エンリケ王と三人のお妃の話
エンリケ王には百人の妃がいる。第一王妃で正妻のクローディアを筆頭に、第二王妃のジョアンナ、第三王妃のリリアン、第四王妃のマリア、第五王妃のアリス。世間に顔と名前が知れているのはせいぜいこの辺までだろう。
あたしは第五十五王妃で、仲良しのホリーは第六十二王妃だ。あたしたちは同じ高校(名門の女子高で、言わずと知れた王妃養成学校だ)出身の同級生だ。序列はあっても王妃になれば城(と言っても五十五番目のあたしには、二階建ての小さな庭とポーチのある家だが)が与えられ、侍従がついて暮らしも保障されるから生活の不安はない。王(あたしの顔すら覚えていないだろう)が訪ねてくることもないかわり、自由気ままな生活をしていられる。あたしにはそれが心地よく、ちょうどよいと思っている。
今日もあたしはホリーの城(あたしの城より少しだけ日当たりが悪い)で、お茶しながらおしゃべりを楽しんでいる。
「ねぇ、ミレーヌ。知ってた? このケーキ、エンリケ様のお気に入りなのよ」
ホリーがいちごタルトをほおばる。ぽっちゃりした顔がますますふくらんで、ますますぬいぐるみのクマそっくりだなぁとあたしは思う。
ホリーはれっきとした王妃でもあるのだけれど、エンリケ王のファンと言ったほうがぴったりくる。城じゅうの壁という壁にエンリケ王の肖像画や写真を飾り、王の立ち姿をかたどったフィギュアも小指ほどの大きさのものから等身大のものまで何体も所持し、部屋じゅう並べている。
もとはと言えば、ホリーの母親が王室の熱狂的なファンだった。その影響で幼い頃から歴代の王室グッズをコレクションしているホリーは、新しいグッズが出るたびにジョアンナ(第二王妃もまた同級生なのだった)に連絡し、特別に取り寄せているらしい。
要するに、ホリーにとって、エンリケ王は「推し」なのだ。亜麻色のカーリーヘアにうるんだような青い瞳。時に慈悲深く、またある時には悪戯っぽく見える優しく凛々しいお顔立ちのエンリケ王をひと目見れば、誰だって一瞬で恋に落ちてしまうのはわからなくない。
それにしたって、ホリーの「推し」ぶりは、ちょっと行き過ぎているとあたしは思う。それに、いくらグッズが欲しくても、あのジョアンナ(何かとマウントをとりたがり、あたしたちを馬鹿にしてきた嫌な女)に頭を下げて都合してもらうなんてどうかしている。
「そういえばさぁ、この前会ったとき、ジョアンナ、ちょっといつもと感じがちがったんだよね」
いちごだけ先に食べつくしてしまったタルトをフォークでくずしながら、ホリーが言った。
「疲れてるっていうか、元気ない感じ?」
「そりゃ、第二王妃ともなれば、公務だって山積みっしょ」
第一王妃はご懐妊だという。その分、ジョアンナにしわ寄せがきているはずだ。政治家たちの会合に、施設の慰問や開拓地の学校設立など、あたしたちには想像もできないくらい忙しいのだろう。もっとも、優秀な彼女ならそのどれもそつなくこなしていそうだが。
平々凡々なあたしたちに比べ、昔からジョアンナはずばぬけていた。容姿端麗、成績優秀。優れた学生にだけ贈られるローズの称号をもらい、何度も朝礼で表彰されていた。学生時代から第一王妃の有力候補としてメディアからも注目されていたジョアンナが、記者やカメラマンにかこまれている姿をあたしたちは何度も見てきた。
「あなたたちとはちがうのよ」
ジョアンナは事あるごとにそう言って、あたしたちを見下した。学校帰りにみんなでカフェに行こうと声をかけた時も、ホリーの親戚のダンスパーティーに誘った時も、鼻の先をつんと天に向け、お決まりの常套句を口にした。
ジョアンナには何人かの取り巻きがいたが、その中でジョアンナが誰と仲が良かったか正直思い出せない。むしろ一人でいたことが多かったように思う。学年首位の成績を常にキープできるくらいだから、きっと熱心に勉強していたのだろう。ジョアンナの教科書を借りた子が、メモ書きや線で真っ黒だったと言っていたことがある。
