第2話「フードの男」
王国ヴァルハイトの地下牢獄。ロウソクの薄暗い火の光でぼんやり照らされているだけの、薄暗く湿っている場所。無機質な石のレンガと堅牢な鉄格子で出来たその牢屋の中には一人の男が静かに座っていた。
大きなローブを全身に纏い、フードを深く被っていることから彼の素性は知れない。しかし、同じ牢屋にいた他の囚人は彼に話しかける。
「おい兄ちゃん、アンタ昨日からここにいるけど何をしたんだ?」
「………………」
そのフードの人物は話さない。
「喋らねえけどよ、ここにぶち込まれた時点で俺もお前ももう終わりだぜ。アンタは見るからに外部から来た者だろうけどよ、ヴァルハイトはちょっとした罪でも処刑になる国だ。もうすぐコロセウムで処刑されるだろうよ」
「………………」
暫くして、鎧に身を包んだ兵士が三人やってきて、鉄格子の鍵を上げた。錆びた金属音と共に重い扉が開かれる。
「時間だ、お前の裁判をこれから始める。出ろ」
フードの人物は無言でゆっくりと立ち上がり、兵士たちの言う通り牢獄から出た。ローブから腕を出せと命令され、両手首に手錠をかけられた。
(なんて傷の付いた腕だ。しかしデケェなコイツ。一体何者なんだ)
兵士の一人は彼を見てそう思わずにはいられなかった。全身がローブで隠されているので容姿が確認出来ないが、彼の差し出された腕の肌は真っ白だった。ゴツゴツとした手と腕にはまるで彼が歴戦の戦士かのような、無数の古傷が刻まれていた。立ち上がった彼の身長は二メートル近い。三人の兵士も大柄だが、ローブで隠れていても彼の肩幅の広さと胸板の分厚さが伝わってくる。
「おい兄ちゃん!健闘を祈る!!」
牢獄にいた囚人が、彼が連行された時に後ろから大きな声で叫んだ。ヴァルハイトの裁判は名ばかりで、実際はこれにかけられた人はほぼ死刑になるのだ。ちょっとした罪でもすぐに死刑。それがこの国の掟なのだ。
牢獄から出て、長い廊下を歩いたのち、大きな木の扉の前に到着した。ギィィという音で扉が開かれ、大きな部屋の中へ入っていった。間違いなくここは法廷だ。罪人が中央に建つ段が用意されており、周囲では王国の重要そうな人物が座っていた。一番奥では裁判官と思われる老婆が硬い表情でこちらを見ていた。
中央に立ち、暫く静寂が流れた後に裁判官が口を開いた。
「お前たな、昨日盗みを働き、一人で不審な行動を取っていた男は」
「………………」
男は無言のまま話さない。深く被っているフードで彼の顔は暗闇に包まれており、表情を読み取ることもできない。
「何か弁護することはないか?でなければお前の死刑は決定する」
静寂が数秒流れた後、ついに男がゆっくりと口を開く。
「……何を言おうとも、俺の定めは変わらないのだろう?」
彼の声を聞いた観衆は少しザワついた。声は低く滑らかで、貫禄があった。大きな声ではなかったが、まるで地面を揺らすかのような迫力があった。しかし裁判官の女性はそれに怯むことはなく、毅然とした態度で答えた。
「よく知っているな。この王国では裁判にかかった時点でお前の死刑は確定している。特に外部者となると速やかに対処せねばならない。これからお前はコロセウムにつれていく。そこで存分に戦って死ぬがいい」
「………………」
男はそれ以上話さず、ただ黙っていた。
名ばかりの裁判官がカンッ!と木槌を叩いた後に部屋にいる人物全員が立ち上がった。取り付く島もない。後ろで控えていた兵士たちが彼の腕をガシッと掴んだ。
「さぁ行くぞ」
男は抵抗せずに、彼らに連行されるままついて行った。裁判所を出た後、彼はヴァルハイトの街をまるで見世物かのように歩かされていた。それを見ていた人々が彼をチラチラ見ながらヒソヒソと話す。
「見て、あれが昨日捕まったと噂の死刑囚よ。これからまたコロセウムで処刑されるらしいわ」
「また満員だろうな。急きょ開催が決定されたんだが、昨日チケットを取りたかったけどすぐに満員になっていて無理だったよ」
