ルクシーとハサミは使い用
目が覚めると陽は傾いてきている頃だった。
ミュートリナが心配そうにこちらの顔を覗き込んでいる。
今朝見た時の涙で腫れた顔ではない。
言い表せない恐怖に怯えるような、力のある彼女からは滅多に見れない普通の女の子のような表情。
「ハレファス、起きた」
「ああ、ミュートリナ」
「よかった、よかった」
堰が切れたように笑みが溢れる。
やっぱり人が持つべきものは貴族なんかによる不幸じゃない。
自身で勝ち取る幸せだ。
「私、あなたが、あなたまで失ったら」
「絶対にそんなことにはならないよ」
「うん、信じてる」
「ああ、君を幸せにするって誓うから。」
ミュートリナは顔を見上げる。
そしてそのまま後ろに倒れていく。
大丈夫か? 場所が違えば頭痛いだろう。
草むらは燃え上がり、鎮火し灰になっており痛くはないと思うが、一応治癒魔術を施しておく。
「ハレファス、私あなたのこと好きなのかな?」
「好きにさせてみせるさ。」
「もう」
うつ伏せになって顔を隠してしまう。
これでいい。まさか燃やした村がミュートリナの故郷だったのは計算外だったんだが、ラッキーだ。
灰のうえを2人手を繋ぎ学園へと帰る。
月は見えない、今日は新月か。
いや、雲に隠れているだけ。
この調子ならバレずにすみそうだ。
*
ハレファスは学園の帰り道に話してくれた。
お父さんのこと。夜襲にあって死んだんだって。
貴族が護衛もいたであろうにそんな簡単に? とは思ったけど実際に死んでいるのだから疑いようがない。
私の気持ちがわかるっていうのは本当だった。
それも、嘘だって決めつけて何も聞かずに魔術で殺そうとして、それで私もみんなと一緒にって。
正直、みんなが死んだって聞いてすぐは整理できなくて、頭も回らなくなって、それでも平民って身分が私を冷静にさせ続けて、でも耐えられず逃げ出して感情を爆発させちゃって。
彼の目は澄んでいた。
私を心配し、駆けつけてくれた時は心底驚愕した。
結構な距離があったのに、この広い街を潜り抜けて郊外までピンポイントで当ててきたんだもん。
超能力かって、びっくりだよ。
彼の言葉は至極単純で、それでいて爽快なものだった。
ただ好きだから関わらせてくれ。
本当にそれだけだった。
好きだから、好きだから。か。
好きだから私に優しくしてくれたんだよね。きっと。
学園のみんなは私が嫌いだから優しくしてくれない。
それの真逆なんだから、間違いないよね。
だったら、私は彼をどう思ってるの?
初めて見た時は漠然と、顔のいい人だな、くらいだったと思う。
たまに一緒に話したり、他の貴族より優しいなって感じたことはあったけど、心のどこかで他の貴族の子達と一緒だって自分に言い聞かせて好きにならないでいた、と思う。
でも違ったんだよね。
自分の身を削ってまで私に近づいてきて、それで好きって言って。
今日は上流の川から下流へ細い船に乗って一気に降るような体験をした。
途中で大岩に衝突して船が壊れて、それを修理してくれる人が現れて、そして下流に来たら一緒になだらかな川を流れていく。
きっとこれからはこんな出来事の連続。
なんなら今回以上の苦しみがあるかもしれない。
でもきっとその時もハレファスが助けてくれる。
彼を信じる。
どんな荒波でも、座礁しても、転覆しても一緒に歩んでくれる人がいるんだから。
***
学園に着いたのは割とすぐだった。
ミュートリナに抱えられながら高速で帰ってきたからだ。
木の上屋根の上なんのそので爆走。
やっぱり地上を行くのは非効率だな。
歩くのがよくないのかもしれんが、空がいいのは確実だ。
「今日は一緒にいる?」
「うん」
「よかった。一緒の気持ちで。」
「ふふ、なにそれ」
「ミュートリナに断られたら僕、絶対辛くて泣いてた。」
「断るわけないよ」
どこまで彼女が僕に心酔するかはアフターケア次第。
人間である以上底なしの優しさに対抗することはできない。
優しさには報いようとする、その感情を愛情と勘違いしてさらに深く奥まで心を脅かす。
そして気づけば切っても切り離せない、なくてはならない存在へと昇華する。
気づいてどうにかなる関係ではないから泥沼の恋愛なんてものがこの世にある。
