第35話「ブリシンガーの剣」
一連の混乱が収まり、王都の広場にもようやく落ち着きが戻り始めた。
王城の守衛たちは避難していた民衆に、王は無事であり事態は収束したと告げて回っていた。
一方、王の間では、すべての視線がブリシンガーに向けられていた。
彼はまだ、戦いを終えた直後とは思えない穏やかな気配を纏っていた。
「……尋ねばならんことがある」
重みのある声が、広場全体を包んだ。
「いや、まずは礼を述べよう。よくぞ我等を守り、王国の為に戦ってくれた」
王族たちも続けて一礼する。
「だが、それでもなお……問わねばなるまい」
レオニダス王の目が鋭くなる。威圧ではない。ただ、王としての当然の責務が、その声に宿っていた。
「貴殿は一体、何者なのだ?」
その問いに、広場の空気が張り詰める。
近くにいた兵士たち、側近と王族が息を呑む。その問いは、誰もが胸に抱えていた疑問だった。あの力、あれを目の当たりにした今、そう尋ねるのは当然のことだった。
「名は─ブリシンガー・ヴァルディア。冒険者だ」
彼が名を発した瞬間、場の空気が一段と静まり返った。
その名に反応する者は少なかった。だが、王だけは違った。
「ブリシンガー……ヴァルディア……」
レオニダス王がその名を反芻するように口にし、目を細めた。
「子供の頃に聞いたことがある気がするな。おとぎ話の中に出てきた名前だ」
彼の声は、どこか夢を語るように、遠い記憶をなぞるようだった。
「ただの作り話だと思っていたが……」
バルダーがふっと鼻を鳴らす。
「な?誰も信じないって言ったろ、本人が言っても」
王はしばし黙し─やがて、深く、静かに息を吐いた。
「……本物かどうかなど、もはやどうでもいいのかもしれんな。たとえ神話であろうと、こうして我らを救った者が今ここにいる。それがすべてだ」
「ブリシンガー・ヴァルディア殿。並びに、その仲間たちよ」
玉座の間に響く、レオニダス王の声は荘厳で、それでいてどこか温かかった。
「そなたらがいなければ、この王国の危機であった。その勇気と力が、この王国を救った。よってここに、そなたらをグランヘイム王国の英雄、かつ特別客人として迎え入れることを宣言する」
玉座の前に立つブリシンガー、バルダー、システィーン、ドゥガル。
その言葉に、玉座の間にいた全員が一斉に拍手を送った。
それは決して形式的なものではなく、
本心からの喝采だった。
「……騒がれるのは、正直あまり得意じゃないんだがな」
ブリシンガーが少しだけ困ったように眉を寄せる。
「こうなっちまったら仕方ねぇだろ」
バルダーが肩をすくめる。
ドゥガルは自慢げに腕を組み、広場の中央で堂々と仁王立ち。
「ようやく俺の時代が来たか……!」などと謎の勘違いをし始めていた。
「私たち、傍観していただけだったけどね……」
システィーンも少々困った顔をしていたが、ブリシンガーの仲間ということで、彼と同様の扱いを受けていた。
その日の誕生祭は、突如として様相を変えた。
民たちの間ではブリシンガーの名が瞬く間に広がり、あっという間に王都全域を駆け巡った。
王からの正式な命により、ブリシンガー一行はその日の夕方、王城内に設けられた国の客人専用の迎賓区画へと案内された。
「……ここに、泊まるのか?」
広大な回廊を抜け、厚い扉が開かれた先に広がっていたのはまるで別世界だった。
床には深紅の絨毯が敷かれ、天井には金細工のシャンデリアが煌めき、ふかふかの天蓋付きベッドの寝室、銀の食器が揃えられた応接間、果ては専属の侍女まで待機していた。
「え、えっと……これ、本当に泊まっていいんですか……?」
システィーンは部屋の中央で小さくなっていた。この広大な部屋が一人一人に用意されていたのだ。
窓から見えるのは城下町の灯りと月光、そして、微かに聞こえる楽団の音色。まるで夢のようだった。
一方、ドゥガルは満面の笑みでベッドで跳ねていた。