「仕方ない、でも魔法投影された大きな画面で生中継されるから、それで我慢だな」
言われたい放題だった。しばらく歩いていると遠くに巨大な円筒状の建物が現れた。コロセウムだ。既にここから観客の歓声が聞こえていた。
コロセウムの麓に到着すると、巨大で重たい鉄格子の扉がゴゴゴと音を立てながら開いた。入れ と命令され、彼は歩を進める。廊下となっており、横の窪みには戦う者が控える為の待機室があったが、そんなものはスルーされた。廊下を抜けついにコロセウムの砂場の入口にまで到着した。
「覚悟はいいな?」
兵士の一人が彼に言った。
「ここから見える中央の剣を取れ、そこで反対側から登場する相手と存分に戦え」
最後に言い残し、砂場へと続く鉄格子が開いた。彼は兵士から背中を強く押されて入場した。四方百メートル以上はありそうな巨大な広場だ。天井は抜けており、青空と太陽の光が燦々と降り注ぐ。会場は満員だ。彼の入場と共に歓声が一気に高まり地面が振動するほどの熱気に包まれていた。
「見ろ!来たぞ!死刑囚だ!」
「昨日に続いてまた今日も見れるとは、ラッキーだぜ!」
フードの男は周囲を見渡す素振りをした後。そこにジッと立つ。中央に刺さっている短剣を取る素振りもない。彼のその不可解な行動が更に盛り上がりに拍車をかけていた。この様子は城下町の中央広場で、魔法で投影された巨大な画面で中継されていた。
彼が立ってから数十秒後、向かい側の鉄格子の扉が開く。暗闇から登場したのは昨日の少年ではなく、巨大なハンマーを肩に抱えた大男だった。二メートルはゆうに越す身長で、丸太のような手足をしていた。スキンヘッドの強面で片目に眼帯をしており、露出している腹や腕、脚には様々な古傷が残っていた。上半身は裸だが、膝や肩の各所に重厚な鎧を携えていた。
「ヒッヒッヒ、お前が今日の死刑囚か。まぁ、せいぜい楽しませてくれよな」
ニヤリと男が微笑む。歯は殆ど無かった。
「おい、なんで昨日の男じゃないんだ?」
観客の中の一人が疑問を投じた。
「今回の死刑囚が大柄で強者っぽいということで、国王の要望でトーナメント方式にしたいってさ。昨日の奴は最後の一人として待機している。まぁ一人目でどうせ死ぬんだろうけど、勝ち上がって優勝出来たら釈放されるらしいぜ。意地悪なもんだ。絶対に無理なのに」
そう、国王は今日も特等席の玉座からこの様子を見ていたのだ。
「あれが例の死刑囚か。今までの連中とは少々雰囲気が違うな」
ゼノファレス王も元戦士、彼は姿が見えないながらも、分厚いローブに身を包んで姿が見えない彼から何かしら感じていた。
ハンマーの大男はこれから戦うフードの男が中央にある剣を取らないことに気づいた。
「どうした、もう諦めたのか?つまらねぇ、せめて最後の抵抗ぐらいは見せてくれよ」
「…………必要ない」
「!?」
フードの男が一言だけ話した。明確に必要ないと答えたのだった。その回答に大男は困惑した。
(コイツ、諦めたのか……?それとも俺をナメているのか)
何れにせよ、武器を取らない彼に怒りを覚えた。
通常は彼を見た者は恐怖におののき、命乞いをするか、剣を取ってがむしゃらに彼と戦うかの二択だった。今回の反応は初めてだった。彼のプライドが傷つけられた気がした。
「てめぇ、俺をナメてるな……!武器も無しに、俺に勝てると思うのか!!!」
怒りでハンマーを持つ手がワナワナと震える。
「………………」
引き続き男は無言だったが、それが更に彼の怒りを買う。
スキンヘッドの頭に明確に血管が浮かび上がった。我慢の限界を迎えた短気な彼はズンズンと地面を鳴らしながら彼に突進した。一歩一歩がコロセウムの地面を陥没させる程の体重だ。
「この野郎!!死ねエエエエエエ!!!」