「ミュートリナ、僕の部屋にくる?」
「行きたい!」
腕を組み石畳の道をミュートリナの歩く速度に合わせてゆっくりと歩く。
ぐいっ、と彼女の方向へと引き寄せられながら自分より僅かに高い体温を感じながら進む。
彼女の顔はとても可愛らしく幸せを感じていることがよくわかる。
ずっとこうしてたい、こうしてたかったということだろう。
僕も同じ顔をしているんだろう。
すごく愛情に溢れた顔だと思う。
「ハレファス私ね、私の家族を殺したやつが許せないの。」
「僕も許せない。」
「だからさ、一緒に探して殺さない?」
狂気に染まった瞳で僕を見つめながら一言告げてくる。
純水に一滴でも墨汁を垂らしてしまえばもう分離することはできない。
ゆっくりと蝕みながら広がっていくだけ。
そこに渦を描きながらより根底までのめり込んでいく。
彼女はすでに手遅れだ。
復讐の鬼で、僕を心の唯一の拠り所としている。
こうなった人間は強い。
並の障害じゃ止まらない。
「ああ、そのための協力は惜しまないよ。」
「うん。約束だよ?」
***
「おはようハレファス、最近ちょっと背が伸びたよね?」
「おはようジェイン。そうかな? あんまり気づかなかったけどそう見えるのか?」
「うん。ちょっと前まではルクシーくんくらいだったのに、今じゃハヴァレアくんくらいあるし。
筋肉も付いてきたな〜と思って。」
外見的な変化だし流石にか。
ヴァルターによる肉体改造の変化は少しづつ現れており、その顕著な部分が体。
日を追うごとにデカくなっていってる。
目もよくなってる気がするし、力も並以上にあると思う。
人間をやめるっていうのがどういうことなのか、今はまだよくわからないが神にでも悪魔にでもなるわけでもなさそうだし問題ないだろう。
「そんなに変わったかな。シェイン的には悪くない?」
「私的には、男らしくなったというか。ちょっと色っぽくなったなと思う。ていうかぶっちゃけ触りたい。」
「やめてくれよ。」
教室でそんなことやったらミュートリナが殺しにくるぞ。
ここで火だるま殺人なんてさせるつもりないし。
「え〜いいじゃんちょっとぐらい。ほらほらテレスシーナ様もどう?」
「え、わ、わたく、私も?」
シェインに背中を押されるようにして僕の胸の中に飛び込んでくる。
突き飛ばすことも、かと言って抱き止めることもできないからテレスシーナに対応を任せる。
「ああああ、あ」
シェインを見つめるとなにかしたり顔の様子。
テレスシーナと恋愛させようとしてるようだがそんなことできるわけない。
本人は照れているのか耳まで真っ赤にしながら俯いている。
しかし離れようとしないし、彼女の思いは伝わってくる。
何もしないでいるとシェインに睨まれる。
遠い視線の遙かなた、燃えたぎるような僕に向けられているわけではない視線も感じる。
「テレスシーナ様、お怪我はありませんか?」
「だ、大丈夫です。」
「よかった。さあ、立ち上がって。」
彼女の華奢な体を抱きしめながら立ち上がる。
抱きしめ返した方が、そんなのは一瞬だけ。
すぐに立ち上がると僕から離れていった。
「あの、逞しいです、わ。」
「ん?え?」
「いや、これはちがうくって」
「あ、ああ。そうですか。」
「ええ、そうですのよ。」
口を滑らせたな。いや、これは彼女なりのアプローチなのかもしれない。
そう思っておこう。
一部始終を見ていたのかルクシーがこちらにやってくる。
「ハレファスさん羨ましいですね。テレスシーナ様の胸の感触を楽しむことができて。
ルクシーならすぐに抱きしめ返して離さなかったのに。」
「ルクシー、もう少し自重しようか。欲望を。」
「でも正味昂ったっしょ?」
「不敬なやつめ。そんな劣情を抱くようじゃまだまだだね。」
「たしかにね」
何がだよ。
彼の中には彼のマインドがある。
納得しているのであればそれで良いのか。
だか、身振りから察するに何も理解してなさそうだ。
「ルクシーには今度も僕に協力してもらおうと思ってることがあるんだけどさ。」
「おっけ! なんでも任せなさいよ!」
「まだ何も言ってないよ?」
「一連択一よ。もうルクシーとハレファスさんは切っても切り離せない関係じゃん?