誰もがジョアンナが第一王妃になるものと信じて疑わなかった。けれど、エンリケ王が第一王妃に選んだのは、隣国のクローディア妃だった。海外留学経験もある超エリートお嬢様で、その華々しい経歴を鼻にかけることもなく穏やかで奥ゆかしい姫君に誰もが魅了された。
結局、ジョアンナは第二王妃におさまった。
第一王妃になれなかったジョアンナのことを、メディアは「残念な王妃」と揶揄し、皮肉をこめ、面白おかしく記事にした。
《所詮成り上がり。クローディア妃との差を見せつけられたジョアンナ妃》
《王の訪問はいまだかつて一度もない。第二王妃ジョアンナ、ひとりさみしい城》
《怨恨のジョアンナ妃。クローディア妃に挨拶なし。無言の晩餐、二時間》
「順位など関係ありません。あたくしは、ただ王と王国のために尽くすだけです」
涙目で会見するジョアンナを見て、あたしは気の毒に思った。彼女のことをよく思っていない誰かがリークしたのだろう。学園出身者でないとわからない悪い情報も流れていた。
それに比べ、第五十五王妃のあたしはなんて気楽なのだろう。この順位ともなると、王との顔合わせも一瞬で、結婚の儀式も書類にサインするだけの簡単なものだけだった。以降はもっと簡素化され、王と対面することもなく書類のやりとりだけになる。そんなだから、末端の妃が他の殿方と恋に落ちるケースは多い。不倫ではあるが、事情が事情だけに誰からもバッシングを受けることもない。
ホリーは、第六十二王妃でも「推し」と対面を果たした。きっとジョアンナに手をまわしたのだろう。母親が特注したというメルヘンチックなドレスを着て、ちゃっかり王とツーショット写真を撮って帰ってきた。その写真を無断で饅頭に印刷し、親戚じゅうにばらまいたものだから、ホリーは王室からお咎めを受けたが、ちっとも懲りていない。ホリーの「推し活」はとどまることを知らない。
ホリーのすごいところは、ジョアンナが第二王妃になってから、彼女とかなり仲がいいことだ。いくら「推し」のためとはいえ、鼻持ちならないお姫様と仲良くできるのが信じられない。しかも、最近はジョアンナの方からホリーに連絡がくることも多いという。あれこれ王室の愚痴や悩みごとを聞かされるらしいが、ごくたまにエンリケ王のお宝をゲットできる。ホリーにとっては貴重な収穫だ。
「毎回『第六十二王妃のあなたにはわからないでしょうけど』って枕詞がつくのはちょっとむかつくんだけどね」
ジョアンナの口真似をして、ホリーは笑う。ジョアンナの嫌味をスルーできるのもホリーの才能だとあたしは思っている。
ジョアンナは今でもクローディアに第一王妃の座を許した自分を許せないでいるらしい。
「ジョアンナだって第二王妃なんだから、第一王妃とそんな変わらないじゃん」
一度、ホリーがのん気なことを言ったら、ものすごい形相でにらまれたらしい。
ホリーの知らなかったことだが、第一王妃と第二王妃ではその役割もずいぶん違うそうだ。王の寵愛の対象である第一王妃と違い、第二王妃は王にとっては秘書的な存在なのだという。
ジョアンナは、エンリケ王に認めてもらいたい一心で想像以上の努力をしていた。ホリーが城を尋ねた時も、第三王妃から第百王妃に至るまで、百通にもおよぶクリスマスカードをエンリケ王に代わって書いていた。ジョアンナの右手中指に大きなペン蛸があるのをホリーは見逃さなかった。
「なんか、大変だね」
ホリーが言うと、
「送る前にエンリケ王が確認するの。それで、NGが出たらもう一度書き直しよ」
ジョアンナはため息をついた。
第一王妃のクローディアだけは王から直筆のクリスマスカードが贈られるそうだ。一方、代筆を担当したジョアンナにはカードは贈られないという。
「ただの紙きれだと思えば、クリスマスカードなんて欲しくもなんともないわ」
負け惜しみにしか聞こえない愚痴をジョアンナは言ったが、ホリーは右から左に受け流した。テーブルに身を乗り出し、
