15話 『王宮暮らしの転生凡者』
「離せよ……」
見知らぬ男に騎士学校へ強制連行されている俺。
この状況は、俗にいう”誘拐”だが俺を助けてくれる警官は居ないようだ。
というかそもそも、この国にそういった公安組織があるかすら怪しい。
要するに詰み。一貫の終わりだ。
騎士学校の門をくぐると、校内の生徒たちがざわめき出す。
俺を視界に入れるやいなや、そっと顔を逸らす者も居る。
とんだ場違い感を醸し出している俺の存在だが、俺の手を引く男の足は止まらない。
突き当りの廊下を曲がり、とある部屋の前で止まると男は俺を中に入れた。
「いやぁ、いきなり悪かったね」
「……俺に何の用だ」
それでは手短に───と、言葉を添えると、男は話を続けた。
「騎士学校に興味はないかい?」
「無い」
俺はきっぱりと断った。
ただでさえ学校という場所が嫌いなのに、騎士学校だなんてもっての他。
むしろ永遠と宿屋に引きこもっていたいくらいだ。
「よし、決まりだね。じゃあこの契約証にサインしてもらおうか」
「……は?」
俺は確かに『無い』と答えたのだが、男は無視して話を進めている。
耳が聞こえないのか、ただ単にバカなのか。
そんな思考を巡らせながら彼の事を睨んでいると、いきなり手を掴まれた。
男は俺の手を動かし、書類に文字を書き記していく。
抵抗しようともするが、あまりの怪力に歯が立たない。
なんとか抜け出そうと試行錯誤している間に、サインは書き終わってしまった。
「アスタリオン王国 騎士養成学校へようこそ。歓迎するよ、ユウリ君」
「いやいやいや、俺は入らねぇからな!」
「あれぇ?でもこの契約書に書いてある名前、君のだよね?」
いやらしい笑みを浮かべて、顔の前に契約書を突き出す男。
今すぐにでも顔面に右ストレートを食らわしたかったが、先程の怪力を前に手がすくむ。
「そういう訳だから、よろしくね」
再び俺を部屋の外へと締め出すと、男は扉を勢いよく閉めた。
── まったく……なんなんだよ
最高に理不尽な状況に腹をたてつつも、俺は騎士学校を後にした。
道中、生徒たちが不審げにこちらを睨んでいたのは言わずもがなだろう。
■ ■ ■ ■ ■
──災難だった。
「ユウリ様、何があったんですか?」
心配そうに俺の顔を覗き込むリュナ。大きな瞳が揺れている。
俺は小さく息をつき、肩を落として口を開いた。
「……契約書に無理矢理サインさせられて、騎士学校に入れられたよ」
その瞬間、リュナの目が大きく見開かれる。
「そんなのいいんですかっ!? 断ればいいのに!」
──断れたなら、そうしたかった。
けれど、もうすでにサインをしてしまった以上、後戻りはできない。
しかも、それが強要されたものだったと証明する術も、証人もいない。
まさに詰み。最悪な状況だ。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、不意に後ろから大きな声が響いた。
「ユウリ君!! 待ってくれー!」
騎士学校の門から飛び出してきたのは、先ほどの男。
彼は荒い息をつきながら駆け寄ると、何かを俺に差し出した。
「これ着けて!」
手渡されたのは二つの布製の目隠し。
俺は思わず困惑の表情を浮かべたが、それも束の間。
「おい、ちょっ──」
抵抗する間もなく、視界が真っ暗になる。
目隠しを無理矢理つけられ、完全に光を奪われた。
状況がわからないまま、手を引かれる感覚。
隣ではリュナも同じ目隠しをされているらしく、不安げに身を寄せてきた。
「どこ行くんだよ……」
「まあまあ、楽しみにしてなって」
男の声は妙に楽しげだった。
軽快な鼻歌を口ずさみながら、俺たちをぐいぐいと前へ進ませる。
足元に意識を向けると、石畳を踏みしめる音が響いていた。
少なくとも、土の道ではない。
それでもどこを歩いているのか、まるで見当がつかない。
手を引かれ、視界を奪われたまま歩かされるこの状況は、どう考えても怪しすぎる。
「なあ……もうそろそろ目的地に着いてもいいんじゃないか?」
「もうすぐだよ。ほら、あとちょっとで──はい、到着!」
その声と同時に、目隠しが勢いよく剥がされた。
「っ……!」
突然の光に、思わず目を細める。
ゆっくりと視界を調整しながら、目を開くと──
そこに広がっていたのは、見覚えのある光景だった。
正面に堂々と掲げられた巨大な肖像画。
眩い火を灯すシャンデリア。
奥の階段へと続く、深紅のカーペット。
間違いない。
──昨日、俺が訪れた宮殿だ。
「今日からユウリ君にはここに住んでもらいまーす。はーい、パチパチ」
無邪気に言い放つ男を睨みつける。
不本意。実に不本意だ。
──リズエルの予言が、当たってしまった。
「もちろん、お連れさんの分の部屋も用意しました〜!」
