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「この婚約に、愛はないと知れ」「なら、いままでの功績を回収しますね」「お前の愛を試してたんだ! 結婚しよう!」「お断りです」 ~DV婚約者の呪縛から解き放たれた私が幸せになるまで~

作者: 佐藤謙羊

「この婚約に、愛は無いと知れ」


 これはわたしが2歳の頃、婚約者であるオーヘイ様から初めて掛けられたお言葉です。


 商人の名家であるドルビド家。そのご子息であるオーヘイ様は、このとき16歳でした。

 わたしを見下ろす彼の顔は、婚約者に対してのものとは思えないほどに憎悪に満ちていました。


「なんという醜い顔だ。うぷっ、ヘドが出る」


 オーヘイ様の父上である男爵様の態度は、もっと酷いものでした。

 挨拶するわたしの髪をいきなり掴んできて、上を向かせたのです。


「お前が我が息子の婚約者か。痰壺の中身が滲み出してきたような酷い顔だな」


 男爵様は吐き捨てるようにそう言ったあと、なんとわたしの顔めがけてツバまで吐きかけてきました。


「二度とその顔を私に向けるな。痰壺は痰壺らしく、便所の隅にでも引っ込んでいるがいい」


 つまらぬものと関わってしまったとばかりに、プイと背を向け去っていく男爵様。

 そのあとを憧れのまなざしでついていくオーヘイ様。


「さすがお父様! 下女の扱いに慣れていらっしゃる!」


「オーヘイよ、下女というのはああやって躾けるものなのだ」


 この仕打ちはまだ幼かったわたしにとってあまりにもショックで、その場からしばらく動けなくなったのを覚えています。


 わたしは婚約者というよりも、完全に下女……。いえ、それ以下の扱いでした。

 しかし、拒否権などありません。


 わたしは貧しい農家に生まれ、ドルビド家に借金がありました。

 借金を待ってもらうかわりに、わたしが差し出されたのです。


 そしてそれ以上に、わたし自身に問題がありました。


 わたしの容姿は褒められたものではないものの、十人並みだと思っていました。

 しかし実際は初対面の相手にすら人間扱いされないくらい、醜い顔をしていたのです。


 わたしはわずか2歳で親から引き離されて、ドルビド家で暮らしていました。

 暮らしていたというより働かされていたのですが、使用人たちは誰もわたしの顔を直視しません。

 そして影ではこんなヒソヒソ話をしていました。


「アイツの顔、今日もいちだんとブサイクだったわね!」


「うん! 心の準備をしないであの顔を見ちゃうとビックリしちゃうわ!」


「っていうか、あんなの奥様っていうよりバケモノでしょ!」


「そうそう! ドルビド家の恥さらしなんだから、外に出ないで欲しいわね!」


 わたしは、ブサイク……。

 わたしは、バケモノ……。

 外に出ちゃいけないんだ……。


 わたしは幼心に、自分の醜さを恥じるようになりました。

 前髪を伸ばして目を隠し、少しでも顔を隠すためにメガネを掛けて、次第にお屋敷に引きこもるようになりました。


 お屋敷の中で使用人として働き、たまに窓から外を見つめるのが唯一の楽しみ。

 しかし、ある日から塀の外に村の人たちが集まってくるようになったのです。


 彼らは聞こえるような大声で、口々にこんなことを言っていました。


「うわぁ、あれがウワサのオーヘイ様の婚約者か! ウワサ以上のブサイクだな!」


「あんなのと結婚させられるオーヘイ様がかわいそう!」


「さっさと婚約破棄すればいいのに! なんでしないのかしら!?」