「カード、なんにも書いてないやつでいいから、ひとつちょうだい」
とジョアンナにせびった。カードには王室のエンブレムが印刷してある。ホリーのコレクションに加わるべき逸品だ。
「ホリーのところにも届くでしょう」
ジョアンナが呆れて言う。
「それはそれ、こっちは保管する用。あ、切手もちょうだい。エンリケ様がサンタの帽子をかぶっている切手。消印がないものはレアなの。あと、できればなんだけど」
「やっぱり、このへんにちょーっと、エンリケ様のサインがほしいなあ」
両手を組んで目をぱちぱちさせ、ホリーはジョアンナに懇願した。
「それはいくらなんでも無理よ。王はお忙しくてらっしゃるの」
「そこをなんとか」
「しようがないわねぇ」
そうやって、ホリーはコレクションをひとつずつ増やしている。あたしが少しでもジョアンナを悪く言うと、
「ジョアンナだって大変なんだよ」
とジョアンナの味方をしたりする。
そんな風だったので、ジョアンナを訪問していたホリーが真っ赤な顔をしてあたしのところへやってきた時には驚いた。
「信じらんないっ」
けんかでもしたのだろうか。あたしはホリーをソファに座らせ、カップにジャスミンティーを注いだ。ホリーはそれを一気に飲み干した。
「最初はよかったの。クローディア王妃が妊娠中で、エンリケ王がジョアンナのところにちょくちょく来ているからって呼び出されたの」
運がよければ、憧れのエンリケ様と会うこともできるかもしれない。たとえ会えなくても、エンリケ様の特別な話が聞けるはずだと、ホリーは喜び勇んで出かけた。けれど、ジョアンナから聞かされた話は、ホリーが期待していたものとまるで違った。
エンリケ王が、トイレの便座を開けっ放しで出てくること、濡れた手をパジャマの裾で拭いてしまうこと、食べ物をボロボロこぼしながら下品に食事すること、ベッドの中で臭いおならを何度もすること、いびきがうるさいこと。
「あんな話、聞きたくなかった」
今にも泣きだしそうな顔をして、うつむいている。
「ゲロが出るって。あんなやつのグッズがほしいならいくらでもあげるって」
「王様をきらいになった?」
ホリーは首をふった。「推し」への熱も冷めたのではないかと思ったら、そうではなかったらしい。
ホリーはただ、エンリケ王を悪く言うジョアンナが許せなかったらしい。第一王妃クローディアの妊娠で、世間の注目はすべてクローディアに向いている。ジョアンナが愚痴りたくなるのもわからなくなかった。けれど、ジョアンナの肩をもつような発言は控えておいた。これ以上、ホリーを怒らせたくない。
やがてエンリケ王とクローディア王妃のあいだに王子が誕生し、国じゅうがお祝いムードに包まれた。ホリーとあたしもお祝いのセレモニーに呼ばれて出かけた。セレモニーと言っても城前広場で王と王妃に抱かれた王子(おくるみに包まれているので中に入っているのが赤ちゃんかどうかもわからない)に礼をし、誕生日の歌を歌うというよくわからない儀式だ。
「エンリケ様のファミリーポートレイトがプレートになるんだって。ジョアンナに頼んでみようかなぁ」
帰り道、ホリーがそんなことを言ったので、あたしはびっくりした。あんなことがあって、もう二度とジョアンナのところへは行かないのかと思ったら、そうではないらしい。
ホリーは、この時も意気揚々とジョアンナの城へでかけて行った。
そして、血相を変えて、帰ってきた。
「聞いて、ミレーヌ」
喉が渇いているだろうに、お茶も飲まずにホリーが話し出した。
「ジョアンナの様子が変だったの。青白い顔をしてて、呪文みたいな言葉をずうっと独り言みたいにブツブツつぶやいてて、あたし、見ちゃったんだよね。ジョアンナがトイレに行った時、かけてあったローブの内側に剣が隠してあったの。ジョアンナはきっと、エンリケ様を殺そうとしているんだよ。ねぇ、ミレーヌ。どうしよう」
そんな馬鹿な。
「ミレーヌは見てないからわからないんだよ。ジョアンナ、ほんとにおかしかったんだから。呪われているっているか、悪魔に支配されているっているか、ほんとにそんな感じだったんだから」