「……これが文明ってやつか……!」
「俺たち、昨日までは街の宿で床の硬さ比べしてたはずだよな……」
バルダーが天井を見上げながら嘆く。
「旅というのは、急に風向きが変わるものだ」
ブリシンガーは静かに、だがどこか居心地悪そうに部屋の壁を眺めていた。
「……寝具に魔獣の毛皮を使う必要は、あるのだろうか……?」
そしてその夜。ベッドに腰かけながら、システィーンはそっと呟いた。
「こんなに豪華なところ、落ち着かないはずなのに……なんだか安心するのは、どうしてだろう」
隣の部屋から聞こえてくるのは、バルダーとドゥガルの騒がしい言い合い。
そしてそのさらに隣の部屋で。窓辺で月を見上げるブリシンガーの静かな気配。
―そうか。
この旅の仲間たちが、一緒にいるからだと、気付いた。
たとえどんなに眩い部屋でも、どんなに豪華な寝具でも、孤独なままならば、ここはただの箱だっただろう。
翌日。
王都では―彼らの名を知らぬ者がいなかった。ほんの一日前まで、彼らは旅の途中の名もなき一行だった。だが今や、王国全土にその名を知られる存在になっていた。
一行は外には出ず、城の静かな中庭に居た。光が差し込み、花々が揺れる静かな空間にブリシンガーの剣の残骸が庭の台の上に静かに並べられていた。
ブリシンガー本人は城の者に呼ばれ、そこにはいなかった。
破片は幾つにも分かれ、鈍く光っていた。
「……やっぱりな」
バルダーがしゃがみ込み、ひと欠片を手に取った。
「あんな戦い方してちゃ普通の鉄が持つわけねぇ。あの時でもまだまだ本気じゃなかったのにあの威力だ。剣が持たなかったのも無理はねぇよ」
その隣で、システィーンも小さく頷いた。
「ブリシンガーの力に……剣が追いついてない……」
破片を前にしたバルダーとシスティーンの脳裏に、昨日の言葉が蘇る。
「剣が追いつかなかったのではない、俺が、置いて行ったんだ」と。
ドゥガルは腕を組んで、剣の破片を見つめながら低く言った。
「あいつの剣を鍛えるなら、素材は“ミスリル”しかねぇ。俺でも分かるさ。あれほどの力に耐えられる金属なんざ、世界でもそれくらいだ」
「でも……その鉄はとても危険な場所にあるんだよね?」
システィーンが不安そうに顔を上げる。
「─ふむ、それは確かに難題だな」
突然、背後から重みある声が響いた。
三人が振り返ると、そこには散歩の途中らしいレオニダス王と、付き従うロズベルク王子の姿があった。
「お、お聞きになられていたのですか……?」
システィーンがやや気まずそうに頭を下げる。
王は柔らかく笑いながら頷いた。
「いや、気にするな。むしろ、偶然とは思えぬ出会いだ」
王子が一歩前に出て言った。
「イシュカンダルから提供されたミスリルを使え と言いたい所ですが、剣の素材となるには、量が足りないですね」
ドゥガルが首を振る。
「剣一本の形にはできても、本気の一撃に耐えるには足りねぇ。あいつの剣は、ただの武器じゃいけねぇ。どんな戦いでも砕けない、意思が宿るほどの強度がなきゃいけねぇんだ」
レオニダス王は短く唸り、思案深く空を仰いだ。
「……ならば、残る選択肢は一つだな。北の地、アゼルグラム山脈」
その名に、空気が一瞬、凍りついた。
「アゼルグラム……!」
システィーンが小さく呟く。ミスリルが採掘される唯一の場所。だが、あまりにも険しく、危険な場所故に何人たりとも踏み込み得ぬ聖域。
「だが、あそこはドラゴンの縄張り。山脈全体が彼らの聖域として知られていて、誰も近づけない」
レオニダス王が続ける。
「だがブリシンガー・ヴァルディアならば、あるいは……」
風が吹き、剣の破片がカランと音を立てる。バルダーが立ち上がり、剣の欠片を強く握りしめる。
「行くしかないな、これは。あいつの新しい剣を作るために」
システィーンも静かに頷いた。
その碧い瞳には、恐れではなく覚悟が宿っていた。