「オーヘイ様が情け深いお方だからに決まってるでしょう! あんなブサイク、捨てられたら最後だからね!」


「あ、そっかぁ! 誰ももらってくれないのは目に見えてるもんね! オーヘイ様は本当におやさしいなぁ!」


 わたしは、誰ももらってくれない……。

 だから、どこにも行けない……。

 こうやって生きていられるのは、オーヘイ様のおかげなんだ……。


 わたしは幼心に、焦燥に駆られてしまいます。


 このままだと、いつか捨てられるかもしれない。もっとオーヘイ様のお役に立たなきゃ、と一念発起。

 このときわたしは4歳だったのですが、同い年の子供よりも何倍も何倍も勉強をしました。


 令嬢としての礼儀作法はもちろん、話術や算術、いざという時のために生存術まで幅広く学んだのです。


 ドルビド家は商人の家系ですので、算術はとても役に立ちました。

 わたしが家の帳簿付けをするようになったことで事務員が不要になり、人件費が浮いたのです。


 これには経費削減という目に見えた効果があったので、わたしは手応えを感じました。

 仕事の手助けこそがわたしにできることだと思い、それからは商売への提案や、発明などを積極的に行ないました。


 このアモレティアモ帝国には発明法というものがあり、画期的な発明をした者の名は歴史に残ります。

 さらにその発明を利用した第三者から使用料を得ることができるのです。


 富と名声の両方が得られるこの仕組み。

 始めてから気づいたのですが、なぜかわたしは、この世界にはまだ無いものを作るのが得意でした。


 わたしは水を得た魚のように、いろんな発明を出願しました。発明者の名前はもちろんオーヘイ様。

 おかげでドルビド家は商売以上の利益を得ることができるようになり、功績も認められて男爵から子爵になったのです。


 お屋敷はどんどん大きくなっていって、使用人の数も増えていきました。

 それでもわたしの扱いは変わりません。


 でも、それで良かったんです。

 だってわたしが16歳になる頃に、ついにオーヘイ様からこんなお言葉を頂いたのですから。


「おい痰壺、今日からお前は飼い犬に昇格だ」


 なんと、愛犬にしてくださるというのです……!


「飼い犬はエサをもらうためにはシッポを振る。もっと媚びれば、お情けで抱いてやらんこともない。初めての夜をいつもと変わらぬ淋しい夜にするか、人生最高の夜にするかはお前次第だ」


 こんなにも醜いわたしを、抱いてくださるというのです。

 バケモノ同然のわたしを、生き物のメス扱いしてくださったのです。


 結婚式まであと半年、わたしはいっしょうけんめいオーヘイ様に気に入られようとしました。


 しかし結婚式といっても、わたしとオーヘイ様の結婚式ではありません。

 いまお屋敷で正妻のように振る舞っている愛人の方とオーヘイ様の結婚式で、わたしの入籍はついでです。


 でもオーヘイ様にひと晩でも愛して頂けるなら、身に余る光栄……。

 そのひと晩の思い出があれば、残りは余生になってもいい……。


 本気で思っていました、その瞬間までは。


 ……どんがらがっしゃん!


 張り切ってお屋敷の階段を掃除していたら、オーヘイ様にお尻を蹴飛ばされて、わたしは階段を転げ落ちていました。


 それ自体は珍しいことではありません。オーヘイ様は戯れによく暴力を振るってきますので。

 しかし今日は転がり落ちた先に彫像があって、その台座で頭を強く打ってしまいました。


 ゴン! と大きな音がした瞬間、わたしの脳の奥底がスパークしました。

 そして、いっきにあふれ出したのです。


 前世の、記憶が……!


