はそれをギリギリで避ける。次の瞬間、流れるように横薙ぎの斬撃。連撃の速さは尋常ではない。しかし、フードの男は最小限の動きで全て回避していく。

(この剣技……ただの戦士ではない)

フードの男が感嘆する。

攻防が続く。少年の剣はまるで計算された機械のように正確無比。迷いも感情もない。ただ勝つためだけに振るわれる。しかし、それでもフードの男には一度も刃が届かない。

「……これがヴァルハイト最強か」

フードの男が小さく呟くと、その瞬間、少年が大きく跳躍し、片手を天に掲げた

「インフェルノ=テンペスト!」

次の瞬間、空間が燃え上がる。巨大な炎の竜巻がフードの男を包み込み、熱気がコロセウム全体を駆け巡った。観客が悲鳴を上げ、遠くに座っていた兵士たちすらも顔を覆う。

「な、なんだこの魔法は!?」「まるで生き物のように燃え盛っている……!」

炎の渦がコロセウムの中心で爆発し、燃え上がる火柱が天に届く。しかし、その中心にいる男は微動だにしない。

やがて、炎が収まり、燃え尽きたローブの切れ端が風に舞った。

そこに立っていたのは、光り輝く銀色の髪を持つ長身の男—フードの男だった。見た目の年齢は二十代半ばぐらい。彼のサファイアのように青い瞳が太陽の光を反射し、ボロボロになった服の間から、筋肉質な身体が露わになる。

完璧に通った鼻筋。彫像めいた横顔ーそれは人間としての“完成形”の美しさを持つ、端正な顔だった。

「……これは驚いたな」

その姿があまりにも神々しかったため、一瞬、会場全体が静まり返る。そして—

「……」

観衆は誰一人として言葉を発することができなかった。ただ、目の前に立つ銀髪の男の神秘的な美しさに息を呑むばかりだった。

騒然とする観客たち。しかし、少年は一歩も引かない。

「……それでも、倒す」

剣を構え直し、再び間合いを詰める。しかし—既に気付いた頃には彼は眼前にまで間合いを詰めていて、拳を握り締めて攻撃を放っていた。

拳が少年の顔面に到達する直前、恐るべき威力が顕現した。

拳の軌道が空間そのものを歪ませ、大気が爆発的に圧縮される。衝撃波が周囲に拡散し、砂塵を巻き上げるどころか、コロセウムの地面に深々とした亀裂を生じさせた。

風圧だけで少年の身体は後ろへ押し戻され、頬を切り裂く鋭い風が走る。

その場にいた観客たちは、まるで巨大な力場が解き放たれたかのような錯覚に襲われ、最前列にいた者は耐え切れず後ろへと転げ落ちる。

しかし、拳は決して触れなかった。ただ確実に、相手を屠るだけの力を秘めたまま、寸止めされたのだった。その静止した瞬間こそが、最も恐ろしかった。触れていないのに、戦場を支配する圧倒的な力の余韻が、まだなお空間を揺るがし続けていた。

「……ッ!」

観客が息を呑む。少年は初めて動きを止めた。

「お前は強い。だが、足りないものがある」

彼はゆっくりと拳を下ろし、静かに言葉を続ける。

「お前は、自分を何者だと思う?」

少年は一瞬だけ目を揺らした。まるで、その問いかけに答えられないかのように。

「……俺は……」

銀髪の男は微笑し、続けた。

「名前がないだろう。今日からお前の名は、バルダーだ」

「バルダー・ガインルフ。"導かれし狼"という意味だ」


銀髪の男は少年をじっと見つめた。その眼差しには、戦いで見せた冷徹さとは異なる、どこか温かみのある静かな意志が宿っていた。

「お前は剣を振るうことしか知らない。それが誰のための剣なのか、自分のためのものなのかさえも、考えたことはないだろう」

少年は目を見開いた。まるでその言葉が、自分の奥底にしまい込んでいた何かを抉るかのようだった。

「だが、戦う理由は自分で選べる。お前はただ戦うために生まれたのではない。強くあることに意味を持たせられるはずだ」

銀髪の男は腕を組み、ゆっくりと少年へ問いかける。


「俺と来るか?」

その言葉は命令ではなかった。強制でもなかった。ただ、純粋な問いだった。

「俺が、お前について行く?」

少年はかすれた声で呟いた。今まで命令されることはあっても、誰かに選択を委ねられることはなかった。戸惑いと、微かな期待が胸の中で交錯する。

「お前の剣は、未完成だ。その剣の意味を見つけたくはないか?」

銀髪の男は静かに言った。その声には確固たる自信と、どこか導く者の風格があった。

その言葉に、少年の目が僅かに揺れる。『名前』それは彼にとってあまりにも縁遠いものだった。ずっと、彼はただの戦いの道具であり、感情を持たずに命令を遂行するだけの存在だった。

しかし今、目の前の男は彼に名前を与えた。ただの戦士ではなく、一人の存在として。少年の心が揺れる。ずっと閉ざされていた扉が、今、ゆっくりと開かれようとしていた。


心の奥底で、何かが軋むような感覚があった。これまで押し殺してきたはずの疑問、恐れ、そして渇望—それらが、一瞬のうちに溢れ出しそうになる。

『俺は……何者だ?』

その問いが、彼の中で初めて形を成した。

これまでの人生はただ戦うことだけだった。負けることは許されず、勝つこと以外に価値はなかった。痛みも、苦しみも、考える暇すらなく、ただ王国の道具として剣を振るい続けてきた。

だが、この男は違う。圧倒的な強さを持ちながら、拳を止め、名前を与え、歩む道を示そうとしている。

今まで、彼にこのような接し方をする者は誰一人としていなかった。


少年はふと、自分の両手を見つめた。剣を握り続けてきた手。人を斬るために鍛えられた手。

「……バルダー……」

少年はその名を小さく口にした。それは不思議な響きだった。生まれて初めて、誰かが自分のために呼ぶ名前。

銀髪の男は踵を返し、歩き出す。その背中を見つめる少年の胸の奥に、微かな熱が灯る。

ついて行くべきか?

