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手綱と絆 ~追放された元公爵令嬢は気性難  作者: 甲斐 雫
第3章 ポタジェ村

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20/21

2 父親はどっちだ?

 イレーネとノイが、ロートホルン城の真上に来た時は、丁度太陽が半分ほど沈んだところだった。

 〈あれ?・・・イレーネ、ここから先は進めないよ。見えない壁があるみたいで〉

 もうすっかり飛行に慣れたダークペガサスは、空中でホバリングするように止まって伝えて来る。

「え?・・・」

 眼下に見えるロートホルン城は、最後に見た半壊の様子が夢かと思うほど、元通りの美しい姿になっている。

「・・・スラルヴィオお爺様のお陰かしら。ナラン陛下のお陰かもしれないけど」


 オリビエの居城を、可及的速やかに修復できるよう尽力すると言っていた魔族の2人である。どうやらイレーネ達が城に戻る前に、すっか元通りになっていたようだ。


「お城が元に戻って、昼間の透明障壁が復活したってことかしら。でも、以前は普通に通れたわよね、私」

 ある意味、魔獣のようなダークペガサスであるノイのせいかもしれないが、とりあえずイレーネは門前に降りる。

 そしてイレーネだけで通ろうとしたが、ノイと同じように弾き返された。

「・・・どういう事?」

 頭を捻っている間に、太陽は完全に没した。

 その瞬間、感じていた微かな圧力がスゥっと消え、イレーネとノイはすんなりと中に入ることが出来るようになる。

「魔力の大きさが原因とか?確かに私は、以前よりずっと魔力が増えたと思うけど・・・」

 独り言のように呟いて玄関前に来ると、いきなり扉が開いて、オリビエが飛び出して来た。


「イレーネ! やっと来た!ずっと、待っていたんだ」

 そう叫んで彼女の腕を掴み、引っ張ってゆくオリビエに驚く。

「あ、ゴメン・・・ずっと連絡できなくて・・・」

 慌てて弁解するイレーネだが、それにしても何故こんな風にされるのか解らない。

「エルオリーセが、衰弱してしまった。私とアルバでは、どうにも出来ないんだ」

 オリビエは、口早に説明した。


 オリビエらがロートホルン城に帰ってきた時、城はもう半分以上修復が進んでいた。

 以前と同じように生活が出来る状態になっていたので、日々元通りになりつつある城の中で、イレーネ達はどうしているかと語り合いながら、穏やかな生活を送っていた。


 けれどひと月前ごろから、エルオリーセが少しずつ体調を崩していった。

 そもそも彼女は、人型のメタモルファルであり、およそ人間の病には罹ることはない。風邪もひかず、怪我をしても回復は早い。しかも、『癒しの獣』としては充分に能力を発揮できるアルバが傍にいる。


 それなのに、エルオリーセは頻繁に吐き気をもよおし、食欲が減退していった。

 オリビエは勿論、アルバも慌てる。

 体力の衰えは、アルバがある程度何とか出来るが、彼女の症状はどんどん重くなり、今は水を飲んでも吐くような状態だという。


「入るぞ」

 オリビエは小さく声を掛け、寝室のドアを開けた。

 〈やっぱりイレーネだったね。エルオリーセは、今は落ち着いているよ。会いたがっていたんだ〉

 アルバが伝えて来ると、イレーネは小さく頷いてベッドに駆け寄った。


「エル・・・」

 彼女の顔は、青白いを通り越して、土気色になっている。肌も普段の艶やかさが無く、乾いた感じだ。水を飲んでも吐く、と言うのは本当なのだろう。

「・・・イレーネ、来てくれて・・・ありがとう」

 エルオリーセは、呟くような声で言い、ふわっと笑顔を見せた。


 けれどイレーネは、ザっと彼女の様子を見ると、顎に手を当てて考え始めた。

(エルは病気にはならない筈だし、そうすると病気じゃないのに吐き気が起きるって・・・え?・・・ちょっと待って)

 まさか、と思うイレーネだ。


 以前、エルオリーセから聞いた事がある。

 メタモルファルは千年を生きるといわれる長寿の生き物で、寿命を迎えると世代交代を行う。基本的に性別は無いが、パートナーと反対の性を取って、新しい個体として生まれる。