「わ……わたし、OLだったんだ……」


「おいメス犬、なにを言ってる?」


「わあっ!? 【大平(おおへい)係長】!?」


 前世のわたしは総合商社の総務課で働いていたのですが、そこは愛あるしごきで有名でした。

 しかしいま思えば、パワハラとセクハラのオンパレード。


 暴力なんて日常茶飯事だったのですが、特に女のわたしはついでに身体を触られまくっていました。

 残業も押しつけられまくり、たまの休みも出勤を命じられ、接待でもお酌をさせられました。


 世間知らずだったわたしはそれが普通だと思っていたのですが、とてつもないストレスでした。

 何度も会社を辞めようかと思ったのですが、「お前みたいなのを拾ってくれる会社があるわけないだろ」と言われて思いとどまっていました。


 そうやってガマンを重ねた挙句の果てに、わたしは……。


「おいメス犬、頭を打っておかしくなったか? じゃ、正気に戻してやるよ」


 オーヘイ様は倒れているわたしに向かってツバを吐きかけてきましたが、すかさず回避します。

 これも護身術のたまものです。でも、いつもされるがままのわたしが避けたりしたので、オーヘイ様はムキになって機関銃のごとくツバを吐きかけてきました。


 銃弾をよけるように転がって逃げ続けていると、口が渇いて弾切れになったオーヘイ様は舌打ちをしてどこかへ行ってしまいました。

 その後ろ姿を見据えるわたしの瞳は、きっとメラメラと燃え上がっていたに違いありません。


「ぐっ……! いままで、あんなヤツに尽くしていたなんて……!」


 もし記憶が戻らなかったら、あの脂ぎった中年男に抱かれていたと思うとゾッとします。

 前世でもホテルに連れ込まれそうになったことがあるのですが、逃げたら「クソブスが!」と逆ギレされて、次の日に会社の階段の踊り場で突き飛ばされました。


 わたしはしばらく松葉杖生活を強いられ、その結果ストレスで10円ハゲができたことは一生忘れません。


「前世どころか今世でも、わたしの人生をメチャクチャにするなんて……! 許せない……!」


 怒りに任せて立ち上がろうとしたのですが、脚に力が入らずにへたり込んでしまいました。

 まわりにいる使用人は誰も助けてくれません。いつもはそれが普通なのですが、


「奥様、大丈夫ですか?」


 ふと手が差し出されたので、見上げると……。


「ええっ!? セヴァスちゃん!?」


 そこにはOL時代の後輩だった、セヴァスちゃんがいました。


 【瀬場・スターライト・碧】。金髪碧眼のイケメンハーフで、女子社員たちの王子様的存在。

 まわりからは【セヴァスちゃん】なんて呼ばれていました。


 驚くと、青い瞳が大きくまん丸くなるあたりは前世のまんまです。


「なぜ、僕の名前を……?」


「えっ!? あっ……その……! ちょっと、知り合いに似てて……!」


 キョドるわたしにセヴァスちゃんは「そうですか」と微笑み返してくれました。


「初めまして、奥様。結婚式までの間、このお屋敷で働かせていただくことになりました」


 貴族のお屋敷というのは、結婚式などのイベントを控えると準備で慌ただしくなるので、使用人を一時的に増員するのは一般的なこと。

 しかし奥様なんて呼ばれたのは、生まれて初めて。しかもしなやかな両腕で、包み込むようにやさしく抱き起こしてくれるなんて……。


「あ……ありがとうございます、セヴァス、さん……」


「そんなにかしこまらなくても、僕は執事ですよ? それにセヴァスちゃんと呼んでくださって構いません」


「は、はぁ……」


 とんでもないイケメンを前にしちゃったせいで、喪女のわたしが顔を出しつつある。

 わたしはずっと女子校だったから、男の人とキスすらしたことないんだよね。


 思えば、前世で初めて手を繋いだのも……。

 彼、だったな……。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



「オーヘイよ、首尾のほうはぬかりないな?」


「はい、お父様! あの痰壺女、メス犬と呼んでやったら喜んでいましたよ!」


「うむ、きちんと躾けができているようだな。その調子でしっかり飼い慣らすのだぞ、正妻には面倒な権利が与えられるのだからな」


「はい! 正妻の権利を使わせないために、貴族の娘ではなくて農家の幼い娘を娶ったのですね!」


「そうだ。貴族の娘は教育を受けておるから、正妻の権利ももちろん知っておる。その点、農家の娘を幼いうちに引き取って都合よく躾ければ、思いのままに操れるのだ」


「くくく、あのメス犬、自分が他に行き場がないくらいブサイクだって信じ込んでますよ!」


