5話 『御者と助言』
目が覚めると、俺は酒場のカウンターに突っ伏していた。
店内の照明は消え、店主であるバルガンの姿もない。
「ほら、言った通りです」
「……確かに、そうだけどな」
リュナの考察は当たっていたらしい。どうやら俺は、死ぬたびに現世と異世界を行き来できるようだ。
とはいえ――こいつ、俺をマンションのベランダから突き落としたんだぞ?
結果的に大正解だったとはいえ、普通そんな手段を取るか? 正直、怖えよ。
「もっとこう、他にやり方があったんじゃないのか?」
「じゃあ何ですか? 私が押さなかったら、ユウリ様は自分で飛び降りたんですか?」
ぐぬぬ……言い返せない。
正直、あの時の俺はビビっていた。
だってマンションの7階だぞ? 怖いに決まってる。
「……まぁ、結果的に俺の背中を押してくれたのは感謝してるよ」
"背中を押す" という言葉を、物理的な意味で使うのは初めてだ。
それにしても、よく考えたらこいつ、俺を二回も殺してるんだよな?
「ま、とにかく無事戻ってこれましたねっ!」
俺を殺しておきながら、満面の笑顔を浮かべるリュナ。
……やっぱり怖えよ、こいつ。
リュナの笑顔に若干の恐怖を覚えつつも、俺は軽くため息をついた。
「……まあ、戻ってこられたし、良しとするか」
そうつぶやいた瞬間――
『……目覚めよ、旅人よ』
頭の奥に響くような、不思議な声が聞こえた。
「……は?」
「どうかしました?」
リュナが首をかしげるが、彼女には聞こえていないようだ。
『汝が歩むべきは、アスタリオン王国への道……』
意味不明な言葉に、俺は思わず身を固くする。
「おい、リュナ。今、誰か喋ったか?」
「え? いいえ、私しかいませんけど?」
どうやらこの声は、俺だけに聞こえているらしい。
『目覚めし者よ。我に従い、アスタリオンへ向かえ───』
まるで導くような、しかし一方的な響きを持つ声。
「……なんだよ、それ」
そんな俺の問いかけを最後に、謎の声は止んだ。
透き通るような美しい声。
まるで川のせせらぎのような、妖美な魅力を持つ声だった。
【アスタリオン王国】聞いたことのない名前だが、国名だろうか?
「それで、なんて言ってたんですか?」
「『アスタリオン王国へ向かえ』だとよ...リュナ、何か分かるか?」
「アスタリオン王国...といえば、古くからアスタリオン王家が収める列強国家の事ですが...」
どこか疑問を持つように首をかしげると、リュナは懐から古びた地図を取り出した。
「まず、私たちが今いるのがここで...アスタリオン王国がここです」
地図上の記号を指さし、説明を続けるリュナ。
どうやら俺は今、とある国の中心に居るらしい。
アスタリオン王国へは、かなり距離があるように見える。
「もし、行くとしたら...そうですね、馬車を使って5日程でしょうか」
「とはいってもな...いきなり語り掛けてきた正体不明の声に従うのか?」
「なら、他に当てでも?」
「……ない」
リュナが得意げに微笑む。
俺は渋々、地図に視線を落とした。
「.....まあ、とりあえず準備するか」
いきなり旅立つのは無謀すぎる。
馬車の手配に旅支度...道の下調べに荷造り。やることは山積みだ。
「そうですね。この街には御者も沢山いますし、手配しようと思えば簡単に──」
リュナが何かを言いかけたその時だった。
ガチャッ───
酒場の扉が静かに開いた。
店主も居ないこの店に、一体誰が来たのだろうか?
「......ん?」
入ってきたのは一人の男だった。
白いローブを身にまとい、無精ひげを生やしている。
「あれ...?マスターは居ないのか?」
男は困惑しながらも、カウンターへ歩み寄り、ゆっくり席へ着いた。
「誰だ、あんた?」
俺が透かさず声を掛ける。
「それはこっちのセリフだろう...?まあ、いい。
俺はこの街で御者をやってるエーデルという者だ」
”エーデル”。ドイツ語で、”高貴”を意味する言葉だが、この男に高貴さは感じられない。
にしても、御者か。探す手間が省けたな。
「エーデル、会って早速で悪いが、頼みがあるんだ」
俺の言葉に同調するように、リュナが頷く。
「俺達は、これからアスタリオン王国へ向かう。そのために、馬車を手配したいんだ」
「アスタリオン?あんな遠国に何の用だ?」
「複雑な事情があってだな……」
俺は軽く誤魔化し、咳払いをした。
「とにかく、お前に馬車を出してほしい」
その言葉を聞くと、エーデルは軽く溜息をつきこちらへ向き直した。
「分かったよ。その代わり報酬は後できっちり貰うからな」
「本当か!ありがとう」
よし、旅の足は確保できた。
これでアスタリオン王国へ向かえる。
「そうと決まれば、付いてこい。日が落ちる前に出るぞ」
そんな言葉を交わすと俺達は、エーデルの案内で馬車小屋へと向かった。
少量の食糧と、馬の餌を積み、皆で馬車へと乗り込む。
「それじゃ、頼む」
エーデルが馬に鞭を打ち、手綱を握ると、俺達を乗せた馬車は颯爽と走り出す。
そうして俺達は、アスタリオン王国への道を歩み始めた。