第15話「葛藤」
昼の鐘が鳴る前のファルデン村。システィーンの頬は少し紅潮し、歩く足取りもいつもより軽い。
彼女の目指す先は、自宅の織工場。糸を巻く機械の横で、両親がちょうど休憩を取っていた。
「お父さん、お母さん……!」
「おかえりシスティーン。今日の見学はどうだった?」
彼女は少し胸を張って、けれどはにかんだ笑みを浮かべて言った。
「あのね、私……今日、初めて魔法を使えたの!あのお二人に教えてもらったの!」
母が目を丸くし、父が驚きの声をあげる。
魔法の存在自体は村人たちは知っているが、使用出来る者はほぼいない。
「ほんとに!? すごいじゃないか……!何の魔法だい?」
「えっと、小さい火の魔法……火球を……自分の手で作れたんだ」
「おぉ〜っ!」
近くでその会話を聞いてしまっていた村人たち。驚いた声は、すぐに周囲に伝搬する。
「火の魔法!?」「あのシスティーンちゃんが!?」
いつの間にか、野菜を売っていたおばさんや子連れの若い母親たちが集まってきていた。
父は、ゆっくりと彼女の頭に手を置いて言った。
「……お前が、自分で踏み出した一歩なんだな。すごいよ、システィーン」
母も、そっと彼女の手を握って微笑む。
「どんな小さな火でも、それはきっと、あなたの未来になるわ」
システィーンは、少し恥ずかしそうに笑いながらも、内心とても誇らしい気持ちだった。
その夜、宿ではブリシンガーとバルダーが食堂で、今後の予定を話し合っていた。だが、それ以上に、今日のシスティーンについて話していた。
夜の帳が下り、皿の上の温かな煮込み料理も、手をつけることなく冷めつつある。
彼らの視線は交差することなく、ただ静かに、言葉だけが行き交っていた。
魔法とは、通常は長きに渡る修行でようやく自身で気付くもので、ほんのちょっと使えるようになるだけでも更に修行を要する。それを、たった数十分で出来るようになったシスティーンは―
「正直に言って、異常だ。才能があるという次元ではない」
ブリシンガーが呟く。
「だよな」
バルダーは十八歳だが、今の攻撃魔法を使えるようになるだけでも軽く十年以上かかっている。システィーンの今の伸び方を見れば、あと一週間も特訓すれば、バルダーと遜色ない域に届きかねない。
しばらくの沈黙の後、バルダーが静寂を破る。
「ブリシンガー、お前も考えたんじゃないのか。もしも、システィーンが旅に同行をしたら、とてつもなく大きな戦力になる」
「…………」
ブリシンガーが俯き、目を細める。
「ああ、考えた。あの成長速度なら、数ヶ月足らずで一流の魔法使いになれる」
バルダーがテーブルに寄りかかった。
「俺達は、いつこの村を去る?」
「元々は明日だったが、彼女に魔法を教えると約束した以上、あともう数日ここに居てもいいだろう。だが―」
ブリシンガーは、言葉を選ぶようにわずかに目を伏せた。
「……あの娘は、純粋すぎる」
バルダーは、静かに顔を上げた。ブリシンガーの声音には、確かな決意と、ほんの少しの痛みが混じっていた。
「争いも、血も……何ひとつ知らずに、村で生きてきた。俺達の旅の目的も知らない。そんな彼女を、俺たちが歩いている道に引き込むことが正しいとは思えない。彼女はこの村の人間の心の拠り所。争いとは無縁の世界にいるべきだ」
「…………」
バルダーは何も言わず、しばらく俯いたまま湯気の消えた皿を見つめた。
「……でもな」
やがて彼は、小さく言った。
「彼女の目は、知ろうとしていた。……力のことも、自分のことも。何かを成したいって思っている目だったぞ」
ブリシンガーは何も返さなかった。
システィーンは明日朝の特訓にもまた行きたいと強く言っていた。
彼女を断る理由はない。また明日も彼女の驚異的な成長速度を目撃することになるだろう。
だが、彼らは知らなかった。実はこの会話を宿の主が裏から聞いてしまっていたことを。
翌朝、森の訓練場。
澄みきった空気の中で、システィーンは昨日と同じように立っていた。
その眼差しには、昨日よりも確かな自信と、ほんの少しの緊張が浮かんでいた。
彼女の訓練を開始した。一度に大量の魔力を消費しないように何度か練習を行ったが、あっという間に彼女はこれを克服した。
相変わらず驚愕する二人だったが、ブリシンガーは続ける。
「何度か使えるようになったな。次は、“放つ”訓練だ」
ブリシンガーが静かに言う。
「魔力を集め、火球として形にし、それを“意志”で前方に飛ばす。標的はあそこだ」
彼が指差した先には、木板を組んだ簡易的な的が立てられていた。
丸く円が描かれたその中心に、ほんの小さな赤い点がある。
「いきなり命中までは求めない。まずは、放ってみろ」
「……はい!」
システィーンは深く呼吸を整え、掌に意識を集中する。昨日の感覚を思い出し、魔力を手のひらに集める。
(熱……光……揺れる火……)
ふわり、と小さな火球が生まれた。その瞬間、彼女は掌を突き出す。
「――っ!」
火球は前方に放たれたが、目標から大きく逸れて左へ飛び、木の根元で弾けた。
