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手綱と絆 ~追放された元公爵令嬢は気性難  作者: 甲斐 雫
第3章 ポタジェ村

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3 涙無き慟哭

 ポタジェ村のお産婆さん、マイカおばさんは月に一度やって来てくれた。

 悪阻もすっかり収まり、体調も回復したエルオリーセの定期健診のような感じだ。そろそろ彼女のお腹も、ふっくらとしてきた。

「そろそろお腹も目立って来たから、腹帯を巻いた方が良いね。村では妊婦さんは普通に身に着けるもんなんだよ。保温にもなるし、安定もする。今日は持って来たから、巻き方を教えとくね」

 マイカは穏やかに話をしながら、エルオリーセに腹帯を巻いてくれた。

「お腹の前の部分で、こうやって折り返すのがコツだからね」


 それからお茶の時間を過ごし、イレーネはマイカを送るように一緒に外に出た。

「今日もありがとう、マイカおばさん。来月もよろしくね。何か私たちが気を付けることって、ある?」

「いやいや、どういたしまして。そうさなぁ・・・そう言えば、以前聞いた話だと今は妊娠5か月になるんだけど、その割に少しお腹が大きいような気がするんだよ。まぁでも、そういうのも個人差はあるから、それほど気にしなくてもいいけどね。ただ胎児は育ち過ぎると、出産が大変になるから、無理のない範囲で運動も必要だよ」


 イレーネは、ウンウンと頷きながら考える。

(明日から、一緒に散歩しようかしら。念のため、アルバにも付いて来て貰って。そうすると、オリビエがちょっと可哀そうかしら・・・)

 危ないから、と夜は外に出ないようにしているエルオリーセである。規則正しい生活は必須とも言われているので、早寝早起きはデフォルトだ。

 夜しか一緒にいられないオリビエとしては、彼女と話が出来る時間は限られている。それでも、寝顔を見るだけでも幸せだと言ってはいるが・・・

(ま、そう言う我慢も父親になるなら、頑張って貰わないとね)


 マイカの助言通り、エルオリーセは散歩や負担にならない程度の家事を行う。

 寧ろ嬉しそうに身体を動かす彼女を見ていると、それだけで微笑みたくなるイレーネだ。


 そんなある日、のんびりと近くの草原を歩いていた時、突然エルオリーセが立ち止まった。

「あっ・・・あれ?」

 ゆったりとしたドレスの腹部に手を当てた彼女だが、今度はふいにしゃがみ込んでしまった。

「・・・・ッ・・・」


「ど、どうしたのっ⁉ 大丈夫?」

 慌てて傍にしゃがんだイレーネと、心配そうに駆け寄るアルバ。


「・・・お腹の中が、ポコポコ泡立つような感じがして・・・そしたら、急に内側から胃が持ち上がるような感じで・・・」

 説明するエルオリーセだが、額に薄っすらと汗が滲んでいた。


(あ、それって胎動・・・でも、そこまでツラくなるかしら?初めてだから、驚いたのかもしれないけど。汗、少しだけどかいてるし)

 イレーネはハンカチを出して、そっとエルオリーセの額を押さえた。

「胎動だと思うわ。胎児がそれだけ動けるようになったってことだけど・・・痛むの?」

「あ、そういうことなのね・・・うん、大丈夫。少し驚いたけど、これって育っているってことだものね」

 エルオリーセは、ニコリと笑ってみせた。

 それは、もう母親としての自覚を持つ、崇高な笑顔だったが、顔色は良くなかった。


 イレーネは微かな不安を抱えながら、散歩を中止して家へ帰ることにする。

(エルは人型だけどメタモルファルだし、父親はゴーストと犬型メタモルファルだから、人間と同じ妊娠経過じゃない可能性もあるけど・・・念のため気をつけて置いた方が良いわよね)


