表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
手綱と絆 ~追放された元公爵令嬢は気性難  作者: 甲斐 雫
第1章 ロートホルン城

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/22

1 衣食住の「住」 幽霊城

 険しい山並みの中腹に、ひっそりとそびえる白亜の城。

 道なき道をよじ登るようにして、ようやくその城の門前に辿り着いた娘は、息を切らしながらもしっかりと顎を上げて言った。


「ハッハッ・・・これが・・・ハァハァ・・・ロートホルン城ね」


 両手を腰に当て、仁王立ちで言い放つが、独り言だ。

 薄汚れた灰色のドレスは、シルクで質の良いものだが、裾はボロボロであちこち破れている。汚れがはっきり解るのは服だけではなく、その髪も同様だった。

 元は明るい色で巻き毛も綺麗に結われていたのだろうが、今はボサボサと頭の上でもつれ絡まっている。


 それでも彼女は、いつも通り、傲然と胸を張って独り言を続けた。

「思ったより綺麗じゃない? 無人の空き城だって聞いたけど、荒れ放題っていう感じじゃ無いわね」


 麓の村を通り過ぎる時、農夫が旅人に説明しているのを小耳に挟んだ。山の中腹の木々の間から、塔の先端を覗かせているロートホルン城を指して、農夫は言っていた。

「長い間、領主もいない城で、幽霊城って呼ばれているんでさぁ・・・」と。


「幽霊が出るのかしらね。でも出るなら夜でしょうし、寝ちゃえば解らないわ。万一出会ったら、ワインをかけてやって叱りつければ良いのよ」

 突っ込みどころ満載の、イレーネの独り言である。聖水ならいざ知らず、ワインをかけられて退く幽霊がいるだろうか。

 今まで気に食わないことがあれば、周囲の侍女たちにもそういう振る舞いで対応してきたイレーネは、それで全ては事足りると思っている。


「そろそろ夕暮れね。中に入らないと・・・」

 イレーネは門の扉に手をかけたが、当然開くはずもない。自分で開けようとしたのは、彼女にとっては立派だったのかもしれない。そもそも門は、誰かが開けるものだったのだから。

「・・・開かない・・・」


 鉄製の門は、見れば錆が所々に浮いていて、鍵が掛かっている。その錠前も赤錆に覆われていて、開けることは不可能だ。

「困ったわ・・・ここで夜になるのは、どう考えても拙いわよ」


 ここで初めて、イレーネは門に続く長い石積みの塀に目をやった。蔦が絡まる古い城壁は、頑丈そうで高さがある。よじ登ることは、不可能に見えた。

 けれど彼女は、門の近くにある小さな扉を見つける。門番などが使用する、通用門のようだ。

「こっちは、開くかしら?」


 頑丈そうな小さい扉は、意外にもあっさりと開いた。

 という事は、普段誰かが使っているのではないかと思うのが常識だが、生憎イレーネはそこまで考えない。開いて当然の顔で、さっさと中に入ってしまった。


 正面の扉から中に入ったが、ここも鍵は掛かっていなかった。不信感満載の城だが、イレーネはお気楽な事だけを考えている。

(この城なら、住まいとして相応しいわ。王都の屋敷より大きいし、立派だし。これで、住む場所は決まりね)

 後のことは、追々考えれば良いと、イレーネは真っ直ぐに両開きのドアの前に進む。そして、一応はそうっとドアを開けてみた。


(・・・あら、綺麗じゃないの)

 ドアの隙間から顔を出して、室内を確認する。

 日没直前の薄暗い室内は、埃っぽくもなく黴臭くもない。正面に大きなマントルピースと、応接セット、周囲にはセンスの良い調度品が並んでいるようだ。大きなカーテンの横には、楽器の様な黒い塊がある。壺や絵皿、大理石の彫刻、鎧に絵画。暖炉の上の壁には、綺麗な風景画が並んでいる。

 灯りが無いのでよくは見えないが、それでも居心地は良さそうだ。

 イレーネは、真っ直ぐにソファーに向かい、クッションを頭の下にして横になる。

(とにかく疲れた・・・もう、ここで良いから寝てしまおう・・・)


