アルジュニアスの決断
『戦士よ、強くあれ
戦士よ、優しくあれ
戦士よ、正しくあれ』
俺、アルジュニアスの父がよく口にしていた言葉だ。
父は強く、優しく、真っ当な人間だった。
誰かを助けるために、見返りを顧みない。
誰にでもできることじゃないよな。
本当に、かっこよくて最高の父だった。
そんな父のことを尊敬していたし、そんな父の息子であることに誇りをもって、俺もいつか父のようになる。
そう志し成長していった。
母は父のように強い人ではなかった。
誰かの頼みを断れない、優しい人だ。
言い方を変えれば、お人好しな人だ。
子供だった俺の突飛な行動や考えにも真っ向から否定することはなく共感してくれるような人だ。
献身的で努力家なところを好きになったと、父は言っていた。
将来は母さんのような人と結婚しろって、一度言われた事がある。
そんな2人の下で育ち、10歳になったときのこと。
俺は初めて村のみんなと狩に参加することになった。
最近生まれた女の子、リディアのためのお祝いとのこと。
リディアは司祭様の娘だそうだ。
父と司祭様は師弟関係にあるそうだ。
父が大の大人を可愛がってるのを見るに、ずっと昔からの仲なのだろう。
『アルジュニアスはゾルアディックさんみたいな強い戦士になりそうだな』
『リリガさんは戦士じゃないの?』
『私は司祭としての勤めがある。
戦士にはなれんよ』
『へー』
『リディアだ。抱いてあげろ』
『父さん、ほっぺがぷにぷにだ!』
『あんま強く押してやんなよ?』
狩では鋼毛イノシシを狙うことになった。
その名の通り、毛が鋼のように硬いイノシシのこと。
速度をつけられ突進されると大木ですら音を立ててなぎ倒される。
しかし、中に詰まる肉は絶品モノで、お祝いに使う肉としては申し分なかった。
『これから行うのは命のやり取りだ
気を抜いたものから死んでいくぞ』
『わかってるよ父さん
俺ももう10歳だ。
足手まといにはならないよ!』
男衆が村を出て少しした時、鋼毛イノシシとは別の動物に襲われた。
赤熊だ。
赤熊は凶暴で見境なく人を襲う。
しかし、大人数で対処すればなんとでもなる相手。
周辺の危険な生物ではあるものの、手こずる相手でもなかった。
だが、初めての赤熊の迫力に、俺は恐怖から逃げ出してしまい逸れてしまった。
そんなところに魔の悪いことに元々お目当ての鋼毛イノシシが現れた。
ここでも落ち着けず俺は叫んで逃げてしまい、イノシシの注意を引いてしまった。
全力で突撃してくる。
やつの急所は首か関節。
しかし当時の俺に鋼毛イノシシを殺すだけの技術はない。
まして村の男衆も数人でやっと殺せるような相手だ。
ついには衝突してしまった。
だが、その割には体が動く。
打撲程度で済んだようだ。
脳で理解するのに数秒用し、その瞬間一つの疑念が浮かぶ?
『俺はどうして生きているんだ?』
ペチン、と足を叩かれるのを感じる。
目を向けると指が逆に曲がっている腕が俺の足に触れている。
力が抜けて、無意識に叩いたようだ。
『ぃぃぃぃぃっ!』
よく見ると見覚えのある手だ。
よくこの手で頭を撫でてもらった。
強くて優しい手だ。
『父さん?』
父さんは俺を鋼の毛イノシシから守り死んだ。
即死だった。
首に槍が刺さっている。
地面までめり込んでいる。
このバケモノをヒト突きで殺したのだ。
そして衝突し死んだ。
俺が衝突したのは飛んできた父だった。
気づいたら家に帰ってきていた。
母は泣いていた。
絶えず俺に『ごめんね、ごめんね』と謝っていた。
本当に謝るべきは俺なのに。
母さんは目に見えるほど弱っていった。
今までのお人好しが何倍もましに見えるほど。
『母さん、寂しいの?』
父の墓の前で何度も『会いたい、寂しい』とつぶやく母をみて、そう口にしてしまった。
そこでもまた母は泣きながら『ごめんね、ごめんね』と謝ってきた。
『アルジュニアス、今日からうちに住まないか?』
リリガさんからの提案。
もちろん断った。
俺には母さんがいる。
母さんを置いていくなんてできない。
『今のお前を見ているとなんだかよくない方向にいきそうでとても心配だ。
母親のことが心配で無理しているだろ。
そのままだとお前の精神まで病んでしまう。
母と一緒にうちへ来い』
その一言は、まだガキの俺を救うには十分すぎる言葉だった。
きっとどこか心の中で、自分の母のことを鬱陶しく思っていたのだろう。
だからこそ、その提案を飲んだ。
リリガさんの家で過ごすようになり、リディアの面倒をよく見るようになった。
皆から甘やかされて育ったリディアはわがままで頭に来ることもあったが、ふと笑った時の顔が、とても愛しくて苦ではなかった。
母は相変わらずではあるものの、俺は極力関わらないようにしていた。
距離をとって避けるように。
