異世界のご飯は美味しかった
「うっ、うっ」
ポロポロと、ただ流れていく涙。
止めようとしても止まらない。
葉月の両目から、溢れて溢れて止まらない感情の発露。
「誰もそれを取らないから、まず涙を拭って、落ち着いてから食べた方がいいんじゃないかい?」
葉月の目の前に座るのは異形の姿。
いや、この世界ではどうやら自分の方が異形らしいと薄々はわかっているのだが、それを理解するのには時間がかかる。
今大事なことは、目の前のテーブルに並べられた食事を堪能することだろう。
「ほいひい」
「そうかい、それは何よりだ。君と味覚が近いというのはいいことだな」
少しだけお腹が落ち着いて、葉月は改めて目の前の男を見た。
白というより青みがかった肌は、それほど奇異感がない。
顔のつくりは葉月の感覚から言っても美形だと思う。黄金比はどの世界でも共通なのねとくだらないことを考える余裕ができた自分に少しだけ驚いた。
流れる髪は白銀。綺麗なプラチナだ。肩にかかるほどの長さはサラサラストレート。
瞳は紅に宝石のような輝き。美しい顔によく似合っている。
そして、真ん中分けされた髪をかき分けるように、額に輝く宝石のような小さな石。オパールのような複雑な色。
葉月の知る人間には付いていないものだけど、美貌を飾る装飾にしか見えない。
イケメン滅びろと思いながら、それでも葉月の口は忙しなくもぐもぐと動く。
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この世界に来る前の彼女は、普通のOLをしていた。
佐藤葉月24歳。
健康機器メーカーの事務職、毎日の仕事に刺激は少ないがきっちりとした仕事ぶりは上司からも評価されていた。
そこそこ名のある大学を卒業してからそろそろ2年。
仕事にも生活のペースにもやっと慣れてきて、気がついたら友人から結婚がどうのという話が漏れ聞こえ、さあ自分はどうしようと思ったが、恋人がいたのは大学2年まで。
昼の休憩時間に同期の友人から結婚パーティをするから来てほしいと伺われ快諾したところ。
自然消滅したあいつはどうなったかな、などと思いながら帰宅ラッシュの地下鉄に乗ろうとして、エスカレーターは使わずに一分一秒を惜しんで階段を駆け降りていたところまでは覚えている。
階段の途中で立ちくらみのような感覚がして、目を閉じた。
そして次に目を開けた時、そこは明らかに葉月の知っている駅の中ではなかった。
例えるなら宮殿。
赤いふかふかの絨毯の上、葉月はへたりこんでいた。周囲を見渡す気力もない。
もし見ていたとしたら、その豪華な調度品に気後れをして違うパニックを起こしていたであろう。
そのまま何時間いただろうか、いや、もしかしたらほんの数分のことだったのかもしれない。
時間の経過などはどうでもいいことだった。
それより、何が起きたのか、ここはどこなのか、その答えを持つものはいるのだろうか。
「お前が、そうなのか」
静寂に耐えきれず不安で叫びそうになった時、突然正面から声をかけられてもすぐに顔を上げることすらできなかった。
葉月の目の前に見えたのは、脚。
ピカピカに磨かれた高級そうな濃い茶色の靴と、仕立てのいい紺色のズボン。
その体に沿って葉月はゆっくりと見上げていく。
最初に思ったのは、ずいぶん足が長いな、だった。
「ひっ」
喉が引き攣ったような音をたて、葉月自身が一番驚いた。生まれてからこのかた、こんな奇妙な音が自分の喉から出るなんて初めて知った。
だが、そこにいた者を見てのこと、そればかりは仕方ない。
まずは肌の色の違和感。
額の石。
何より、その男が美形すぎて怖かった。
「む、私に怯えているのか? おい、お前名はなんと言う?」
「は、葉月、佐藤葉月です」
尊大な言い方は気にならなかった。
むしろその男に似合っているとさえ思った。
