第36話「三柱、始動」
イシュカンダル帝国、王城・深層謁見の間。
そこは、選ばれし者しか立ち入ることを許されない、帝国の心臓部。
永遠の闇を抱くような漆黒の空間に、禍々しい魔導の光が浮かぶ。
重厚な円卓を囲むのは、帝国を支配する“三柱”。
◆第一の柱──《メレディナ・ヴォルク》
漆黒のドレスに身を包んだ女魔術師。冷酷で傲慢、冷酷な知性の化身。
◆第二の柱──《グロイ・ザグラン》
重装鎧に身を包んだ屈強な巨人。豪腕と戦闘本能の化身。力こそが正義と信じる男。
◆第三の柱──《カイム・イグナート》
仮面を被り、無言で佇む謎の騎士。冷静沈着にして非情、帝国最古参にして実質の指導者格。
その静寂を破るように、一人の報告官がひざまずき、口を開いた。
「報告をいたします」
沈黙。
「先日の誕生祭、王都グランヘイムに潜伏していた魔族ゲイラが“消滅”しました。作戦は失敗。さらに─」
報告官は、言葉を呑み込んだ。
「……討ったのは、“ブリシンガー・ヴァルディア”と名乗る男です」
その名が落ちた瞬間、部屋の空気が変わった。
「……ブリシンガー?」
メレディナが小さく笑う。
「ただの神話だと聞いていたけど……本当だったとはね」
グロイが唸るように言う。
「たった一撃で魔族を粉砕し、地平線ごと山を吹き飛ばしたとの報告もある。ゲイラは魔族の中でも戦闘力がトップクラス。そんな奴が一撃で倒された。信じられるか?王都の外の地形が変わっている。少し前の地震が、それだろう」
報告官は続けた。
「その男がミスリルの剣を必要としている、という情報もございます。王族も動いています。北部のミスリル鉱山、アゼルグラム山脈へ向かうと……」
再び沈黙。
やがて、円卓の最奥に座っていた仮面の男、カイム・イグナートが立ち上がった。
その動作だけで、空気が張り詰める。
「─奴が、動き出したか」
「……カイム?」
メレディナが眉をひそめる。
「ブリシンガー・ヴァルディア。かつて神が創った調律者。この世界が乱れたとき、神ハルディヴァ―が送り込んだ“秩序の刃”だ。まさかとは思ったが、活動を開始している」
「何千年も前の話だぞ……今でも存在していると?」
グロイが嘲笑うかのように話す。
「そうではない」
カイムの声は、低く、澄んでいた。
「奴は、ずっと戦い続けていたのだ。時代が忘れても、歴史が埋もれても、止まらずに。そして、奴が我等のこれからの"計画"の理由でもある」
「カイム、お前……奴と会ったことがあるのか?」
グロイが問いかけた。
「昔、ただ一度─遠い昔の戦場で、見上げた姿を今も覚えている。あれは人ではなかった。“光”そのものだった」
言葉を失う一同。
カイムは静かに仮面を撫でた。
「……世界は、動き始めた。ならば我らもまた、準備も急がねばならん」
「ならば、動こう」
グロイが拳を鳴らす。
「彼らはアゼルグラム山脈へ向かう最中、エルフのエルセリオン王国を経由するだろう。刺客を送り込ませろ」
カイムは仮面越しの鋭い眼光でグロイを見据える。
「刺客程度では彼を倒せんぞ」
グロイは微笑を浮かべた。
「万が一の為に、奥の手も用意してある……だが、今はその時ではない。先述の彼らを送り込むのだ」
それを聞いたカイムはフッと鼻を鳴らした。まだ懐疑的なようだったが、一先ず納得した様子を見せた。
「ブリシンガー・ヴァルディア。貴様が今の世界で、どこまで通用するか……確かめさせてもらおう」
そして、イシュカンダル帝国の闇が再び地を覆い始める─。
その頃、遥か西。
グランヘイム王国、王城・戦略会議の間。
巨大な地図が広げられた円卓を囲んで、王と王族、軍の高官たちが集まっていた。
その中央にはアゼルグラム山脈と、その手前にあるエルフの王国、エルセリオンの名が記されていた。
「アゼルグラム山脈か・・・」
ロズベルク王子が地図を見つめながら言う。
「ミスリルの原鉱が眠る唯一の場所……」
王女レオナが小さく呟く。
「あの地はドラゴンたちの領域。人が踏み入れば、必ず試される……だが、そなたらならば辿り着くだろう」
レオニダス王は静かにそう言った。
その言葉には、信頼と決意、そしてどこか、別れを悟るような色が滲んでいた。
ブリシンガー、バルダー、システィーンの三人頷く。
「あと二日したらここを去る。旅立つ前に、礼を言っておきたかった」
ブリシンガーの言葉に、王は首を振った。
彼らも出来ればすぐに出発したい所だが、まだ王都が襲われたばかり。警備も含めて数日間だけ滞在することにした。
「何も礼など要らぬ。王都を、我が民を守ってくれたのだ。我々は、貴殿たちの旅の目的を理解した上でできる限りの協力を惜しまぬつもりだ」
その言葉に、王族たちも皆、うなずく。
だがブリシンガーは、ほんのわずかに、悲しげに目を細めた。
「……感謝する。だが、王よ─それはできない」
空気が、少し変わった。
「これ以上、グランヘイム王国をイシュカンダル帝国の脅威に晒すわけにはいかない。この旅は、我々三人だけで進める。誰かの加護や援軍を背にしてはいけない戦いだ」
バルダーが腕を組み、続ける。
「帝国はもう俺たちの動きを掴んでいるに違いない。下手に王国の旗が絡めば、戦火は確実にここに及ぶ。それを避けたい」
「王国は、無事でいてほしいから……」
システィーンの言葉は柔らかく、しかし決して譲らない決意があった。
レオニダス王はしばし沈黙した。
その瞳には、王としての矜持と、一人の“父”としての苦悩が宿っていた。
「……そうか」
そして彼は、静かにうなずいた。
「ならば、命じることはせぬ。ただ……“祈る”ことは許されたい。そして、この王都にあるミスリル―それを持っていくがよい。アゼルグラム山脈で採れた分と足すのだ」
「感謝する」
ブリシンガーが穏やかに答えた。
「その祈りとミスリルがあれば、俺たちはどこまでも進める」
三人の背には、王も、民も、重荷としてではなく、灯火として残された。
まず目指すは、エルセリオン王国。
その先に眠る、神に匹敵する力と、新たな試練を求めて。




