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銀の伝承  作者: 銀の伝承
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第22話「ブリシンガーのいない戦場」

歩く二人は口を開かなかった。だが、その沈黙は自然なものではない。

ブリシンガーがいない という現実が、想像以上に重くのしかかっていた。

彼がいれば危険は確実に排除され、正確な判断がなされ、彼の背中を追うだけでよかった。

だが今、先陣を切っているのはバルダー。彼もまた平静を保っているようで、内心では全く土地勘のない、魔物の潜む環境に対して焦りと緊張を隠しきれていないように見えた。


ブリシンガーの重要さを、システィーンは一番痛感していた。

(ブリシンガーがいないと、こんなに……世界が広くて、怖く感じるなんて)

谷底を這うような獣の気配が、どこか遠くにかすかにある。だが、霧がそれをぼかし、確信にはならなかった。

「俺たちは俺たちで出来ることをする。あいつと少しでも早く合流できるよう、少しでも前に進んでおこう」

システィーンはその言葉に、きゅっと唇を結び、こくりと頷いた。

「……うん。私も、やれることをやってみる」

二人は慎重に、谷底の道を進んでいた。

「この先……道、続いてるのか?」

バルダーが立ち止まり、目を細める。

確かに、前方にかすかな空間の広がりが見えた。岩壁が途切れ、道が開けている。

「行ってみよう」

システィーンがそっと声をかける。彼女が先に立ち、慎重に進む。


その瞬間だった。

ズッ―!