 つまり、エルオリーセは先代のメタモルファルが世代交代した時に、先代が定めた最初のパートナーが男性だったという事だ。そしてアルバは、最初のパートナーがエルオリーセだったので、雄の犬型メタモルファルになった。

 見た目が女性や雄だというだけで、基本的に一生の中で子を為すことは無いと、彼女は言っていた筈だ。


(でも・・・万が一ってコトもあるし、確認してみないと)

 イレーネは、とりあえず口を開いた。

「オリビエ、レモンとか柑橘系の果物ってある?」

「えっ・・・いや、城にはないけど、外にならどこかに生っているかも・・・」

「じゃぁ、とりあえず2~3個用意してちょうだい。それとアルバ、少しくらいなら離れてても大丈夫よね?お湯を沸かして来て。人肌くらいの温度にして、飲めるようにしてね。後、洗面器かバケツ、それと布ね。後、ノイが庭にいるから、そっちもお願い。で、私が良いと言うまでエルと2人きりにしてちょうだい。女同士で、話があるから」


「解った。ノイは、新しく作った厩に案内しておこう。急いで、採って来る」

 〈用意が出来たら、廊下で待ってるね〉

 そそくさと部屋を出て行った1人と1匹を見送って、イレーネは傍の椅子に腰を下ろした。


「率直に聞くわね。エルは、妊娠するような心当たりはある?」

「えっ!」

 エルオリーセとしては、驚くより他はない。確かに身体は女性の造りをしているが、そもそもメタモルファルの本質は無性体なのだ。

「だから、念のため聞くんだけど、エルって・・・その・・・生理とかってあるの?」

「・・・一応・・・身体は普通に人間の女性だから、あるにはある・・・けど、コントロールできるから・・・」

 体力が落ちているエルオリーセは、弱々しくはあるが、しっかりと答えた。

「旅とか・・・色々と不都合がある時は、止めてる・・・」


(何て便利なの!メタモルファルって)

 思わずそう思ってしまったイレーネである。

 世の女性たちなら、皆、同じように思うところだろう。


「だったら、子どもを身籠る可能性はあるんじゃない?」

「・・・でも、今まで一度もそんな事は無かったし・・・それは、私がメタモルファルだから、人との子供を身籠ることは無いということだと思うけど」


 そこでイレーネは、ふと気づいた。

(オリビエが幽霊だから?・・・あ、でも)

 更に、別の事も気づいて気になってしまった。


「ちょっと気になったんだけど・・・エルって・・・その・・・今まで何人くらいの・・・その・・・どのくらい、男性経験があるの?」


「・・・・・は?」

 何でここで、そんな質問が出て来るのか。

「だ、だから・・・何人くらいかな・・・って」

「それ、いきなり聞くの?」

「だって・・・エルは、沢山経験があるのかと思って・・・私は・・・まだゼロだからっ!」

 最後はやけくそで叫んだイレーネだが、その声は廊下で待っていたオリビエの耳に届いてしまった。


(・・・これは意外・・・一応ウィンにも伝えておくか)

 レモンを両手で1個ずつ握ったまま、オリビエは突っ立っていた。



「沢山って・・・」

 溜息と共に呟いたエルオリーセに、顔を真っ赤にしながらイレーネは答える。

「エルはもう何百年も生きてるんだから、百やそこらはあるんじゃないかと・・・」

「・・・夫は、5人。夫以外とは、無し」

 エルオリーセは、色情狂じゃあるまいし、と苦情交じりに言った。

「え?・・・・それだけ?・・・ええと・・・それでも夫が5人って、凄いと言うか・・・」

 イレーネの言葉に、エルオリーセは窓の外に視線を投げて答えた。

「それだけ、見送ってきたのよ」


 イレーネは、ハッと気づいた。

 多くの人に愛されて生きて来た彼女は、その人の数だけ、その絆の数だけ、別れという悲しみを経験してきたのだ。自分が取り残されるという、寂しさと共に。


「ゴメン・・・ごめんなさい。考え無しで」

 俯いてしまったイレーネに、エルオリーセは穏やかな笑みと共に口を開いた。

「イイの、気にしないで。それより、話を戻しましょ? 可能性は、否定できないってコトでしょ?」

「あっ、そう。そうね・・・でも、もうオリビエたちも待ってると思うから、先に少し試してみるわ」

 イレーネは、廊下にいるであろうオリビエとアルバを室内に呼んだ。



 先ずは換気、とイレーネは寝室の窓を開け放った。

 室内には、少しでもエルオリーセの気分が落ち着くようにとの配慮なのか、アロマ効果がある香が焚かれている。イレーネは、それも全て片付けた。

 清々しく新鮮な空気が室内に流れ込むと、枕の上のエルオリーセの表情が緩む。そんな匂いの無い空間で、イレーネはオリビエが採って来たレモンの1個を真っ二つに切り分けた。