言葉が通じるのは異世界特典というやつだろうかと、回らない頭でぼんやり考えた。
「ハ、ジュ、いや、ハヅキ、私の名はクロムシュウェル。お前を喚び出した者だ」
「はぁあ? 喚び出したって、どういうことですか?」
「とりあえず一緒に来い。廊下でずっと話をするわけにもいかない」
立ち上がるのもやっとな葉月を、クロムシュウェルと名乗った男が背中と足に手を回して抱き上げる。
いわゆるお姫様抱っこという状態に葉月は戸惑い一瞬抵抗するが、見た目よりも力強い腕に支えられてうっかり安心してしまった。
そこまで軽いわけでもないのにと思いつつ、初めて味わうその状態を思いっきり堪能してやれとばかりに大人しくするのだった。
連れて行かれた部屋は、葉月の住んでいたマンションの部屋が二つくらい入りそうな広さだった。
意匠を凝らした家具、テーブルも素晴らしい彫刻が施され、ふかふかのソファは真っ白で柔らかい布が貼られている。
優しくソファに下され、隣に男が座るのをぼうっと見ていた。
そこは正面に座るのではないかと、葉月が気がついたのはしばらく経ってからだった。
「いいか、ハヅキ。まず、この場所と私のことだが」
どうやら、色々説明をしてくれるようなので男の方を見る。
「ここはハヅキにとっては異世界というやつだ。たまにお前のような存在がこの世界にやってくるので対応はできるはず。そして私はこの国、中央大陸にあるグリフィン王国の宰相を務めている」
「異世界なのはなんとなくそうじゃないかなって思ってたけど、あなた、宰相っていうことは偉い人なのね。でもどうして私を喚び出したの?」
「偉い人かはわからんが、王の側近ではあるな。そして、理由だが」
いきなり、あーうーと言い淀み出したクロムウェルシュの様子を見て、葉月は嫌な予感がした。
これはすごくくだらないか、すごく世界的に大事なことかのどちらかだと。
「はっきり言って」
葉月の剣幕に押されたのか、クロムウェルシュは少しだけ視線を逸らしながら言葉を紡ぐ。
「その、私は独身でな、王からさっさと嫁をもらえとせっつかれている。そこで相性のいい人間を召喚術で呼んだというわけだ」
「クロムウェルシュさん? なんでわざわざあなたみたいな地位の人が異世界から嫁探しなんてするんですか?」
くだらない方だったー、なんてこったいと、少々怒りを含ませた声で葉月が男を問い詰める。
「自分の親や親戚を見ているからな、愛のない政略結婚はしたくない。婚約者もいなかったので長い時間をかけて愛を育むことも不可能だ」
「わがままな。貴族ならそれは仕方ないのでは?」
これは言うつもりはなかったのだがと前置いて、はーっと長いため息の後、クロムウェルシュは言った。
「それに、あのままだと貴女は死んでいた」
「どういうこと?」
「異世界からの召喚の条件に命が刈り取られそうな健康な者というのがある。理不尽に死にいく者、事故で突然亡くなる者をその前に召喚するとこちらで残りの命も全うできるんだ」
あの時、やはり自分は階段から落ちて死ぬところだったのか。
葉月は混乱し、クロムウェルシュは、葉月を落ち着かせるためか距離を縮めて肩を抱きながら、この世界のことをゆっくりと語った。
異世界人が年に数人ほど落ちてきたり呼ばれたりするものだから、この世界は異世界慣れしているということ、中でも地球の日本からはよく来ているということ。
どうやら魔法を使って、両方の世界を行き来している人間もいるらしいこと。
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数時間の話でなんとか打ち解け、葉月は男をクロムと呼ぶことになった。
「少し、元気になったな。葉月」
「そうね、ちょっとだけ落ち着いたかな。ありがとうクロム」
どうせあのまま地球にいても階段から落ちて死んだ身だ。