このままここに残れば、また同じ日々が続く。戦い、勝ち、殺し、命令されるままに生きる。

しかし—銀髪の男。その背中には、何の迷いもなかった。

少年はその場に立ち尽くす。これまでの人生、自分の意志で道を選んだことなどなかった。常に命令に従い、与えられた戦いに身を投じるだけだった。

だが、今彼には選択肢がある。


このままここに残れば、再び王国の戦士として命令に従い続けるだけだ。勝ち続ける限り生かされ、敗北すれば捨てられる。しかし、目の前の男は違った。圧倒的な力を持ちながら、戦いの中で彼を殺さず、名前を与え、道を示そうとしている。

「……俺は……」

少年は自らの手を見つめ、剣を強く握りしめた。そして、初めて自分の意志で剣を鞘に納めた。

観客が見守る中、彼は一歩、その男の後を追った。

静寂が広がる。

王国最強の戦士が、敗北を認め、誰かの後を歩く瞬間だった。その言葉が、決定的だった。少年は一度だけ、コロセウムの観客席を見上げた。歓声はもはや耳に届かない。今、自分が向かうべきは、この男の背中。

静かに、彼は踏み出す。だが、その瞬間、コロセウムの空気が変わった。

「待て!」

響き渡る国王の声。その指示に応じるように、武装した兵士たちが次々とコロセウムの周囲に集結し、剣を構える。群衆が騒ぎ始める中、王座に座るゼノファレス王が、冷たい目で男を睨みつけた。

「その少年は王国の所有物だ。貴様が勝手に連れ去ることは許さん」

兵士たちが一斉に剣を抜き、二人を取り囲む。しかし、彼はまるで何も感じていないかのように静かに立ち尽くしていた。

次の瞬間、圧倒的な気迫がコロセウムを襲った。

その男の身体から微かに金色の光が立ち昇る。それは決して強烈な輝きではない。しかし、その光が放たれた瞬間、空間全体に異様な圧力が広がった。


大気が揺らぎ、まるで見えない手が周囲を押し潰しているかのように重く感じられる。息をするのも困難なほどの重圧が、コロセウムの観衆全員を支配した。

そして、大地そのものが震え始めた。足元の砂が微細な振動を伴って舞い上がり、壁にわずかな亀裂が走る。観客席の最前列に座っていた者たちは顔を蒼白にし、震える足で後退する。しかし、それでも目を逸らすことはできなかった。


これは、ただの威圧ではない。圧倒的な力の本質が滲み出ているのだ。

銀髪の男が一歩前に進んだだけで、兵士たちは本能的に剣を取り落とし、膝をついた。目の前の存在が規格外の力を持つことを、肌で感じ取っていた。

見えない衝撃が空間を揺るがし、地面がびりびりと震え、観客たちは思わず席から転げ落ちるほどの威圧感に襲われた。兵士たちは恐怖に顔を引き攣らせ、足をすくませる。

「な、何だ……この感じは……!!?」

男はゆっくりと視線を上げるだけで、そこにいるすべての者の心を凍りつかせた。

そして、静かに告げた。

「この国がまた戦争を始めると知っていた。俺は、それを止めるためにここに来た」

それを聞いたゼノファレス王の表情が険しくなる。

「何……?」

男が続ける。

「ヴァルハイト王国は、次にグランヘイム王国を侵略しようとしているのだろう?そこは民主的で平和な王国だ。これ以上の侵略によって無益な戦争を起こし、多くの命を奪うことは許されない。血が流されるたびに、世界の均衡は崩れていく。この愚行を続けるのなら—」

空気が再び歪む。男の放つ威圧は、もはやコロセウムだけでなく、国全体を覆うような錯覚すら引き起こしていた。

「もしもお前たちがこのまま戦争を続けるなら―俺は、この国を一瞬で消し去る」

その言葉が放たれた瞬間、まるで世界が止まったかのような静寂が訪れた。

観客席の誰もが息を呑み、兵士たちは恐怖に凍りついた。まるで巨大な嵐の前の静寂のように、空間が圧倒的な緊張感で満たされる。

ゼノファレス王の表情がこわばる。王国の者たちですら感じていた。彼の言葉がハッタリではないことを。ただの戦士ではない。目の前の男は、国を一瞬で消し去るほどの力を持っている。

この男が本気で動けば、ヴァルハイト王国など存在しなかったことになる—そう確信させるほどの絶対的な力が、彼にはあった。

ゼノファレス王は言葉を失った。民衆も、兵士たちも、誰一人として動けない。

「……貴様、一体……何者だ?」

その問いに、銀髪の男はゆっくりと口を開く。

「俺の名は—ブリシンガー。ブリシンガー・ヴァルディアだ」

その名が響いた瞬間、コロセウムの全員が静まり返った。

こうして、戦士ブリシンガーは、ついにその名を明かした。


彼は踵を返し、去ろうとする。バルダーは俯いた後、後を追った。

静寂が広がる。王国最強の戦士が、敗北を認め、誰かの後を歩く瞬間だった。

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