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奴隷少女と悪魔の逃避行

地下牢の空気は、鉄と血の臭いが混ざって重苦しかった。

 人間の少女は、鎖に繋がれたまま床に蹲っている。

 何度目かの水の要求に応えることすら、俺にはできなかった。


「俺はただの……雑用係だ」


 この牢の掃除と食事の運搬を任されている、最下級の悪魔。

 俺ができるのは、上役が吐き捨てたパン屑を拾い、少女の皿に投げ入れることだけ。


 少女の唇がわずかに動いた。


「……外の空気が、吸いたい」


 そのひと言が、胸の奥に棘のように突き刺さる。

 俺は悪魔だ。

 人間を可哀想だと思う資格などない。

 でも……。


 夜、俺は居室でひとり震えていた。

 雑用係の俺なんかが、あの子を助けようなんて。

 無理だ、そんなことをしたら

 

 首が飛ぶ。

 魂が喰われる。


 それでも、耳にこびりついた噂が離れなかった。


「どんな場所へもパンを届ける配達員がいる」


 人間の街で、こっそり耳にした奇妙な話。

 そいつなら、何かできるかもしれない。

 ……いや、できなくてもいい。

 せめて、あの子に本物の食事を食わせてやりたい。




 翌日。

 裏門の影に潜んで、震える手で召喚の札を握った。

 これを使えば配達員が来ると、街の商人が言っていた。

 だが、それが本当かどうかもわからない。


「……頼む」

「どうか、来てくれ」


 闇の中で、パンの香りがふわりと漂った。


「依頼主は……お前か?」


 声がした。

 顔を上げると、そこにいたのは布袋を担いだ一人の青年。

 黒い上着を羽織り、瞳は深い水底のように冷たい。

 だが、少年めいた笑みが浮かんでいた。


「場所を案内してくれるか?」


 錆びついた鍵を回すと、地下牢の空気が動いた。

 石の壁にしみ込んだ湿気と血の匂いに、俺の鼻先がひりつく。

 鎖の音が、かすかに耳に届く。


「……お客さんだ」


 俺がそう言うと、少女は顔を上げた。

 真っ青な顔色。荒い呼吸。

 それでも、瞳の奥には諦めきれない光が宿っていた。



「本人受け取りが条件だ」


 背後から響く声に、心臓が跳ねる。

 あの配達員だ。

 黒い上着をひるがえし、パンの香りと共に立っている。

 何もかも見透かすような瞳が、俺にも少女にも向けられていた。


「……あんたがあの噂の配達員か」

「そう呼ぶなら好きにしろ。俺はただ、パンを届けてるだけだ」


 淡々とした声色。

 だがその声は、牢の石壁すら震わせるような力があった。

 配達員が布袋から取り出したのは、まだ湯気を立てるパンだった。


「食べるか?」


 少女は鎖に繋がれたまま、かすかに頷いた。

 俺は見ていられなくて、視線を逸らす。



「……お前」


 配達員が俺に向けて言った。

 低く静かな声。

 けれど、その瞳に射抜かれるような鋭さが宿る。


「ここから連れ出す気はあるか?」


「――え?」


「このままだと、あの子は近いうちに死ぬ」


 心臓が握り潰されるような感覚。

 そんなこと、俺が一番分かっている。

 でも俺は――

 この弱い悪魔は、誰一人救えたことがない。


「……無理だ。俺なんかに、そんなこと……」


「なら俺はパンを届けるだけだ。

 連れ出すのはお前が決めろ」


 配達員はそう言い残し、壁にもたれかかる。

 深い瞳の奥に、微かに哀しげな色が差した気がした。



 少女がパンにかじりつき、小さく微笑むのが見えた。

 俺は心の奥に灯った火を、必死に消そうとする。


(でも……本当に何もできないのか?