彼が「お連れさん」と呼んだのは、恐らくリュナのことだろう。
ちらりと横を見ると、リュナは目を輝かせていた。
俺の袖を引き、小刻みに飛び跳ねる。
「ユウリ様、お城に住めるんですよ!」
「……そうだけどな……」
たしかに、この豪勢な宮殿に住めるのは魅力的だ。
だが、それ以上に、すべてがリズエルの思惑通りに進んでいるのが気に食わない。
まるで、最初からこうなる運命だったかのように。
「さて、じゃあ部屋に案内するから着いてきて」
「はい!」
リュナは嬉しそうに返事をする。
俺のプライドがズタボロになっているのをよそに、彼女は一人で盛り上がっていた。
──本当に、不本意だ。
■ ■ ■ ■ ■
俺達二人が案内されたのは、宮殿の西側にある二つの小部屋だった。
それぞれ自分の部屋に入り、荷解きを進める。
一人用のベッドに、古ぼけた物置。
天井には小さなシャンデリアが吊り下げられ、窓にはレースカーテンがかかっている。
謁見の間などと比べると、かなり簡素だが、それでも十分贅沢な部屋だ。
「あーあ……」
荷解きを適当に済ませ、ベッドへ倒れ込む。
金色の刺繍が施されたその布団は、見た目以上に柔らかい。
そんな至福の一時を過ごしていると、部屋の扉が開かれた。
「私だよ」
開け放たれた扉の前に立っていたのは、明示の魔女リズエル。
そしてその横に、メイド姿の女性が立っていた。
「今日からこの子を君の使用人に付けるから、何かあれば頼ってあげてくれ」
リズエルに背中を押され、前へと出た彼女は深々と頭を下げて自己紹介を始めた。
「はじめまして。リズエル様直属の侍女をしておりますサラと申します」
彼女は黒髪を左右で結んだツインテールの少女だった。
絹のような髪が光を受けて輝き、リボンで結ばれた毛先がふわりと揺れる。
大きな瞳は漆黒の宝石のように澄んでおり、白い肌に浮かぶ上気した頬が愛らしい。
清潔な白い手袋をはめ、小さな足元には艶やかなローファー。
歩くたびに軽やかな足音が響き、どこか品のある雰囲気を醸し出していた。
要するに美少女。超絶美少女。
「お気に召したようだね、ユウリ」
「お、おう……」
リズエルによる思わぬ出会いに、俺は思わず赤面していた。
そんな俺の様子を見兼ねてか、サラが口を開く。
「ご主人様、ご用意が済みましたら騎士学校の授業に向かわれて下さい」
サラは今、俺のことを『ご主人様』と呼んだ。
ご・しゅ・じ・ん・さ・ま・♡
まるで夢のような呼称に、俺は思わず歓喜する。
思春期の男子が超絶美少女にご主人様だなんて呼ばれたら……もう、あれだ。
最高だ。
「ご主人様……?」
「あ、ああ。すまない。今すぐ準備するよ」
まずい。我を忘れていた。
── えっと、準備って言っても別に持ち物がある訳でも無いよな?
心の準備の方はというと──大丈夫そうだ。
「よし、じゃあ行くか」
「気を付けて来てね。ユウリ」
「おう!」
上機嫌にリズエルへ返事を返すと、俺は宮殿を後にした。
■ ■ ■ ■ ■
俺とサラは共に宮殿を出て、騎士学校へ向かった。
途中、サラは軽やかに歩きながらも、時折こちらを気にするように視線を向けてくる。
「ご主人様、学校は初めてですか?」
「……まあ、この学校にはな」
俺は苦々しく答えた。
そもそも騎士学校に通うつもりなど微塵も無かったのだが、サインを書かされた以上、すっぽかす訳にもいかない。
── はあ……めんどくせぇ
そんなことを考えているうちに、騎士学校の門が見えてきた。
「では、私はここで失礼しますね。何かございましたら、いつでもお呼びください」
「……お、おう」
深々とお辞儀をするサラに、俺は気まずく頷いた。
門をくぐると、すでに校内は生徒たちで賑わっていた。
俺が足を踏み入れるや否や、周囲の視線が集まり、一瞬空気が凍る。
『おい、あいつ……』
『なんで一般人がここに?』
『もしかして、例のヴェルナー様を倒した奴か?』
ひそひそと囁かれる声が耳に入る。明らかに歓迎ムードではない。
──最悪だ……
「よお、新入り!」
突然、目の前に立ちはだかったのは、がっしりした体格の金髪の少年だった。
「お前があの、ヴェルナーをぶっ倒したって噂のやつか?」
俺は軽く睨み返しながら答える。
「……だったら?」
「ははっ、面白え奴だな! 俺はレオン・ヴァルト。騎士団長の息子だ」
「へえ……それで?」
「俺と勝負しろ!」
周囲が一気にざわめく。
どうやら、騎士学校では新入生に対する実力試しが恒例行事らしい。
「いや、俺は騎士になる気は──」
「そんなこと言っても、逃げられねえぞ? ここでは実力こそがすべてだ」
レオンは自信満々に剣を抜き、俺の目の前に突きつけた。
──はあ……本当に最悪だな
「……分かったよ。やればいいんだろ」
俺は嫌々ながらも、再び構えの姿勢を取った。