「惜しい」
少し離れた場所で見ていたバルダーが手を叩く。
「でも凄いな、飛んだだけでも最初としては上出来だ」
「……方向の意識が甘い」
ブリシンガーは淡々と指摘する。
「火球を“飛ばす”のではない。“導く”ように意志を乗せろ。強引に押し出せば軌道がぶれる」
それからシスティーンは、何度も試行錯誤を繰り返した。火が暴発したり、全く飛ばなかったり、空中で消えたり。そのたびにブリシンガーの短い指摘と、バルダーの声援が飛ぶ。彼女は一度も投げ出さなかった。
呼吸を整え、焦らず、繰り返し、繰り返し。
そして数十分後―
「はああ……っ!」
掌から放たれた火球は、一直線に空気を裂き、的の中心に向かって突き進む。
乾いた音と共に、中心の赤い点を焼き焦がした。
「当たった……!」
システィーンは呆然と、自分の手を見つめた。
「当たったじゃねぇか!」
バルダーが興奮気味に叫び、木の陰から走ってくる。
「最初の練習でここまでいくの、俺は初めて見たぞ!」
その横で、ブリシンガーは低く呟いた。
(……やはり、異常だな)
その声には、どこか安心と期待の入り混じった色があった。システィーンは、少し息を弾ませながらも、微笑んだ。
(昨日よりも、確かに“魔法使い”になっている気がする……)
胸の奥にそっと、今日もまた新しい火種が灯った。ある程度克服したとは言え、相変わらず魔法を使用した後の疲労度は半端ではなく、木陰で二人の特訓を見ながら休憩をしていた。
訓練を終えて、三人が村へと戻ってきた頃、陽はちょうど村の屋根の向こうに傾きはじめていた。
バルダーは「腹が減った」と呟きながら先に宿へ向かい、ブリシンガーも静かに彼の後を追った。
システィーンはひとり、自宅のある小道へと歩を進めるそのときだった。
彼女の家の少し手前、いつも笑顔を浮かべている宿の主が、ひとり、街路樹の陰からひょいと顔を出した。
「お嬢ちゃん」
その声に、システィーンが立ち止まる。
「……マスター?」
いつもは飄々としている彼が、今はどこか、言葉を選んでいるような面持ちだった。
「ちょっとだけ、いいかい。昨日の晩のことなんだけどな……」
彼はあたりを見回し、声を少し落として続けた。
「実は、聞いちまったんだよ。あの二人の話をな。……あんたのことだ」
システィーンの心臓が、ドクンと鳴る。マスターは慌てて片手を上げて笑った。
「悪気はなかったんだ。耳が勝手に動いたんだよ、壁が薄いんでね。ほんとに。……でもさ、どうしても黙っていられなくてな」
彼は息を吐き、真顔になる。
「ブリシンガーの兄ちゃんが言ってたぜ。“あの娘は異常なほど才能がある”、って。“もし旅に同行すれば、数ヶ月で一級の魔法使いになるだろう”ってな」
システィーンは、まっすぐ彼を見つめていた。
何も言わず、ただ、耳を傾けていた。
「でもな……そのあと、こうも言った。“純粋なあの娘を、自分たちの旅に巻き込むのは間違ってるかもしれない”って」
その言葉が、胸に刺さった。暖かさと、痛みと、震えるような何かが、いっぺんに押し寄せてくる。
マスターは、少し笑みを戻して言った。
「ま、バルダーの兄ちゃんは、それでも一緒に進んでみたいって言ってたけどな。あの二人、全然違うようで、芯のとこでは似てるんだ。あんたのこと、ちゃんと見てる」
「そうなんだ……」
システィーンは、ゆっくりと頷いた。マスターは、手を腰に当ててふっと笑う。
「これを教えた以上、自分でどの道を選んでも間違いはないだろうな。彼らも絶対に、胸のどこかであんたに対する期待ってのもあるんだろうよ」
その言葉が、胸の奥に小さく響いた。
「ありがとう、マスター」
「おう。またうちの飯が食いたくなったら、いつでも来な」
彼は軽く手を振って去っていった。システィーンはその場に立ったまま、そっと胸に手を当てた。
(……私が、どうしたいのか。ちゃんと、考えなきゃ)
月明かりが、カーテン越しに静かに差し込む。
村の夜は、どこまでも穏やかだった。けれど、その静寂の中でシスティーンの心は、まるで小舟のように揺れていた。
「巻き込みたくない、か……」
誰にも聞こえないように、小さく呟く。ベッドの中、横たわったまま天井を見つめている。目は冴えて、眠れる気配はまったくない。
(あの人たちが……そんなふうに私のことを……)
思い出すのは、宿の主の言葉。ブリシンガーが、自分を「純粋」と表現したこと。それは嬉しい言葉だった。
でも同時に、どこか心にひっかかるような、不思議な痛みを伴っていた。
(私の身を案じてくれていることは……わかる。だけど……)
胸にそっと手を当てる。
(……私の中にある力。これが誰かを守るために使えるのなら)
「私、まだ村の向こうの世界を何も知らない。争いも、旅も、痛みも……」
けれどそのすぐあと、ぎゅっと毛布を握りながら続けた。
「でも、知りたい。知って、自分で選びたい……」
彼女の中で、一つの決意が固まり始めていた。