「それは当然であろう。使用人と村人に、醜女(しこめ)扱いするように命じてあるのだから」


「ブサイクだと思い込ませれば外にも出なくなるから、変な知恵が付くこともない! さすがです、お父様!」


「この小国では、正妻には夫が愛人を持つことを拒否できる権利がある。あのメス犬はそんなことも知らん」


「だから僕は愛人を作り放題ってわけですね! いくつになっても、若い女を好きなだけ抱けるなんて最高です!」


「その女どもに子を産ませまくれば、跡取りにも困らん。この家は代々、愛人の子が跡継ぎになっておるのだ」


「正妻を下女みたいに扱えば、使用人がひとり増えるようなものだし、いいことずくめですね!」


「しかしまさか、ここまで役に立つとは思わなかったな」


「そうですね! 我が家は一時期、商売に失敗して危なかったですけど、あのメス犬の発明のおかげで持ち直しましたから!」


「そのうえ新たな爵位まで授かるとは、ガラクタの山から黄金の痰壺を見つけた気分だよ」


「あっ、そうだ! 結婚式では愛人と指輪の交換をしますけど、あのメス犬にはご褒美として、首輪をくれてやりましょうか!」


「よし、大勢の前で首輪を嵌めさせたあと、靴を舐めさせるのだ。そうすれば名実ともに、完全なメス犬のできあがりだ……!」


「「くくくくくっ……! あーっはっはっはっはっはっはーーーーっ!!」」



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 わたしの人生の目標は、大きく大きく変わっていた。

 【献身】から【ざまぁ】に。


 前世でわたしを奴隷のように扱った挙句に死に追いやり、今世でも同じことをしようとしているヤツに、思い知らせてやるんだ。


 しかしいまのわたしにはなにもない。お金も権力もないし、まわりの人間は全員敵みたいなもの。

 唯一、セヴァスちゃんだけはわたしのことを【奥様】と呼んで慕ってくれている。


 彼はわたしのためならなんでもしますと言ってくれているので、頼らせてもらおう。

 ドレスを調達してきてもらって、誰もいない屋根裏部屋でツギハギだらけのメイド服から着替えた。


 長い前髪をあげてシニヨンにして、愛用のダテメガネを外す。

 いわゆる変装というやつなのだが、わたしの姿を見たセヴァスちゃんは青い瞳を宝玉みたいに丸くしていた。


「どうしたの、セヴァスちゃん?」


「あ、いえ……あまりにお美しいので……つい、見とれてしまいました……」


 お世辞のうまさは前世から変わってないね。


 わたしは適当に作った書類をトランクに入れて、屋根裏部屋の窓からロープを伝って裏庭に降りる。

 それからお屋敷の正門に回り込んで、門番にうやうやしく頭を下げた。


「初めまして。ダマサレンジャー商船から参りました、ヘロンと申します。オーヘイ様はおいででしょうか?」


 わたしは商船の営業を装ってオーヘイ様に会い、投資を持ちかける。


「こちらの投資は新しいものなのですが、いちばんにご案内させていただきたくて、はるばるやってきました。いまやドルビド家といえば次期伯爵待ったなしの名家で、その立役者であるオーヘイ様の名声は隣国にも轟いておりますからね」


 わたしは前世で培った営業トークと、今世で身に付けた話術でオーヘイ様を気分良くさせつつ話を進める。


「しかもこちらの投資は、商船が沈没しても元本が全額戻ってくるんですよ。そのぶんリターンは低めになっておりますが、輸入した品物はドルビド家に最優先でお譲りいたします」


 オーヘイ様はわたしの隣に座り直すと、わたしの髪の毛に手を伸ばし、触りながらささやきかけてきました。

 前世のセクハラそのまんまで身の毛がよだちますが、ぐっとこらえます。


「要は、ぜったいに損はさせないと言いたいんだね? 最近は商船も投資先を獲得するために大変みたいだねぇ。だったら、力になってあげなくもないかなぁ……。キミの誠意次第で、ね」


「あ……ありがとうございます。誠意なら、いくらでも」


「なら、その身体を担保にしてもらおうかなぁ。キミが僕の愛人になってくれるのなら、キミが望むだけ投資してあげてもいいよぉ」


「は?」


「ちょうど、半年後に結婚式があるんだ。いまの愛人と結婚するつもりだったけど、キミとの結婚式に変更させてもらうよ」


 なにを言ってるんだこの人は。

 わたしのことさんざんブサイクって言ってるクセに、愛人にしたいなんて……。


 いまは変装してるけど、容姿なんてたいして変わらないはずなのに。

 まさか、わたしの正体に気づいてる……?


