第26話「黒き帝都」
黒き帝都―イシュカンダル帝国。
東の果て、灰色の雲に覆われた空の下に、それは存在していた。
かつて王国だったその国は、今や帝国と呼ばれている
その帝都は、鉄と石と魔によって築かれた巨大な要塞都市だった。城塞の壁は黒曜石のように艶を帯び、陽光さえも弾き返す冷たい光を放っている。
空は常に灰色で、頭上には魔力の渦が不自然に浮かび、鳥は飛ばず、風は重く冷たい。
街を歩く者たちは皆、フードを深く被り、会話を交わすことは滅多にない。
兵士たちは鎧の音を響かせ、影のように動き、監視を続ける。
かつてこの国は、一つの理想として築かれた国だった。
建国者は、伝説の騎士アイゼンヘイム。
魔族を中心に、人間、エルフ、ドワーフ―あらゆる種族が平等に生きる「多民族国家」としての理想郷を築こうとした。
その理念は国の礎に刻まれ、イシュカンダルは長らく、種を超えた希望の象徴だった。
だが、今やその面影はない。
イシュカンダル帝国。
それはかつての理想の亡骸。
現在、この帝国には魔族しか住んでいない。
他種族は追放されたか、殺害された。
都市の中に理想郷という言葉は消え失せ、あるのは階級と力による支配だけ。
アイゼンヘイムはブリシンガーと比肩していた誇り高き騎士。彼の支配は魔族を中心とした世界を作ることだったが、無駄な殺生を好まない彼は他種族への危害を加えることは禁止していた。
魔族は人間、エルフ、ドワーフ共通の敵。アイゼンヘイム不在の今、魔族が敵視している他種族を王国に置いておく理由はなくなったのだ。
帝国は、静かに、確実に、覇道へと舵を切っていた。
そしてその中心にそびえるのが、王城。
空を裂くように漆黒の尖塔が聳え立ち、見る者に言い知れぬ圧迫感を与えるその建造物は、まさに「黒の心臓」とも呼ばれる場所。
その最深部、外界から完全に隔絶された密室。
ここで今、世界の均衡を揺るがす密談が行われていた。
王城最奥、謁見の間。外から完全に遮断された、暗い石造りの小部屋。室内の灯りは、浮かび上がる魔術投影と、数本の燭台のみ。
長方形の石卓の前に、三人の影が佇んでいた。その中央に投影されていたのは―グランヘイム王国の地図。そして、いくつかの都市に打たれた赤い印。その中でも王都には、赤と黒の混ざった、意味深な標が灯っていた。
「……まもなく、あれが王都に届く」
最も奥に立つ騎士風の男が、冷たく告げた。
「手は……もう打ってあるわ」
その隣の女魔術師が微笑を浮かべる。
「届けたミスリルは、ご丁寧に王族の身辺に留められるように調整済み。あとは、その日を待つだけ」
「混乱が始まれば、隣国も黙ってはいない」
もう一人の大柄の戦士が腕を組みながら低く言った。
「戦火が広がる。そして、我々が収拾する。武力を持って、秩序をもって、理をもって」
魔術師の声は滑らかだった。
「ミスリルを我が帝国が独占していれば、各国が警戒する。しかし……それが自然と散り、自然と火種となり、自然と戦争へと変わるのであれば―」
「……誰も、それを止められはしない、その手始めが、グランヘイム王国だ」
魔術師の女が、にやりと笑った。
「私たちはただ、火薬の種を蒔いただけ。火をつけるのは、あの国の王よ」
腕を組む大柄の騎士の男は無言だった。
そして誰も言わなかったが、全員が同じ方向を見ていた。玉座の間。
まだ現れぬ帝の影を。