 そんなイレーネの考えは、図らずも当たってしまった。

 その夜半、突然エルオリーセが苦しみ出したのだ。



「・・・あっ・・・アウッ・・・ゥ・・・」

 腹部を押さえて蹲り、堪え切れないような呻きを上げたエルオリーセを、オリビエは慌ててベッドに運び、イレーネが駆け寄る。

「エル、どうしたのっ⁉ 痛むの?酷いの?」

 嫌な予感が当たったようだ。

 イレーネは、身体を丸めて堪えているエルオリーセの背中を摩りながら尋ねた。

「ーーーーッ・・・・だ、だいじょ・・・ゥ・・・胎動・・・でしょ?」

 切れ切れに答えるエルオリーセだが、この様子は胎動で片付けられるようなものでは無い。


「ウィン!マイカおばさんを連れて来て。荷物があるかもしれないから、ノイも連れてって」

 イレーネは叫んだ。

 自分だけでは、対処できないという判断だ。ウィンは、解ったと答えるや否や、部屋を飛び出す。


「オリビエ!お湯と布を沢山、用意して」

「解った。お産が始まるのか?」

 唇を噛み締めていたオリビエは、何とか落ち着こうとする。

「・・・多分、違う・・・でも、何とかしないと!」

 オリビエは壁を突き抜けて、台所へ向かった。


 アルバは既にベッドに上がり、エルオリーセにぴったりと寄り添っている。

 〈痛みを押さえてもイイ?〉

 もし陣痛なら、自然に任せたようが良いのではないかと思ったようだ。無痛分娩という概念が無い世界である。

「・・・お願い。出来る限り、楽にしてあげて。お腹の子は、まだそこまで育っていない筈なのよ」



 その間も、エルオリーセは苦しみ続けていた。多少は痛みも軽減されている筈だが、それでもギュッと目を瞑って耐えていることが解る。


「マイカおばさんが来たら、アルバは外へ出されると思う。だから今のうちに聞いておくけど、メタモルファルって命が危険な時は、強制睡眠に入るのよね?」

 イレーネが、ふいに尋ねて来た。以前、そう聞いた事があった。

 〈えっ、うん・・・でも、自分の意志でそうするのと、生命の危機の場合は、ちょっと違う。危機の時は、仮死に近い状態になるんだ。呼吸や心拍、代謝なんかを極限まで下げる〉


「それって、どうすれば回復するの?仮死状態から戻せるの?」

 〈僕が、出来るよ。以前も、やったことがある。時間が掛かるけど〉


 アルバの言葉に、イレーネは少し安堵した。

(それなら、まだ猶予はあるわ。最悪の場合、だけど)