 空き城で幽霊城と言われるここで、居心地の良い室内がどれだけ不思議かを考える余裕もなく、イレーネはストンと眠りに落ちた。

 ソファーやクッションの、どこか懐かしいお日様の香りに安らぎながら。



 どのくらい眠っていただろう。

 イレーネは、響き始めた大きな物音に、無理やり覚醒させられた。

「~~~~っ・・・煩い・・・」

 想い瞼をこじ開けるように開くと、カーテン越しの月明りで薄暗い室内を飛び回る壺や皿が見える。

(何?・・・これ)

 いわゆるポルダーガイストと言うものだろうか。

 床には既に落ちた陶器の欠片が散乱し、飾ってあった大理石の彫刻も、ゴトゴトと揺れながら動き回っているではないか。

 カーテン横の楽器は、クラヴサンだったようで、鍵盤が勝手にガンガンと音を立てているが、音楽ではなくただの騒音だ。


「寝てられないじゃないのよっ!」

 思わず叫んだイレーネだが、次の瞬間、ハッと息を飲んだ。


 ギシッ・・・ギシッ・・・ギシッ・・・


 擦れるような重々しい音は、部屋の隅にあった鎧がたてている。目を凝らして見れば、フル装備の鎧を着た戦士のように、1歩ずつ彼女の方に近づいてくる。

「・・・・ヒッ!」

 悲鳴にもならない声が漏れたのは、驚愕が恐怖に代わったからだろう。

 鎧の手には抜身の剣があり、その切っ先をイレーネに向けていた。


 慌てて逃げようとソファーから足を降ろしたイレーネに、鎧はゆっくりと剣を振りかぶり、同じようにゆっくりと振り下ろした。


「ヒャァァ~~~」

 悲鳴を上げながら、そのまま床に転げ落ちた彼女の傍で、剣がクッションにめり込む。情けない声を上げ続けながら、イレーネは四つん這いで必死に身体を動かした。

(こ、殺される~~~)

 カーテンがバッサバッサと音を立てて揺れ、その隙間から差し込む月明かりが、部屋のドアを指し示すように照らした。


 ヒィヒィと喉を鳴らしながら半泣きで、イレーネは調度品が飛び交う部屋の床を這った。

 けれど、もう少しでドアだと思った時、目の前の床にボタボタと生臭く赤い液体が落ちて来る。

(・・・ヒィッ!)

 咄嗟に仰け反って上体を起こしたイレーネの目の前に、天井から下がって来たのは逆さまの頭だった。


 長く乱れた髪と、血走って濁った眼。

 こけた頬と、落ち窪んだ眼窩。

 ニタァと笑うように歪んだ口からは、紫色の舌が覗いている。


「ゥギャァァーーーー!!!」


 逆さになった不気味な顔だけが、突然眼前に出現した状況に、イレーネは絶叫した。

 そして、それが限界だった。

 パタンと仰向けの体勢で倒れたイレーネは、泡を吹いて失神していた。


 恐ろしい場面に出会ったら、か弱そうな悲鳴を上げてヨロヨロと倒れ込む。

 それが貴族令嬢の秘策と言うか、手管なのだと知ってはいたが、それどころではなかった。人間、本当の恐怖に直面したら、無様になるのは仕方が無い。

 それにここには、助けてくれたり看護してくれるような、取り巻きの美青年貴族などはいないのだから。



(・・・ん・・・眩し・・・・朝?)

 イレーネは、朝の光に瞼を叩かれたように、しかめっ面で目を覚ました。

 何度か瞬きをして視界をはっきりとさせると、天井が見え、ソファーで寝ているのだと解る。

(昨日の夜・・・・あれって、夢?)

 恐怖の時間を思い出して、ゾッとしたその時、イレーネの目の前にヒョイと顔が現れた。

「あ、目が覚めた?」


 ふわりとした声は、穏やかな笑みを浮かべた娘のものだった。

 栗色の短い癖っ毛はショートカットで、大きな碧の瞳が美しい。歳の頃は、イレーネより2つ3つ若いように見える。

(・・・口のきき方がなってない侍女ね)

 一瞬そう思ったが、少し前までは起床時に、侍女に声を掛けられていた彼女なら仕方がない。

 けれど、直ぐにそうではないと気づき、イレーネは仏頂面で問いかけた。

「・・・誰?」

 ショートヘアに、淡い緑の木綿のドレスの娘。

 少なくとも貴族では無いと判断し、短い質問を投げつけたイレーネに、どこか不思議な雰囲気を纏った娘は屈託なく答えた。


「私? 私はエルオリーセ。貴女は?」

 イレーネはムッとしたが、今の境遇は自分でも解っている。

「・・・イレーネ・・・」

 アルアインと続けようとするが、少し言いよどむ。

 するとその時、エルオリーセと名乗った娘の肩越しに、大きな頭がヌッと突き出された。


「ギャァッ! お、おっ、狼ぃ~~~!」


 ドスンっ!