 しかしオーヘイ様は目をハートにして迫ってきたので、わたしはそのテカテカの顔を押し返しながら言った。


「わ、わかりました、いいでしょう! ただし愛人になるのは投資を頂いて、結婚式を挙げた後からです!」


 わたしはドルビド家の会計を一手にまかなっていたので、この家にいくら貯えがあるか知っている。

 そのほぼ全額である2億(エンダー)を、投資と称して預からせてもらうことにした。


 その見返りとして、わたしの身体には魔法印が押される。

 この世界では奴隷制があって、人間も取引の担保にできるんだ。


 魔法印が身体にある人間は、法的、そして魔法的な拘束を受ける。

 もし投資で預かった金を持ち逃げしたりしようものなら、わたしはオーヘイ様の愛人どころか奴隷になってしまうだろう。


 まぁ、すでにそんな扱いをされちゃってるけど……。


「良い取引ができました、オーヘイ様の愛人になれる日を楽しみにしております」


 わたしは心にもない別れの挨拶を告げて、お屋敷の応接間を出る。

 誰にも見つからないようにして、こっそりと屋根裏部屋に戻った。


「これで、第一段階完了っ……!」


 屋根裏部屋ではセヴァスちゃんが待っていてくれた。

 お茶まで用意してあって、彼はすっかりわたしの専属執事の気でいるようだった。


「いったい、なにをなさるおつもりなのですか?」


「まぁ見ててよ。あ、あなたにはなるべく迷惑にならないようにするからね」


「そうですか。でも奥様からの迷惑なら、いくらでも身に付けましょう」


 微笑むセヴァスちゃん。その人の良さそうな笑顔は相変わらずだ。

 なんか前世で、ふたりで残業していた時のことを思い出すなぁ。


 こんなふうに、彼の淹れてくれたお茶を飲みながら……。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 そしてついに、結婚式の日がやってくる。


 式場は、贅をつくした作りだった。

 2階くらいの高さのある、巨大なウエディングケーキを模したステージがあり、そのまわりには招待客のテーブルが海原のように広がっている。


 どのテーブルにも燭台があるので、ステージの上から見るとまさに海に映った星空みたい。

 みんなおめかししていたけど、わたしはいつものツギハギだらけのメイド服で、裏方として式に参加していた。


 ステージの上では白いタキシードに身を包んだオーヘイ様が、苛立ったように行ったり来たりしている。


「ヘロンはまだか!? 花嫁がいなければ、式が始められないではないか!」


 わたしはシャンパンを届けるフリをしてステージにあがり、オーヘイ様に伝えた。


「ヘロン様は1時間ほど遅れるそうです」


「1時間だと!? くそっ、なら先に余興のほうをやるか!」


 オーヘイ様が合図を送ると、ステージの上がスポットライトで照らされる。


「おいメス犬、待望の首輪をくれてやる! まずは、服従のポーズで寝っ転がれ!」


 オーヘイ様の顔が、前世の大平係長とオーバラップする。

 接待の席で、わたしは犬の服従のポーズをさせられた。


 その苦い思い出を噛みつぶすように、そしてここぞとばかりに、わたしは歯と歯の間から声を絞り出した。


「嫌です! わたしはあなたの飼い犬じゃありません! れっきとした人間です!」


 なんでこんな当たり前のことが、前世では言えなかったんだろう。

 するとオーヘイ様は前世そっくりの赤ら顔になり、怒りに任せてわたしのお腹を蹴り飛ばそうとしてきた。


 しかし護身術を習ったいまなら、こんな蹴りは止まって見える。


 わたしがひらりと身をかわすと、オーヘイ様はバランスを崩してたたらを踏む。

 無防備になったお尻を、後ろから思いっきり蹴り上げてやった。


「ぎゃあっ!? ぎゃああああああーーーーーーーーーーっ!?!?」


 オーヘイ様は悲鳴とともに飛び上がったあと、着地に失敗し、絶叫とともに階段から転げ落ちていった。

 わたしの反逆は誰も予想していなかったのか、場内は騒然となる。


 オーヘイ様は服従のポーズのような体勢で床に転がったまま、高みにいるわたしを怒鳴りつけてきた。


「こ……このメス犬がっ! ご主人様にさらかってただですむと思うのか!? せっかく情けをかけてやったのに、この仕打ちとは……! もうガマンならん、婚約破棄だっ!」


 以前であれば、婚約破棄をチラつかされただけでわたしは泣いてすがっていた。

 でも、いまは違う。


 前世の記憶を取り戻したいまは、こうだ……!