こうして五体満足で生きてるからにはこの世界ででも逞しく、楽しく過ごそう。
葉月は見た目の華奢とは裏腹の逞しさを持つ女だった。
「今って、何時くらいなのかしら。私が来たのは夕方だったはずだけど」
「いや、あれは昼間で、今は夜の10時くらいだな」
この世界も1日は24時間、1年は365日で巡ってくる。
クロムウェルシュによると、創世の神様が同じなんだろういうことだったが、地球ではそこまで神は身近ではないと言うと驚かれた。この世界では神殿で神の声を聞ける人間が多数いるらしい。
「なんだか安心したら、お腹が空いてきちゃった」
クルルと葉月のお腹が小さく可愛い音を立てる。
クロムウェルシュは苦笑し、気が付かなくて悪かったと言いつつ家人に食事の用意をさせた。
クロムウェルシュにエスコートされて廊下を歩き食堂に向かう。どこもかしこも広いこの家。
これから葉月の部屋も用意され、一緒に住むことになるらしい。
まるで高級レストランのような食堂、壁に沿って立つ人たちはクロムウェルシュと同じように額に宝石を持っているがその大きさや形はバラバラで一番美しい色と形はクロムウェルシュだった。
初老の男性は家令だろうか、それとメイドの女性が二人。この世界のすべての人が人外な美形なわけではないと彼らを見てホッとする。
長い食卓の中ほどに向かい合わせで座る。
十人は同時に着けるだろうテーブルに、二人だけとはなんとも寂しいものだった。
出てきた料理は、和食だった。
いや、見ただけではわからない材料もあるから一概にそうとは言えないが、雰囲気はとても近い。
「これが我が国伝統のワッシュク料理だ」
「って、和食じゃない」
「異世界からの者が広めたのだが、これを日常的に食べるようになってから明らかに病気や怪我が減った。なので代々受け継いでいる」
目の前にあるのは、お茶碗に入った焼きおにぎりに味噌っぽいものが塗られているもの。
ご丁寧に出汁が入った土瓶まで置かれて。この香りは鰹出汁だ間違いない。
まずは箸でちょっと崩してみる。
まだ暖かかったのか、ふわりと湯気が立った。
一口分をとり、口の中へ。
「は……ふっ」
香ばしい香りと味が口内いっぱいに広がる。
今いる場所が異世界であることを受け入れ、どうせ地球にいたところで死んでしまうなら、ここでこの男の妻として生きるのもいいかなと流されていたところだった。
だが、考えてしまった。それでいいのかと。
懐かしい日本の味、異世界ですら発展し続ける味。
クロムウェルシュの庇護から離れても独り立ちできるかもしれない。
そんな思いが葉月の頭を掠めた。
「おいひい」
ポロポロと涙が。
一口ごとに涙が溢れ、それでも箸は止まらない。おかずも説明を受けながら食べる。
どう見ても肉じゃがなニックジャ、蒟蒻芋があるのだろうかと疑問に思ったサシュコニャ、どうやら刺身こんにゃくらしい。酢味噌ではなく香ばしい、別の味がした。
他のものも葉月の口に合う素晴らしい味だった。
「ごちそうさまでした」
すっかり満足して箸をおく。
食後のお茶はほうじ茶によく似ているものだった。
「それで、葉月はどうする?」
「選ばせてくれるの? それなら私ここを出て……」
「ああ、一つ言っておくが」
出ていきますと言おうとした葉月にかぶせ気味に、クロムウェルシュが素晴らしく美しい顔で微笑む。
「ここまでのワッシュク料理が食べられるのはうちだけだぞ? 庶民ではここまでの材料を揃えるのがまず無理だし、他の家はうちほどワッシュク料理を発展させていない」
「……嫁になります」
この料理があるなら。それに自分ならこの料理を、さらに発展させることができる。
クロムウェルシュがにっこりと微笑み、その腕の中で葉月がもがくことになるのはこのすぐ後。
二人が結婚したのは葉月が召喚されて半年のことだった。
異世界の召喚魔法は、失敗しなかったらしい。
もぐもぐ