「エル、この匂いはどう?」

 鼻先に切ったレモンをそっと差し出すと、爽やかな香気が立ち上った。

 その様子を見て、オリビエは微かに眉を顰める。

(酸っぱい匂いだが、吐き気は大丈夫なのか?)

 幽霊だが五感はある彼だが、酸っぱい匂いを嗅いで口の中に唾液が溜まるようなことは無い。


「・・・・いい匂い・・・すっきりするような気がする」

 エルオリーセの言葉に頷いて、イレーネは言った。

「レモンの果汁を、少し舐めてみて?」

 黄色の果物に口を着けたエルオリーセは、チュッと瑞々しい果汁を啜った。

「・・・あ・・・美味しい」

 そして彼女は、両手でレモンを持つと、果肉を食べるようにして果汁を全て飲んだ。


 〈・・・大丈夫?エルオリーセ?〉

 心配そうに尋ねるアルバに、彼女は微笑んだ。

「うん、吐き気は起きないみたい」

 その場にいた全員が、ホッとしたその時、外から朗らかな声が聞こえた。


「お~~い、来たぞ~~」

 それは、予定よりもかなり早く到着したウィンの声だった。



「ウィン、随分早かったな。早くても、夜明け前ごろだと聞いたんだが」

 扉を開けて出て来たオリビエがそう言うと、ウィンは如何にも嬉しそうに答える。

「ああ、こいつはリバティって言うんだが、思っていたよりずっとイイ馬でな、真っ暗な山道も全く危なげなく登ってくれたんだ」

「そうか、皆待ってたから良かった。ちょっと待ってくれ」

 オリビエは玄関横に建つ建物の扉を開けると、中に向かって声を掛ける。

「ノイ!ウィンが来た。すまんが、リバティの面倒を見てくれ」

 ノイはスタスタと出て来て、ウィンの愛馬を厩の中へ招き入れる。

「新しく作った厩なんだ。君とイレーネの愛馬にとって必要だと思っていたのでね。後はノイに任せておけばいい。とりあえず、一緒に来てくれ」

 オリビエは、これまでの事情を説明しながら、彼を城の中へと案内した。



「これで、全員揃ったわね」

 イレーネは場を仕切る雰囲気で、口を切った。

「結論から言うわ。エルオリーセはの症状は、悪阻(つわり)よ」


「ツワリ?」

 オリビエに、その知識は無い。


 〈つわり?・・・それって、妊娠初期の?〉

 アルバにあるのは、聞いた事がある程度の知識。


「ハァッ⁉ 妊娠してるってコトか?・・・誰の子?」

 ウィンはそれなりに知っているが、そうなるとつい疑問が口を割って出て来てしまう。


 イレーネは、説明した。

 昔、聖別院付属の学院にいた頃、『癒し手』としての勉強の中には、いわゆる産婦人科で必要とされる知識の講義もあった。様々な症状や状況に対して、どのように関わるかが必要とされていたのである。

 イレーネは決して勉学に熱心だと言うわけでは無かったが、どちらか言えば実践より座学の方がマシだった。

 今回の『悪阻』についても、教わったことはある。必死に思い出して、エルオリーセの状態に照らし合わせ、その結論に至ったと言うわけだ。


「ポタジェ村で親しくなったマイカさんって、村のお産婆さんなんだけど、話を色々と聞いたりもしてたのよ。だから、それなりに解るんだけど、エルの吐き気や匂いに敏感な事や、酸っぱいものが好きになるって言う事は、典型的な悪阻の症状だと思う。ただ悪阻って、個人差があるのよ。エルは、重症なタイプだと思うわ」


 男性陣は、ただ頷くしかない。

 けれどやはり、ウィンとしてはお腹の子の父親が気になるところだ。

(どっちだ?・・・メタモルファル同士っうことならアルバだろうけど、夫婦同様の生活ということならオリビエだろうし・・・)