動きこそは遅いが、二メートル以上ある巨躯が突進してくる姿は迫力満点。大男は成人男性以上の大きさがある巨大なハンマーを振り上げ、彼を目掛けて振り落とす。巨大な鉄の塊が高速で空を切る音がコロセウム中に響き渡る。
轟音と共にハンマーが地面に激突する。地震かと間違うほど地面が揺れ、土煙がスタジアムの天辺まで届き、地面が割れた。
「あらら……こりゃもうダメだなアイツ」
その一撃でフードの死刑囚の男が死んだと誰しもが思った。しかし、煙が収まった後にハンマーが振り下ろされた箇所に彼は居なかった。
「なにっ!?」
大男が呆気にとられる。次の瞬間、フードの男の声が横から響く。
「ここだ」
ハンマーが地面と衝突した数メートル横に彼は平然と立っていた。
「い、いつの間に!?」
移動した姿は全く見えなかった。まるで瞬間移動したかのようで誰も彼の姿を追えていなかった。
しかし、大男は怯まずに引き続き彼に攻撃を仕掛ける。巨大なハンマーをまた大きく振り上げ、彼に目掛けてフルスイングで放った。
再び巨大な音と地響きが会場を木霊する。だが、次に見た光景に誰もが目を疑った。大男も驚きを隠せずにはいられなかった。
彼が片手でハンマーを受け止めたのだった。彼の立つ地面は大きくひび割れており、その一撃の威力の高さを物語っていたが、顔は俯いたまま片手で呆気なく正面から受け止めたのだった。
会場はシーンと静まり返った。今まで処刑される死刑囚でこのような光景は無かった。大男も自らの全力の攻撃がこうも容易く受け止められるのも初めてだったようで、喋ることが出来なかった。
「……攻撃は終わりか?こちらの番だ」
フードの男はハンマーを受け止めた手に力を入れた、彼を完全に覆い被さるほどの鉄製の武器がガキィン!という甲高い音と共に、彼の握力の前に砕け散った。巨大な鉄の塊がまるでガラスで出来ていたかのように簡単に砕かれたことに驚く暇もなく、フードの男の攻撃が繰り出された。
全く目に見えない速度で彼の懐に潜り込み、重い拳の一撃が彼の腹部にめり込んでいた。観客が伏せないと気絶してしまう程の、先ほどの大男の攻撃とは比べ物にならない程の衝撃が会場を木霊した。
「ぐはぁ!」
男は吐血し、ワンテンポ遅れて凄まじい速度で後ろに吹き飛ばされ壁に激突。ドン!という重い音と共に壁にめり込んだ。
しばらく会場では静寂が流れた。これを見ていたゼノファレス王も例外ではなく、眼の前で起きたことがあまりにも速かった為についていけなかったのだった。
「お、おい……今、あいつが何をしたか見えたか……?」
「ま、全く見えなかった……気づいたら終わっていたぞ」
この様子も広場で放送されており、そこにいる観客たちも言葉を失った。
「こ、国王……こやつ、只者ではありませんぞ」
ゼノファレス王の横にいる側近が焦った様子で彼に話す。
今までハンマーの大男をある程度手こずらせた相手はいたものの、ここまで完封無きまで叩きのめされるのは初めてだ。大男は今まで王国の戦争で活躍してきた男だ、決して弱いわけではない。そんな男が、いきなり無名の男に一撃で沈められた。
しかも、軽く百キロ以上はするはずの巨大なハンマーを片手の握力で砕いた。これは力自慢として知られるドワーフ族でも無理な芸当である。
フードの男の殴った右拳からはわずかに煙が立ち上っていた。
壁にめり込んだ大男にはすぐに会場の兵士たちが駆けつけ、彼を大人数で壁から引っ剥がした後に担架に乗せて引き取った。
彼は気を失っていたが、あれほどの威力の攻撃を受けても全く致命傷になっていなかった。まるで意図的に急所を外して攻撃したかのように。
国王はまだ驚きを隠せなかったが、すぐに考えた。これは悠長に次の戦士を登場させても、先程みたいに瞬殺されるのが目に見えている。ここはすぐに昨日の執行人である少年を登場させるべきだ。彼はヴァルハイト王国最強の戦士、いくらこの男が強くても負けることはないだろうと高を括っていた。