 けれど、その時、エルオリーセが悲鳴に近い声を上げた。

「アァーーーっ!・・・ぅぐっ!」

 ガクガクと体が震え、身体に掛かっていた毛布がずり落ちる。

「エル!触るわよ」

 イレーネは、彼女の腹部に掌を当てた。


 ボコ・・・ボコッ・・・

 胎内で暴れているような音と、その度にはっきりと浮かび上がる小さな山。

 掌を当てなくても、目で見て解るほどの瘤のような出っ張りが、場所を変えて突出している。


 そして次の瞬間、彼女の下肢を割って、赤い液体が零れた。

「破水かっ⁉」

 布を抱えて戻って来たオリビエが、声を上げる。

「・・・違う・・・多分、羊水と血液が混じった物・・・」

 イレーネが、掠れた声で答えた。

 このままでは、母体が危ない。


 その時、外からウィンの声が聞こえた。

 超特急でリバティとノイを駆けさせ、マイカと必要な物資を搔っ攫うようにして戻ってきたのだ。


 イレーネは、その声にハッとして、息を吸い込んだ。

 冷静に、ならなければならないのだ。


「オリビエ、アルバ、部屋の外に出て!特にオリビエ、マイカおばさんに見つからないように隠れて!」

 幽霊の彼が傍にいては、拙い。

 しかも、ここから先は女性の領域になるはずだから。



 渋る彼らを何とか追い出したところに、マイカと両腕に荷物を抱えたウィンが駆け付けた。

「イレーネさん、緊急事態だって?」

「入って、おばさん」

 イレーネがドアを開けると、マイカはウィンの大荷物を軽々と奪い取って中に入った。


 けれどアルバが離れたことで、激烈な苦痛が一気に襲ったエルオリーセの身体は、限界を超えていた。

「イレーネさん、これじゃ・・・」

 微かに痙攣し、呼吸も止まりかけている様子に、もう手遅れではないかとマイカが呟く。

 けれど、イレーネはきっぱりと告げた。

「私は、『癒しの力』を持ってるから。彼女の命は私が繋ぐから、おばさんは処置をお願い」


『癒しの力』を持っているという事は、自分は貴族であるということに他ならない。しかも、その力はエルオリーセには役に立たない。

 けれどイレーネは、自分の身分バレよりも、エルオリーセの正体を隠すことを選んだ。


 そしてマイカが処置の準備を急いで始めると、イレーネは彼女の腹部に手を置く。

 仮死状態になった妊婦の腹は、まだ不気味に凹凸を作っていた。


(・・・ごめん・・・私を恨んでいいから・・・)


 イレーネはボコッと突き出た瘤を、手でしっかりと掴み、短い呪文を呟く。


 パチッ・・・


 それは、細く鋭い電撃の針。

 小さな胎児を、一瞬で貫いた一撃。


 瘤は一瞬震えるように蠢き、沈むように消えた。


 産道を通すより切開して出した方が良い状況だと判断し、マイカは鋭い小刀を出した。無言のまま、ピクリとも動かないエルオリーセの腹部を切り開き、胎児であったものを取り出す。

 そしてイレーネが持つ白布の上にそれを置いたマイカは、沈痛な面持ちで呟いた。

「奇形児、だね。魔物に襲われて・・・この子は、魔物との間に出来た胎児だよ。だから、妊娠が継続できなかったんだろうね」


 血と羊水に濡れた胎児には、太く大きな尻尾と、体の大きさにはそぐわない程大きく鋭い牙が生えていた。しかも、その牙は、胎児自身の腹部に刺さっている。

(この牙が、刺さって痛くて、暴れていたのね・・・)

 イレーネは、痛ましい思いで、その身体を白布でそっと包む。


「昔ね、同じように魔物に孕まされた娘さんを、診たことがあるんだよ。だから、何だか嫌な予感がしてたんだ。まさか、とは思ってたけどね」

 マイカの言葉に、イレーネは頷くことも出来ずにいる。

 けれど、今はまだやるべき事がある。ギュッと唇を噛み締めて、イレーネは顔を上げた。


「ありがとうございました。後は、私たちでします。明日、お宅へ伺いますが・・・この事は・・・」

 イレーネの言葉に、マイカは静かに頷いた。

「ああ、解ってるよ。それじゃ、後は任せたからね」

 そう言って、マイカはウィンに送られて帰って行った。



 ウィンが戻ってくると、室内は静寂な空気が満ちていた。

 ベッドの上には仮死状態のエルオリーセが横たわり、その傍らには白布で包まれた小さな塊がある。


 ウィンが歩み寄ると、イレーネが静かに呟いた。

「赤ちゃん、沐浴させて綺麗にしてあげたわ。腹部に刺さっていた牙は外してあげたけど、片方は折れてしまって・・・」

「そうか・・・」

 それ以上何も言えず、ウィンは口を閉ざす。慰めの言葉さえ、今は陳腐に聞こえそうだ。


 やがてオリビエが、絞り出すように、沈痛な声音で告げた。

「私たちは、城へ帰ろうと思う。アルバとも話し合ったが、そうするのが一番良いという事になった」

 エルオリーセの回復には時間が掛かるし、奇形とは言え自分たちの赤ん坊を埋葬しなければならない。

 〈ロートホルン城で、弔ってあげるのが良いと思って・・・〉

 そして、ゆっくりと彼女を癒したい、とアルバが伝えて来る。

 耳も尾もだらりと下げ、俯いたままの姿が、彼の心情を表していた。


「そ、それじゃ私も行くわ」

 イレーネは、間髪入れずに言うが、オリビエはゆっくりと頭を横に振った。

「いや・・・私たちだけで帰る」


 それは言外に、イレーネとウィンは来ないでくれ、と言われているようなものだ。

「・・・・で、でもっ」

 それでも言い募ろうとするイレーネの肩に、ウィンが優しく掌を乗せた。

「イレーネ、俺たちは先ず、ここの後始末をしないといけないだろ?」



 そしてオリビエはエルオリーセを抱き、夜空を飛んだ。

 アルバは必要最小限の荷物を背負い、大きな翼を生やして後を追う。

 小さな白い布の塊は、仮死状態のエルオリーセの胸の上に乗せられていた。


(・・・全て、私のせいだ・・・こんな事になったのは、私のせいだ。エルオリーセを苦しめ、悲しませ・・・仮死状態になるまで頑張ってくれたのに・・・あれほど愛して大切に思っていた赤ん坊を、死なせることになったのも、私のせいだ・・・)


