第37話「追いつけぬ背中へ」
王族へ礼を告げた二日後。
出発前夜、王城・迎賓区の一室。夜は深まり、王城には静寂が満ちていた。
そんな中、客室の前にある小さな応接室の暖炉の灯が静かに揺れる中、バルダーがソファに腰掛けていた。
その横で扉が開く音がした。システィーンだった。
「……眠れなかったのか?」
バルダーが問いかけた。
「うん。バルダーこそ」
システィーンが小さく笑う。
「そりゃまあ、明日からドラゴンの山に向かうんだ。緊張するぜ」
バルダーが笑ったその顔は、冗談めいていたが、瞳の奥は真剣だった。
しばらく、暖炉の火が薪を弾く音だけが、部屋に静かに響いた。
「……ねえ、バルダー」
「ん?」
「誕生祭の戦いのブリシンガー、本気じゃなかったよね」
その言葉に、バルダーの目がわずかに細まった。
「ああ、全く と言って良いぐらい……」
バルダーは黙って頷く。
「あの魔族を倒すのに、むしろやり過ぎたと言っていたぜ。あれはもう、別の次元にいる」
彼は苦笑した。
「……でもさ」
バルダーが、ふと真顔に戻った。
昨日、ブリシンガーの言葉が火の粉みたいに、頭の奥で燻っていた。
――――
―昨日。
「なぁブリシンガー、あの誕生祭の魔族。あれが普通なら……正直、俺たちじゃ歯が立たねぇ」
システィーンも小さく頷く。
「私も……初めて見る魔族だったから。魔族って、みんなあんなに強いのかと思って……」
「違う」
ブリシンガーは即座に否定した。
「あれは、魔族の中でもかなり上の部類だ。普通はそこまで強くないが、帝国には、あれより遥か上がいる。魔族を束ねる存在が、三体存在する。素性は不明だが」
バルダーが低く息を呑む。
「……三体?」
「一体でも、大国の軍を総動員してようやく相手になるだろう」
「そんなのと……戦うの?」
システィーンの声は、かすかに震えていた。
「その三体は、俺が引き受ける。安心しろ。それに、それまでお前たちには極限まで強くなって貰うつもりだ」
バルダーは息を吐き、拳を強く握りしめた。
「……言われなくてもだ。今度は、置いてかれねぇ」
「私も……」
ブリシンガーが僅かに微笑み、頷いた。踵を翻した後の背中は、いつもより大きく見えた。
――――
―現在。
「……ずっと、傍観者でいてはダメなんだ。それじゃ、意味がない。あいつに追いつくことなんて無理だろうけど、それでも、隣に並ぶくらいはしてみたいと思った」
「……うん」
バルダーの表情は静かだった。だがその目の奥には、燃えるような決意が宿っていた。
「私も……一緒に戦える魔法使いになりたい。あの人に、背中を預けられるくらい」
「そうだな」
バルダーが立ち上がり、軽く伸びをしながら言った。
この二日間、バルダーとシスティーンは猛特訓をしていた。バルダーの剣技は飛躍的に伸び、システィーンの魔力の精度と幅が増しており、回復魔法も使用できるようになっていた。
二人の実力は瞬く間に王都の最高位の騎士や魔術師を凌ぐレベルになったことで、軍が度肝を抜かれた。
「いいな、その意気だ。どうやら俺たちは、目標ができたらしいな」
「うん。追いつけない英雄の隣に立つ……ってね」
システィーンが微笑む。
その時、廊下の奥から、ドゥガルの寝息が遠くに響いた。バルダーとシスティーンは吹き出すように笑った。
二人の決意は、静かに夜の中へと溶けていった。
共に戦う者として、彼らは変わろうとしていた。
翌朝。王都グランヘイム、正門前。
城門の前には、国王レオニダスをはじめとする王族たちと、数百人の民衆が集まっていた。
「……またすごいことになってるな」
バルダーが後ずさりながら小声で言った。
「……派手な別れほど、後が静かになる。悪くない」
ブリシンガーは相変わらず無表情だったが、内心では少しだけ気まずそうに目を伏せていた。
レオニダス王が堂々と前に出る。
「ブリシンガー・ヴァルディア。バルダー・ガインルフ。システィーン・メイルフィ。そなたたちの旅路が、光に満ちることを、グランヘイム王国はここに祈る」
王の宣言に続いて、民たちから歓声が上がる。
祝福の声が城門を越えて鳴り響いた。
「さあ、行こう」
ブリシンガーがそう言ったときだった。
「──っておおおおおおおおおい!!お前らぁぁぁ!!」
けたたましい叫び声が響いた。
王都の朝霧の中から、髪を振り乱したドゥガルが全力で駆けてくる姿が見えた。
「待てコラァァァ!! 俺を置いていく気か!?あの戦いを一緒に潜ったこのドゥガル様を、置き去りにしていいと思ったのかぁぁぁ!?」
「あ、ドゥガルさん起きてたんだ」
システィーンが目を見開く。
「いや起きてなかっただろ絶対。今ので起きたろ」
バルダーがぼそっと突っ込む。
ドゥガルはついに三人のもとにたどり着くと、ぜぇぜぇと肩で息をしながら指を突き出した。
