ミス・アンドロイドに誘われて
「帰ろうぜ、ケンジ!」
その日の最後の授業が終わり、高校の教室は、気の緩んだ学生たちの喧騒であふれていた。
東川健司の席にも、友人たちが集まってくる。
家が同じ方向の者たちであり、彼らと連れ立って帰るのが東川健司の日常だった。しかし昨日までとは異なり、東川健司はまだ席に着いたまま、彼らを全て追い返してしまう。
「いや、今日は俺、ちょっと用事あるから。みんな、先に帰ってくれよ」
東川健司を残して、友人たちが教室から出ていく。
それを見届けてから、ゆっくりと東川健司は立ち上がった。
ちらりと後ろを振り返り、窓際の最後尾の席に視線を向けながら呟く。
「よし、彼女も先に向かってるみたいだな」
東川健司が確認したのは、安藤路依という女子生徒の席。
クラスでも半ば孤立気味で、他の女子たちから勝手に「ミス・アンドロイド」という渾名までつけられている彼女だが……。
そんな安藤路依から、東川健司は呼び出されているのだった。
「放課後、屋上まで来てほしいの。秘密の話があるから」と。
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「安藤さんって、なんだかロボットみたいだね」
「ロボットというよりアンドロイドじゃない? 『あんどう ろい』だけに」
くすくす笑いながら女子たちが話すのを、東川健司は耳にしたことがある。
当の本人を交えての会話ならば他愛ない冗談だろうが、その場に安藤路依はいなかった。だから陰口の一種だったに違いない。
聞いていてあまり良い気はしなかったものの、東川健司も少し「なるほど」と納得してしまった。
安藤路依は、おとなしい女の子だ。休み時間も他の子と遊んだり、おしゃべりに興じたりせず、いつも一人でボーッと窓の外を眺めている。
感情が乏しい……といったら大袈裟だろうか。安藤路依が笑ったり怒ったりするところを、東川健司は一度も見たことがなかった。
安藤路依に対して、廊下ですれ違った女子生徒がスカートをめくるという悪戯を仕掛けても、彼女は無表情で振り返るだけだったという。
そのエピソードを聞いた際、東川健司は安藤路依について何か思うより先に、「いい歳してスカートめくりなんて、何をガキみたいなことやってんだ」と内心憤慨したのだが……。
安藤路依には、性格だけでなく外見的にも、ロボットやアンドロイドっぽい部分がある。体格は中肉中背で、顔立ちにも特徴がなく、それが「平凡な量産型」「まるで人工的に作られたみたい」と評されていたのだ。
しかし東川健司は思う。悪い言い方をすれば「特徴がない」とか「平凡」とか言い表せるとしても、良く言えば「平均的に整っている」という意味ではないか、と。
いわゆる平均美人説というやつだ。大勢の顔写真を合成すると整った顔立ちが出来上がる、つまり美人やイケメンになるという。
この説が正しいか間違っているかはともかくとして、少なくとも東川健司が安藤路依の容姿を好ましく感じていること。それだけは事実だった。
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「もしかしたら安藤さんって、ファンタジー小説とか好きなのかも」
友人の高橋が、ある時ふと、東川健司にそんな話をし始めた。
オタク仲間とアニメの話で盛り上がっていたら、いつのまにか横に彼女が立っていて、声をかけてきたのだという。
「その『ナバルメニア王国』って、どこにある国? どんな王様が治めているの?」と。
高橋たちが話題にしていたのは、ラノベ原作のアニメだった。
異世界の小国に紛れ込んだ主人公が、勇者として祭り上げられた結果、近隣諸国との争いに駆り出されて活躍。それらの国々を一つにまとめて、率いる立場にまで上り詰めていく……というのが大まかなストーリーだ。高橋に言わせれば「今風の異世界転移と古典的な貴種漂流譚が合わさったような物語」だった。
「安藤さんが話しかけてきた時、僕たちは最初、新しいオタク仲間が出来ると期待したんだけど……」
安藤路依は、それがアニメの話であることすら知らなかった。しかも彼女の関心は、作品舞台となる王国の文化や社会など、世界観の設定のみ。主人公その他のキャラクターにも、物語の展開にも、全く興味がない様子だった。
「……それじゃ僕たちとは話が合わないよね。ファンタジーが好きは好きでも、そういう見方をするだけだったらさ、なんだか勿体ないと思わない?」
そう言われても、東川健司にはオタク趣味はない。その「ナバルメニア王国」とやらが出てくるアニメも見たことないし、そんな東川健司から見れば、高橋も安藤路依も「ファンタジーが好き」という同じ一括りに思えた。
同時に、なんだか嬉しい気分になるのだった。
ああ、傍から見たら喜怒哀楽のなさそうな安藤さんにも、きちんと趣味はあるのだな、と。
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それからしばらくして……。
授業中や休み時間など、東川健司が教室で自分の席に座っている時。