 こっそりと伺い見れば、オリビエもアルバも、揃って俯いている。


「・・・白状してもらおうか?」

 この際、悪役になってもイイから、とウィンは1人と1匹を寝室から引きずり出した。



「さて、説明してもらおうか?」

 居間のソファーに腰を下ろしたウィンが口を切ると、2階からイレーネもやって来る。

「エルは、もう1個のレモンを食べてるから大丈夫。看護人として、私も聞く権利はあると思うのよね」

 男性経験なしでも、産婦人科の看護士は出来るという事か。


 両親を前にして、娘を妊娠させたのはどっちだ!と糾弾される男2人の図のようだ。

 男2人とは、幽霊と犬型のメタモルファルだけれども。



 神妙な態度のオリビエとアルバだったが、やがてオリビエの方が口を開いた。

「最初から、正直に話す。それは私が、スラルヴィオ殿から『憑依』を教わったことで始まった。それまで私は、物体や生き物を通過することは出来ても、そこに留まって操れることは出来なかった。けれど、憑依することで、それが出来るようになったんだ」


 オリビエは俯いて、それでもしっかりと話し続ける。


「生き物に憑依する場合、相手に意思が無いことが前提条件になる。つまり深く眠っている時とか、意識不明の状態の時なら出来るということだ。そんな事を、エルオリーセとアルバに話したんだ。そうしたら、メタモルファルには自己強制睡眠という能力があると言われた」


 生命の危機的状況になった時、意識的に深い睡眠状態になって、救助を待つ時などに使われる能力だと言うが、そうでなくても必要ならば、どんな場所でも眠ることが出来るという。


「だから、私は・・・アルバに頼んだ。私に変身してもらって、自己強制睡眠状態になってくれないか、と・・・」


 それはつまり、自分と同じ肉体になってもらって、幽体の自分が憑依するという事なのだ。

 ウィンとイレーネは、ただ唖然とするしかない。


 そこでアルバも、伝えて来た。

 〈僕とエルオリーセは、考えた末、オリビエの望みを叶えることを了承したよ。僕にとってエルオリーセは、多分生涯唯一人のパートナーになると思うけど、人型と犬型の違いはあるし、本質的には無性体だから、お互いの間に恋愛感情は無いんだよ。端的に言えば、メタモルファルは、パートナーが幸せならば、それだけで自分も幸せっていう生き物だから〉


(・・・何、これ?)

(え?・・・これって、3Pってヤツに入るのか?・・・いや、違うか?)

 説明して貰っても、混乱気味のイレーネとウィンだ。


 やがてオリビエは、独り言のようにポツポツと話し出した。

「私はずっと、彼女が我慢しているのではないかと思っていた。彼女は今までの人生の中で、何度も愛する相手と愛を育んできている。そのことを私は全部知っているし、彼女も私の愛し方に不満は無いと言ってくれた。それでも・・・私は、ずっと・・・人間のように愛したいと思い続けていたんだ」


