第32話「嵐の前の静けさ」
王都グランヘイムは、まさに活気の頂点に達していた。
王女の誕生祭を明日に控え、街中の通りは色鮮やかな布や装飾で彩られ、至る所から音楽や笑い声が響いてくる。
露店には菓子や果物、仮面や小道具が並び、人々は皆、晴れやかな顔をしていた。
「わあ……昨日より、もっと華やか」
システィーンが、ぱあっと目を輝かせていた。
その顔には、不安よりも期待が勝っている。
「完全にお祭り騒ぎだな」
バルダーは苦笑しながらも、少し肩の力を抜いているようだった。
一方で、ブリシンガーは街の奥を静かに見つめていた。
そんな中、不意に後ろから太く明るい声が響いた。
「おう!やっぱりお前らだったか!」
振り返れば、赤毛の三つ編み髭と鍛冶職人の風格―
「ドゥガルさん!」
システィーンが嬉しそうに声を上げた。
「元気そうで何よりだ」
ブリシンガーも頷く。
「当たり前だ。王都の鍛冶仲間と合流して、昨日まで打ちっぱなしだったが……今日は休みだ。どうせなら様子でも見に来るかと思ってな」
「何か変わったこととかはあったか?」
バルダーが腕を組みながら尋ねる。ドゥガルは肩をすくめた。
「これがまた、何もないんだわ。不気味なくらいに、な。街は浮かれきってるが……その分、気になることが一つだけある」
「なんだ?」
「警備だよ。明らかに普段より騎士が増えてる。しかも、見張りの交代が異常に早い。裏通りにも配置されてるって話だ。イシュカンダルが明日、何かをしでかすというお前達の言葉は嘘じゃないようだな」
「……王側も、明らかに警戒してるようだね」
システィーンが静かに呟く。
ドゥガルは腕を組み、眉をしかめた。
「まぁ、王族の娘の誕生祭だから、多少の警備強化はわかる。だが、これは“迎撃”の備えだ。何かが来るのを想定してる動きにしか見えねぇ」
その言葉に、一瞬だけ空気が張り詰めた。
王都城の大広間には、控えめな金の灯が揺れていた。
祝宴を控えているというのに、空気はどこか静かで、妙に張り詰めていた。レオニダス王は玉座に腰を下ろし、しばし黙していた。傍らには、王子ロズベルクが控えている。彼の顔にも、どこか翳りがあった。
その背後―部屋の奥には、いつもと変わらぬ顔で控えている者がいた。
外交官、アレス。
王に長年仕えてきた忠実な家臣。民の信頼も厚く、冷静沈着で知られている男。
その表情には、今日も変化は見えない。
ただ、彼の目だけが。その琥珀色の瞳の奥に、わずかに揺れる“光”があった。
静かに瞬きする―それだけの動作の中で、ほんの一瞬、黒く濁るような影が走る。
アレスは、相変わらず穏やかに微笑んでいた。礼儀正しく、忠誠に満ちた言葉を王に捧げる。
「明日も、滞りなく式典が執り行われますよう、全力を尽くします、陛下」
「……頼んだぞ、アレス。お前ほど、信頼できる者もおらぬ」
「光栄の極みでございます」
静かに頭を下げるアレスの影がその瞬間、ふと“歪んで”見えた。だがそれもほんの刹那のことで、再び正される。
王も、王子も、誰一人として気づかない。
その夜、ブリシンガー一行の宿の一室。
ブリシンガーたち四人は、粗末な木製のテーブルを囲んでいた。火を落としたランプの明かりが、彼らの表情をぼんやりと照らしている。
「……いよいよ明日ね」
バルダーが腕を組み、椅子の背にもたれる。
「街の警備、強化の仕方が尋常じゃねぇ。王族も警戒してるってことだろうが、俺達も油断ならねぇ」
ドゥガルも頷いた。
その場をまとめるように、ブリシンガーが口を開いた。
「帝国のことだ、ただ単に外部からいきなり攻めてくることは考えにくい。何より帝国側が出軍をしたという話もない」
「どこからどうやって攻めてくるかわからんが、何かがあった時は、俺が一番速い。最初に動く。システィーン、お前はいつでも魔法が使えるように準備しておけ。今まで魔力の流れを感じる訓練の成果を発揮する時だ」
「わ、わかりました……!」
「バルダー。お前は、常に剣に手を置け。少しでも異変を感じたら、迷わず抜け」
「ああ。そういう空気だってのは……もう、身体が感じてる」
「ドゥガル、お前も俺たちに協力をしてくれ。王都に来たばかりとはいえ、頼りにしてる」
「任せとけ。斧の手入れは完璧だ。敵が来るなら、斬ってやるだけだ」
四人の視線が、重なった。それぞれが明日を前にして、すでに戦場を覚悟していた。




