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銀の伝承  作者: 銀の伝承
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第21話「分断」

地面はごつごつと尖った岩で埋め尽くされていた。一歩間違えば足を取られ、最悪、転落するほどの傾斜がいくつも続く。

「歩きにくい……」

システィーンが小さく声を漏らす。

「地盤が脆い場所もある。足を滑らせれば……そのまま下だ」

実際、彼らのすぐ横には、谷の裂け目のような段差がぽっかりと口を開けていた。

深さはわからない。霧のせいで、どこまでが地面でどこからが空かすら曖昧だ。

「ここを、何日もかけて越えていくなんて……」

「一気には無理だ。数日は進みながら野営するしかない」

ブリシンガーは手にした枝で足元を突きながら、慎重に道を探っていた。

まだ夕刻には早いはずだった。

けれど、霧の峡谷では陽の光が早々に遮られ、辺りは既に薄暗く沈みはじめていた。

岩壁の窪みに三人は野営地を構え、小さな焚き火を囲んで座っていた。焚き火の明かりは心許なかったが、炎の揺らぎはどこか安心を与えてくれる。

しばらくは誰も喋らなかった。

風もなく、火のぱちぱちと爆ぜる音だけが、霧に包まれた空間に広がっていた。

やがて、意を決したようにシスティーンが口を開いた。

「……あの、ブリシンガー」

彼は顔を向けず、静かに応じる。

「村を出る前に、イシュカンダル帝国と戦いに向かうって言ってたけど…なぜ?貴方が戦った、アイゼンヘイムが創立した国よね…?」

その名を口にした瞬間、焚き火の明かりがひときわ激しく揺れた気がした。

少し遅れて、ブリシンガーが答える。

「……そうだ、今のイシュカンダルを、滅ぼすためだ」

その一言に、焚き火の熱気すらも一瞬だけ冷める。

システィーンは目を見開き、バルダーもわずかに火を見つめる角度を変えた。


ブリシンガーは、かつてバルダーに語った理由を簡潔に伝えた。

それに加え、最後に彼女に問う。

「システィーン、改めて聞くが、本当に覚悟は出来ているんだな?」

ブリシンガーの言葉が重くのしかかる。

問うようであり、試すようであり、けれどどこか、信じたいという気持ちが微かに滲んでいた。

システィーンは一瞬だけ目を伏せ、静かに息を吸い込む。そして、まっすぐにブリシンガーの目を見て、答えた。

「……あるわ。何があっても、私はこの旅を共にしたい。そう自分と約束した」

その声には震えも、迷いもなかった。ただ、真っ直ぐで、揺るがぬ強い意志があった。

「私は、あなた達の力になりたい」

その瞬間、焚き火の炎がゆっくりと揺らぎ、彼らの影が淡く伸びた。

バルダーは少しだけ口角を上げて火を見つめ、ブリシンガーは静かに目を閉じる。 

「……ならば、もう言うことはない」

そう言った彼の声は、どこか少しだけ安堵に似た響きを帯びていた。


翌朝。

夜明け前の霧の峡谷は、いっそう白さを深めていた。

「……起きろ、出発だ」

ブリシンガーの静かな声が、寝袋の中の二人に届いた。バルダーが大きく伸びをし、システィーンは軽く目をこすりながら上体を起こす。

「もう朝……?」

「もうとっくに明るい。霧のせいで見えないだけだ」

空は相変わらず白く閉ざされていたが、確かに足元の光がほんのりと明るい。

それだけで「朝」だとわかるのが、この谷の異様さを物語っていた。準備を整えた三人は、再び足を踏み出した。

「まだ谷の中央に入ったばかりだ。ここからが本番だ」

ブリシンガーの言葉に、バルダーもシスティーンも無言で頷いた。

緊張感は自然と高まり、言葉は減っていった。岩肌の道は徐々に細く、険しくなり、湿った足元は滑りやすい。

足元が妙に湿っている。岩が所々細かくなっており、踏んだら軽く陥没する部分もあった。

そして、それは突然だった。

「っ……!?」

バルダーが踏み出した足が、一瞬沈んだ。ごごっ、と地鳴りのような音が足元から響き―

「バルダー!!」

「うわっーー!?」

足元の岩盤が崩れ、バルダーの身体が谷底へと引きずられる。すぐ後ろにいたシスティーンが手を伸ばし、彼の腕を掴もうとするが、その衝撃は彼女の足場も奪った。

「バルダー、システィーン……!」

ブリシンガーが踏み込んだ瞬間、足元の岩が砕けた。

跳べない。踏ん張れない。

本来の彼であれば、神速で瞬時に二人を助けることなど造作もない。ただ、著しく悪い足場が彼の速度を殺していた。

それでも落ちていく二人の腕を掴もうとしたが、手が空を切る。

間に合わなかった。


真っ白な霧の中を落下していく二人。速度がどんどん上がり、このままでは絶体絶命。

(このままでは……絶対に、守る!)

システィーンが覚悟を決し、恐怖を抑え込んで叫ぶ。

自分も役に立つと誓った、覚悟した。

今度こそ、自分は何かを成し遂げる。

「シェル・クレイド!!」

叫びと共に、魔法陣が浮かび上がる。防御魔法―淡い光の結界が二人を包み込み、落下の衝撃を和らげる球体の光のクッションを形成した。

魔法に包まれた二人は、落下しながらも岩にぶつかることなく深い谷底へと、減速しながら柔らかい衝撃で着地した。

「っ、……ぐっ……助かった……?」

バルダーが呻くように言いながら身を起こす。全身に泥がついてはいたが、目立った怪我はなかった。隣では、システィーンが膝をついて息を吐いていた。

魔力の消耗は激しくなかったが、精神を一瞬で集中させた疲労が全身に残っていた。

「お前……今の、防御魔法か?」

「……うん。とっさに……」

「……すごいな、システィーン」

バルダーが、素直にそう言った。だがその言葉に、彼女は照れる余裕すらなかった。

「……でも、ブリシンガーは……!」

二人が落ちた場所を見上げたが、濃い霧が上空を遮り、何も見えない。音も気配も、もう聞こえない。

「はぐれたな、完全に……」

谷底は岩と苔に覆われていた。白い霧は地表に沿って流れ、ここが先程歩いていた道とは違う場所であることを示していた。

「でも、お前が冷静だったおかげで、俺は命拾いした。ありがとな」

バルダーが、ぽんと彼女の背を叩いた。

「……ううん。私……自分でもびっくりしてる」

詠唱なしに咄嗟に防御魔法を発動出来たことに、自分でも驚いていたシスティーンだったが、そんな余韻に浸っている場合ではなかった。

ブリシンガーはいない。だが、それでも進むしかない。

「……とりあえず先に進もう、システィーン。きっと、ブリシンガーも先で待ってる」

「そうね、きっとまた先で会える……別ルートを探そう」

目の前に何が待っているのかもわからないまま、それでも、進むしかない。こうして二人は、谷底の未知のルートを進み始めた。

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