第24話「ドワーフの鍛冶屋ドゥガル」
三人は、再び慎重に霧の山道を進んでいた。
バルダーの傷はブリシンガーの魔法で癒えていたものの、まだ痛みは完全に消えていないのか、少し苦しそうだった。念のため歩みはゆっくりだ。
その時だった。
「おーい、そこに誰かいるのか?」
突然、岩陰から低くくぐもった声がかけられた。
ブリシンガーが反射的に剣の柄に手をかける。
だが、霧の向こうから姿を現したのは、ずんぐりとした体躯に、豊かな赤毛の編み込み髭。背にはごつい両刃の斧。筋肉の塊のような鎧姿の男だった。
「……ドワーフ……!」
システィーンがぽつりと呟いたその声には、驚きと、興奮が混ざっていた。
(ほんとにいた……本でしか見たことないのに……!)
思わず彼女がはしゃぐ。
「ね、ねぇ、見た!?ドワーフ!本物だよ本物!髭すごい!斧もでかい……!」
「わかってるから落ち着け」
バルダーが苦笑いを浮かべる中、ドワーフの男は首を傾げた。
「ほう、俺を見るなりそんな反応とは、ドワーフすら見たことねぇのかお嬢ちゃん?」
「あっ、ご、ごめんなさい!あなたがドワーフは……初めて見たんです!」
「ははは、いいんだ。俺は王都に向かう予定なんだが……今日はやたら魔物の気配が濃いな」
彼もブリシンガー達と同じく、王都を目指している旅人だった。
「奇遇だな、我々も王都を目指している所だ。だが、さっき強力なゴーレムに遭遇した」
ブリシンガーが淡々と返すと、ドゥガルは目を細めた。
「ゴーレム……!人里近くに出現したら国が全兵を挙げて討伐するやべぇ魔物だろ、よく無事だったな」
そう言った彼の目が、ふとバルダーへと向けられた。
「……ふむ。そこの兄ちゃんも、やられてるな?」
バルダーが驚く。
「いや、もう大丈夫だよ。治療も終わってるし―」
「いやいや、歩き方を見れば分かる。肩のあたり、鎧がほんのわずかに歪んでる。魔物の攻撃で受けた衝撃、完全には抜けてねぇな?」
「……ちょっと、まだ鈍いだけだよ」
「ちょっとの怪我でも命取りなんだよ、山の中じゃな」
ドゥガルは鼻で笑いながらも、どこか親身な眼差しで続けた。
「ま、でもちゃんと治療されてるみたいだし、無理せず進むことだな。何より、お嬢ちゃんの気持ちもあるしな?」
「えっ」
「いやぁ、“守られるだけの女”って顔じゃねぇんだ。目に力がある。なにかあれば、きっと助けに走るタイプだろ?」
「……っ」
その言葉にシスティーンは頬を赤らめ、バルダーは何も言えずに頭をかいた。
「ちなみにこの山岳地帯、抜けるにはあと二日ってとこだ。“風裂きの尾根”を越えれば平野が広がってる。王都までは、そっから三日ってとこだな」
「助かる、地形の情報はありがたい」
ブリシンガーが頷いた。
「……お前ら、王都まで行くんだろ?ここから先は危険が多い。俺も王都を目指してるんだ。もしよければ、しばらく同行させてくれ。人数が多い方が安全だからな」
システィーンがぱっと顔を輝かせる。
「本当!?一緒に旅してくれるんですか!?」
「お、おう。なんだその目……妙にまぶしいぞ」
「ごめんなさい、初めてのドワーフとの同行旅なんです!本とか絵では見たことあるけど、実物は初めてで……!」
「……本物は案外汗臭いぞ?」
ドゥガルがぼやくと、バルダーが吹き出しそうになるのをこらえた。
こうして、三人の王都の旅路まで、ドワーフの「ドゥガル・グリムフォルド」が加わった。
夜が来るのは早かった。
岩陰に設けた仮の野営地。
そこに、パチパチと音を立てて燃える小さな焚き火があった。