 オリビエは、自分を責め続けた。

 憑依など、しなければ良かった。

 人間のように、なんて願わなければ良かった。


(この可哀そうな胎児を、作ってしまった・・・きっとこの子も、恨んでいるだろう。私は、どう責任を取れば良いのか・・・すまない・・・ごめん・・・)


 涙を流せたなら、もう少しは楽に鳴れたかもしれない。

 オリビエは、唇を噛み締めながら嗚咽のような声を漏らす。


 アルバも、泣くことが出来ないウルフドッグ姿のまま、翼だけを生やして夜空を飛んでいた。

 同じメタモルファルでありながら、人型のエルオリーセと犬型の自分との間には、越えることのできない壁があるのだ。生物学的に、正常な子供が出来る可能性は無いと解る。

 あの時、オリビエの望みを叶えることにしたのは、自分の責任だ。そのせいで、彼女とその胎児を限りなく苦しめてしまったのだ。

 涙さえ零せないが、その眼を真っ赤にして、アルバは黙々と翼を動かした。


 夜に紛れて、2つの影は、やがて夜空に消えて行った。




 イレーネは、呆然と立ち尽くしていた。

 オリビエたちに拒絶されたショックと、胎児を殺すことになってしまった自責の念が、ただ心に圧し掛かる。そんな彼女に、ウィンがきっぱりと声を掛けた。

「ここの後始末が済んだら、俺たちも城へ帰るぞ」


「えっ・・・だって・・・」

 来るなと、言われたようなようなものでは無いか。

「二度と来るな、と言われた訳じゃ無ぇだろ。それにこっちは、承諾の返事をしちゃいないしな。行っちまえば、追い出されはしないだろうし、そうなったら俺たちも、何かの役に立てることもあるかもしれないしな」


 彼の言う事も、一理ある。

 少なくとも、同じ女性として、何か役に立てるかもしれない。

 友情の押し売りとか、親切の押し付けに近いのかもしれないが、彼らを放っては置けない気持ちになるイレーネだ。

(・・・それに、私がしたことは、きちんと言わなくてはいけないしね)

 イレーネは、キッと顔を上げた。



 それから2人は、家の中を片付ける。

 ベッドやシーツは、血の海のような有様なので、外に持ち出して焼却することにした。

 お焚き上げのように、天に返すのが良いと思った。

 火の番にウィンを残し、イレーネはマイカの元へ赴く。


「昨晩は、本当にありがとうございました」

 丁寧に頭を下げて礼金を渡すイレーネに、マイカは真面目な顔つきで受け取って答えた。

「ああ、いや・・・こちらこそ、だね。それよりも、あの後どうなったのかね?」

 マイカとしても、エルオリーセのことは心配だったのだろう。

「彼女は、まだ目は覚まさないけど、身体の方は大体回復したので、これから故郷の方へ送っていくつもりなの。私も、付き添って行くわ。あ、ウィンも一緒にね。もし誰かに聞かれたら、旅に出たけど、そのうち戻って来るって言っておいて欲しいの。あと、昨晩の事は誰にも言わないで欲しい」

 嘘も混じっているが、これが一番良いと思われる答えだ。


「ああ、解ってるよ。こういう仕事をしてると、言ってはいけない事は結構あるからね。信用してておくれ。それより、エルオリーセさんは、大事にしておあげね。そうでなくても、流産や死産は、物凄く辛いものなんだ。精神的に、かなりのダメージがあるから、支えてあげるといいよ。出産経験が無くても、寄り添う事は出来るだろからね。傍にいて、一緒に悲しむだけでもいいのさ」


