第十話 決意の三人
俺の名前は悠人この生活も一ヶ月は経ち大体慣れてきた。授業が終わると同時に、俺の時間が始まる。昼休み。パンを食べ終えたら、机に突っ伏して眠ったふりをする――それが俺のルーティンだった。
窓の外を見ると、電脳広告のホログラムが踊ってる。教室内のクラスメイトは無表情にスマホをスクロールするもの、友達と笑い合っているもの色々存在する。サイバーパンクな景色なんて、見慣れすぎてもう退屈だ。
せめてこの平和な日常が続きますように……そう願って、俺は机に顔を伏せる。
――その瞬間。
耳元で、スマホが狂ったように震え続けた。
「……うるせぇ」
仕方なく画面を確認する。そこに表示されていた名前は――雫。
メッセージは短い。
《屋上に来い》
思い当たる節は、一つだけある。だが、行きたくない。確実に殺されるからだ。見なかったことにして、再び頭を伏せる。
すると、続けざまにスタンプが届いた。
黒雷神楽が刀を振り下ろしながら「来い」と書かれている。
「……スタンプで脅迫すんなよ」
既読をつけたくなくて視線を外すが、さらに追撃。
今度は、黒雷をまとった神楽「殺すぞ」と表示されたスタンプが届いた。
(……これ、屋上から俺の動き見てるだろ)
観念して教室を出る。
どうやら雫、“黒雷の神楽”には、一定数のファンがいるらしい。
その多くは過去に助けられた経験を持ち、「命の恩人だ」と崇めている。他にもサイバー警察より頼りになると言って、完全にファン化している連中までいる。
そして極めつけは、一部の熱心なファンが自主制作したスタンプ。
刀を振り下ろす神楽、仮面越しに睨みつける神楽、無言でこちらを指差す神楽……。バリエーションが妙に豊富で、ちょっとした公式グッズかよってレベルだ。
で、問題は本人がそのスタンプを普通に使ってくること。
「早く」→無言で指差す神楽。
「屋上に来い」→刀を振り下ろす神楽。
「殺す」→黒雷をまとった神楽
いや、普通に文字打てばいいだろ……とツッコミたくなる。
けど――そんなふうに、さりげなくスタンプを使う雫を見た瞬間。
俺は、不覚にも「ちょっと可愛い」と思ってしまった。
屋上のドアの前に立ち、一息ついてから押し開ける。
熱い風が吹き抜け、コンクリートの上を歩く自分の足音だけが響いた。
……だが、肝心の雫の姿はどこにもない。
「……おい、いないじゃん」
肩を落とし、教室に戻ろうと振り返ったその瞬間――。
「――遅い」
入り口の上、コンクリートの縁に雫が腰掛けていた。
次の瞬間、彼女は軽やかに飛び降り、黒い影のように俺の顔面へ蹴りを繰り出してきた。
「うわっ!」
反射的に避けられた――いや、避けられたけど、敢えて避けなかった。
見えた色は
「黒……」
――ガッ!
結局そのまま顔面を蹴られ、俺は派手に吹っ飛ぶ。
「っ……おま、いきなり何すんだよ!」
雫はふっと鼻で笑い、冷たく一言。
「アホね」
そのまま歩み寄り、俺の目を真っ直ぐに見据える。
「悠人。朝の件、どういうこと?」
場の空気が一気に冷える。
俺の脳裏に、数時間前のホームルームが蘇った。
♦︎
いつもなら教科書を抱えて、ぼそぼそと点呼をとるだけの鈴木委員長。
けど今日の彼は違った。
「――静かに!」
教卓を叩いた瞬間、空気が変わった。
声に妙な迫力があって、普段なら絶対に逆らうやつらまで押し黙る。
「昨日話した学園祭の“バトルステージ”の件だ。僕たちのクラスからも代表を出さなければならない」
教室にざわめきが広がる。
その声を切り裂くように、鈴木は淡々と、しかし熱を帯びた口調で続けた。
「学園祭が近い。僕たちのクラスは“バトルステージ”に出場することが決まっている。だから今のうちにメンバーを決めなくてはならない」
“バトルステージ”。
学園祭当日に詳細なルールが発表され、その場でクラス代表が戦う
毎年、怪我人やら病院送りやらが出るくせに「伝統だから」の一言で押し通されている。
教師陣の頭のネジは、きっと俺より数本多く外れている。
「バトルステージは、ただのイベントじゃない。クラスの名誉を背負う戦いだ。僕たちの力を示す舞台なんだ」
……誰だ、お前。
クラスの誰もがそう思ったはずだ。
「バトルステージに必要なのは、瞬時の判断力と圧倒的な知識だ」
教卓に立つ鈴木が、堂々とした口調で言い放った。
「その役割に最も適任なのは……悠人くん、君だ」
(……やっぱり、そう来たか)
嫌な予感はしていた。
「おー、いいじゃん!」「やっちまえ、天才少年!」
クラスのあちこちから盛り上がる声。
俺の背中に嫌な汗が流れる。
(……そうか。前の俺は“天才少年”だったのか)
皮肉にも、今さらそんなことを実感する。
「悠人は確定だよな!」
「決まり決まり!」
やばい、断れない空気になってきた。
俺は後ろの席にいる颯太へ、藁にもすがる思いで視線を送る。
「……助けてくれ」
すると颯太はヘラヘラ笑いながら、スマホをいじる手も止めずに答えた。
「いいじゃん。バトルステージって賞金デカいらしいよ?」
「は? じゃあお前も出ろよ!」
「いやいや。最近、僕サイバー部隊で訓練してるじゃん? もし参加したら……殺しちゃうかも?」
にやにや笑いながら、軽口を叩く颯太。
(こいつ……絶対助ける気ねぇな)
その時、鈴木が静かに言った。
「じゃあ悠人君。残り二人のメンバーは、君が決めていい」
「……は? 俺、もう出場確定なの?」
ざわつく教室。
俺はため息をつきながら、渋々顔を上げた。
クラス全体を見渡す。
その瞬間、廊下側の席あたりが――明らかに歪んで見えた。
熱の揺らぎのような空気のブレ。いや、あれは……電撃か?