俺にも、あの子を助けることくらい……)


 錆びついた鍵を回すと、地下牢の空気が動いた。

 石の壁にしみ込んだ湿気と血の匂いに、俺の鼻先がひりつく。

 鎖の音が、かすかに耳に届く。


「……お客さんだ」


 俺がそう言うと、少女は顔を上げた。

 真っ青な顔色。荒い呼吸。

 それでも、瞳の奥には諦めきれない光が宿っていた。




「本人受け取りが条件だ」


 背後から響く声に、心臓が跳ねる。

 あの配達員だ。

 黒い上着をひるがえし、パンの香りと共に立っている。

 何もかも見透かすような瞳が、俺にも少女にも向けられていた。


「……あんたがあの噂の配達員か」

「そう呼ぶなら好きにしろ。俺はただ、パンを届けてるだけだ」


 淡々とした声色。

 だがその声は、牢の石壁すら震わせるような力があった。

 配達員が布袋から取り出したのは、まだ湯気を立てるパンだった。


「食べるか?」


 少女は鎖に繋がれたまま、かすかに頷いた。

 俺は見ていられなくて、視線を逸らす。



「……お前」


 配達員が俺に向けて言った。

 低く静かな声。

 けれど、その瞳に射抜かれるような鋭さが宿る。


「ここから連れ出す気はあるか?」


「――え?」


「このままだと、あの子は近いうちに死ぬ」


 心臓が握り潰されるような感覚。

 そんなこと、俺が一番分かっている。

 でも俺は――

 この弱い悪魔は、誰一人救えたことがない。


「……無理だ。俺なんかに、そんなこと……」


「なら俺はパンを届けるだけだ。

 連れ出すのはお前が決めろ」


 配達員はそう言い残し、壁にもたれかかる。

 深い瞳の奥に、微かに哀しげな色が差した気がした。



 少女がパンにかじりつき、小さく微笑むのが見えた。

 俺は心の奥に灯った火を、必死に消そうとする。


(でも……本当に何もできないのか?

俺にも、あの子を助けることくらい……)