 イレーネは、マイカの言葉を抱いて、家に戻った。

 そして後始末が終わると、ウィンと一緒にロートホルン城を目指す。




 夜にならなければ城に入れないノイとイレーネの都合で、2人と2頭の馬は時間を調整して門前に着いた。静かに門を潜り、中に入ると聞こえて来たのは遠吠えだった。


 ォオオ~~~~ン・・・ォオオ~~~~ン・・・ォオオ~~~~ン


 闇に浸み込むような、ウルフドッグの声は、哀切と弔意に満ちている。

「・・・アルバの・・・声ね・・・」

「庭の方から、だな」

 小さく呟いて、2人は厩の戸を開けた。


 先にリバティが入るが、ノイは入り口でふと足を止めて振り返る。

 〈イレーネ、僕はイレーネの事が一番好きだけど、アルバやエルオリーセ、オリビエの事も好きなんだ。好きな相手には、笑っていて欲しいって思う。だから、僕に出来ることがあったら言って欲しいんだ〉


 それまでずっと、ノイは黙ってイレーネを乗せていた。あの晩の出来事は、詳しくは解らないが、重大な事件だったことは解っている。役に立てそうなことは無いと思うが、それでも気持ちは伝えておきたかったのだろう。

「うん、ありがとうノイ」

 イレーネは、愛馬の心の成長を感じながら、自分も気を引き締めた。


 中に入って居間のドアを開けると、オリビエが台所から出て来たところだった。

「・・・来たのか」

 ぽつり、とそれだけを言葉を発したオリビエだが、ウィンはカラリとそれに答える。

「おう、ロートホルン城は実家みたいなモンだからな。帰りたいと思ったから、来た」


 台所から、良い匂いが漂ってくる。

「・・・スープが出来ている。エルオリーセが食べられそうなら、直ぐ出せるようにと思って作った。多めにできてるから、良かったら食べてくれ」

 オリビエは目を伏せながら、そう告げた。


 追い出されそうも無いし、寧ろ彼はホッとしているようにも見える。イレーネは、ウィンの言う通り、来て良かったのだと安堵した。

「エルの具合はどうなの?」

「少し前に、目が覚めた。身体の方は、大分回復している・・・が、独りにしてくれと言われて・・・」

 だから、アルバは庭に、オリビエは台所に居たのだろう。


 イレーネは、スッと背筋を伸ばすと、階段を上がり始めた。

 慌てて、オリビエが声を掛ける。

「エルオリーセは、独りにして欲しいと・・・」


「私は、言われていないわ。私が、言いたい事があるのよ」


 毅然とした声音に、オリビエはグッと言葉の続きを飲み込んだ。


 イレーネは2階に上がり、エルオリーセの部屋のドアをノックしながらドアを開けた。制止の声が掛かるかとも思ったが、ベッドの上の顔は、ただ驚きの表情を浮かべている。

「ちょっと遅くなったけど、来たわ」

「・・・・イレーネ」

 弱々しい声のエルオリーセだが、一応落ち着いてはいるようで安心する。

「何があったか、オリビエやアルバから聞いている?」

「あの子が、亡くなったこと・・・もう弔ったって聞いた・・・」

 イレーネは、腹を括った。

「エル・・・酷かもしれないけど、全部話すわ。それが、私の役目だと思うし、最初から最後まで傍にいたのは、私だし・・・私は、悲しくて辛いことなら余計に、全部知っておいた方が良いと思ってるから」