「っ、下がれシスティーン!!」

バルダーが咄嗟に叫ぶと同時に、地面が沈んだ。

彼女が踏んだ岩が、まるで偽りの床だったかのように、崩れ落ちていく。間一髪でバルダーが彼女のローブの後ろ襟を掴み、引き戻した。

同時に、崩れ去った底の霧がざわりと音を立て、そこから何かが這い出す気配。

霧を割って現れたのは、巨大な獣のようであり、骨のようでもある異形だった。腕の代わりに巨大な鎌を携えており、昨日戦ったクロアに似ていた。

だが、その体躯は二、三回り以上大きく、漆黒の外皮に赤い脈動が浮かんでいた。

「クロア……の上位種か!」


クロア上位種、クロアの亜種で彼らより遥かに巨大な個体。通常のクロア一体は並の魔法使いや戦士にとってあまり脅威にはならないが、上位種ならば話は別だ。

バルダーが剣を抜く。だが、敵の数は一体ではなかった。左右の霧の中から、合計三体が姿を現す。

「囲まれた……!」

「……っ、私、バリアを!」

システィーンが咄嗟に自分とバルダーの身体に防御魔法を展開しようとするが、クロアの一体は彼女の背後に回り込むように動き、音もなく接近していた。

「システィーン、後ろ!」

間一髪、バルダーの警告に反応した彼女は、半身をひねって魔力を放つ。

「フレア・ブレム!!」

火球が飛び出し、敵の足元で爆ぜる。直撃はしなかったが、魔物の動きを一瞬止めるには十分だった。そのクロアは再び霧へと姿を消した。

「うまいぞ!」

「……まだ、まだ怖い。でも、やるしかない!」

その言葉と共に、彼女は再度魔力を練る。

バルダーも剣を逆手に構え、仲間の背を守るように一歩前に出た。

「俺が相手をする!お前は後ろから援護してくれ!」

「わかった!」

「来るぞ!」

バルダーの声が霧を裂いた瞬間、正面のクロア上位種が二体が飛びかかってきた。

大きくうねる鎌の一撃。鋭さと重量を兼ね備えたその動きは、見るだけで体がすくむほどの威圧感を放っていた。

「はっ!」

だが、バルダーは怯まない。その身体は軽やかに跳ね、霧の中を踊るように駆けた。

「まずは一体!」

バルダーの剣が閃き、大きくジャンプした後に空中で身体を横に一回転。

一体目のクロアの首を裂いた。周囲が血に染まり、骨のような叫びを上げながら魔物が崩れ落ちる。


続けて、すぐ横から迫った二体目の一撃。バルダーは突進し、鎌の大きな横薙ぎの攻撃を滑るようにして回避、剣の刃が真っ赤に燃え始める。刃に炎系魔法を剣に付与させた。

「こいつももらった!」

そのまま敵の胴体下に潜り込み、燃え盛る剣を下腹部に深く突き刺した。

クロアの内部から焼き尽くされ、黒き体液が飛び散る中、呻きながら地に崩れる。


ヴァルハイト最強と謳われた戦士なだけはある。それに加えて、ブリシンガーに仕込まれた剣の腕が組み合わさり、更に高次元の戦いを展開している。

システィーンがその光景に圧倒されていたその刹那、視界から消えていた最後の一体が霧から突如現れ、死角から大振りの鎌を振り抜いた。

「バルダー、危ない!!!」

バルダーの回避が間に合わない。

システィーンが咄嗟に先ほど貼ろうとしたバリアを瞬時にバルダーに重ねる。

そして鎌が彼の肩に、ざくりと深い斬撃が走る。

完璧なバリアでなかった。攻撃を防ぎきれなかったが、張っていなかったら即死していた攻撃だった。

「ぐあ……!」

「バルダーッ!!」

鮮やかな赤が、霧の中に弾けた。

バルダーがよろける、敵に背を見せるわけにはいかなかった。

「まだ……こいつだけなら……!」

だが、バルダーの体勢は崩れていた。クロアが鎌を振り上げ、止めを刺そうと跳びかかってくる。

(だめ……間に合わない……!)

システィーンは地を蹴り、崩れた体勢のバルダーへと一直線に駆けた。

前のめりになりながら、その身を盾にするかのように飛び出す。

「お願い、届いてッ!!」

システィーンの叫びと共に、空気が震えた。

彼女の前に突き出された手から放たれた魔力が一瞬、金色に閃光を走らせる。

「ヴォルト・ランス!!」

雷鳴が霧を貫いた。轟音と共に雷の柱がクロアの身体を直撃し、黒き魔物がその場で激しく痙攣し、崩れ落ちた。


ヴォルト・ランス。雷属性の高等魔法。並大抵の魔術師が簡単に出せる技ではない。

閃光の余韻が霧に広がり、残るは息を切らす二人だけだった。

「バルダーっ、大丈夫!?」

駆け寄ったシスティーンが、傷口から流れる血を見て蒼ざめる。

「っ、ああ……なんとか、生きてる……。お前……すげぇな……今の、雷……」

バルダーは地面に腰を下ろしながら、痛みに顔を歪め、それでも口元だけは笑っていた。

「お前が、俺を守ってくれた……ありがとう、システィーン」

その言葉に、彼女は唇をかみ、ぎゅっと拳を握る。

(私……今、戦えた……!)

激しい戦闘の余韻がようやく静まり、辺りに再び静けさが戻っていた。

「バルダー、傷の手当……!」

すぐに肩口の深い傷口を確認した。斬り裂かれた服の下からは深い赤が滲み出ていて、彼の腕や胸元まで流れ込んでいた。

「……平気だ、これくらい……」

言いながらも、バルダーの額には脂汗が浮かび、顔色も青ざめていた。

彼の強がりを、彼女はすぐに見抜いた。

「動かないで、すぐ処置するから!」

システィーンは腰のポーチから、小さな布袋を取り出した。村を出るときに、母が詰めてくれた薬草と包帯のセットだった。

震える手で袋を開けながら、彼女は自分に言い聞かせるように呟いた。

「落ち着いて、システィーン……これくらい、できる……」

薬草を潰して粘り気のある汁を絞り、滅菌と止血のために傷口に塗る。

「ちょっと沁みるかも……我慢してね……!」

「お、おう……っ、く……っ!」

バルダーが歯を食いしばりながらも身を任せてくれていることに、システィーンはどこか誇らしさを感じていた。

(回復魔法はまだ使えない。……でも、それでも私は……出来ることをやる)