目を凝らさずともわかる。雫の周囲だけ、世界そのものがピリついていた。
「私の名前を出すな」
そう言わんばかりの圧。
……けど。
(頼れる人って言ったら、この人しかいないんだよな……)
心臓が嫌な音を立てる。喉が渇く。
それでも、口にするしかなかった。
「えっと……じゃあ……」
……雫さん、かな」
恐る恐るそう告げた瞬間、教室が一斉に爆発した。
「おーーっ!!」
「マジかよ!雫さんキター!」
「最高じゃん、このクラス優勝だろ!」
拍手と歓声が鳴り響き、椅子を蹴って立ち上がるやつまで出てくる始末。
雫がゆっくりと振り返る。
その目は――完全に殺気を帯びていた。
(うわ……これ、絶対やっちゃいけないやつだった)
「じゃあ決まりでいいかな?」と鈴木が笑顔でまとめに入る。
「ちょっと待って。私はまだ何も――」
雫が否定しかけるも、周囲の熱狂は止まらない。
「いやいや雫さんなら余裕っしょ!」
「うちのクラス最強だし!」
「むしろ雫さんいなかったら負け確だって!」
雫は眉間に皺を寄せ、口を開きかけて――結局、閉じた。
ゆっくりと腕を組み、わざとらしくため息をつく。
「……ほんっと、しょうがないわね」
その横顔は不満げに見えた。
だが俺には、一瞬だけ口元がわずかに上がったように見えた。
(……え、これ、もしかして嬉しいのか?)
もちろん口に出す勇気はない。
俺の命が惜しいからな。
そんな中
雫と悠人のやりとりを見て嫉妬するものが現れた
教室の熱気が収まらない中、誰かが手を挙げた。
「私、やります!」
その声に、クラスが一瞬静まり返る。
声の主は――美咲だった。
「おおっ、やるのか!」
「さすが美咲!」
後ろの席から、颯太も手を叩きながら言う。
「そう来たか!」
俺は思わず小さく肩をすくめる。
颯太はさらに笑顔で追い打ちをかける。
「いいじゃん、いいじゃん!決まったね!」
こうして、最後の一人も決まった。
――バトルステージに挑むメンバーは、悠人、雫、そして葵の三人に決まった。
♦︎
場面は屋上に戻った。
悠人は深く息をつき、額を地面に押し付けるようにして、全力で謝った。
「……ごめん! 本当にごめん、雫」
雫は腕を組み、少し眉をひそめながらも、落ち着いた声で答える。
「悠人、私はあまり目立ちたくないの。早くカイロを助けて、メンバーを再集結させて、コアを壊して元の世界に戻りたいの」
悠人は目を細め、言葉を選びながら返した。
「でもさ……今、カイロがどこで収容されてるかも分からないだろ?
それに、メンバーもカイロのリーダーシップがないとまとまらないんだろ?
もしかしたら、カイロを助けるためには金が必要かもしれない。……だから、賞金は俺の取り分、全部あげる。頼む、助けてくれ」
雫はため息をつき、肩の力を少し抜く。
「……まあ、悠人。あなたの言ってることも一理あるわ。確かに今できることは限られてるものね。
いいわよ、協力する」
そう言うと、雫は振り返り、屋上のドアへ向かう。
「私は早く帰らなきゃいけないの」
普段なら強気で揺るがない雫が、ほんの少し弱い声でそう言った。
そして、軽く振り返って小さく笑いながら付け加える。
「ちなみに、ちょくちょく見てるけど、これ見せパンだから」
そう言うと、雫は屋上のドアを開け、そのまま去っていった。