母をこんな風にしたのは俺のせいだ。
変わりようのない事実を受け入れられないで、逃げていたんだと思う。
楽な方楽な方へ。
俺たち家族は不幸だとしても、村全体としては幸福に満ちている。
なんせ司祭家に第二子が生まれるのだから。
『リディアはお姉さんになるんだよ』
そんなごく当たり前のことを発した日から、リディアは変わっていった。
今までのわがままお嬢様から一変、できないながらも家事を手伝うようになった。
子供の成長というのは、なんとも予想できない。
そんなことをガキの俺が思ったものだ。
そうして訪れた運命の日、村のみんなが不幸になった。
生まれてきたのは女の子。
誰もが望まない子だった。
男の子が生まれなければ生贄を出さなくてはいけない。
そうしなくては司祭家の血が途切れる。
司祭家の安寧は村の安寧。
その日から、俺はリリガさんの家に住むのをやめた。
日に日にやつれていく司祭家夫婦。
目に光のないリディア。
誰を生贄にするかの話ばかりする村の連中。
相変わらずの母。
『俺には関係のないことだ』
誰が苦しもうが、悲しもうが。
特に気にすることではない。
俺だって父が死んだ日からずっと苦しみ続けたんだ。
他の人にも順番が回ってきた。
ただそれだけのこと。
そうして過ごした某日、母が妊娠した。
相手は誰だ?
村中大騒ぎだった。
母は俺にすら相手を教えてくれることはなかった。
だが、俺の中でこいつだって、人間が1人いる。
それはリリガさんだ。
なんで、どうしてと言われても答えようはないが。
あの人しかいないと思う。
母は脅されているから言えないのだ。
そう考えたが、おそらく違う。
お人好しの母のことだ。
父のような人がいながら他の人と交わったことに罪悪感を感じ、黙っているのだとわかった。
気づいたのは俺くらいだろう。
母のために告発するか?
まるでそんなつもりにはなれなかった。
俺はリリガさんに恩を感じていた。
どうしても裏切るようなことをする気にはなれなかった。
多分この先リリガさんがどれだけの悪事に手を染めようが、俺は彼の首をはねる事など到底できないだろう。
きっとリリガさんも俺が気づいてることを察しているだろう。
そんな予感もあった。
俺には話すつもりなどなかったが、リリガさんは俺を信用などしていなかった。
弟を産んだのち、母は死んだ。
『司祭家に男の子が生まれないのはゾルアディック一族が子宝の運を全て吸い尽くしたからだ。』
言い出したのはリリガさん。
そんなこと言われるなんて俺は思っていなかった。
そこからは迫害の毎日だ。
『一族ばかりの繁栄を求めたはぐれもの』
『ゲス一族』
『両親が死んだのは神の怒り』
『出自のわからぬ子など切り捨てろ』
そんな大人たちをみてか、とうとうリディアすらも俺たちを迫害するようになった。
『私の妹があんな酷いことされるのも、お母様やお父様が苦しんでるのもアルとアルの家族のせいなんでしょ
最低ね』
びっくりだった。
まさか昔遊んだ女の子からそんな心無い一言を言われるなんて。
大人連中を信用していないのは最初からだからあまり気にしなかったが、流石にリディアからの罵倒は応えたな。
『兄さん、俺負けないよ
あんなやつらに何言われても俺には兄さんがいる』
『そうだな。俺にはお前がいる。
俺たちはあいつらなんかに負けない。』
弟はこんな環境の中、強く育っていったと思う。
周りからは石を投げられるのに、俺より強かった。
そんな弟に勇気をもらい、俺も弱い姿なんか見せられない。
そこで初めて自分の醜態に気づく。
『戦士よ、強くあれ
戦士よ、優しくあれ
戦士よ、正しくあれ』
いつしか父の言っていた人間からは程遠い存在になっていたのだ。
ずっと気づかなかった。
周りに全てを押し付け、責任から逃げてきた。
強くならなくては。
そこから、俺は強くなる努力を始めた。
俺には才能があり、強くなるのに時間はかからなかった。
逆に今までがサボりすぎだったのだ。
俺は弱くて弱くてどうしようもない人間だ。
だから父を殺してしまった。
母を守れなかった。
弟をに励まされるような兄なのだ。
全て否定的に考えていた。
『ゾイ、俺は強いか?』
『ああ、兄さんは村で一番の戦士だ』
『そうか、、、』
転機ってのはいつも唐突にやってくるもの。
シルフウルフの群れが村を襲った。
篝火は倒れて村は火事、阿鼻叫喚が聞こえてくる。
俺たち兄弟は迫害され家が村の中心から離れたところにあり、被害という被害はない。
本当、ざまあないと思った。
『兄さん、どうするの?』
『どうするって、なんのことだ?』
『兄さんが助けないとみんな死ぬ。
俺は兄さんについていくよ
どんな選択をしても正しいと思う。
兄さん、俺は兄さんを信じてる。』
正しい、助けない選択は、正しいのか?