「あ、そうですか、わかりました」


「ぐぬっ!? お……脅しだと思っているんだな!? 今度こそは本気だぞ! お前のような痰壺女は捨てられたら最後、誰ももらってはくれんのだぞ!」


「誰も、もらってはくれない……。なら、これも不要ですね」


 着ていたメイド服を掴んで引っ張ると、ツギハギが弾け飛びました。

 その下から出てきたのは、純白のウエディングドレスです。


「なっ!? なんでお前がそのドレスを着てるんだ!? それはヘロンのために特注で作らせた……!」


 わたしはダテメガネを投げ捨て、前髪をかきあげます。

 すると、あちこちから驚愕が爆発しました。


「えっ……ええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」


「おっ……お前……!? お前がヘロンだったのか!?」


「まさか、本当に気づいてなかったんですか?」


「う……うそだっ! お前があの美しいヘロンだなんて!? うそだうそだうそだっ、うそだぁぁぁぁーーーーっ!!」


 気づいてないどころか、信じてもくれていないようです。

 わたしは最後の証明として片腕を大きく掲げ、脇に押された魔法印を見せつけました。


 そんな大胆ポーズをするのは前世も含めて初めてのことだったので、ちょっと恥ずかしかったです。

 なぜか眼下にいる人たちもみんな頬を染めていました。


 オーヘイ様はこれが夢であってくれとばかりに叫んでいます。


「い……いったい、なんのためだっ!?」


「【ざまぁ】のためです。わたしの人生を二度もメチャクチャにしようとしたあなたたちに、報いを受けさせたかったのです」


「やっぱり、あの投資は詐欺だったんだな!? しかし猿以下の浅知恵! やっぱりお前はメス犬だ! いくら金を騙し取ったところで、その魔法印が押されている以上、お前は奴隷になる運命なんだよ!」