 どれほど強大な魔力を持っていても、幽霊では出来ないことはある。

 愛すればこそ、相手と1つになって歓びを共有したいと思うのは、当たり前の想いなのだ。

 けれど、それはどうしてもできない。


 そんな時、間違っているのかもしれないが、方法と同意があれば可能であると気づいてしまった。


 イレーネとウィンは、漸く気づいた。

 これも、1つの愛の形なのかもしれない、と。



 やがてウィンは、意識的にサラリと言葉を口にする。

「そっか、解った。そうすると、エルオリーセのお腹にいる赤ん坊の父親は、アルバってコトで良いのか?」

 オリビエは、涙や汗もそうだが、身体から体液を分泌することは無い。そうすると、変身して深く眠ってはいても体がアルバなら、そう言う事になるのだろう。

 けれどイレーネは、パッと立ち上がって、きっぱりと言った。


「違うわ!オリビエとアルバ、両方が父親よ。私は、そう思う!」


 理屈なんて、どうでもいい。

 オリビエもアルバも、エルオリーセを心から大切に思っているのだから。

 その結果、こうなったのなら、両方とも父親でイイじゃないか、と。


 一瞬面食らって、呆けたような顔になった幽霊とウルフドッグだが、何故か不思議と安堵したような気がする。そんな彼らに、ウィンは笑って言った。

「父親の責任が半分ずつになった、とか思うなよ。まあ、色々とイレギュラーだけど、それでもおめでたいことなんだしな。パパの愛情も2人分ってコトで」



 話に決着がついたところで、一同はエルオリーセの寝室へ戻る。

「さて、落ち着くところに落ち着いたら、先ずは『おめでとう、エル』!」

 イレーネはベッドに駆け寄って、エルオリーセの頬にキスをした。


 そう、先ずはそこからだ。

 子どもを身籠るという事は、どんな場合でも天の恵みであり、おめでたいことなのだ。何故なら、新しい生命には、何の罪もない。


「ありがとう、エルオリーセ。ただただ嬉しいよ」

 オリビエは、彼女の唇に優しいキスを落とす。その瞳には、優しく純粋な想いが溢れていた。


 〈エルオリーセ、おめでとう。僕も嬉しい。これからも頑張るから〉

 アルバは、キスをするようにそっと鼻先を押し当てる。


「良かったな。おめでとう、エルオリーセ」

 ウィンも、満面の笑みで言葉を贈った。


「そうなると、これから忙しくなるわね。先ずは、エルの体調回復だけど、パパになるオリビエとアルバは、酸っぱい果物を採ってきてちょうだい。お爺ちゃんは、お使いに行ってね」

 イレーネは、ウィンを指さす。

「は?・・・俺か?」

「さっきの話し合いじゃずっと、妊娠した娘の父親みたいだったじゃないの」


 イレーネに指摘されて、確かにそうだったかもしれないと思うウィンだ。だがそうなると、イレーネは母親みたいではないかとも思う。

 けれど流石にそれは言えず、ウィンは苦笑いで留めた。

「ま、イイさ。で、お使いって?」

「ポタジェ村の、マイカおばさんのところに行ってくれない?手紙を書くから、返事と必要な品を貰って来て欲しいの」

 村の産婆であるマイカに、助言などが必要だと判断したイレーネだった。



 出来ることを手分けして、それぞれが動き出す。

 イレーネはエルオリーセに付き添って、知識を総動員し、良いと思われることは全て行う。

「ねぇ、エル。吐いちゃってもイイのよ。水は口に含むだけでも、微量は吸収されるし、飲んだ分が全部出ちゃうわけでも無いの。吐くまいと堪えて体に力を入れるくらいなら、無理せず出しちゃって」

 刺激が少ない微温湯を、少しずつ飲ませては、そう言って甲斐甲斐しく世話をする。

 以前では、考えられもしなかった行動だ。

 けれど今は、汚いとか臭いとも思わずに、後始末が出来る。


 ウィンは、ポタジェ村のマイカから、小さな壺と手紙、そして何種類かの薬草と食材を貰って来た。

 レシピ付きの食材は、オリビエが調理した。


 匂いが上がらないように冷ました米の粥の上には、壺に入っていた真っ赤な果実らしいものが乗っている。

「ああ、これ。マイカおばさんの家で、味見させてもらったことがあるわ。果実を干して塩漬けにしたものらしいけど、滅茶苦茶酸っぱいのよね。でも悪阻の時って、美味しく食べられたりするみたいよ」

 そして出来上がった料理は、ちゃんとエルオリーセの胃に納まった。


 アルバはエルオリーセの傍らで、ひたすら彼女の体力回復に努める。

 オリビエも、夜間だけではあるが、酸味のある果物を探しに行ったり、眠る最愛の人の傍で、城の書庫から探し出して来た医学書や育児書を読んだりしている。


 買い出しはウィンとリバティ、そしてノイが受け持った。

 最初は山道を上り下りしていたが、イレーネが洞窟の抜け道を教えると、ノイもリバティも難なく狭く暗い道を通れるようになる。



 そんな日々が続き、やがてエルオリーセは酷い悪阻の時期を乗り越えた。

 ホッと一息をついたイレーネだが、これからもやることはあると思っている。


「ねぇ、考えたんだけど、これから先はここにいるより、ポタジェ村の近くにいある家に移った方が良いわ。妊娠中に何かアクシデントが起きたりすることもあるし、出産も私ひとりじゃ対応しきれないと思うの。勿論、メタモルファルの秘密は守らなくちゃいけないと思うけど、それには充分注意して、誰かの助けを求めたい」