 何も知らないまま、没落令嬢になった自分が思い出される。

 何も知ろうとせず、伯爵令嬢でいた自分が悔しいとさえ思う。

 無知は罪、だとも言うが、少なくとも知るということは、自分の行動を決める切っ掛けになることもあるのだ。


 イレーネは淡々と、主観を交えず、全てを語った。

 胎児の大きさや形、尻尾と牙の様子、その牙が腹部に刺さっていたことも全て。


「あの時、私は・・・母体を優先したわ。エルの命を、優先したの。だから・・・胎内で暴れる胎児の、命を奪った」


 きちんと、それを告げたかった。

 エルオリーセに恨まれても、仕方が無いと思っていた。

 でも、言わずにはいられなかった。

 罵声や恨み言も、全て受け止める覚悟だった。


 そして、長い静寂の後、エルオリーセは静かに口を開いた。

「・・・・・・・・イレーネ、ありがとう」


 哀れなあの子は、痛みと苦しみで暴れていた。例え一時、その苦痛が取り除かれたとしても、そのまま胎内で育つことは難しかっただろう。

 エルオリーセには、その事を理解していた。


「一番、ツラい役目を・・・負わせてしまって、ごめんなさい」

 そう言いながらも、エルオリーセの眼には涙が溢れていた。理屈では解っているが、ずっと愛して大切にしていたお腹の赤ちゃんを失った事は、耐えがたい悲しみなのだ。


「エル・・・・そんなコト、言わないで・・・」

 イレーネの眼にも、涙が溢れている。


 そして2人は、抱き合ったまま、ただずっと泣き続けた。



 夜明け前。

 まだ東の地平線が、薄紫色に明るくなり始めた頃。

 エルオリーセは、オリビエに抱かれて庭に出ていた。アルバもウィンも、そしてイレーネも一緒に、小さな胎児のお墓の前に立つ。


「庭で、一番綺麗な場所ね」

「ああ・・・アルバと一緒に決めた」


 いつの間に作ったのか、綺麗な大理石の墓標がある。おそらく、オリビエが刻んだのであろう文字が刻まれていた。

『 エア・ロートホルン ここに眠る 』

 ただそれだけの文字が、彼の心を表していた。

 例え産まれてくることが出来なかったとしても、この子はエルオリーセとアルバ、そしてロートホルン男爵の子供であると記されているのだ。


「・・・いい名前だわ。ね、そうでしょエル。きっとエアは、天の国で幸せにしているわ、きっと」

 イレーネは、さんざん泣いた後の掠れ声で、それでも精一杯の気持ちを籠めてエルオリーセに言う。

「うん・・・名前も、お父さんたちにつけて貰って・・・それでも、私たちの罪が消えたわけでは無いけど・・・」

 同じく掠れた声で言うエルオリーセに、ウィンが告げた。


「罪なんて言わなくても、思わなくてもイイと思うぜ。ただ、忘れなきゃイイんだ。受け入れて、折に触れて思い出して、泣いたり胸が苦しくなったりして、それでも、この子の分も生きていけばいいのさ」


 そして、そんな時に傍にいるのが、自分たちだ、とウィンは思っている。


 やがて、地平線が朝の色に染まって来た。

 皆、静かに祈りを終え、城の中へと戻るのだった。




 そして、その晩から暫くの間、夜は男同士の飲み会が続く。

 オリビエは味と香りだけだが、意外にもアルバが酒豪だった。

 〈お酒も、エネルギーになるから飲めるよ。味も解るしね。酔わなくて、ごめんね〉

 毒耐性が高いメタモルファルなので、酔う事も二日酔いになることもない。ウィンは、勿体ないと思わないでも無いが、それでも会話は進むのだから良いのだろう。

 そんな中で、オリビエとアルバは、心の中に溜め込んでいたいた様々な負の感情を、少しずつ整理してゆくことが出来た。


 イレーネも、出来る限りエルオリーセの傍で、静かに寄り添っていた。

 そう簡単に、気持ちの整理など出来るはずもないと解っているので、穏やかに日常の他愛ない話をする。


 やがてエルオリーセは、皆と一緒に食事が出来るくらいにまで回復する。

 多少ぎこちなくはあったが、アルバやオリビエも素直に彼女を気遣えるようになった。悔やむ気持ちや自責の念は、かえってエルオリーセを悲しませるだけだと気づいていた。


 そしてある日、エルオリーセが言った。

「イレーネ、もう私たちは大丈夫だから。貴女は、やるべき事を再開した方が良いと思うわ。もう少ししたら、私たちも合流できると思う。まだ先になると思うけど」

 その言葉に、イレーネも小さく頷く。

「まだ、ここに居たいとは思うけど・・・エルがそう言うなら・・・」


「お互いに、連絡が付くようにしておけば良いと思う。こちらからは、アルバにお願いして手紙を送るわ」

「だったら、私は、ノイに頼めばイイのよね」


 今後の連絡方法も、確立した。

 何かあったら、直ぐに手紙を書くと言い合って、イレーネとウィンはポタジェの家に戻るのであった。



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