 深夜の牢番室。

 魔王城の廊下を吹き抜ける冷気が、俺の背中を撫でた。

 脳裏を掠めるのは、さっきの配達員の言葉だ。


「連れ出すのはお前が決めろ」


 あの瞳に射抜かれた瞬間、俺は己の小ささを痛感した。

 上役に逆らえず、少女の鎖を外す勇気もない――。


 けれど、俺の胸の奥には確かに火が灯っている。

 あの子の小さな手、

 パンを食べた時の、かすかな微笑み。




「……怖い」


 呟きが漏れた。

 もし脱出を試みれば、魔王に見つかる前に

 上役の悪魔に八つ裂きにされるだろう。

 助けるどころか、二人まとめて殺されるかもしれない。


 それでも。

 あの子がここで朽ち果てていくのを、見届けるくらいなら――



 気づけば俺は、配達員の店へ向かっていた。

 深い森の中。

 月明かりの下に、静かに佇むパン屋があった。

 扉を開けると、焼きたての香りが鼻を打つ。


「……来たか」


 カウンターの奥で、配達員がいつもの無表情でパンを並べていた。

 だがその瞳は、まるで全てを見透かしているようだった。


「どうしても、助けたいんだな」

「……ああ」


 答えると、配達員は一枚の紙片を差し出した。

 そこには、少女と二人で魔王城を脱出するためのルートが細かく記されていた。


「俺は仕事に徹する。

 お前の決意は、お前自身で証明しろ」



「……ありがとう」


 初めて、誰かに礼を言った気がする。

 配達員はただ、

 「パンの香りが消えないうちに行け」と告げると、背を向けた。


 冷気が強まる。

 魔王城の裏門が見えた。

 だが門の前には、上役の悪魔が仁王立ちしていた。

 鋭い爪が月光を反射し、恐怖が全身を貫く。


「裏切り者め……!」


 低く唸る声が、骨の髄まで響く。

 少女の手が俺の袖を掴む。


「……怖い」


「俺だって怖いさ」


 俺は震える脚に力を込めた。

 この子の手を離したら、二度と掴めない気がした。



「……走れ」


 俺は少女の背を押し、上役の悪魔に向かって飛びかかる。

 どうせ俺のような弱者に勝てるはずがない。

 でも――


 その瞬間、風が切り裂くような音が響いた。

 気づけば、上役の悪魔がその場に崩れ落ちていた。

 背後に佇む影が、月光を浴びる。


「お前たちは、大事な客だからな」


 黒い上着がひらりと揺れ、配達員がそこに立っていた。

 淡々とした声に、無駄な感情はない。

 だがその言葉の重さが、胸の奥に深く沈む。




「……ありがとう」


 俺は震える声で呟いた。

 配達員は振り返りもしない。


「礼はいい。パン屋に来たら、その時に払え」


 少年めいた笑みを一瞬だけ見せると、配達員は静かにその場を離れた。



 俺は少女の手を握り直す。

 背後から感じた配達員の冷たい気配が、今は不思議と暖かかった。



 街の外れに佇む小さなパン屋。

 扉を開けた途端、焼きたての香ばしい匂いが胸いっぱいに広がった。

 少女の顔が、少しだけ緩む。

 俺はその表情に安堵しつつも、周囲を警戒する視線が刺さる気がして、肩に力が入った。



「……座れ」


 奥から現れた配達員が、短くそう言った。

 黒い上着の裾が揺れるたび、ほんのりと小麦の香りが漂う。

 彼の視線は相変わらず冷たく、感情の色を見せない。



「ここでいいのか……?」


 恐る恐る問うと、配達員は一瞬だけこちらを見た。


「お前たちは、大事な客だからな」


 淡々とした声だった。

 だが、そのひと言が胸の奥にじんと響く。

 悪魔である自分が、“客”として扱われることなどこれまで一度もなかったからだ。



 テーブルの上に湯気を立てるパンが置かれた。

 少女がそれを両手で包み込む。

 少し赤くなった頬を見て、思わず口を開きかけたが、言葉が出てこなかった。



「……ここにいる間は安全だ」


 配達員が短く告げる。

 その瞳には感情の揺らぎは見えない。

 けれど、奥底で微かに何かが滲んでいるような気がした。



「ありがとう……」


 少女が小さな声で言った。

 配達員は反応を見せず、静かにパンを焼き続けている。



 少女の寝息が聞こえる頃、俺は店の奥にいる配達員の背中に向かって呟いた。


「……あんたみたいになりたい」


 返事はなかった。

 ただ、生地を捏ねる手の動きが止まる。


 その一瞬の沈黙が、妙に心に残った


 月明かりがカーテンの隙間から差し込む。

 パン屋の裏部屋は、外の冷たい空気とは別世界のように暖かかった。


 少女は簡易ベッドに座り、湯気の立つパンを両手で抱えている。

 薄く赤くなった頬が、少しだけ穏やかに見えた。



「美味しい?」


 俺がそう問うと、少女は微かに頷いた。


「うん……とっても」


 小さな笑顔がこぼれた。

 あの牢の中では想像もできなかった表情だった。



「……外の世界、まだ怖い?」


 尋ねると、少女はしばらく黙り込んだ。

 そして、パンを見つめたまま小さく呟く。


「少し、怖い……

 でも、あなたがいてくれるから……きっと大丈夫」



 その言葉に、胸の奥が熱くなる。

 俺なんかを頼るのは間違いかもしれない。

 でも、この子を守りたいと思った気持ちは本物だった。



「……俺、ちゃんと働こうと思う」


 思わず口にしていた。

 少女が驚いたようにこちらを見上げる。


「真面目に働いて、ここに沢山パンを買いに来よう」


「……!」


「俺たちは、お客さんだからな」


 少しだけ笑ってそう言うと、

 少女の瞳がじんわり潤んだ。


「……うん、そうだね」

「二人で、ちゃんとお客さんになろう」


 少女の小さな手が、俺の袖をぎゅっと掴む。

 その温もりが、不思議と心を軽くした。


(この子となら……きっと、俺は変われる)


 月光に照らされたパンが、静かに湯気を立てていた。



 そして、その頃。

 配達員は肩に布袋を担ぎ、ひとり街の外れの道を歩いていた。

 次の客が、またどこかで彼を待っている。

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