 驚いて後ずさろうとし、そのままソファーから床へ転がり落ちたイレーネだった。



「こっちはアルバ。ウルフドッグだけど・・・大丈夫よ」

 ソファーの背もたれに後ろから前脚を掛け、床に落ちたイレーネを見下ろす巨大な犬は、決して友好的な目つきでは無い。


 それでもおっかなびっくり立ち上がったイレーネに、エルオリーセは静かな口調で、けれどきっぱりと言った。

「用意してあるから、お風呂に入ってきて。イレーネさん、臭いから」


(は?・・・え?・・・・臭いですってぇ!)

 産まれてこの方、そんな事は言われた事が無い。常に身ぎれいにして育ち、香水の芳香を身に纏って生活していた公爵令嬢だったのだから。

 憤慨して怒鳴ろうとしたイレーネだったが、ハッと気づいてクンクンと腕の辺りの臭いを嗅いだ。

(う・・・確かに・・・そう言えば、あれ以来着替えもしてないし、顔さえ洗って無いんだわ)


「こっちよ。付いて来て」

 スタスタと部屋を出てゆくエルオリーセの後を、慌てて追いかけるイレーネだった。



「ふぅぅぅ~~~気持ちいい~~~」

 たっぷりと張られた湯の中で、イレーネは声を出した。

 最初は、幽霊城でお風呂?と胡散臭さを隠せない彼女だったが、連れてこられた浴室は清潔で明るかった。朝の光がお湯から上がる湯気を通って輝き、湯の温度も申し分ない。以前自分が暮らしていた屋敷の浴室に、勝るとも劣らない設備や浴用品が整っていた。

(体や髪を洗うのって、何日ぶりかしら・・・)


 ここ数日ずっと、辺境と言われる地を流離っていたイレーネである。

 身体も痩せて、肌も荒れた。自慢の髪も、色褪せしたようにくすんでしまっていた。


(人間に戻ったような気がするわ。入浴の介添えが無いのは、不満だけど)

 それでも何とか独りで入浴を済ませ、イレーネは浴室を出る。

 するとそこには、簡素だが清潔な木綿のドレスが置いてあった。

(・・・汚れた服よりは、マシですわね)

 平民の普段着の様な縞模様の服だが、サイズは大丈夫そうだ。イレーネは服を着て、廊下へ出る。

「ヒェッ!」

 そこには不機嫌そうなウルフドッグが、彼女を待って寝そべっていた。



 足音も立てずに歩く超大型犬に先導され、イレーネはダイニングルームらしき部屋に入る。

 こんな場所にありそうな長テーブルは無く、ごく普通の質素なテーブルと椅子があった。そしてその上には、温かいスープとパンが置いてある。

 イレーネのお腹が、大きな音を立てて鳴った。


 パンは小さな固パンが1個。スープは皿に半分。

 明らかに少ない量だが、それでも椅子に座るとイレーネのお腹はオーケストラの演奏のように賑やかに鳴る。

「お腹が空いているんでしょ? それ、どうぞ」

 隣の台所から、エルオリーセがトレイを持って現れて言った。イレーネと同じ、パンとスープが乗っている。彼女が椅子に座る前に、作法もどこへやらでイレーネは食べ始めた。

 固いパンだが、野菜のスープに浸せばそれなりに美味しく食べられる。けれど、いかんせん量が少なすぎた。

(・・・・おかわり・・・給仕して欲しいのだけど・・・)

 イレーネは、もの言いたげにチラチラとエルオリーセを窺い見る。

「少なくてごめんなさい。自分の分しか、用意してなかったから。昨日の残りなのよ」

 穏やかに微笑んで言う碧の眼の娘だが、つまりは自分の食事を半分、イレーネに分けていると言うことなのだ。

 普通ならそれに対して、感謝をしなければならないのだろう。けれどイレーネは、ついこう思ってしまう。

(身分の高い者には、全て差し出すものではなくて?)


