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銀の伝承  作者: 銀の伝承
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第9話「静寂に宿る力」

村の中心に佇む、白き石の神殿内。神ハルディヴァーを祀るその祠の前に、一人の娘が跪いていた。

神殿のステンドガラスから漏れる朝の光が、彼女の髪をゆっくりと撫でるように照らしている。

それはまるで、黄金の絹糸を空から一筋ずつ垂らしたかのようだった。

瞳を閉じたまま微かに笑みをたたえるその顔は、静謐と気高さに満ちており、言葉にせずとも、その場の空気すら柔らかく変えてしまうような何かがあった。

システィーン・メイルフィ。

戦や争いとは無縁のこの地で、人々に寄り添い、支えながら生きてきた村娘。けれど、その姿には、村という枠組みでは測れない、ある種の神聖さが漂っていた。

祈る彼女の周囲には、静けさがあった。だがそれは孤独ではない。

包まれるような沈黙。

居るだけで心が安らぐ存在。それが、村人たちが彼女を「女神」と呼ぶ理由だった。

彼女は膝をつき、手を組み、目を閉じる。心を鎮めて、ただ神へと想いを向ける。

はずだった。

祈りの静けさの中に、不意に浮かんでしまう。

昨日、宿の前で見かけた銀髪の男の姿。

風に揺れた髪。淡い銀の色。背筋をまっすぐに伸ばし、言葉少なに佇むその姿。

彼の名も、来歴も、何ひとつ知らない。

けれどなぜか、心の奥がざわめいてならなかった。

(……どうして、こんなに気になるの……?)

村に来る旅人は珍しい。だが今までに何人かはいた。

けれど、あの人は、何かが違った。

目が合った時、一瞬だったはずなのに、まるで深い水底に引き込まれるような感覚があった。

(……まさか、ね)

ありえない。そんな伝説が現実に存在するはずがない。

けれど、祈りに集中しようとすればするほど、彼の姿が脳裏に浮かんできてしまう。

(似てるだけ。偶然よ)

心の中でそう言い聞かせながらも、胸の奥に、確かな“何か”が残っていた。

そしてその鼓動は、祈りの言葉よりも先に彼女の心を支配していた。

やがて祈りを終えた彼女はゆっくりと立ち上がり、そっと手を払うようにして白い石の粉を払う。

「システィーンお姉ちゃん〜!」

神殿を出た彼女。正面から駆け寄ってきた子どもたちに迎えられ、彼女は優しく笑った。

「おはよう。今日も元気ね」

あっという間に囲まれていた。

「今日もお話、してくれる?」

「英雄のやつがいいー!」

「魔法で空飛ぶやつ!」

「それじゃあ……北の空に昇る双子星が、遠い国の王女を導いたお話にしましょうか」

彼女がゆっくりと語り出した瞬間、空気が変わった。集まる子どもたちだけでなく、通りかかった大人たちも、いつしか足を止め、彼女の語り耳を傾ける。言葉は静かで、抑揚も少ない。

けれどその声には、不思議な引力があった。聴く者の心の奥へと、まっすぐに染み込んでいくような、温もりと深さ。

システィーンはただ話しているに過ぎない。

けれどその在り方が、誰かを赦し、癒し、包み込む“母なるもの”の姿そのものだった。

誰かが転べば、さりげなく手を差し出し、

誰かが困っていれば、放っておかず、

誰かが傷ついていれば、ただそっと微笑むだけで、心が軽くなる。

そういう存在だった。

その様子を、遠くの木影から静かに見つめているブリシンガーとバルダー。

「あれが、この村で“女神”って呼ばれている娘か」

バルダーが腕を組み、木の幹にもたれ掛かりながら横目で彼女を見る。

「……ああ」

ブリシンガーの返事は短い。だがその瞳は、寸分も彼女から離れていなかった。

「随分と見入ってるな。そんなに気になるのか?」

「……少しな」

どこかで、同じ風を見た気がした。

けれど、その記憶の形を掴もうとした瞬間、それは霧のように消えた。

(……いや、何でもない)

それより彼が見ているのは外ではなく、それより深い中だった。ブリシンガーは戦いを知っている。世界の血と炎を越えてきた。だからこそ感じ取れる“違和感”が、システィーンにはあった。


(これは、ただの人間が持つ魔力ではない)

彼女自身は、それに一切気づいていない。

だが、確かに“在る”。静かに、重く、深く、まるで静かに眠る火山かのように、言葉にもならぬ規模で沈黙している力。

彼女の周りの空気が少し歪んで見える。常人には気付けない些細なものではあるが、歴史上様々な魔術師や魔法に触れてきたブリシンガーだからこそ感じ取れるもの。

(まだ目覚めてはいない。だが、あれは……)

通常の人間の枠を越えている。魔法に長けているエルフですら滅多に到達しない領域。

歴戦の魔導士ですら感じ取れぬかもしれない、異質な次元に触れている気配。

「……どうした?」

隣のバルダーが問う。

「……何でもない。ただの勘だ」

「お前の勘は、碌でもなさそうだな」

ブリシンガーは答えず、ただ目を細めた。

システィーンが風に金の髪を揺らし、子どもに手を伸ばすその一瞬を、まるで記憶に焼きつけるかのように。

(今は、言うまい)

だが、確かに彼は“それ”を感じていた。

それは、希望にもなり得れば、災厄にもなり得る。

沈黙の底で眠る、計り知れぬ力の胎動だった。

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