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1『手話です。それが、私にできる全てです』

『お前は何ができる?』




 かつては救国の英雄と謳われながら、今ではすっかり落ちぶれてしまった男性――【沈黙】サイレンが私に問う。


 筆談で、だ。




『ここは戦場。役立たずを養う余裕はない』




 ここは、この男性の寝室。


 これほどロマンチックさを欠いた初夜もないだろう。


 そう、私は今日、実家である名家ワーズ侯爵家から捨てられるようにして、この男性に嫁いできたのだ。




『答えろ』




 粗削りな木簡――薄い木の板に、羽ペン。


 日常的に筆談が行われるこの地では、羊皮紙もパピルスも驚くほど高級品だ。この男性――この地の領主であるサイレン・フォン・サイラスですら日常生活で木簡を使うほどに。


 この世界には未だ、『紙』がない。




 面倒そうに、煩わしそうに筆談をする新郎サイレン。


 だが私にとって筆談は見慣れた光景であり、むしろ願ったり叶ったりだ。


 私が音を失ってから、はや24年。


 そう、今世の私――ライト・フォン・ワーズは(ろう)。生まれつき耳が聴こえないのだ。




 どうしてこんなことになってしまったのだろう?


 どこまでさかのぼるべきか。


 私が、この危険な辺境都市に嫁ぐことが決められた、1週間前?


 私がこの世界に生れ落ちた、24年前?


 それとも――










   ◇   ◆   ◇   ◆










 特別支援学校の教諭という仕事は好きだった。


 手話は面白いし、塞ぎがちな生徒たちに寄り添うのも性に合っていた。


 とはいえ仕事に忙殺され、婚期も逃した挙句、過労死してしまったことについては一抹の後悔があった。




 もし、次の人生があるのなら。今度こそパートナーを見つけたい……職場で倒れ、うまく呼吸できないまま目をつぶった私の、その願いが聞き届けられたのか。


 気がつくと私は、見知らぬ部屋で寝ていた。


 それも、驚くほど小さなベッドで。




 ――やった、異世界転生だ!




 と喜んだのも束の間、私は恐ろしい事実にぶち当たった。


 耳が、聴こえないのだ。




 ま、まだ幼児だし? 一時的かもしれないし……と騙し騙し生きてきて1年。


 3歳になっても音は聴こえず、私は2度目の人生の船出に大きな不安を抱えることとなった。


 とはいえ、絶望はしていなかった。


 私には手話があったし、特別支援学校における教え子たちの笑顔が胸に刻まれていたからだ。


 とはいえそれも、5歳になるころには……。




 私は、知らなかったのだ。


 中世ヨーロッパ風なこの世界において、ハンディキャップを持つ者がどれほど過酷な扱いを受けるのか、ということを。




『差別はいけません』


『弱者に優しく接しましょう』




 という、現代日本での当たり前が、歴史的に見ていかに珍しいものだったのかということを。




 私は、絶望した両親に叩かれ、叩かれ、叩かれ続け、『ワーズ家の恥』と呼ばれて幽閉された。


 社交界にも出られず、まともな食事と教育すら施されないまま20年近く。


 異世界基準での結婚適齢期を超えそうになったギリギリの24歳で、私は父のイジワルな思いつきの道具にされた。


 すなわち――




『没落した元英雄【沈黙】サイレンに嫁いでこい』


『魔物の襲撃が絶えない、王国で最も危険な辺境都市サイラスに嫁げ』


『あわよくば死んで、ワーズ家の外交カードになれ』




 というものだ。




 内務閥のワーズ家は、軍務閥とは昔から犬猿の仲。


 没落したとはいえ元英雄のサイレン・フォン・サイラスは軍務閥の雄。


 そんなサイレンの元に私が嫁いで魔物に殺されれば、軍務閥に管理責任を問えるというわけだ。


 まったく、血も涙もない。










   ◇   ◆   ◇   ◆










『お前は何ができる?』




 そうして、話は現在に戻ってくる。


 新郎サイレンが、先ほどの木簡を示している。


 かつては救国の英雄と謳われた彼も、ある日を境に力の全てを奪われてしまい、今は死んだ目をしている。




 このサイレンという男には、婚姻にまつわる『良くない』話がいくつもある。


 曰く、


『役に立たない女には徹底的に冷たくする』


『3日と持たず追い返された令嬢は数知れず。具体的には9人』


 あはは、私が10人目というわけ。


 だが私にはもう、戻るべき場所などないのだ。


 戦うしか、ないのだ。




『手話です』私は筆談で応じる。『それが、私にできる全てです』




「手話?」と、サイレンが呟いた。


 サイラスの声は聴こえなかったが、読唇術はお手の物だ。


 もっとも、仮に私の耳が聴こえていたとしても、彼の声は聴こえなかっただろう。


 この街は、この土地はありとあらゆる音が奪われた場所だからだ。




 やがてサイレンは私から興味を失ったのか、寝転がってしまった。




『夜伽は?』




 彼の顔の前に木簡を差し出すと、彼は『しっしっ』と手を振って、




『死にたくなければ帰れ』




 と、突き放すようなことを書いた。


 地味な黒の長髪に灰色の瞳、170センチと異世界基準でもやや高めの背丈……私は今世の容姿にいまいち自信がない。


 それでも、前世に比べたら格段に美女だという自負がある。


 少なくとも、初夜を断られたことに怒りを覚える程度には。




 くそっ、私は実家に戻るわけにはいかないのだ。


 大人しく戻ろうものなら、あの冷徹な父に、サイラス領内で暗殺されてしまうかもしれない。あの父ならば、そのくらいはやるだろう。


 どれだけ疎んじられようとも、私はここで生きていくしかないのだ。




 ベッドにもぐりこんだ私は、せめてもの抵抗として、ベッドの中で彼の手に触れた。


 手は、はねのけられなかった。


 サイラスの冷たい手の中に温もりを探しながら、私は眠った。

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