薬草を塗り終えると、布を巻いてしっかりと固定する。何度も教わった手順を思い出しながら、慎重に、丁寧に。

最後に包帯の端を結んで、手を止めた。

「……これで、ひとまずは大丈夫。あとは感染しないように、あまり激しく動かないでね」

バルダーは肩で息をしながら、じっと彼女の手元を見つめていた。そして、小さく笑った。

「……なあ、システィーン。お前、本当に“冒険者”っぽくなってきたな」

「えっ……!」

「バリアで仲間を助けて、魔法で倒して、今度は手当までして……なんだよ、いきなり完璧すぎんだろ……」

システィーンは一瞬きょとんとし、それから頬をほんのりと赤らめた。

「……まだまだだよ。魔法、ちゃんと使えるようにならなきゃ」

それでも、彼女の心の奥には、小さな灯がともっていた。

立ち上がったバルダーの足取りは重い。

肩に受けた傷は深く、血は止まったものの、一歩歩くたびに痛みが走るのか、その表情には疲労と苦悶が滲んでいた。

「……無理しないで。少し休もう?」

システィーンが声をかけるが、バルダーは首を横に振る。

「いや……進めるうちに進んでおかないと……今この場所、落ち着ける雰囲気じゃない」

その通りだった。先も後ろもよく見えない。岩の隙間からは、どこか湿った風が吹いてくる。

まるで、誰かが“見ている”ような感覚すらあった。二人の足音が、静寂に吸い込まれる。


歩幅を合わせるように、システィーンはバルダーの隣をゆっくり歩いた。彼を支えるように、時折肩に手を添える。

だが、彼女が差し出すその手に―バルダーがふと、言葉を紡いだ。

「なぁ、システィーン」

「……どうしたの?」

彼の声は小さく、どこか遠くを見ているようだった。

「もし、この先でまた……強力な魔物が現れたら」

彼女の足が、ぴたりと止まる。

「そのときは俺を置いて、逃げろ」

「…………」

言葉の意味をすぐに理解できなかったわけじゃない。けれど、その現実を受け入れるには、ほんの少しだけ、心の準備が必要だった。

「……何、言ってるの」

「今の俺じゃ、足手まといになるだけだ。お前が一人で逃げれば、生き残れる可能性はある。でも、俺を庇ったら―たぶん……二人とも死ぬ」

静かな声だった。諦めではない。冷静な判断。そして、仲間を想う気持ち。だからこそ、システィーンの胸は痛んだ。

「そんなの……無理だよ」

「―システィーン」

「無理だよ……!」

叫び声のように、声が漏れる。

彼の前に立ちふさがるようにして、彼女は震える声で続けた。

「あなたは、私の大事な仲間。見捨てることなんて、絶対に出来ない」

「あなたを置いて逃げるくらいなら、私も一緒に戦う……!一緒に倒れる!」

それは、命を軽く扱う言葉ではなかった。ただ、“一人にさせたくない”という想いの、ありのままの叫びだった。

バルダーはしばらく黙ったまま、システィーンの顔を見ていた。やがて、小さく、苦笑する。

「……はは。お前、短期間に強くなりすぎ」

「…………」

「昨日は、あのクロアに立ちすくんでたのにな。今では俺より根性あるな」

そう言って、彼は彼女をじっと見据える。

「ありがとうよ。……でも、いざってときは、ちゃんと生き残れよ。命を粗末にするな。……な?」

「うん。約束、する」

霧の中、静かに手が離れる。二人はまた、ゆっくりと歩き出した。システィーンの手に支えられながら、バルダーは足を引きずるようにして進んでいた。互いに言葉は少なかったが、それでも一歩ずつ、確かに進んでいた。

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