第30話「束の間の平和」
誕生祭を三日後に控えた夜。
王城の奥、王の間は静寂に包まれ、蝋燭の灯りだけがわずかに揺れていた。
その中央で、レオニダス王が静かに書簡を読み、ロズベルク王子が黙してその対面に立っていた。
「……父上」
王子の声が、沈黙を破った。
「誕生祭の件ですが……本当に、このまま開催してもよいのでしょうか」
レオニダス王の手が止まった。重厚な顔をあげ、ゆっくりと息を吐く。
「お前がそう言うとは思わなかったな。ロズベルク。お前はかつて“民に夢を与える場こそが祭りだ”と言っていた」
「そう思っていました。……ですが今回は、違います」
王子の声音には、ほんの僅かに躊躇いがあった。
「イシュカンダル帝国からの献上品、ミスリル。ただ単なる友好の印とはとても思えません」
レオニダス王は、しばし王子の言葉を聞いていたが、やがて静かに言葉を返した。
「構わん」
その一言に、ロズベルク王子の眉が動く。
彼の不安をかき消すように、レオニダス王は答える。
「この国の民は、長き平和の中で“王の象徴”として私とお前を見ている。ここで中止すれば、それは恐怖の証左だ。何かが迫っていると認め、民にも恐怖を与えてしまう」
「ですが―」
「民の心は、剣では動かせぬ。だが、“信”でなら動かせる」
重々しい言葉の一つ一つが、ロズベルクの胸に響いた。父が、王として、何を優先しているのか今、痛いほどに分かる。
「……承知しました。であれば、この身を賭してでも父上をお守りします」
「頼もしいな」
レオニダス王は微かに微笑んだ。
「だが油断はしていない。私とて、“構わん”とは言ったが、“何も起きない”とは一言も言っていない。警戒を最大限した上での開催だ。あらゆる不測の事態に備える」
その眼差しは、若き王子に王としての責任を託すように、深く重く、そして誇らしかった。
ロズベルクは、そんな父を見て束の間の安心を得た。
翌朝― 王都を包む陽射しは穏やかで、空には雲一つなかった。誕生祭を控えた街は、相変わらずの賑わいを見せている。
「昨日よりさらに人が増えてる気がするな……」
バルダーが周囲を見渡しながら小さくため息をつく。
「でも、こうやって歩くのも……悪くないね」
システィーンは胸いっぱいに街の香りを吸い込み、嬉しそうに微笑んでいた。
そんなバルダーとシスティーンはブリシンガーの一日の行動に目を見張る。
階段を上がろうとする腰の悪い老婆を支え、迷子の子供を母親の元へ送り、落ちた荷物を拾っては手渡していた。
そんな彼を見て、二人が穏やかにほほ笑む。
「ちょっと似合ってるかも……」
システィーンが思わず笑ってしまう。
そこへ、ブリシンガーが戻ってくる。
「……何か?」
「いやいや、別に? ただ“無口で顔もよく分からないのに、やたら優しい謎の戦士”って、意外だなーって思っただけだ」
「ふふ……でも、そういうところ、素敵だと思うよ?」
システィーンが笑顔で言うと、ブリシンガーが一瞬だけ、そっぽを向いた。
「……照れてる」
「やめろ」
その日の昼過ぎ、三人は、宿で昼食をとっていた。
「……ちょっとトイレ。すぐ戻る」
そう言い残して、バルダーは酒場の奥へと姿を消した。
「……バルダー、変わったよね。私と出会った頃ですら少しだけ目の奥に冷たさを感じることがあったけど、今では年頃の男子みたいね」
ブリシンガーの横顔に、微かな笑みが滲んでいる。
「変わった、というより……ようやく、“戻ってきた”のかもしれん」
システィーンの目が揺れた。旅の道中で、彼が武闘国家であるヴァルハイト王国出身なのは聞いていたが、彼は自身の過去について、あまり語りたがらない節があった。
「今まで、あいつに与えられてきた生き方とは……違う」
テーブルの上で、カップの湯気がふわりと揺れる。
「お前の影響も、大きいだろうな」
「え、私の……?」
「お前のように光の中にいた人間が傍にいるというのは、闇の中にいた者にとっては救いになる」
その言葉に、システィーンの胸がじんわりと熱を帯びる。
「そんな、私は……何かをしてるつもりは……」
「自信を持て。お前は、そういう存在だ」
彼の低く穏やかな声が、心の奥深くに染み込んできた。だがその余韻を壊すように、ちょうどバルダーが戻ってくる。
「おい、何だ? なんか笑ってんぞお前ら」
「な、なんでもないです!」
システィーンが急に慌てて顔を逸らす。
「俺の変な話してたんじゃないだろうな……」
「バルダー。手洗いが長いのは、腹でも壊したのか?」
ブリシンガーが静かに言った。
「お前な!そういうのは言わなくていいんだよ!」
そんな声に、宿の一角に小さな笑いがこぼれた。