村の奴ら、リリガさん、リディア。
リディアは、いい顔で笑うんだ。
女の子なのに鼻に泥塗ってて、指摘したら拭うんだけど広がっちゃうんだ。
それがおかしくってとっても可愛いんだ。
そんなリディアが死ぬのは、なんかいやだな。
『ゾイ、俺は、俺たちを迫害した奴らを助ける』
『兄さん、、、俺は兄さんのそんなところがとってもかっこよくて大好きなんだ。』
結果的に俺は英雄になった。
村を襲ったシルフウルフは敵じゃない。
無双、ゾイはみんなを助けていた。
本当に人とは怖いものだ。
『よっ! 英雄のアル!!』
『ゾイ、足が挟まれて動けてなかったとこ、助けてくれてありがとなー!』
『アル、今度うちの子抱っ子してくれよ!』
本当に、本当に気持ち悪かった。
『はは、照れるから英雄はやめろ』
『ゾイ、お前かっこいいじゃないか』
『まかせとけ、俺が抱っ子した子として後世まで語り継いでもらうからな!』
俺は、我慢すればいいと思っていた。
俺は戦士だ。
強く、優しく、正しい存在。
『アルとゾイ! 一緒にご飯行こ!』
『兄さん、リディア姉の頼みは俺からは断れねえ。
頼む、断ってきてくれ!
すごく、気持ち悪いんだ。
あんなに迫害してきたやつが、急に擦り寄ってくんの。
俺、最低だよな。』
ゾイ、俺に任せてろ。
そんな一言が言えなかった。
『すまんゾイ。
リディアの頼みなら断れねぇや。
我慢してくんねぇか?』
『兄さん、、、』
それから暫くして、ゾイは塞ぎ込んでしまった。
ゾイは俺に失望したかもしれない。
ゾイは俺を信じていた。
俺を、こんな俺を兄だと慕ってくれた。
そんなゾイの期待を俺は裏切ったんだ。
『また家族を失うのか?』
強い戦士になれた。
そんなのは俺の願望だった。
強い戦士とは何なんだ。
呪いのように俺を縛って離さない言葉。
今の俺にできるのは精々村の連中からゾイを遠ざけることくらい。
もっとできたんじゃないのか?
ゾイの期待を裏切らなければ、こんなことにならなかったのか?
『ゾイ、ごめんな。ごめんな。』
『消えてくれよ。あんたなんか兄弟じゃない。』
『ゾイを羽にしよう』
そんな話が持ち上がった。
いくら村のためといえど、到底容認できるものではない。
俺は断固反対した。
『所詮、一族を優先する一族か』
『いくら武勲を立ててもその野心は消えぬか』
『穢れた血族、絶えてしまえばいいのに』
非難の声は俺に聞こえるように浴びせられる。
前と違ったのは、リディアが庇ってくれたということ。
彼女は村のみんなに訴えかけてくれた。
それをみていたリリガさんのダメ押しもあり、俺への迫害は終結した。
また助けられてしまった。
あの男は危険だ。
これ以上恩は作らないようにしていたのだが。
『村の外から来る男を羽にすればいい。
そいつは俺が責任をもって殺す。』
結論は出た。
もう逃げられない。
俺が殺す。
誰であろうと俺の家族を奪わせない。