その周囲には、ブリシンガー、バルダー、システィーン、そして新たに加わったドゥガルが並んで腰を下ろしていた。しばらくは、誰も喋らなかった。
火の音と、時折吹く風だけが、空間を撫でていた。
先に口を開いたのは、ドゥガルだった。
「……ま、こんな風に焚き火囲んで話せるのも、悪くねぇな」
「戦いの後は……静かな時間が、ありがたく感じるわ」
システィーンが、手元の湯を啜りながら小さく微笑む。
「そういう感覚、ちゃんと持ってるのはいいことだ」
ドゥガルは火を見つめながら呟く。
「俺らドワーフは、“火”が好きでな。溶鉱炉でも、こういう焚き火でも、火のゆらぎってのは心を落ち着けてくれる」
「鍛冶屋なのか?」
バルダーが問いかける。
「ああ。王都には取引先がいてな。武具の納品と、ついでに仕入れに行ってる」
彼が横に下ろしていた大きな荷袋に入っている様々な剣、槍や斧を少し見せた。そうした雑談を織り交ぜながら、会話が一段落する。
バルダーが、湯の入ったカップを傾けながらふと、システィーンの方を向く。
「なぁ、システィーン。お前の目標って、結局なんなんだ?幼少期から旅に出たいって言ってたけど、最終的に目指す場所はあるんか?」
彼女は一瞬だけ考え―でも、迷わず答えた。
「……世界を知りたい。この目で色々見たい。でも、それ以上に……自分が何者なのか、知りたくて」
ブリシンガーと目が合う。彼は、そっと目を細めた。
「……いい目をしているな」
「へへ……ありがとう」
システィーンは少し照れたように笑った。
「―おい、なんだこの空気。若ぇもん同士で青春しやがって」
ドゥガルがわざとらしく肩をすくめて笑う。
「……なんだ、妬いてるのか?」
ブリシンガーの冗談に、全員が一瞬ぽかんとしたあと、噴き出した。
笑い声が静まると、また火の音だけが場を満たした。それぞれがカップの湯を飲み干し、夜の冷気にそっと肩を寄せる。会話が止まっても、気まずさはなかった。
その中で、皆がそれぞれに想っていたこと―
システィーンは、そっと火を見つめながら胸に手を当てる。
(……私は、ずっとこの世界のことを知りたかった。だけどそれは、ただ“憧れ”だったのかもしれない)
(今日、痛みも、怖さも知った。これからはもっと怖いこともあるかもしれない。でも、それでも私は、この道を進みたい)
バルダーは、隣にいるブリシンガーの横顔をちらと見てから、目を閉じた。
(あんたの背中は……やっぱり、デカい)
(だけど俺は、ただ目指すだけじゃ終われねぇ。いつかあんたの横に、ちゃんと立ちたい)
ドゥガルは大きな腕を組み、焚き火を見つめながらぼそっと独り言をこぼした。
「ったく……何者なんだ、あの銀髪の兄ちゃんは」
(素手でゴーレム一撃で倒した人間なんざ見たことねぇ、話しぶりはどう見てもただ者じゃねぇ。だが、妙に人間らしい部分もある……)
そう、彼はブリシンガーがゴーレムの拳を止め、倒した所を見ていたのだった。
(ま、深く突っ込むのは野暮ってもんだな)
彼は火の揺らめきの奥に、ブリシンガーの影を目で追った。
ブリシンガーは、無言のまま火を見つめていた。
霧がわずかに残る夜空の下、彼の瞳は何か遠く、果てしないものを見ていた。
(時がいくら流れても……俺の役割は変わらない。けれど―)
久々に人の温もりに触れた感覚は、悪くなかった。
(久しぶりに、この世界は思ったよりも……温かいと思える)
火は小さくなっていき、眠りの時間が近づいていた。だがその夜、それぞれの胸に灯った覚悟の火は、誰よりも強く、確かに燃えていた。