「あの投資は、詐欺なんかじゃありませんよ? 契約書に書いてあるとおり、結婚式の次の日に元本はちゃんと返却されます」


 招待客の中にいた銀行のお偉いさんが立ち上がって、わたしの言葉を肯定してくれました。


「その通りです! 元本返却の手続きはすでになされています!」


「な……なんだと? じゃあ、なんのために……?」


 式場の扉が勢いよく開かれ、オーヘイ様の部下が飛び込んできました。


「た……大変です! オーヘイ様! 口座の残高不足で不渡りになってしまいました!」


「なに、不渡りだと!? そんなはずはない! 発明の使用料が振り込まれているはずだろう!?」


「それが、入金されていないんです!」


 オーヘイ様はハッ!? とわたしに視線を戻します。


「ま、まさか……!?」


「やっぱりなにもかも気づいてなかったんですね。そうですよ、発明の使用料の振込口座を変更させていただきました」


 これまでのわたしの発明はすべて、発明人はオーヘイ様で、出願人にわたしの名前を記載していました。

 発明の使用料というのは基本的に、出願人が指定した口座に振り込まれる仕組みになっています。


 このあたりは、前世の特許のシステムに近いと言えるでしょう。


 それまで発明料はドルビド商会の口座に振り込むようにしていましたが、わたしは出願人の権限を利用して、振込先をわたし個人の口座に変更していました。

 オーヘイ様がわたしを無知な農家の娘だと侮っていて、そんな知恵などないと思ってくれていたからできたことです。


 以前のわたしだったら、侮られた通りの無力な女だったと思います。

 でも前世の記憶、そして社会人としての知識があるいまは違います。


 わたしは【ざまぁ】のための材料がないか、こっちの世界の仕組みを徹底的に調べ上げました。

 商会にとって不渡りというのは致命的で、貴族なら爵位剥奪もありえる一大事です。


「だ、だが、明日になれば投資した金は戻ってくる! その金があれば……!」


 部下たちは死にそうな声でオーヘイ様にすがります。


「それじゃ遅いんです! 今日の夕方までに1億(エンダー)を入金しないと、ドルビド商会は終わりです!」


「な……なんだとぉ!?」


 ふたたびわたしを見るオーヘイ様。どうやらやっと、わたしの罠に嵌まったことに気づいたようです。


「そ……そういうことか……! お前はそうまでして、私に愛されたかったんだな……!」


 わたしはズッコケそうになりました。


「違います」「じゃあ、なにが望みなんだ!?」


「これまでの発明を、すべて買い取りましょう。発明人の名義を、わたしの名前に書き換えてください。そうすれば、不渡りを出さずに済みますよ」


「なんだと!? その金は元はといえば、発明料だろうが!?」


「そうですよ。でも発明料を得る権利は出願人にありますから、そのお金は正統にわたしのものです」


 違法ではないのがみんなわかっているのだろう、誰も異議を挟むものはいなかった。


「ぐっ……ぎぎぎっ……! しかし発明人が変わったら、その富と名誉はすべて……!」


「わたしのものになります。さぁ、どちらでもご自由に選んでください。発明を手放すか、爵位を手放すか」


 どちらを選んでも、待つのは破滅。


 いちおう、まわりから借金をするという手もあるけど、タイムリミット夕方まで。

 1億(エンダー)なんて大金をあと数時間で用意できる人間は、ここにはわたし以外にはいないだろう。


 だから完全に、詰み(チェックメイト)……!


「うっ……うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」


 究極の選択に、生きたまま焼かれるようにのたうち回るオーヘイ様。

 ずっと懊悩していましたが、わたしがステージの階段を降りるまでにその決意は固まったようです。


 彼の選択は、なんと……!


「婚約破棄は取りやめにしょう! け……結婚してやる! お前を一人前の貴族令嬢にするために、いままで厳しくしてきたんだ! それをどうか、わかってくれ! なっ!?」


 わたしは今度こそ本当にズッコケてしまいました。

 この期に及んで、情に訴えてくるなんて……。しかも、かなりの上から目線で……。


「お前だけを愛すると誓う! 愛人なんていらない! お前のような美しい女がいれば、他の女はゴミみたいなもんだ! ふたりで一緒に、いつまでも幸せに暮らそう! なっ!? なっ!? なっ!?」