「一刻を争うの。今から二人でエンリケ様を助けに行こう」
ホリーのその使命感はいったいどこからやってきたものだろう。王室のごたごたに巻き込まれるのはいやだ。それに、もしもホリーの言うことが本当なら、そんなところへ乗り込んでいったあたしたちにだって命の危険がある。
「ミレーヌ、よく考えて。ミレーヌがこうして暮らしていられるのはエンリケ様のおかげなのよ。エンリケ様がいなくなってしまえば、この小さくて居心地のいい城だって、お茶を飲んでおしゃべりしていられるこの暮らしだってどうなるかわからないでしょう」
たしかに。
あたしは、この暮らしが気に入っている。のんびりと平和で穏やかな暮らし。それがなくなってしまうのは困る。
「ね、だから、行きましょう」
ホリーにそこまで言われれば仕方がない。
あたしは重い腰をあげ、ホリーは馬車を呼んだ。
ふたりして城の前に立つ。ホリーがID(これもジョアンナから横流しされたグッズなのか)を見せると、門番が敬礼し、あたしたちを中へ通してくれた。背中で扉が閉まってから、護身用に果物ナイフの一本でも持ってくればよかったと後悔した。
勝手がわからないホールのような城の中できょろきょろしていたら、
「こっち、こっち」
ホリーが手招きし、あたしはホリーに言われるままについて行った。どうやら「推し活」で城内部の図面も手に入れていたらしい。えげつないと思ったが、ホリーに感謝した。
あたしたちは、長い廊下の一番奥、エンリケ王の寝室に飛び込んだ。
「なんだ、君たちは」
王がベッドから飛び上がったその時だった。
「王様、覚悟」
声がして、ふりかえると、ものすごい形相でジョアンナが乗り込んできた。両手で剣を握り、ローブを翻し、獣のごとくエンリケ王にむかってくる。
「ジョアンナ、やめて!」
ホリーがさけんだ。
「エンリケ様!」
ホリーがベッドの王に覆いかぶさり、あたしはジョアンナに体当たりした。バランスをくずした瞬間に、ジョアンナの腕をがしっと掴む。
「あなたたち、何しに来たの」
「やめてっ。邪魔しないで」
ジョアンナが叫び、身体をひねって暴れる。
「ジョアンナ、落ち着いて」
「こんなやつ、あなたに殺されるに値しないやつなんじゃないの」
こんなことで、あの頭の良い、ローズの称号を何度ももらっていた、あたしたちなんか比べものにならないくらい優秀なジョアンナが落ちぶれてしまうなんていやだ。
「ジョアンナ、目を覚まして」
あたしは叫んだ。あたしの腕の中で、ジョアンナの身体の力がぬけていくのがわかった。青白かったジョアンナの顔に、徐々に血の気がもどっていく。
剣が、床にすべり落ちた。
騒ぎを聞きつけた護衛が何人も部屋へ押し寄せてきて、あたしたちは全員部屋の外へ連れ出されてしまった。
事件が公になることはなかった。王室が手をまわしたのだろう。
あたしは、あたしだけの平和な日常を守れたことが素直にうれしい。二階建ての、小さな庭とポーチのある家。これがあたしの城だ。お茶を飲み、ホリーとおしゃべりする。
事件からまもなく、ジョアンナ王妃は出家した。第二王妃は欠番になり、あたしたちが繰り上がることもなかった。
命がけで王を守った勇敢な王妃のしるしとして、名誉職を与えると言われたホリーは王子の教育係をかって出た。教育係として、理想の男を育て上げるのだと息巻いている。トイレの使い方から食事のマナーにいたるまで、まだおむつもとれていない小さな王子に教えこんでいるらしい。
エンリケ王には、九十九人の王妃がいる。
「第一王妃はクローディアでしょ」
「それから、リリアン、マリアにアリスだ」
「あれ? 誰かぬかしてない?」
「え? あれ? 誰だっけ」
世間のそんな会話は放っておけばいい。テレビのチャンネルを変え、あたしはホリーと顔を見合わせ微笑む。ふたりでお茶を飲み、おしゃべりする日常があたしにとって最高だ。