友達として頼ってくれて嬉しいですってことよ。」
一蓮托生、、なんにせよ彼は僕を友達として見てくれているようだ。ルクシー・アクィナスには僕にはわからない力がある。手駒にしておくに越したことはない。
味方にいても暴走するが、敵に回すのは面倒。扱いに困るが制御できた時彼はどんな部下より役立つと期待したいよう。確証はない。
「ありがと。ルクシーのことは信頼してるからね。
でも、戦場で髪に被った血とかは流そうね?
赤黒い髪の魔術士が暴れたって聞いて誰かって聞いて見たらルクシーで驚いたんだから。」
「ルクシーの髪は両親譲りのブロンドですから。」
そういえば、こいつの家族について詳しく聞いたことはなかった。彼の力の秘密に近づくかもしれない。機を見て探るのも視野に入れておこう。
「ハレファスさんって結構偉い人じゃないですか。卒業とかしたらルクシーを雇ってくださいよ。
そしたらルクシーも女の子いっぱい集めて凹凸パネル大会とかしたいな。
あとお金も困らないか! だって金持ちですもんね!」
「はぁ。ルクシーの努力次第ってとこかな。ただでさえ僕が贔屓にしてるって噂になってるんだから。」
「そうなの?」
「そうだよ。」
「誰の間で。」
「僕の父、ひいては祖父の代からワイトラー家を支えてくれてる従者一家からだよ。」
「そんなめんどくさそうなのもあるんだね。
実際どんな仕組みなんよ。」
ルクシーが派閥とか権力構造とか理解できるとは思えないが。
横のつながり縦のつながりねじれた人間関係全て理解して初めて権力闘争に参加できる。
彼を起用するときのためにも説明はしておいた方がいいのか。
「ワイトラー家を支えている家は結構多いと思うよ。
その中でも帝国併合前から支えてくださってる家は本流、併合後から支えてくださってる家は傍流なんて呼ばれ方をされてるかな。
もしルクシーがワイトラー家で雇われたらどっちの大派閥に入ると思う?」
「部外者だし傍流派?」
「もちろんその可能性もあるけど、おそらく本流側にじゃないかなって僕は思う。無派閥の人もいるけど、よっぽどじゃない限り派閥には流れる。」
「んで、なんで本流なのよ。ルクシーカシミ=エルニワトン帝国の人間ですらないよ?」
「そうだね、でも本流派は役に立つ人間なら取り込むと思うよ、重役ポストには起用しないと思うけど。」
「じゃああれなん? 使いっ走りにされるってこと?」
「まあ、ありえるかな。」
「えールクシーの夢の楽園生活が〜」
そんなものは最初からないのだが。
椅子からずり落ち、地面に倒れる。
そこまで夢に見ていたのか。他の生徒に見られていようがお構いなし。僕ももうその視線には慣れた。今まで向けられた視線のどれともあてはまらなく、慣れるまで戸惑いはしたが。
ブロンドの髪をゆっさゆっさと振ったと思えば、飛ぶように起き上がり僕の顔に少し砂のついた鼻先をぐいいと近づけてくる。
「じゃあ派閥をルクシーが作るってのはどうよ!」
「そんなこと、それこそ夢でも見てるとしか。
ルクシーそれは僕の大切な部下への挑戦とも見て取れるけど。」
「たしかにね。」
たしかにじゃねぇよ。
近づけていた顔を離し、なにやら思案し出す。
あれか?これか?それか? なんか言っているがなんとかとやらだ
?
「大派閥?ってのはなんなの?」
「大きく分けて本流派と傍流派があるってだけ。
実際は本流派の中にも派閥が何個もあるし、傍流派の中にも派閥が何個かある。」
「難しい権力構造だことよ。」
「まあ、僕の側近になれば派閥の枠組みを飛び越えることになるわけだし。」
「なにその裏口入学!!」
「言い方ね。」
「そんでそんで、その裏口入学について詳しく教えてくださいよ!!」
「単純に部下から優秀なのを何人か引き抜いたらしてる組織だよ。
引き抜くのが僕だったら側近の中の重鎮だったり色々だけど。」
「なるほどね。」
目を見るとぐるぐる渦巻く線が見える、、、
頭の中で頑張って整理しているようだ。これでいて結構真面目に僕の元で働くことを考えてくれてるよう。
彼が真剣に考えるなら、僕もそれなりに考えておいた方がいいだろう。
まずは手柄を立てさせて、ひいては実力派として腕でなく脳みそも磨いていってほしい。
間違いなく魔術にかんしてはピカイチで負けなしだと思うが、ギャップで脳みそに期待してがっかりする人が続出することが目に見えるし。
まだ15。これから成長していくと期待しよう。