背中に妙な視線を感じるようになった。
しかも一度や二度ではなく、頻繁に起きる現象だ。だいたい二、三日に一回くらいの頻度だった。
ちらりと振り返り、サッと一瞬だけ、軽く周りを見回す。
すると、こちらを見ている安藤路依と目が合った。
「まさか彼女が、俺を見つめてるわけもないし……」
自分の「振り返る」というアクションが思った以上に目立ち、それに反応する形で注意を引き寄せたのだろう。
最初はそう思い込もうとしたが、彼女と目が合うのも一度や二度ではかった。彼が後ろを振り向く度に毎回、安藤路依の視線が向けられているのだ。
こうなると、もはや自意識過剰の類いではない。どうやら彼女は、自分に強い関心があるらしい。
東川健司は、思春期の健全な男子だ。外見的に好ましく感じている女子から熱い視線を向けられたら、それだけでドキドキしてしまう。
彼の方でも、今まで以上に彼女を意識するようになり……。
そんな状態が一週間ほど続いた今日。
とうとう直接、安藤路依が声をかけてきたのだった。
「放課後、屋上まで来てほしいの。秘密の話があるから」と。
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心臓の鼓動が聞こえるかと思うほど、胸を大きく高鳴らせながら、東川健司は階段を上っていった。
屋上階まで上がりきり、扉に手をかけると、鍵は掛かっていなかった。本来ならば施錠されているはずだが、彼女が手を回して、開けておいたのだろうか。
そんなことを考えながら、屋上に出る。
まだ日が沈むには程遠い時間帯であり、コンクリート剥き出しの足元から顔を上げれば、頭上に広がるのは、雲ひとつない青空。
そして数メートル先に立っているのが、安藤路依だった。
「来てくれてありがとう、東川健司くん」
いつも通りの無表情で、彼女が告げる。
簡単な挨拶だ。まずは彼も、同じように軽く返そうと思ったのだが……。
ここで彼女の右手に目が留まり、頭に浮かんだ疑問が口から出る。
「安藤さん、それは何? もしかして……。俺にプレゼントかな?」
安藤路依が持っていたのは、茶色の棒だった。
杖の類いのようで、長さは数十センチ程度。握りの部分と、反対側の先端部が少し太くなっていて、特に先端部には小さな水晶、いやガラス玉だろうか。透明な球体が埋め込まれていた。
「違う。これは……」
言葉だけでなく、首を横に振って否定する安藤路依。
「……あなたには扱えない。私の補助道具。いわば魔法の杖」
「魔法の杖……? ああ、そういう玩具か」
東川健司の頭に浮かんだのは、友人の高橋が言っていたファンタジー云々の話。
しかし安藤路依は、再び首を振って否定する。
「違う。おもちゃではなく本物。だから……」
彼女はゆっくりと腕を上げて、杖の先を彼の方へと向けていった。
すると先端の球体が、電球みたいに明るくなり、点滅し始める。
「……ほら! 私が調べてきた結果を、こうして裏付けてくれる。やっぱり、あなたこそが私の国の王子様だった」
私の王子様。
憧れの男性を比喩的に表現するフレーズとして、女の子が用いる言葉だろう。
だから「あなたは私の王子様」というのは、一種の恋の告白だ。
やはり安藤さんは、自分に気があったのか……。
東川健司は一瞬、そんな誤解をしてしまう。だがすぐに違和感に気づいて、慌てて聞き返す。
「えっ、『私の国の王子様』? 『私の王子様』じゃなくて……?」
――――――――――――
しかし彼の質問は遅すぎた。
もはや安藤路依には、それに答える時間はなかった。
既に彼女は、杖で次の魔法を発動させていたからだ。
杖の水晶から発せられる輝きが一段と強くなり、その場が眩しい光に包まれる。東川健司が目の前を手で覆って、思わず「うわっ!」と叫ぶほどだった。
そして、その光が収まった時……。
屋上に立っていたのは、安藤路依ただ一人。東川健司は姿を消していた。
つい先ほどまで彼がいた場所を見つめながら、ぽつりと安藤路依が呟く。
「私はあなたを……。あなたの存在を、完全に消さなければならなかった。あなたの魂を、本来あるべき世界へ帰すために」
発動した魔法に消されたのは、東川健司の姿形だけでない。この世界の人々の記憶からも、東川健司はいなくなっていた。
「そう、それが私の使命。私は、そのために作られたホムンクルスだから」
安藤路依は、少しだけ不思議に思っていた。
一体なぜ今の自分は、こんな独り言を口にしているのだろうか、と。
いいわけのつもりだろうか。自分は魔法で生み出された人工的な生命体であり、罪悪感なんてプログラムされていなかったはずなのに……。
「でも、大丈夫。この世界から消え去るのは、あなただけではない。役目を終えた私もまた……」
彼女の全身は、きらきらと輝く光の粒子と化して、体の端から少しずつ消えていく。
「私はただ消滅するだけなのか。あるいはホムンクルスの私でも、魂だけはあの世界へ帰れるのか」
答えられる者のいない質問を、最後に残して……。
彼女の姿は、完全に消失するのだった。
(「ミス・アンドロイドに誘われて」完)