 だが、考えてみれば今の自分は、元公爵令嬢という存在で、身分がどうのと言える立場では無い。それをよく解っているイレーネだが、けれどお礼を言うまでの気分にはなれず、黙って視線を外すだけだった。


 エルオリーセは自分の食事を終えると、食器を持って立ち上がった。向かいの席のイレーネは、そっぽを向いて動かない。食器を片付けるなどという事は、全く頭に無い様だ。

 やっぱりね、と言う顔つきでエルオリーセは彼女の食器に手を伸ばし、皿を重ねて出て行った。

 イレーネは、ぼんやりと座っていたが、風呂に入って多少なりとも食事をしたおかげか、体の芯に隠れていた疲労が溶け出してきたようで、いつの間にかテーブルに突っ伏して眠ってしまった。



「・・・きて・・・起きて、イレーネ」

 ぐっすりと眠りこんでいたイレーネは、エルオリーセに揺すられて目を覚ます。

「汚れていた服は洗って何とか乾いたから、着替えて。陽が落ちる前に、麓まで送っていくわ」


 ここに来る時着ていた服を差し出され、有無を言わさず着替えをさせられたイレーネは、そのまま城から出ることになる。

 前を行くエルオリーセは、彼女を起こす前に着替えを終えていた。

 鹿皮のズボンにショートブーツ。くすんだ深緑の上着にはポケットが沢山あり、腰のベルトには小さなポーチが幾つも付いている。被っているキャスケット帽には、鳥の羽が1本。背には使いやすそうなザックを背負っていた。


(エルオリーセって、何者?)

 ここへ来て漸く、イレーネは疑問を覚える。

 今の服装だと、山や森で色々な物を集める少年の様な姿だ。歩く様子も、山道に慣れているようで軽々と歩を進めている。

(ロートホルン城に住んでいるような・・・)

 無人の空き城だという話だが、こっそり暮らしているのかもしれない。

 そんな事を考えながら歩く山道は、とんでもなく険しかった。


 切り立った崖の上を通り、岩の隙間を縫うように辿る道は、時折土に埋もれかけた石畳がある。遠い昔、ここはロートホルン城へ続く道だったのかもしれない。けれど長い年月、誰も通らず、忘れられた山道になっている。

 ウルフドッグのアルバは、一番後ろからゆっくりと付いて来ていた。



「イレーネ、城での出来事は誰にも言わないで。ううん、忘れてしまった方が良いわ」

 ふいにエルオリーセは、前を見たまま言った。

「え?」

 イレーネの声に、少年の様な格好の娘は、穏やかではあるがきっぱりと告げる。

「ロートホルン城は、本当に幽霊城だから」


 イレーネは、足を止めた。

(昨晩の事は、夢じゃなかったってこと?)

 あれほど怖い思いをしたのは生まれて初めてだが、今になって落ち着いて思い出すと、不思議と現実味がないような気もするが、確かに体験したことだとも思う。

 そう言えば、ホラーな話を聞いたり読んだりしても、眠れなくなったりしたことは無いイレーネだ。怖い経験は、直ぐに忘れることが出来る、ありがたい性格である。


(初めてだったから驚いたけど・・・・・・慣れれば大丈夫なんじゃないかしら。怪我したわけじゃないし、もしかして別の部屋なら何事もないかもしれないし)


 そこまで考えて、イレーネは最初の目的を思い出す。

(わたくし)、城に戻ります!」

 きっぱりと声を上げ、ある意味能天気で楽観的な元公爵令嬢は踵を返した。


「えっ! ちょっと待って、イレーネ!」

 エルオリーセは慌てて振り向いたが、イレーネはもう足早に行こうとしている。

 けれど足元の小岩に足を掛けたところで、ドレスの裾を踏んでしまった。

「あっ!」

 おまけにそれが浮き岩で、不安定でグラグラしていたから、あっさりとバランスを崩してしまう。身体が倒れた方向は崖で、イレーネは宙に放り出されてしまった。


「キャァァ~~~」

 悲鳴を上げながら、一瞬、これで死ぬかもしれないと思ったイレーネだが、次の瞬間、身体がガクンという衝撃と共に止まった。

(えっ・・・何?)