 誰か、とはマイカのことである。


 妊娠・出産・育児どころか、男性経験さえ無いイレーネとしては、不安しかない。

 それを訴えると、男性陣は頷いてくれた。エルオリーセも、申し訳ないとは思いながらも、確かに不安ではあるから同意する。


 そしてエルオリーセの体調が安定した頃合いを見計らって、全員で夜のうちに移動する。

 皆、妊婦を気遣って、ボウルに張った水を零さないくらいの慎重さで、彼女を運んだ。



 イレーネとウィンの家は、さほど大きくは無いが、4人と1匹が暮らすには充分な広さがあった。

 周囲にはなだらかな丘が連なり、草原と林が美しいコントラストを見せている。

 穏やかな田園生活の中で、イレーネは主に家事担当として暮らしていた。今はもう、伯爵令嬢だった頃の面影さえ無い。毎日せっせと身体を動かし、暇があれば魔術の練習などもして、妊婦であるエルオリーセを気遣いながら、充実した時間を過ごす。


 そんなある日、乾いた洗濯物を取り込んで、大きな籠を抱えたイレーネが家に入ろうとした時、狩りから帰って来たウィンが声を掛けた。

「おい!帰って来たぜ~~」

「ああ、お帰りなさい。首尾はどうだった?」

「そりゃもう、バッチリだぜ。鶉が5羽と、ついでにアケビと山菜も採って来たぜ」

「お疲れ様。それじゃ、夕飯の支度をしないとね。・・・・ああ、明日も良いお天気だわ、きっと」

 仲の良い夫婦のような会話の最後に、イレーネは緩やかな風にそよぐ草原を眺めて言う。


「ああ、そうだな・・・」

 ウィンは足を止めて、彼女の視線を追った。

「毎日穏やかで、忙しいけど楽しくて・・・何か、イイなって思うわ」

 イレーネは足元に籠を置き、傍らの石の上に腰を下ろした。そして顎を組んだ両手の上に置きながら、遠くを眺めて呟く。


「愛って、良いなって思うの。家族愛も恋愛も、隣人愛も友愛も、愛と言うのは全部良い物なんだなって」

 ウィンは、少々面食らった。いきなり『愛』について語りだしたイレーネに軽く首を傾げながらも、自分も腰を下ろす。

「近頃何となくだけど、気づいたのよね。ふわっと胸の中が暖かくなって、嬉しくなる瞬間が結構あるのよ。それで、そう言えば今まで・・・私が伯爵令嬢だった頃は、そう言う事って無かったんじゃないかなって」


 一番近しい肉親は、父親だったが、親子愛とは縁がない生活だった。

 恋愛に関しても、厳しく制限されていたので、胸がときめくような経験さえ与えられずにいた。


「お父様は、私を王妃か王弟妃にしたかったのよね。だから、スキャンダルはご法度だったんだと思うわ。価値を下げるようなことは、徹底的に排除するよう、次女や世話係にきつく言っていたのよ。でも私は、伯爵令嬢として、それは当然なことだと思ってた」


(男性経験ゼロってのは、だからか)

 オリビエから聞いていた事だが、ウィンはここで納得した。

(それにしても、コイツって親からも周りからも、愛情みたいなモンは教えられずに育ったってことか)

 そう思えば、伯爵様の御令嬢というのも、可哀そうなものかもしれないと思ってしまう。


 ウィンの胸に、愛しさと微かな切なさが沸き上がる。

 無意識のうちに腕を伸ばし、イレーネの肩を抱き寄せたウィンは、ごく自然に唇を合わせた。


(・・・・?・・・何だ、こりゃ・・・)

 ウィンは驚いて現実に戻った。

 イレーネは、きちんとキスに応え、いや寧ろ見事なテクニックで官能的な口づけを披露している。


「・・・え?どうしたの?急にやめちゃって。折角上手なキスを、味わっていたのに」

 蠱惑的な瞳でそんな事を言うイレーネに、ウィンの頭の中は疑問符で埋め尽くされる。

「大丈夫よ。ウィンのキスは、上手だわ」

「・・・慣れてるんだな」

「そうね、キスまでは許されてたから。尤も、途中で止めさせられることも多かったけど、それでも沢山の殿方とキスはしたわ」


「・・・あ・・・そう・・・」

 ウィンは、こっそりとため息をついた。


 この男性経験ゼロだと宣う元伯爵令嬢は、キスの経験値は豊富で、達人の域にまで達しているのかもしれない。

 このアンバランスな状況を、どう受け止めればよいか、暫し考え込むウィンであった。




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