「それだけはお断りです、ぜったいに」


「ぐっ……ぐがあっ! 下手に出てりゃ、いい気になりやがって! 者ども、この女を捕まえろ! こうなったら力ずくでも結婚してやるっ!」


 彼はとうとう、わたしの最後の情けまでフイにしました。

 助け船を出してあげたというのに、それを自らの手で沈めてしまったのです。


 しかしいまはそれを哀れんでいるどころではありませんでした。

 式場の警備員やお屋敷の番人たちがわたしに挑み掛かってきたからです。


 掴まれそうになるのを間一髪でかわしつつ、わたしは式場の外に向かって走り出しました。

 なんとか外には出られたのですが、この裾の長いウエディングドレスで逃げ切れるとは思えません。


 追っ手にかこまれ、いよいよ万事休すかと思ったのですが、


「どけっ! どけどけぇぇぇーーーーっ!!」


 道の向こうから新婚旅行用の白い馬車が突っ込んできて、追っ手を蹴散らしたあと、御者席から救いの手が伸びてきたのです。


「お乗りください、奥様!」


「せ……セヴァスちゃん!?」


 彼の手を掴むとしなやかな腕で引っ張り上げられ、わたしはその胸に飛び込みました。


「しっかり掴まっててください!」


「はっ、はひっ!」


 わたしは彼の胸板に顔を埋めたまま、ワイシャツをキュッと握りしめます。

 気づくとわたしの腰には彼の腕があって、しっかりと抱き寄せてくれていました。


「はいやーっ!」


 勇ましいかけ声とともにムチを振るい、馬車を走らせるセヴァスちゃん。

 その凜々しい横顔に見とれていると、いつの間にか村の外まで逃げ仰せていたので、わたしは尋ねました。


「どうして、助けにきてくれたの……?」


「言ったでしょう? 奥様からの迷惑なら、いくらでも身に付けますと」


「でもわたしはもう、奥様じゃ……」


「そうですか。それでは今日からは、お名前で呼ばせていただきます」


 風になびく金色の髪が、愛撫するようにわたしの頬を撫でています。

 その空のような瞳には、わたしだけが映っていました。


 やがて馬車は速度を落としていき、振動は心地良いものに変わっていきます。

 気がつくと、わたしの身体にはブラッケットが掛けられていました。


「いろいろお忙しかったのでしょう? 少しお休みになってはいかがですか?」


 そういえばここのところずっと、結婚式や【ざまぁ】の準備でロクに寝ていませんでした。


「お休み中のことならご心配なく。たとえこの国の王が会いに来たとしても、お引き取り願いますから」


 思わぬ冗談に、くすりと笑う。ずっと張りつめていた気持ちが緩みだし、瞼が重くなっていきます。

 お言葉に甘えた途端に眠りに落ちてしまい、そのうえ夢まで見てしまいました。


 背後から、蹄の音が迫ってきて……。


「見つけた! 逃がさんぞ、お前は私のモノなのだからな! おい、聞いているのか!?」


 いま、いちばん……。

 いえ、この世でいちばん聞きたくない声が頭の中で鳴っています。


「女ひとりで生きていけると思うのか!? どうせ、金が目的なのだろう!? 私の家にいれば、いくらでも金をやる! なんでも手に入るぞ!」


「お静かにしてください。お休み中なのが、見てわからないのですか?」


「うるさいっ! 使用人のクセして口を挟むな! おい起きろ! 起きろったら! こうなったら、力ずくで……!」


 ムチが風を切り、なにかが絡め取られるような音がしました。


「ぐっ……!? く、苦しい!? なにをする!?」


「ひとつ、貴様に言っておく」


 その声はとても冷たく、恐ろしい響きがありました。

 まるで天使が自らの意志で、悪魔を宿したような……。


「女性に払うのは金ではない、敬意だ……! このことを肝に銘じて、余生を過ごせっ……!」


「うっ……うぎゃぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」


 断末魔が尾を引くように遠ざかっていき、あたりは静けさを取り戻しました。


「眠りを妨げる者はいなくなりましたよ。どうか、ゆっくりお休みください」


 さっきまでの極寒の響きがウソみたいな、春の日差しのようなやさしい声。

 わたしはやさしく頭を撫でられながら、深い眠りへと落ちていったのです。


 ……あっ、そうそう。

 ドルビド家は、そのあとどうなったかというと……。


 不渡りが確定し、爵位を剥奪されました。

 爵位を失ったことでドルビド家は商売どころではなくなり、あっという間に没落。


 わたしは二束三文の価格で、自分の発明を取り戻すことができました。


 これは風のウワサに聞いたのですが、オーヘイ様は落馬の事故にあって下半身不随になったそうです。

 一生車椅子で跡取りも作れない身体になり、ドルビド家の血筋が絶えるのも時間の問題だとのこと。


 前世でわたしをケガさせた大平係長は、今世でそれ以上の報いを受けることになったのです。


 そして、わたし自身はどうしたかというと、実家に戻ることはしませんでした。

 お金の一部を家に送金したあと、そのまま旅に出ることにしたのです。


 なんのために、って……?



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



「ブルーノ皇子! こんな所においででしたか、探しましたぞ!」


「ジンジャー、その呼び方は止めてくれと言っているだろう。いまの僕は、流れの執事なんだから」


「あ、失礼しました! セヴァス様……! あ、いや、セヴァスよ! 首尾はどうだ!?」


「お忍びの成果はあったよ。やはりこの小国の貴族たちは、農家に不当な借金を背負わせて、幼い娘を差し出させているようだ。これ以上、不幸な女性を出さないためにも、新法の設立を急いでほしい」


「御意! あ、いや! そうか、参考にしよう! でも潜入調査もいいが、嫁探しのほうもそろそろ……」


「そっちも心配いらないよ。僕にもやっと、気になる女性ができたんだ。美しく聡明で行動力があって、なにより己の信念を持っている、素晴らしい女性だよ」


「おおっ!? それはまことですかな!? 一時は女嫌いなのではと思ったものですが、ついに……!」


「それが、彼女とは初めて会ったような気がしないんだよ。まるで前世で恋い焦がれていた人に再会したような、胸が締め付けられるような思いになるんだ。こんなことは初めてだよ」


「その胸のときめきは、運命の女性であるという証です! ああっ! 嬉しすぎて、このジンジャーも男泣きいたしますぞ!」


「おおげさだな」


「ところで皇子のおめがねにかなったのは、どこの小国の姫君ですかな!?」


「いや、王族ではないよ」


「えっ、ということは、貴族のご令嬢ですかな? ちなみに、お名前は……?」


「彼女の名前は、カルマビーチ。【ざまぁ】のために旅するご令嬢だ……!」

ふたりの旅はまだまだ続くのですが、いったん完結です!


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