 腰の周りに、ふかふかで長く太い尻尾がしっかりと巻きついていた。



 崖の上にストンと降ろされたイレーネは、腰からシュルシュルと離れてゆく尻尾を眺めながら呆気に取られていた。

「・・・・これ・・・どう言うこと?」

 尻尾の持ち主は、ウルフドッグのアルバだが、超大型犬だと言っても尻尾が伸縮性だとは聞いた事が無い。

「アルバって・・・実は、魔物なの?」


 エルオリーセは、大きなため息をついて、仕方なさそうに言った。

「城に、戻るんでしょ?」



 ロートホルン城に戻り、昨晩過ごした部屋に入ったイレーネは、少し居心地悪そうにソファーに腰を下ろした。

 落ち着いて室内を見回せば、深緑色のカーテンとベージュの絨毯は、森の中にいるような落ち着きを感じさせる。

(そろそろ夕方だけど、まだ大丈夫よね・・・)

 アルバが彼女を見張るように、床に伏せている。

 やがてエルオリーセが、ティーセットをトレイに乗せて戻って来た。


「あ、あの・・・さっきの事だけど・・・」

 湯気を立てるカップに手も伸ばさず、イレーネは口を開く。

「うん、アルバが魔物かって言う事ね。ええと・・・この国だと、魔物のカテゴリーに入るのかな。アルバはメタモルファルよ。変身獣とも言われるけど」

 ティーカップに口をつけながら、エルオリーセは静かに答えた。


「メタモルファル?・・・変身獣?・・・・だから、尻尾が伸ばせたの?」

「そう言う事ね。他にも沢山、能力はあるけど。それより何故、ここに戻る気になったの?私としては、麓で別れたらそれっきりにするつもりだったのだけど」


 イレーネは、黙り込んでしまった。どこから話せばよいか、解らない。

 そうこうするうちに、いつの間にか陽が沈み、部屋が薄暗くなる。完全な日没となった時、それは忽然と現れた。


 部屋の片隅、今は静かにそこにあるクラヴサンの横に、滲み出るように姿を現した人影。

(え?・・・いつの間に・・・って、あら・・・)


 一言でいうなら、白皙の美青年だろう。

 微かに透けているように見えるが、背が高く均整の取れた体つきで、薄暗い中でも金髪であることが解る。

(・・・素敵な貴族男性じゃないこと? 来ている服は、古めかしいけど)

 イレーネが暢気にそんな事を考えていると、人影は歩くように移動し、エルオリーセの傍らに立った。


「エルオリーセ・・・」

 彼は優しく彼女の名を呼びながら、その頬に軽くキスをすると、言葉を続けた。

「麓まで送っていったんじゃないのかい?・・・何故まだ、コイツがここにいるのかな」

 最後はイレーネの方に視線を向け、冷たい口調で言葉を投げつけた。


「うん、まぁ・・・色々あって・・・」

 申し訳なさそうな顔になったエルオリーセだが、彼は微笑みながらその頭を撫でる。

「いいよ、気にしないで。・・・だが、とりあえず・・・おい、お前。名は何と言う?」

 真っ直ぐにイレーネを見るその目は美しい青だが、この上ない冷気を宿していた。


 イレーネは気圧されたようにパッと立ち上がり、反射的に腰を屈めた。

「・・・イレーネ・アルアインと申します」

 スカートを摘まんで頭を下げ、優雅に淑女の礼を行うイレーネに、青年はフンと鼻を鳴らして、それでも言葉を返す。

「オリビエ・ローレンス・ロートホルン男爵だ。この城の主で、幽霊でもある。ロートホルン城は、無人だが空き城では無い」


 幽霊城の主、出現。


 イレーネは、ポカンと口を開けて呆けている。

 仕方なく、エルオリーセが口を開いた。


「無断侵入者はたまに来るけど、いつも追い払っているの。気絶させて城の外とか、もっと遠くに捨てて来るんだけど・・・何となく、イレーネさんは訳ありの様な気がして、とりあえずお風呂と食事を済ませてから送って行こうと思ったのよ。男爵に頼んだら、許可をもらえたしね」

 汚れてボロボロだが、上質なドレス。身分の高そうな振る舞いや、高そうなプライド。それなのに、幽霊城と噂されるここに、たった一人で、険しい山を登ってやって来た根性と度胸。