「まったく……俺を外すとか、いい度胸してんな!剣が要るってんなら鍛冶師が必要だろ!?ミスリルだって、ただ拾って終わりじゃねえ!鍛える腕があって初めて意味があるんだ!」
「でも、ドゥガルさんこの街で鍛冶屋を開くんじゃなかったの?」
システィーンが恐る恐る聞く。それを聞いたドゥガルが怒気を強める。
「お前らの旅の目的を聞いちまったんだ、呑気に鍛冶屋なんて開いてる場合じゃねぇ!特にミスリルを扱えるかもしれないんだ。こんな機会、一生に一度あるか無いかだ!伝説の戦士の武器を作れるんだったら、俺はどこまでも着いていく!」
「……そうだな」
ブリシンガーが微笑んだ。
「鍛冶屋がいなければ、俺の剣は完成しない」
「ふふっ。まったく、素直に“連れてってください”って言えばいいのに」
システィーンが笑いながら言う。
「うるせぇ!」
ドゥガルが照れ隠しに腕を振り回す。
「これで、揃ったな」
王族たちは、彼らのやり取りを見守りながら、微笑を浮かべていた。
レオニダス王は一歩前へ出て、もう一度だけ、深く頷いた。
「行け。勇者たちよ。その歩む道が、やがてこの世界を救う光となることを、我らは信じている」
その言葉を胸に、四人は大勢の人たちに送られながら歩を進めた。
遠くの、その向こうに目的地─エルセリオン王国がある。
ブリシンガーたちは、荷物や装備の軋む音を立てながら静かに歩いていた。
そんな静寂の中、システィーンがふと、口を開いた。
「ねえ、ブリシンガー。エルセリオン王国って、どんな場所なの?」
その声は好奇心に満ちていたが、どこか緊張も滲んでいた。
バルダーが後ろから口を挟む。
「俺も気になるな。エルフって昔から閉鎖的だろ。こっちから頼み事すると、説教と最後に断りがセットっていう噂だぞ?」
「あながち間違っていないな」
ブリシンガーが静かに答えた。
「エルセリオンは、“時の守り人たちの国”と呼ばれている。彼らは森と共に生き、数百年を生きる中で、世界の移ろいを見てきた。魔法と自然、そして記憶で築かれた国だ。だが同時に、それだけ“変化”を嫌う」
「つまり、よそ者には冷たい……ってことか?」
バルダーが眉をひそめる。
「そうとも言えるが……奴らは礼儀や真意には敏感だ。特に人間とは過去にミスリルを巡って争った経験がある。完全に断交していないとは言え、人間と親しい俺達ドワーフにも冷たい者も多い」
ドゥガルが前を歩きながら振り返る。
「誠意を示せば、頑固さの裏にちゃんと“心”はある。ただ……すっごくまどろっこしいけどな」
「……なんだか緊張してきました」
システィーンが苦笑しながら草原の先を見つめた。
「……それでも、世界の平衡の一端を担っている者たちだ。尊重すべき相手だ」
ブリシンガーの声は、どこか懐かしさを帯びていた。
「ブリシンガーも、過去にエルフと関わったことあるのか?」
バルダーがブリシンガーに語りかける。
「ああ、何度もある。人間との関係が悪化する前にも、共に仲間として旅もしたこともある。魔法に精通し、強力な魔力を持つ」
ブリシンガーが静かに、だがどこか誇らしい声色をしていた。
「心強そうな仲間だね。エルフって人間とかよりずっと長く生きるんだよね?」
システィーンが上を向き、指を顎に乗せて考える。
「魔族とほぼ同じだ。数百年は生きる」
「魔族もエルフ族も、気が長いんだな」
バルダーが気軽に放つ。
「奴らは誇り高き種族だ。彼らの王国に直接行こうとした人は数え切れないが、奴らは接近する人の”素質”を試す。自分たちが相手にするか相応しいかを見極める。だからたどり着けたのは極わずか。故に情報が少ない」
それを聞いたシスティーンの表情が少し強張る。
「私達にも優しくしてくれたらいいな……」
「一つ、エルセリオン王国に到着する前に通らねばならない場所がある」
ブリシンガーが三人に向かって話す。それを聞いたドゥガルが眉をひそめる。
「”幻影の森”だな?」
「ああ、そうだ」
幻影の森。グランヘイム王国から彼らは北東の方面へ向かっている。その二つの王国の間にある広大な森。エルフ達の支配区域にあり、一度迷い込んだ者は戻ってこられないと言われている。
「そこで国に入ろうとする者が試されるらしいぜ。その森で」
ドゥガルが真剣な眼差しで遠くを見つめる。
システィーンとバルダーが不思議そうに聞く。それに対してブリシンガーが答える。
「俺は何もなかったが、その時に一緒にいた仲間達は、自分たちの”影”と呼ばれる複製と戦わされると聞いた。己の実力以上に、精神的にも追い詰められる試練だったと言っていた」
それを聞いた三人が息を呑む。自分自身と戦うという場面が想像できなかったからだ。
だが、それを通らないとエルフと接触することすら許されない。
これから試される覚悟を、三人は決めた。