 詳しい事情を詮索する気は無いが、そのまま放り出すのは躊躇われたのだ。


「でも、送ってゆく途中でアルバの正体に気付かれたし、ここに戻るって言うから・・・今後の事を考えて、どうしたらいいか相談しようかと思って・・・」

 幽霊男爵を見上げて、エルオリーセは窺うような表情を見せた。


「そうだな・・・では、とりあえず、ここに来た目的を言って貰おうか」

 美青年の幽霊は、冷ややかな眼差しと声で、イレーネに告げた。



「・・・(わたくし)は・・・アルアイン公爵の娘で、公爵令嬢です。『元』ですけど」

 イレーネは覚悟を決めたように、話し始めた。

「父は謀反を企てて、その途中で亡くなりました・・・」



 父親に謀反の意志があったことなど、それまでイレーネは、何も知らなかった。

 政治には興味が無かったし、父である公爵も何も教えなかった。イレーネは、ただ公爵令嬢としての作法や教養だけを与えられ、何不自由なく、境遇への不満や疑問も持つことなく育った。

 国王の王妃候補になった時も、当然のように王妃になるのだと思ったし、実際王妃になれずに終わった時も腹は立ったが受け入れた。

 次に王弟殿下との縁談を父に命じられ、多少不快ではあったが、自分なりに努力をした。

 けれど、青天の霹靂で、父の謀反と死亡が告げられたのだ。


「妾腹の弟たちは、国外追放。領地は没収され、(わたくし)は、遠縁の子爵家へ預りの身になりました・・・」


 遠縁も遠縁、遥か昔に少しだけ血の繋がりがあるだけの子爵家は、王都から遠い辺境の地方貧乏領主で、マック・ターキン子爵と言う。

 ターキン子爵は、謀反人の娘であるイレーネを、支度金を多く払える誰かに嫁がせるつもりだった。それ以外に、利用価値など無かったのだ。


「直ぐに縁談を告げられたのですが・・・それが、とんでもない相手で!」

 いつの間にか、イレーネの素が出ていた。

「初老の脂ぎった商人で、資産家だけど妾が十数人もいて、デブで変態みたいな色ボケで、目つきはイヤらしいわ教養は無いわで、同じ室内で同じ空気を吸うのも鳥肌が立つくらいでっ!」


 だから顔合わせのあったその晩、後先考えず子爵家から逃げ出したイレーネなのだ。

 何とかなるだろう。何とかすれば良い。

 ただそれだけで、逃げ出した元公爵令嬢は、ある意味無鉄砲な楽天家なのかもしれない。


「捕まって連れ戻されたくなかったので、人目につかないように歩いて、こっそり荷車の後ろに隠れたりして・・・」


 運が良かったのだろう。荷車に積まれた干し草に潜って、そのまま眠ってしまったら、いつの間にかかなり遠くまで来ていた。持って出た僅かなアクセサリーなどを食料と交換し、とにかく遠くへと歩き続けた。

 体力と健康に恵まれていたのだろう。イレーネはその生命力で、ツラい旅を続けた。


「麓でこの城の話を聞いて・・・ここに住むと決めたのよ」

 辿り着いてみれば、ロートホルン城はなかなか立派な白亜の城に見えた。元とは言え、公爵令嬢に相応しい住まいだと思えた。


「無人の空き城なら、幽霊が出たって構わないって思って」

 滔々と話し終わって一息つくと、悪びれた様子も無く、イレーネは2人を見る。

「空き城では無いがな・・・さて、どうするか・・・・・・この城の事を、他所で吹聴されるのは面倒だし、そうなると口封じをした方が良いのではないかと思うが。エルオリーセは、どう思う?」


 エルオリーセは、静かに答えた。

「私は・・・もう少し、様子を見た方が良いと思う」

 無益な殺生は好まない彼女だという事を、オリビエは知っている。

「そうか・・・では、そうしよう」

 幽霊男爵は、彼女の肩を抱き寄せ、愛しそうにその髪にキスをした。


(何よ、この幽霊。エルオリーセを、溺愛してるんじゃないの?)

 先ほど素敵な美青年だと思ったことは、綺麗さっぱり頭から消えたイレーネだ。

(幽霊のくせに・・・)

 見栄えが良くても、幽霊じゃどうしようもないと自分に言い聞かせる。


「そう言うわけだから、この城に暫く住むことを許可する。ただし、迷惑はかけるな。元公爵令嬢だからと言って、世話をして貰おうなどと思うなよ。エルオリーセを困らせたり、我々の邪魔はするな。居候なのだからな」


「いっ、居候!」

 何と情けない響きだろう。

 しかし、ここは受け入れるしかないイレーネだ。

「わ、解ったわ・・・」

「は? 何と言った?」

「う・・・・解り・・・ました」


 これで何とか、衣食住の『住』だけは確保したイレーネだった。



リアクション 大歓迎w

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